鷹の抜け羽

              〜作品談義と発表〜

  四月八日掲載              ハヤカワ文庫

「 フラッド 」       アンドリュー・ヴァクス   

 
  
 フラッドというのは、女流武道家の名前で、空手か他の 拳法かよく分からない武術の達人ということになっている。 だがヒロインというわけでもない存在だ。
 主人公は腐れ切った人間共を抱えた大都会ニューヨークそのものだ。 なかでも幼児虐待殺人犯のコブラなんぞは副主人公かな。 このての犯罪は、大都会でしか起こりえない。そのコブラ に復讐を誓うフラッドもまた、猥雑な大都会でしか育たない 女の子だ。コブラだけがこんな残虐嗜好に塗れているわけ でもなさそうだ。
 ニューヨークもロスも、似たような状況なの だろう。いずれ東京も、と考えるとゾッとするが、人が集まり 過ぎると、ろくなことにはならない。でも根気よくこのろくでな しの大都会の底暗部を紹介してくれた作者には感謝する。
 アメリカには見物旅行に行きたくないと思っていたこちとらの 直感が当たっていたことが証明された。アメリカファン必見の 一冊だろうなあ。


  三月十一日掲載              祥伝社

「 蜩ノ記 」       葉室麟   

    

第146回直木賞受賞作品


 話題の中心は戸田秋石(とだしゅうこく)である。秋石はもともと 豊後、羽根藩の勘定奉行を務めた柳井与市の四男で、馬廻役 戸田惣五郎の養子に入った。名は光徳、順右衛門(じゅんえもん) と称し、秋石と号する。
 若い頃から文武に優れ、眼心流剣術、制剛 流柔術、以心流居合術を修行し、特に宝蔵院流十文字槍術は 奥義に達したという。
 さらに和歌、漢籍の素養も深い。二十七歳 の時に郡奉行に抜擢されて五年間勤めた。その間、精励恪勤 (せいれいかっきん)し農民に心服された。また畳表の七島筵 (しちとうむしろ)の生産を奨励した。この筵が江戸、大坂にまで知 られる特産品となって、藩財政を潤した。随分念入りな人物紹介だ。
 要するに、秋谷が一点非の打ち所のない人物であることが大切なので ある。その秋谷が、現在は城下七里を離れた向山村に幽閉されている。
 其処へ、秋谷の手伝いと称して、実は逃亡監視役の檀野庄三郎が 派遣される。庄三郎はつまらぬ事で朋輩の足を切り、それが城中のこと だったので、本来切腹者なのだが、死一等を減じられ、秋谷の監視役 を命じられた。この庄三郎が、この作品の視点人物になる。
 秋谷幽閉の理由は、家老によると「秋谷は江戸屋敷でご側室と密通 し、そのことに気付いた小姓を切り捨てたというものだ」というこになる。
 そのとき秋谷は三浦兼通に仕えていたが、家譜の編纂に取り組んでおり、 秋谷が小姓を切ったのが八月八日だったゆえ、十年後の八月八日を切腹 する日と期限を切って、それまで家譜編纂を続けるよう命じられたわけだ。
 さて、十年後の八月八日と命じられ、すでに七年経ったのだから、残り三 年の命というわけだ。説明された秋谷の人間像と、冒した罪の汚さとの ギャップを埋めていくのが、この作品のテーマだと比較的早くにはっきりする のは有り難い。
 蜩ノ記の由来が泣かせる。「夏がくるとこのあたりはよく蜩が鳴きます。秋の 気配が特にが近づくと、夏が終わるのを悲しむかのような鳴き声に聞こえます。 それがしも、来る日一日を懸命に生きる身の上でござれば、日暮らしの意 味合いを籠めて名づけました」、秋谷の言である。何やらかげろう日記の前書き に似ているようだ。作者はきっとかげろう日記が好みなのだろう。だから、さむらい版 かげろう日記というわけか。
 こういう形で、封建制の不条理性を突き出すのも一つの方法かなと思えて 来るから不思議だ。十年後の切腹などと命じても、人間の生命など明日をも 分からぬもの。病気でも事故でもそれ以前に落命したら、この命令はどうなる のか気になっていたのだが、さて結果はいかがあいなりますことやら。


  三月二日掲載              集英社

「 共喰い 」       田中慎弥   

 
  

第146回芥川賞受賞作品


 篠垣遠馬が主人公。川辺の漁師町の 底辺の性と、ゴチャゴチャした血縁関係、 その他がごたまぜに書かれている作品で、 146回芥川賞受賞作。
 大変な讃辞に 包まれているから、安心して悪口が言える。 此処まで下品に、貶められた性を読むのは はじめてだ。此処まで書けますみたいな気 負いがあるようだ。
 この本に一緒に載っている 「第三期層の魚」という作品は、感じが良い。
 四回も芥川賞候補に挙げられたから、五 回目くらいは貰ってやろうとかコメントして話題 になったのも耳新しい。
 でも困ったね。この作品、 子供に読ませられないな。痣が残るほど殴打し ながらでなければ、性交ができない父親や、それ を甘受しているらしい女性の存在など、珍しいが、 それだけじゃないのかね。
 石原慎太郎が何処かの 週刊誌に、もうそろそろいいんじゃないのか、という 受賞のケースが有るようなことを述べていたが、 この作品がそうなのかね。達者な描写力が空回り している感じだな。賞の選考委員の皆さんは、この 達者な悪趣味に閉口して、又出て来られちゃ適わん と、今回受賞者に決めたのかい。もう少しましな作品 が有っただろうにな。
 例のコメントで買ったこちとらも、 上手くのせられた口で大きな顔はできないな。


  二月十九日掲載              朝日文庫

「 悪人 」 (上、下)      吉田脩一   

 
  
 主人公は清水祐一、携帯サイトで知り あった石橋佳乃(よしの)を殺してしまう。 倒叙型のミステリーかというと、これが少し 違う。
 人を殺したから悪人かという単純さ では小説は書けない。
 始めは事の経緯から、別の男が犯人と目 されて追われる。祐一はその間、女と遊んだり、ドライブを楽 しんだりと、その間の生活が微細かつ丁寧 に描写される。これがなかなか読ませる文章 だ。構成もがっちりしていて第34回大佛次郎賞、 第61回毎日出版文化賞を受賞した作品だそ うだが、さてこそと思われる。
 小説好きなら必見 の作品だろうな。さて悪人とはどんな人間なんで しょう。気になりますか?親鸞は、「善人なおもて 往生す。いわんや悪人をや」と仰せだが、さてど んなものでしょうか


  二月十二日掲載              角川書店

「 ジェノサイド 」       高野和明   

 
  

このミステリーがすごい2012年第1位作品


 久しぶりに面白い作品に出会えた。進化論的に人類 を考察すると、多分作者と同じレベルの判断になる。
 ある日何処かである個人に突然変異が起きて、超 人類が発生したら、現在の人類はどうなるか。霊長類 のなかで、現在の所人類がチンパンジーやゴリラを越えて 支配的な生物として存在しているが、超人類にとっては、 我々がチンパンジーやゴリラ的存在なのではあるまいか。 その超人類が生まれたと言う想定が、まず面白い。
 もう一つは古賀研人という日本人薬学研究者が作ろう としている肺胞上皮細胞硬化症という難病の特効薬が、 果たして上手く出来るかという設定。
 子供が罹患する病気 で、今のところ直す方法がない。この病を持つ子供のいる 傭兵イエーガー。コンゴでジャングルのピグミー族の集落を、 ジェノサイドに掛ける4人の中の一人として行動している。
 この二つの命題がどう結びつくか、先ずはその辺から読者の ハラハラ感を掻き立てる。何しろ初っぱなからアメリカ大統領 が登場して、何の違和感も感じさせないストーリーだ。
 スケールが大きいぞ。スリルもたっぷりだ。人間性についての 反省を我々に迫るところも、迫力があるな。山田風太郎賞 受賞作だそうだが、590ページの大作だから、読むについては それなりの覚悟が要るだろう。
 生物史としては、人類もいずれ 絶滅を免れないだろうが、この形なら或る程度の必然性を主張 できるだろう。ハッピーエンドにするところが、弱点と言えば弱点か。 近頃珍しいSFの力作だ。


  二月四日掲載              角川文庫

「 螺鈿迷宮 」 (上、下)      海堂尊   


  
 この作者は現役の医師だそうだ。だからか、作品の題材は常に 病院、医師、看護士なのだが、筆者が感心するのは、必ず作者 の問題意識が提示されていることだ。文章も達者で読ませるよ。
 この作品では、貧乏人や高齢者といった弱者切り捨ての国の 医療制度の本質が、赤裸々に提示されている。厚生労働省の 白鳥事務官が皮膚科の医者に化け、同じく厚労省の姫宮という 事務官がダメ看護士として登場する。主人公は天馬大吉という ダメダメ医学生。今回は田口君は関係なし。
 現役医師ならではの問題提起が凄い。スリラーだから殺人事件 が起こるのは当然なのだが、それが病院で組織的に行われたら、 という怖ろしい話だよ。だが、国が行う医療行政の本質を鋭く衝いて いるのだはあるまいか。
 すみれが最後に生き残るが、これはどういうつもりかな。彼女も桜宮 病院、つまり殺人病院の医師の一員だが、このお話まだまだ続きますよ という意味なのかな。また殺人病院を始めますよ、というのは無いだろうなあ。
 金にならない健康保険の患者や介護保険の患者が3ヶ月ごとに転院 を要請されたり、往復転院されたりということは、多くの読者も経験し ていることだろう。
 海堂さん頑張っておくれ。せめて新しい作品が出たら買うように努力 するからね。


  一月二十九日掲載              新潮文庫

「 死闘 古着屋総兵衛影始末 」 (一)    佐伯泰英   


  
 この作家はなかなか精力的に作品を書いておいでだ。このシ リーズだけで、裏表紙によると十三巻存在するらしい。
 家康と隠れ旗本の密約を結んだ鳶沢成元は、無法者達を一掃した代 価に古着屋を開く権利を与えた。同時に将軍家への諜報係 であり、隠れ旗本であるのは冒頭に述べたとおり。同時に家康から 三池典太光世作の名刀を与えられる。
 鳶沢あらため大黒屋総兵衛は代々この名前、稼業、典太を受け継ぎ、この作品では 六代目大黒屋総兵衛が主人公でである。この一族家康の 墓、初代東照宮のある久能山に戦闘部隊をこっそり養い、有事 に備えているという設定。
 まあ大した事件も起きないが、全く起き ないでは話にならないから、ちょいちょいと起こる事件を解決して、 読者を退屈させない。その語り口が上手いねえ。
 つられて二巻(異心)まで読んだがここで読み止め。


  一月十八日掲載              双葉文庫

「 王様ゲーム   」      金沢伸明   


  
 感想や批評は、対象たる作品を持ち上げるために 書くものだと言ったのは、小林秀雄ではなかったかと思 うが、多分そういうことなのだろう。納得できる。
 でもね、せっかく新本を買ったのに、最初から最後までガックリ するような作品については、文句を付けておかなければ いけないのではないかと思う。それが題名にあげた作品だ。
 携帯電話を使って、王様から命令が伝達される。始めは たわいもない命令なのだが、そのうち内容が次第に過激に なり、メールの内容に従わないと、罰としての死まで伝えら れる。
 しかもその死の状態が極めて不自然だ。誰も手を 触れないのに、首筋に血が滲み間もなくポロリと首が落ちる。 怨恨とか金欲しさとかいう、いわゆる動機もきっかけもの無い 殺人というわけか。それにしても死ねばいいってものじゃ有る まいよ。
 ところがこのシリーズが結構売れているのだそうだ。 大人気サバイバルホラーなんだそうだが、腰巻き宣伝によると 二百六十万部以上が売れたそうだ。本当ならその何倍かの 人が読んでいるということになる。
 どうしてこういう作品が書かれ、どんな人達がこういう作品 に興味をもつのか、私には分らない。私自身は題名から、今流 行のモバゲーとやらを扱った作品かと思って買ったのだが、呆れた。
 目の汚れだね。好きなら仕方が ないのだろうが、こんなものの真似だけはしないで欲しいな。


  一月五日掲載              ハヤカワ文庫

「 ハーモニー 」      伊藤計劃   


  
 三人の少女がヒロインなのだが、名前からして何やら 日本離れがしていて、あれ、これは何と読むのだっけ、 なんぞと前のページを探したりして。
 だが、ユートピアってこんなことなのか、と自分の 理想郷のイメージを反省させてくれる効果は絶大だよ。 作者が重病人だったせいか、医療関係の完全性にユートピア の力点が置かれているが、ヒロイン達はうんざりしている。 その辺に作者の皮肉な人間観が表現されているようだ。
 人間という生物種が、いつまで地球を我が物顔に支配 できると思っているのかね、という、作者のニヒリズムが、 主張としてではなく、表現、描写として書かれている。 並の作者にできることではないよ。人間存在の現在の 状態が当然だと思うお方は、多分読まない方が良いかな。
 人間に存在理由など有るわけなしと思ったら、読んでみると 面白いかもしれない。ユートピアが実は・・・何かこんな映画 が有ったような気がするが、人間の考える理想郷とはどんな ものなのか、考えてみるのもたまには良いのではあるまいか。


  十二月二十五日掲載              新潮文庫

「 行きずりの街 」      志水辰夫   


  
 なかなかの書き手だ。だが話の筋に、こちとらには 分かりにくい所が有るな。高等学校の教員だった 主人公が、教え子の女の子と恋愛結婚したのが 理由で、追放されなければならなくなったという点だ。
 こちとら元高等女学校だった新制高校に入ったが、 これが色町の傍にあって、そこの息子も同級生だった。 気の早い男子はもちろんそんなところに出掛けたり していたようだが、よくそんな金があるもんだと感心した。
 同級生や下級生の女子を引っ掛ける奴も当然いた。 教員と女子生徒の関係や結婚は、そんなに珍しい事 じゃなかったし、ましてスキャンダルになったり、追放なんて 思いつきもしないことだった。
 まあしかし、その点を除けば 、文章はしっかりしているし、筋立てもがっちりしている。 日本冒険小説協会大賞受賞作品だけのことはあるね。


  十二月十八日掲載            集英社文庫

「 となり町戦争 」      三崎亜紀   


  
 となり町との戦争が始まる。何処かでドン パチやらかすといった戦争ではない。日常 生活はいつものように続く。しかし町の広 報誌には戦死12人などと発表される、 そんな戦争だ。
 こういうのって、分かるんだが 面白く書くのは難しい。我々だって何処かの 国の民衆の食い物を取り上げて食っている のかもしれない。何しろ日本は外貨を持って いるらしいからね。
 だが、それを言い立てたら 何処の国でも白けちゃうだろうなあ。個人も そうだろう。今更らしく言われても困るよ、と でも口の中で呟くか。
 第17回小説すばる 新人賞受賞作だそうだが、寓話にも、小説 にもなりきっていない、中途半端なものにしか なっていないな。文章もいまいちかな。


  十二月七日掲載            文春文庫

「 巴里からの遺言 」      藤田宜永   


  
 祖父の残していった手紙によって、魔都巴里の「甘美な毒」のあれこれ を追尾してゆく主人公常田隆一。
 祖父忠次の放蕩ぶりに呆れながらも 憧れを抱き、娼婦街のサン・ドニに佇んだり、ジャン・ギャバンと恋愛した という婆さんと知り合ったり、半貴婦人と称される高級娼婦と知り合いに なったりする。彼女らが網を張っているのがシャンゼリゼー通りのマキシム だというから驚きだ。あんな高級レストランには到底入れない。
 巴里には 一度行った事がある。二日か三日しか滞在しなかったから、あちこち探検 できなかったが、モンマルトルやルーブルには行っている。でも、この作品は そんなかいなでの巴里体験とは違い、熟し切った果物の持つ甘美な毒を たんまりと味わわせてくれる。
 エム・スーというカンボジア女の結婚式に、何 でもいいから歌えと言われて「カスバの女」を歌ったとは、さすがに驚いた。 エム・スー曰く「なぜ、日本人がアルジェリアの外人部隊の歌を作ったんで すか」。意味もなく何でもやってしまうのが日本人なのかな、と僕は改めて 思った、と主人公の述懷。
 良い作品だ。セーヌ河のトロンとした流れを思い出した。


  十一月二十六日掲載            文春文庫

「 輓馬 」      鳴海 章   


  
 輓馬、正式には輓曳競馬(ばんえいけいば)という名称の略語だ。
 当然競馬の一種である。ただし、場所と時期にかなり厳しい制限が 有る。場所は北海道、この作品では帯広になっているが、ほかにも 輓曳競馬場が有るのかどうか、私は知らない。
 時期は真冬。雪が 何メートルも積もっていなければ、輓馬はできない。何しろ思い橇 に鉄のおもりを積み、行く手に作られた二つの雪の岡を乗り越えて 200メートルの距離を走らなければならない。並の馬では到底勤 まらない仕事だ。体格がどっしり、骨太でしかも足が速く、何よりも 力持ちでなければならない。
 こんな馬は、そうざらにはいるまい。昔 は馬を農耕の各種仕事に使った。真冬は農閑期だから、その徒然 に考え出された遊びだったのではあるまいか。
 この文庫の出版が 2005年、7年近く以前である。よって現在も輓馬が行われている かどうか、保証の限りではない。そういうものが有るということは、かなり 以前に聞いたか読んだかした覚えがあった。小説だから人間関係が 主たる材料なのだが、私には輓馬そのものの説明のほうが面白かった。
 よく分かった。分かっただけに、現在も行われているかどうか、疑問 になったのだ。こういう巨大な馬を輓馬のためだけに飼育する余裕が 有る家や人がいるのだろうか。冬の北海道には、いくら輓馬のためとは いえ、わざわざ出掛ける酔狂なファンがそう多いとも思えない。それだけに 輓馬の記念碑的作品になる可能性が高い。
 作品としても出来の良い ものだから、珍品として後世に残るかもしれない。


  十一月十九日掲載            文春新書

「 天皇陵の謎 」      矢澤高太郎   


  
 かなり前から天皇陵に対する疑問が存在していたらしい。現在の陵 の推定は明治維新の時に、絶対天皇制をでっち上げる目的で、か なりいい加減な、あてずっぽう的指名で決まったらしい。そのことは、 松本清張の著作でも読んだ記憶がある。
 この本の著者は元読売 新聞の文化財担当の記者だ。遺跡、遺産の発掘や調査の現場 で取材報道した実績を持っている。当然関係する領域の学者、研 究者にもコネが多数存在するはずだ。なまじの学者先生の学説より、 著者の論説の方が説得力がある。
 しかし著者の狙いは学説よりも、 無学無能な宮内庁の役人やその関係者だ。例えば欠史9代と呼ば れる神武天皇から数えて9人の天皇の存在が虚構であることは、現 歴史学会では常識とされていりる。しかしこの存在しなかった天皇の 陵墓が宮内庁によって管理されている。全くもって馬鹿馬鹿しくも締 まらない話だ。
 著者によれば宮内省が治定している40基の天皇陵の うち、被葬者にほぼ間違いのないものは、僅かに5基しかない。そういう 現実を知らずに、壮大な構えを持つ神武天皇陵等に、参拝料まで摂 られてお参りするかな。
 日本書紀や古事記の編纂は8世紀始め、そこ から300年も400年も遡る国の始まりが、神話になってしまうのは致し方 ないとして、卑弥呼の登場する「魏志倭人伝」から「宋書倭国伝」まで 170年あまり経過し、この間に大和政権が成立し、そのシンボルたる前方 後円墳が築造されている。日本国の建国の実体は、古墳の調査以外 には手がないのだ。にもかかわらず、宮内省は陵墓立入を禁止している。
 観光客ならまだしも、古代史や考古学の学者に対しても。仁徳陵が仁徳 天皇の陵墓でないことは少し物を読む者なら常識だ。この常識の通用しない のが宮内庁である。箸墓古墳や仁徳陵の発掘調査くらい、協力しないで 天皇家の存在意義や尊厳が維持できると思っているのか。阿呆な宮内庁。
 頑張れ、矢澤さん。こちとらも本当のことが知りたいよ。


  十一月十三日掲載            新潮文庫

「 極大射程 」上・下      スティーブン・ハンター   


  
 ボブ・リー・スワガーが主人公で、ヴェトナム戦争で名を挙げた 名狙撃手だ。ライフル銃を友として隠遁生活を送っている。
 そこへ新開発の308口径弾を試射して貰いたいという依頼が舞 い込んでくる。この辺から銃にあまり関心のない、日本人読者には 分かりにくくなる。そもそも308とは如何なるものを指す数字なのか、 見当も付かない。
 弾丸やら薬莢なんてものを、勝手にこすったり、削 ったりして良いものなのか、ボブが平然とやっているのだから、多分アメ リカでは当然のことなのだろう。だが、短銃はもちろん、ライフルなど普通 の日本家庭には無い。無いのが当たり前の日本と、有るのが当然の米 国とでは、この作品の享受の仕方がかなり違うのではあるまいか。
 1400ヤードの長距離射撃の成功と言われても、その価値がどの 程度のものかピンと来ない。この射撃が実はボブを陥れる陰謀の始まり だった。つまりは彼は究極的には善玉で、得意の狙撃の腕を振るって 悪玉を撃ち殺す、壮絶な射撃戦が展開するんだろうという読者の想像 通りに物語は進行する。
 気になるのは悪玉側にも名人級の狙撃手ロン・スコットがいることだ。彼 は車椅子を使っている。さて、ライフルの発射反動はかなり強いと聞くが、 車椅子から発射するとして、その反動をどう逃がすのかな。
 こちとらライフル のことは何一つ分からないが、車椅子のことには詳しい身体だ。意外に 車椅子は簡単に転がるものなのだ。もちろんロンの使っている車椅子は 自動のものに違いない。
 これバッテリーが重いのだよ。予備のものなど 積んでいたら、後ろに重心が掛かって、ある勾配以上の坂は上れない 程だ。もちろんブレーキは付いているが、ライフル発射の反動を受けき れるかどうか、疑問だと思うよ。
 作者としては実験済みだろうが、安定 の悪い車椅子の上で、重いライフルの狙いを定めるのも難しいのでは あるまいか。もしライフル持ち歩きや発射が可能なら、主人公をロンに した方が面白い作品になったと思うのだがな。


  十一月五日掲載            新潮文庫

「 しゃばけ 」      畠中 恵   


  
 娑婆気の仮名書きだと最初に断りがしてあるが、 普通江戸っ子は「しゃばっけ」と 促音を入れて 発音するのだが、なにか気になる事が有って、 こういう題名になったのだろう。2001年度のフアンタジーノベル大賞の優秀賞 受賞作品だそうだ。
 そういや、ミーラが不老長寿 の薬になるとかで、薬屋にミーラが秘蔵されていたり、 絵に書かれた美女が、絵から抜け出して主人公を 助けたり、昔なら、この手の話は十代前半の晩生の 読み物だったな。いい大人が夢中になって読む種類 の作品じゃない。そのことは作者自身がよく分かって いることだろう。裏表紙を見たら、この手の作品を 5,6冊既に書いているらしい。折角の文才を勿体ない とは思うけど、食えなきゃ仕方がないよな。
 これを 買ったのは、カナダ行きの飛行機や空港の待ち時間の 暇つぶしが目的、まさにピッタリだった。昔もこういうの の名人がいて、随分読んだ気がするが、作者名なんか 覚えていない。たまにはこういう種類の本の紹介も有って 良いのかも知れないな。お次の「ぬしさまへ」だの「ねこの ばば」なんかは、もう買わないよ。
 それにしても、この頃は 「人生如何に生きるべきか」なんて、読者と四つに取り組む 作品が見当たらなくなったなあ。作家も読者も値段が安く なったのかな。


  十月三十日掲載            新潮文庫

「 往きて環らず   」      団鬼六   


  
 この作家の得意話は、確かS・M系の性談 ではなかったか。私はそっちに殆ど興味が無 かったので読んだことも無かった。
 趣味の 違いと言えばそれまでだが、ノーマルな方 には結構興味があり、それなりに読んでは いる。最近この作家が物故されたというので、 このさい読んでみようと思い立った。
 工藤八重子というとびきりの美人が、3人の 特攻隊員と特約というか、まあ順に関係を 結び、最後に火事の火中に飛び込んで 自殺するという、SでもMでもない話だった。 今風に言えばユルーイ短編とでもいうのかな。
 どうせなら、お得意のSM分野で思い切りの良い 作品を残しておけば良かったのではあるまいか。


  十月二十三日掲載            幻冬舎文庫

「 北の狩人 」 上下   大沢在昌   


  
 「新宿鮫シリーズ」で有名な作者だから、もう一癖も 二癖もある作品を読みたい、と思うのはファンとしての 自然な心情だろう。編集関係の方も、そんなファン心理 をとっくの昔に察していて、作者に依頼していた模様である。
 梶雪人(かじ ゆきと)が主人公。秋田から出てきた現役 の警官である。話の舞台が新宿歌舞伎町とくれば、これは 新宿鮫の二番煎じになるんじゃないかと心配せざるを得ない。
 だが大丈夫、ヤクザも色々なタイプが出てきて、参考になる。 雪人も遺憾なく田舎者ぶりを発揮しつつ、父を殺した犯人 をしつこく探せるというわけだ。だが柔道も空手もこなして、 ちんぴらやくざにゃ歯が立たない、ヒーローぶりは致し方無い とするか。巻頭に出てくる不良娘が徐々に雪人に惹かれて 行く過程も、なんとなく納得できる。
 こちとらも或る年代には 週2くらいの間隔で歌舞伎町に飲みに出掛けたものだが、 見る目が違うと随分感じが違うものだ。でもやはりいきなり 一人で飲み屋に出かけたりするのは、止めておいた方がいい だろう。誰かよく知った人に、安心できるみせに案内してもらう のがいいだろう。
 新宿鮫と比べてどうかってか?そりゃ言わぬが 花だろうぜ。


  十月十六日掲載            角川文庫

「 ジョーカーゲーム 」    柳 広司   


  
 結城中佐の発案で、陸軍内に極秘で設立 されたスパイ学校、D機関。このスパイ組織 で養成されたメンバーの働きのすごいこと。
 それには結城中佐の徹底した現実主義が 反映している。このD機関がかの有名な 中野学校をモデルにしているだろうことは、 昭和一桁年代の人間なら、ほとんど直感 的に分かるはずのものだろう。現在は警察 大学になっているはずのあの建物だ。
 だが この小説の面白いところは、スパイ技術云々 の部分ではなく、結城中佐の虚無的なまで の現実主義である。  「日本に天皇制は本当に必要か」などという 議論をD機関では当然のごとくに行っている。 日本の敗戦の可能性まで。
 「天皇が生きた神だと?そんなことを日本人が 本気で口にするようになったのは、たかだかこの 十年くらいなものだ。明治になるまでは、天皇の 存在自体、京都の人間以外は、そんなものが あることさえ忘れていたんだ。云々」帝国陸軍 の内部の現実主義も捨てた物じゃないね。
 「死ぬな、殺すな、とらわれるな」というのが結城 の信条だが、こういう人物が何時か出てくるのでは ないかと思っていたよ。
 この作品の解説を、佐藤 優、そう、あの胡散臭い 佐藤氏が書いている。スパイなどという胡散臭い 連中の話を、何やら胡散臭い方が解説するという のも、洒落っ気が有って楽しめるか。


  十月八日掲載            角川文庫

「 いつか、虹の向こうへ 」    伊岡 瞬   


  
 虹ができるについては、虹の種が有り、それを 地面に蒔くと、虹が生えてくる。ある子が蒔いた 虹の種から大きく太い虹が大空にかかり、種を 蒔いた当の少女がその虹の橋をどんどん上って いく、そんな話が、ヤクザ相手のハードボイルド の中に、ヒョイと放り込まれている。もちろん昨品 題名はこの話から取られている。
 主人公の名前 尾木遼平、46歳の元デカ。妙な行きがかりから、 3人の居候をぼろい自家に抱えている。まあ一癖 も二癖もある居候でなくては話が始まらない。
 虹の話とは殆ど関係なく、そこへ家出中の少女が 紛れ込んで来て、殺人事件発生。主人公は腕力 弱く、武術の心得も、元デカ時代にしこまれた程度 のものしか持ち合わせていない。しかし粘りだけ は誰にも負けない。
 こんな取り合わせから、どんな ストーリーが紡ぎ出されるのか、興味をそそられないか。
第25回横溝正史大賞&テレビ東京賞、W受賞作。


  十月一日掲載            中公文庫

「 スカイ・クロラ 」    森 博嗣   


  
 「同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という 現実感が、人間社会のシステムには不可欠な要素 だった」終末近くにこのようなかたちで、この作品の主 題が明かされる。
 この作品の主人公カンナミは戦闘機 のパイロットだ。誰とも分からぬ敵と戦って、何機撃墜 したかを、今のところ生き甲斐にしているのだが、彼は 実はキルドレなのだ。読者御想像のようにチルドレン をもじった単語である。
 単語の意味するところは、これ 以上年を取らないということである。遺伝子操作でそ ういう人間を生み出した、という近未来SFである。
 キルドレは戦死しない限り不老長寿なのだ。主人公 の乗っている戦闘機がレシプロ機であり、機関砲を 装備しているというのだから、SFとしては如何なものか と思うのだが、考えてみれば、未来の個人戦で使われ る武器を考え出すのも、結構大変なことかもしれない。
 キルドレはやがて長すぎる人生に、飽きてくるだろう。 そのときどうするか。時代錯誤的状況とSFが混在する ところは珍しいが、さあてどんなものかねえ。


  九月二十五日掲載            角川文庫

「 ゆめつげ 」    畠中 恵   


  
 川辺弓月「かわべゆづき」とその弟信行「のぶゆき」 が主人公。弓月が「ゆめつげ」の能力を持っている。
 「ゆめつげ」と言っても、正夢とか逆夢とか称する物 と大した変わりはない。大体がぶんやりした内容で、 どうにでも解釈できる内容の夢なのだが、何か気に なる向きにとっては、過大解釈に走りがちだ。
 そこで様々な事件が絡む。この兄弟は清鏡神社という、 上野の端っこにあるちっぽけな神社の息子だ。親父は 宮司をしているので、弓月は権宮司というわけである。 さりながら、神職が行う夢占いの類は神のお告げと 氏子からは受け取られる。仇や疎かにはできないのだ。
 という設定のもとに展開する作品なのだが、まあまあと いうところか。イマイチ切れが鈍いような気がする。人 それぞれに好き嫌いが有るのだから、仕方がないか。 「しゃばけ」という作品を読んでみようかと思っている。


  九月十七日掲載            宝島社文庫

「 四日間の奇蹟 」    浅倉拓弥   


  
 ある種の知的障害者が、時として特定の分野に信じられない 才能を発揮することがある。これをサヴァン症候群というそうだ。
 千織はまさしくそういう特殊な能力の持ち主だった。一度聞いた 音楽は声楽であろうと管弦楽であろうと、一音一拍の狂いもなく 脳に刻み込んでしまう十五歳の少女である。
 如月はもと天才 ピアニストと名声をうたわれた人物だが、千織りの介添えのようなこと をするには、彼が左手の薬指の第一関節から先をうしなったことと 深く関係している。おまけに千織は彼と一緒でなければ、歌も ピアノも演奏しようとしない。
 ある日、彼等が訪れた病院にヘリが 墜落する。千織を庇おうとした看護士真理子は、千織を自分の 身体の下に抱え込む。千織は助かるが、真理子の身体には、 ヘリコプターの細い硬材が深く突き立つ。同時に真理子の精神 がそっくり千織に乗り移る。
 この作りは「僕達の戦争」にも使われ たものだが、これはこれで独特な使い方をしているし、この仕掛け 作り自体大して珍しい物ではない。この作品では旨く使っている。
 「このミステリーがすごい」大賞第一回金賞受賞作品だけのことは あると思うよ。ただし、これはミステリーじゃないと思うが、そんなこと でケチを付ける気は毛頭無い。作品が面白ければ文句はない。
 大した才能の持ち主が世間にはいるものだな。畏れ入りました。


  九月十日掲載            朝日新書

「 福島原発メルトダウン 」    広瀬隆   


  
 メルトダウン「炉心溶融」は原発事故の最悪ケースだ。二号機の建て屋 が爆発したとき、筆者のような理科物理オンチでも、メルトダウンが起きたの ではないかと、ぞっとしたものだ。
 また、使い切った燃料ウランの始末について、 未だに解決していないことも知っていた。だからトイレ無き高級マンションなど と呼ばれている。
 それで今回の地震と津波だ。いずれも想定外だと関係者 は口を揃えるが、なんのなんの、前例を研究してなかっただけだ。絶対に安全 だから被害対策など必要無し。そんなものを考えたり、備えたりしたら絶対安全 の建前が崩れるとでも思ったのだろうか。
 人間のすることに、絶対などということは 無い。そんな初歩的なi意識すら心得ない、傲慢不遜な連中が原発を作った らしい。そのそもそもの原点から、今回の崩壊の未だ知られていない怖ろしい 影響、さらに大部分の原発が老朽化して、何か有ればその場で福島原発化 すること間違いなしの現状について書かれている。
 著者を煽動者として排除する動きもあるようだが、そんな動きの方が私には 危険な動きに思える。この問題については誰もが、できるだけ正確な知識と 理解を持って対処しなければならない。
 原発は安全だという意見も有るだろう。 こそこそ陰で呟いておらずに、堂々と広瀬氏のように意見を公刊して、一般の 読者の意見を聞いてみては如何か。成る程と思えば賛同もしよう。然し今のところ そういう趣旨の書物を書店で見かけたことはない。
 ならば、著者の主張するように 即時、全原発を停止すべきだ。計画停電などで威しをかけても無駄だよ。原発 など無くても電気が不足することはないと、8/1付の朝日新聞に書いてある。 そうじゃないかと思っていたのだ。東電なり何とか委員会なりの賛成メンバーの先生 方の持論公刊をお待ちしていますよ。


  九月三日掲載            双葉文庫

「 僕達の戦争 」    荻原浩   


 尾島健太は十九歳、TVゲームとサーフィンに明け暮れる いわばフリーターだ。自分ではゲームクリエーターになりたい と思っている。だが筆者も含めてゲームクリエーターなるもの がなんなのか、一向に分からない。健太の父は日本が戦争 に負けた日に生まれた旧石器人の五十六歳とくる。敗戦の 日に十歳になっていた筆者などはネアンデルタール人か。
 一方、この日のニュースで9/11の貿易センタービル崩壊 を報じていることで、作品内現在時を表示している。勿論 健太にはそんなこと知ったこっちゃない。サーフボードの上で 大波を待っていたところを、とんでも無い大波にに巻かれて、 気絶してしまう。ミナミという一歳年下の彼女がいる。
 一方、石庭(いしば)吾一(ごいち)は予科練に昭和十八年 に入隊し今年十九歳の練習生だが、本日初めての単独飛行 を許され、喜び勇んで練習中だが突如エンジン停止、墜落 して失神。芳子(よしこ)という恋人がいる。
 で、この二人の精神がそっくり互いの身体に移り換わってしまう、 というタイムスリップもののSFである。お互い最初は身の置き場所 に困るほど戸惑う。なかなか鋭いぞ。吾一は二十一世紀の日本 を見て、「こんな日本を作るために、予科練の先輩達は敵艦に 体当たりして護国の鬼になったのか」と密かに憤慨する。だが、段々 に健太の日常に慣れてくる。
 健太は予科練の厳しい訓練に驚く暇もなく、尻を腫らしてしまう。 海軍精神注入棒(バット)で古参兵の制裁を受けたからだ。然し 彼も、敗戦直前の予科練の狂気じみた訓練に慣れてくる。だが、 昭和二十年の八月十五日には、日本が戦争に負けることを知っている。 その日の前に特別攻撃隊に指名されて、敵艦に体当たりなどさせられて はならない。何処かの島に不時着でもして、敗戦の日までやり過ごそう と思っていたところが、人間魚雷回天の乗員に指名される。
 さてこの二人、もとに戻れるのだろうか。まあその前提がないと、この手 の作品は書けないわけだが、それが一筋縄ではいかないのだ。よく調べて あるし、現代日本への批評にも通じる、そこそこの作品だ。一読お勧め。


  八月二十七日掲載            集英社文庫

「 しのびよる月 」    逢坂剛   


 六作の短編を揃えたものだが、全て主人公は斉木斉「さいきひとし」 と梢田威「こずえだたけし」の二人だ。二人はお茶の水署の警官で、 生活安全課保安二係に所属している。
 ところがこの二人、小学校 の同級生だったのだ。梢田がガキ大将で斉木は頭は良いが気の弱い いじめられっ子だった。斉木は大学を出て警部補の係長、梢田は高卒 の平刑事、しかも保安二係はこの二人だけしかいない。この二人で神田 お茶の水界隈の事件解決に当たろうというわけだ。
 こういう設定の巧みさ は逢坂独特のものだね。梢田がボケ役、斉田が突っ込みの漫才コンビと 思えば間違いない。梢田は体格、体力だけが警官相応で、学力知識は 相変わらずおそ松くん。斉田はキャリア組で将来の出世を約束された、 エリート警部補だ。こんな二人が旨く行くはずがなかろうと思わせておいて、 これが結構活躍する。
 おまけにこの作者はそれとなく勉強までさせてくれる。 「ストーカー」の意味から、西部劇の「レッド・ムーン」の本題まで。 ミステリーとしても結構よくできていて、粒揃いと言えるだろう。
 「カデイスの赤い星」や「百舌」シリーズなど長編ものは大分読んだ記憶が有るが 短編ものはそれほどの記憶がない。今回読んでみて、天性の作家だなあと感心 した。十年前に初版が出た作品だが、決して古びた所を見せない。未読のフアン は一応読んでおいた方が為になると思うよ。


  八月二十日掲載            講談社文庫

「 亡国のイージス 」上、下    福井晴敏   


 人間よりも「あれ」とかTダイスとか呼ばれる毒ガス や爆弾が主人公となっている作品だ。
 「あれ」は 沖縄の辺野古デイストラクションと呼ばれる事故で、 米軍が誤用した、原爆なみの威力を持つとされる 毒ガス兵器。秘密を守ろうとして一般人のふりをして 運ぼうとしたことが裏目に出て、北朝鮮のスパイである ホ・ヨンファに奪われる。この取り合いが筋の一つ。
 もう一つは宮津隆史の自殺。隆史はイージス艦いそかぜの 艦長宮津弘隆の息子で防衛大学をあと半年で卒業 するところだった。自殺の理由など見当たらぬ。ある男 が「息子さんは殺されたんです」と囁く。「国家の保険 定理に従って抹殺された」と。男は多分ヨ。ヨは北朝鮮 の指導者の大半が滅亡の淵に立たされていると考えている。
 まあそんなような話だが、肝心の細部がはっきり書かれて いない。隆史HPに書いた論文も、それが理由で殺される ほどのものではない。イージス艦の装備や保持する銃火器 類の描写だけが妙に詳しく、自衛隊オタクには面白いのかも 知れないが、小説としてはどんなものかな。
 日本推理作家 協会賞を含む三賞受賞作品だそうだが、そうだね、敢闘賞 ってとこかな。「あれ」や「Tダイス」より今や原発の方が、余程 怖いからなあ。さらに国家という概念が、作者の中で輪郭を 持ってないような感じを読者に与えるな。
 「あれ」を東京に 向けて発射すると東京都民はもちろん、そこに居合わせた全員 が死ぬほど強力だとすると、天皇一家ももちろん全滅だよな。 でも日本国憲法の第一条は「天皇の地位は日本国民の 総意に基づく」ではなかったかな。その辺を無視して、国民の 思想がどうのこうのと論じる資格が有るのかね。象徴天皇を 殺してしまっては、話が成り立たないだろう。それとも、あんなもの は邪魔なだけか。
 断っておくが、私は天皇制には反対だ。でも 憲法や法律には従うよ。ちと厳しい批評になったかな。


  八月十三日掲載            光文社

「 絆回廊 」    大沢在昌   


 新宿鮫のXまでが書かれているとは予想外だった。 Vくらいまでは読んだ筈だが、内容などとっくに忘れて いた。ふと本屋で見かけて、夢中で読んだ一時期が 懐かしくて買った。
 さすが大沢だ。今度の相手は中国マフィアのいわば ゴッドファーザーだが、麻薬で稼ぐ闇組織だけに、スケ ールは東南アジアからアフリカに至る大きさだ。絡む 相手も色々で短銃を使う場面も、かなり多くなって いる。
 現実も多分そうなっているようだ。ということは 活劇場面がやたら出てきて、それはそれで場面の 描写としては楽しめる。いろいろ設定が変化して、 作者の力の入れどころも、或る程度そこに有る ようだ。
 問題は作者大沢の初期作品の魅力はそこ ではなかったという点だ。撃ち合いに至るまでの筋立 てが、よく練られていて、日本国内では有り得ない だろう撃ち合いが、有っても仕方がないと思わせる ところが読みどころだったように記憶する。
 「新宿鮫」という、いわば一匹狼の刑事を際だたせるための 仕掛けが流石だった。あれほどの仕掛けを考案 するのは、並大抵の力量ではない。だから面白 かったのだ。
 と、過去形で感想を書くのは少し気が 引けるのだが、なにせX編だからなあ。そうそうは 新しいものは出来ないよ、かもな。もう一踏ん 張りして新シリーズを作ってはどうかな。この作家 なら出来るんじゃないかな。


  八月六日掲載            光文社

「 ひやかし 」    中島要   


 この「ひやかし」は吉原の「ひやかし」で、御免色里として の吉原の裏表を、五つの短編に要領よく纏めている。
 いずれ身体を売る商売だから、そんなに健康で朗らかな 女達が出てくるわけではない。それぞれ訳ありで身を金に 換えたか換えられたかした女達だ。だが有名な割には、内 部のシステムや店の種類や格の上下、花魁となるまでの 訓練や修行には知られていないことが多い。
 同種の作品に「吉原手引草 松井今朝子」が有るが両方 読むと、江戸時代の一つの風俗的代表格の吉原とはどういう 場所だったかがよく分かる。江戸は当時新開地だったから、 都市建設の労働者や職人、即ち男性の人口が不自然に 多いところから、公認売春所として幕府が開設営業を 奨励したとされる。当然一カ所で足りるはずがなく、繁華街 には必ずこの種の施設が営業を始めるが、法律上は無許可 営業というわけで、岡場所と呼ばれる。
 そんなことは時代物の 読者なら先刻御承知のことと思ったら、先日書いた「仁」の作 者のように、無知なのかサボなのか分からないが、インチキ花魁 が登場するので、材料が材料だけに、万人向けにお勧めという わけにはいかないが、興味をお持ちの向きには一読する意味は 有る。紀文や奈良茂が出掛けるところに、長屋の熊さん八つあん が遊びに出掛けられるのはどうしてか、知っといてそんはないでしょう。


  七月二十七日掲載            創元推理文庫

「 慟哭 」    貫井徳郎   


 連続幼女誘拐殺人という、いかにも現代的なお膳立てのミステリーだ。 幼児虐待は犯人が他人だろうが母親だろうが、とても許す気になれないのは こちとらの料簡がが狭いからか。そんなことはないと思うがな。
 奇妙な宗教集団 も登場して、オーム教とやらいう毒ガスまき散らし教団のことなど思い出して、 作家としてはなかなかの腕の持ち主だなと感心しながら読んでいた。
 でもね、 確かミステリーには禁じ手が有ったはずだよな。この解決法は禁じ手に該当する のではあるまいか。その禁じ手を披露すると営業妨害になりそうだから、ここでは 遠慮しておくが、折角の作品の結末にしてはちと惜しいかな。
 三人称多視点を 使うのは作家の勝手だが、読者の目を混乱させるために使っちゃまずいんじゃな いかな。同じ手法を使いながら、「燃える地の果てに」で逢坂剛は鮮やかに決め ているよ。


  七月十七日掲載             宝島社文庫

「 サウスポー・キラー 」    水原秀策   


 サウスポーというのは、一般に左利きの意味らしいが、特に 野球の左投げ投手のことを指すことが多い。ここでもその意味 で使われている。セ・リーグのさる有名球団の動物的勘で有名 監督まで登場するという、サービス精神たっぷりの作品だ。
 主人公 は自分の投手としての能力にも興味が無いし、有名球団にも興味 がない。ところがこの球団のサウスポーが次々に、他球団に売られて いく。さしたる失敗も不成績もないのにだ。主人公沢村には「八百長」 の噂が取りざたされる。マスコミも騒ぐし、ファンも怒鳴る。ぼんやりして いて、無感動癖な沢村も、これは何かあると思い始める。
 さて、野球スリラーがどの程度のレベルの作品に仕上がるものかと思ったら、 「このミステリーがすごい」大賞を受賞した作品だそうだ。目出度い。こちとらも 多少は野球を心得ているから、そこそこ興味深く読めたが、世の中野球ファン だけじゃないからなあ。特に近頃は人気球団「オリオールズ」の成績が 不振なんだよね。その意味では少し際物小説だったかも知れないな。


  七月十日掲載              文春文庫

「 燃える地の果てに 」 上・下   逢坂剛   


 この作者は、正眼の構えから一気に頭上に切り込 んで一本取る、いわば正当実力派の作家だ。時間 操作や作品構造の目新しさで読者の興味を惹く類 の作家ではない。
 だがこの作品は三十年という月日 の物語である。主人公は、敢えて言えば「エル・ビエント」 作のフラメンコ・ギターと言えようか。フラメンコなるものは 演奏法の違いだと思っていたが、それ専門のギターが有 ることを、この作品で初めて知った。演奏家と楽器の作 り手の三十年にわたる物語は、迫力があるね。
 何しろ 四個の水爆を搭載したアメリカのB52爆撃機が、給 油機と衝突して爆弾を放り出す。そのうち1個の行方が 不明だが、どうやら千メートル近い深海に落ちたらしい。 この話は事実有った事故らしい。当時はソ連(ロシアじゃ ないよ)とアメリカが対立していたし、両国共にスパイを 放って相手を探ろうとしていた。
 その爆弾の落ちたのが スペインの片田舎パロマレス、其処に「エル・ビエント」 が住んでいる。絶世の美女も暮らしている。そういう中で のフラメンコ奏者とギター作者の運命はどうなるのか、 スリルとサスペンスたっぷりの物語に仕上がっている上に、 珍しくも作品の組み立てにアッと驚く仕掛けが施されている。
 これは彼の作品には珍しい手法だと思う。逢坂ファンなら見逃す 手はないな。


  六月三十日掲載              講談社文庫

「 宣戦布告 」 上・下   麻生幾   


 北朝鮮の潜水艦が敦賀半島沖に漂着し、乗組員たる武装 特殊部隊十一名が密かに上陸逃走し近所の山に立てこもる。
 日本の警察が追跡逮捕しようとするが、相手は対戦車ロケット 砲を持っている。警察の手に負える相手ではなかった。自衛隊 が出動することになるが、例の九条絡みの法律に手足を縛られ、 有効な手段を採れない。警官や自衛官にかなりの死人や怪我 人が出る。
 この設定は結構リアルだ。事実上の戦争なのだが、 日本は戦争をしてはならない憲法を持っている。いずれこの問題 に当面せざるを得ないだろう。九条と自衛隊存在との矛盾を抱え こんだ まま今日まできてしまった。スパイ活動の逆用という解決法 はいささか御都合主義に思えるが、まあ問題提起の深刻さに免じて 目を瞑るか。
 拙著「実験区域」も同様の問題意識のもとに書いた 作品だが、当然のことながら、こちらの作品の方が現実的だ。 ジャーナリストとしての取材力に脱帽だ。


  六月二十日掲載              講談社文庫

「 フォー・ディア・ライフ 」    柴田よしき   


 保育園の園長花咲慎一郎が主人公。しかし園の場所が新宿 二丁目とくると、おやおやと思う読者も多かろう。当然無認可の 保育所だ。営業は二十四時間、子供達は夕方五時頃から集 まり始め、母親が夜の仕事をしまって迎えに来る午前二時過ぎ まで、この保育所で過ごす。築三十八年のボロビルの二階の 「にこにこ園」がこの話の舞台だ。
 いわゆる夜の女の中には様々な 地方出身の者がいるし、なかには東南アジア系のおんなもいる。 確かに保育所が必要だ。だがこの場所と利用者を考慮するまでも なく、東京都も新宿区も保育所建設の費用を出さないだろう。
 花崎だって、昔はヤクザがらみの人間と関係が有ったらしい。だから 大したもめごともなく、新宿二丁目に保育所など開けるのだ。 だが場所といい、客種といい何が起こっても不思議は無いだろう。
 題名の意味は「一所懸命」「命からがら」などの意味、と説明が 付いているが、この二語、意味はかなり離れているよ。類語として 扱われない語句だろうが、その辺も考慮しての題名かも知れない。 花崎の保育所は当然のことながら経営ガ不振だ。だから一方で かなり危ない探偵業も兼業している。
 目の付け所が良いね。これだけ好条件を揃えたら、面白い話が 向こうからやってきそうだ。


  六月十一日掲載               文芸春秋

「 まほろ駅前多田便利軒 」    三浦しをん   


第135回直木賞受賞作品


 「曽根田のばあちゃん予言する」という第一章、ばあちゃんの予言は「あんたはきっと、 来年は忙しくなる」でした。「とにかくあんたは忙しくなって、もう私のところへはあ まり来てくれなくなるだろうねえ」「そんなことはないよ、母さん」このやりとりから、 ああ、母親の見舞いなのかと、誰でも思うじゃありませんか。まして、「じゃあね、母 さん。よいお年を」「うん」なんて会話は母親と息子以外のものとは思えません。看護 士も「曽根田さん良い息子さんで、よかったわねえ」と声をかけたりする。ところが、 「本当にいい息子なら、年老いた母親を病院に放り込んだまま正月を迎えたりしないし、 あかの他人に、代理で母親の見舞いをさせたりしない。」というわけです。便利屋の仕 事だったのです。この便利屋に行天春彦(ぎょうてん はるひこ)なる謎の高校同級生 が、何となく居着いてしまい、言わばワトソン役を果たすという、ユーモア・ミステリ ーとでも言える作品です。
 便利屋だからチワワを預かるのも商売の内、だがこの便利屋、犬が苦手なのです。果 たしてこの預けた飼い主は夜逃げのついでに預けていったわけで、引き取りになど来る わけがありません。仕方なく「チワワあげます」とのチラシを作ります。チワワを貰い にきた女ルルは「コロンビアの娼婦ルルでえす」と自己紹介する。しかもコロンビアか ら逃げ出すときに、国境の塀を乗り越えたら、落ちたところがアメリカだったというの ですが、コロンビアはアメリカと国境を接していません。作者によるルルのの描写『「 ジャングルに棲息する毒を持つ大トカゲがインコの化け物を捕獲した瞬間」みたいな姿 だ。』は現代文学的な力業(ちからわざ)でしょう。小学生と麻薬が絡む、ミステリー としてのプロットの進め方にも、大変な工夫が施されていますが、後は読んでのお楽し みということにいたします。


  五月三十日掲載               文春文庫

「 その日の前に 」    重松清   


七つの短編からなる体裁だが、一寸した仕掛けがあって、連関した短編集になっている。 といってもその仕掛けが、特に面白いというわけではない。
 共通したテーマが「死を意識した生」とでも言えようか。「その日」とは、例えば医者に 余命何年とか何ヶ月と予告され、 当人も周囲もそれを意識しつつ、遂に直面する当日という意味だ。
 人は普通、何歳になっても、今日と大して変わらない明日が来るだろうというような、 いえば、現在を永遠と 錯覚しつつ生きているものらしい。この作品に登場する主人公達は、「その日」までを、 誠実に生きようとする。
 自然、周囲の人々の生きる姿勢も変わってくる。そのあたりの描写 に目頭の潤みを覚えながら、なぜかすがすがしい。そうなんだ。生きるってこういうことなんだ、 と呟いている自分がいる。


  五月二十日掲載            ヴイレッジブックス

「 雨の牙 」    バリー・アイスラー   


 殺し屋レインは日米の混血だ。ベトナム戦争(とはまた 昔の話だね)に派遣され、帰ってきてから殺しや稼業 を始めた。腕利きの職人で、自然死に見せかけた殺し が得意技だ。当然それなりの体技も道具も持っている。
 だが、獲物としてとして始末した標的の娘、緑に恋をして しまった。有り得る話だな。緑は新進ジャズピアニストと して人気が高い。さて、殺し屋君、この恋をどう捌くつも りかな。自分の本業を教える事はできないし、まして彼女 の父親を手にかけた事など話せるわけがない。
 ところが、 ところがだ。レイン君も流石に困った。何故って、次の 殺しの標的が緑そのひとなのだ。そうなるんじゃないかと、 勘のいい向きは予想しただろうが、さあて、さすがの腕利き 殺し屋も、今度ばかりは困ったろう。お後は読んでのお楽しみ だ。喋りすぎは営業妨害になりかねないからな。


  五月十一日掲載               幻冬舎文庫

「 償い(つぐない) 」    矢口敦子   


 ホームレス探偵というのが面白い。それと草薙 真人(まこと)という自称天才少年との、組み合わせ が絶妙だ。この中学生、元医者ホームレス探偵と 意外に気が合う。
 連続殺人の捜査に力を出し合う のだが、捜査が進むにつれ真人少年の容疑が濃く なる。ついに真人少年自身が、犯人は僕だよと言い 出す始末だ。
 野宿者探偵はこの困った状況をどう 捌くか、そこが見物(みもの)のミステリーだ。一風 変わっているよ。


  五月三日掲載                 光文社文庫

「 ストロベリーナイト 」    誉田哲也   


 毛色の変わったミステリーだ。姫川玲子という 美人警部補、四人の部下は全員男性刑事。 女性刑事ものは、TVドラマでも花盛りで珍しく はないが、レイプの被害者でそれにもめげずに 警察の仕事に励んでいるとの設定は良いね。
 さて、ストロベリーナイトという殺人ショーの発想 が珍しい。出たとこ勝負の行き当たりばったり的 殺人事件が、実社会にも頻発するから、並の 発想では、ミステリーが成り立たない。
 動機、凶器、殺人手段なんかに工夫を凝らしている暇 など無いだろうし、読者もその辺に興味を持って いない。で、この作品ではショーとしての殺人を 編み出した。それが結構怖い話に仕上がっている。
 美人警部補の事件の裁き方と共に、ある種の 現代的無機質性の雰囲気が捕らえられている。 これを始めとして姫川シリーズが何冊か出版され ているらしい。こちとら余りに血生臭いのには辟易 する性質なので、こういうのはこれ限りとしよう。


  四月三十日掲載               集英社文庫

「 M8 」    高嶋哲夫   


 MはマグニチュードのMだから、地震の話だなと想像がつくだ ろう。当たりだ。しかも東京直下型の地震が想定されている。 東日本の大災害が起きてしまった現在では、やや問題提起 が遅すぎた感は否めない。だがこの本は2007年(平成19) に書かれているので、その点を責めるべきではあるまい。
 問題は、大津波と原発を除いた地震災害についての、作者の 想像力だ。盛岡、仙台、福島あたりでの実情と比べられること が貴重なのだ。大地震の本命は関東から東南海にかけてなんだ からね。今回はたまたま東北が中心になったに過ぎず、東京直下 型の恐怖はこれからなのだ。
 であるにせよ、作者の想定する地震の 力がM8だったとは、見逃せないね。M9.0なんてのはこの時点では 非現実的だったのだよ。その点を考慮しても、東京に住む者としては 読んでおいた方が、何かの時の為になるかも知れない。起きない方 が良いに決まっているが、そうはイカのオチンチンというわけだ。
 え?イカにオチンチンが有るかって?無いに決まってるだろう。だから イカナイのいささか下品な洒落になるわけだ。だが笑点の木久翁は 何故いつもこのシャレを間違えるんだろうねえ。わざと馬鹿役を引き受け ているんだと思っていたが、下品なだけに綺麗に落とさないと、洒落 にならないのにな。あの噺家に弟子がいるなんて、信じられないよ。 あれ、話が大分ずれちゃったな。ではお後が宜しいようで。


  四月二十日掲載             早川文庫(絶版)

「 男たちは北へ 」    風間一輝   


 この本、1995年の発行だからちと昔ものだ。だがそれなりの 面白さが味わえる。大筋は主人公が自転車で東京から青森まで 走り通す、そこで見たり聞いたりという経験談。副主題として自衛隊のクーデ ター計画書のやりとりが絡むが、こっちはそれほど面白くない。
 むしろヒッチハイクで主人公と青森まで競争する少年の存在が、意外に 面白い。この主人公がアル中だというところがまた面白い。30年近くも昔の 4号線沿いの描写が懐かしくも可笑しい。さて少年と 主人公のどちらが早く青森に着いたことになるのだろうか。
 この本の読者の何人かが、真似をして青森までサイクル・ツーリングを 実行したというのだから、相当に当たった作品だったのだろう。今でも世界 マラソンをして話題作りに励んでいるタレントがいるくらいだから、自転車 旅行ぐらい、やってみようかという物好きがいないとも限らない。
 もう少し時間をおいて、今回の東日本大地震の被災地を慰問して 回るなんて企画はどうかな。本を出したらその印税を義援金として寄付 するとすれば、許されるだろう。誰かやってみないか。


  四月十日掲載                 文春文庫

「 ひかりの剣 」    海堂 尊   


 話の舞台は剣道の試合だ。桜宮・東城大医学部 学生の速水晃一「猛虎」と、東京・帝華大の「伏龍」 清川吾郎との「医鷲旗大会」というわけである。当然の 事ながら、全国の大学医学部学生の剣道部の猛者 連中が参加する。前述の二人は当然大将として参加 している。
 驚くべき事には「チームバチスタ」の御大、高階 病院長が剣道部の顧問として登場するのだ。その腕前 の程は読んでのお楽しみ。で、「医鷲旗大会」の決勝戦 は、速水、清川と決まったようなものだが、これまた意外な 勝負になる。
 ちなみに清川吾郎は「ジーンワルツ」という作 品に登場するらしいのだが、こちらは未読。だが帯によると バチスタシリーズの一冊らしい。著者も剣道の達者らしく、 今まで何度見ても分からなかった、剣道の勝負の見方が、 なるほどそんなところを見るものかと、納得したところが、二、三 に止まらなかった。
 そうだ、言い忘れるところだった。この作品 には朝比奈ひかるという美少女剣士が登場するぞ。彼女の 剣が強いのなんのって、ここらも楽しみ所だ。エンタメ好きなら 見逃す手は無いよ。


  三月三十掲載                  新潮文庫

「 九月が永遠に続けば 」    沼田まほかる   


 淡々とした文章で書かれたドギツイ内容の作品だ。その淡々とした所 が曲者なのだ。人間という生き物の何処かに潜んでいる、不気味な 情動や性行が、あたかも当然のごとくに語られることの手触りを、作者 は追及したようだ。
 一種の芸人と言えば良いのかな。噺家が自分で 笑っちゃいけないように、怪談をおどろおどろしく語っちゃ行けないように、 際どく怖ろしい話を淡々と書き綴って、読者を飽きさせない。だから芸人 一種だというのだ。
 2004年ホラーサスペンス大賞受賞作品だが、その名 に恥じない、良くできた作品だ。人間なんて表面だけじゃ分からない、一皮 剥けば何をやってるんだか、なぞとよく言うがその一皮の下とは実のところ と目の前に突き出されたら、この作品の感じになるかな。この作者は受賞 当時かなりの年配だったそうだが頷けるね。貫禄がある文章だ。
 お話だけは 達者だが、おいおいそれでも作家なのかねと言いたくなるような文章を、臆面 もなく書くお人がいて、それをそのまま本にしちゃう編集者がいて、これじゃ 小説が漫画に敵わないわけだと嘆かわしかったのだが、こういう作家が出てくる と嬉しくなるな。ホラー見ろ、これは漫画じゃ書けないお話だよ、なんてね。


  三月二十掲載                  角川文庫

「 DZ 」    小笠原慧   


 DZとは二卵性双生児の英語の頭文字のこと。テーマは超人類の 出現とその生物の種保存本能だ。SF的ミステリーだが、嘗てSF ファンだったこちとらには結構面白く読める作品だ。
 でも、外国の作品に似たような有名作品が有ったような気がする。 確か長寿人類をネタにした物だったような覚えがあるから、この作品 に直接関係が有るという 気は毛頭無い。
 ただ超人誕生だからといって、章題の脇書きに聖書の 「創世記」やニーチェの「ツアラツーストラ」を使うのはどんなものかな。それ ほど勿体をつけるほどのものじゃないと思うがね。よくある思いつきを、 根気よく追及したらこの程度の面白いものができました、というところだろう。 第20回横溝正史賞受賞作品なのだから、まあミステリーなんだろうけど、 SFと殺人はあまり相性が良いとは言えないものだと思うけどね。


  三月八日掲載                  宝島社文庫

「 ジェネラル・ルージュの凱旋 」 上下   海堂 尊   


 題名のカタカナ部分を訳すと、血染めの将軍、穏やかじゃないねえ。今回 は救急外来部長の速水医師の収賄容疑から、事件が始まる。東城大学 の救急外来に限らず、何処の病院でもこの部門は赤字部門の筆頭らしい。
 そもそも病院自体が、収益を目的とした事業、組織ではないのだから、赤字 を追求されるいわれは無いはずだ。必要なのは救急医療に私用する人員で あり、医療器具だ。速水部長は、度々患者搬送用のヘリの購入を要求して いるのだが、事務方は受け入れない。
 この議論、なかなか迫力が有って読むに 価するよ。何処の大学病院でも、同じ様な事が討論され、同じように経済的 事情によって、良心的医療を主張する側が敗退せざるをえないのだろう。国家 規模の発想転換が必要なのに、そこに注目する政治家も評論家もいない。
 それではと作者がのりだした、そんな感じがする作品だ。いずれ患者としてお世話 になる身としては、当然田口、白鳥コンビの活躍を今後も期待せざるを得ない。 頑張って下さい。応援してますよ。


  二月二十六日掲載                宝島社文庫

「 ナイチンゲールの沈黙 」 上下    海堂 尊   


 このシリーズは病院を離れることはない。だから、医者、看護士 患者あたりが主役になるわかだが、今回は看護士だろうと題名 から分かる。患者も今回は大役を背負わされているぞ。田口 医師の不定愁訴外来はどうなったかって?今回は小児科まで 面倒見ちゃう小児愚痴外来になっている。
 ナイチンゲールは本来 「夜鳴き鶯」の意味もある単語で、この両義を持たせた題名だ。 そう、歌の上手な看護士がいて、患者に末期肝臓病の歌姫が いる。この御両人が不思議な歌を歌う。歌姫の方はアル中の末路 の肝臓病。主治医が最終治療薬としてあたえるのが、酒なのだから 無茶と言えば無茶、だがそうかもしれないのだな。患者本人が自身 の末期を自覚している以上は。で、例の厚生労働省のいかれた役人 白鳥圭輔も健在で、今回も大いに活躍する。
 デジタル・ムービー・アナルシス略してDMA。この機械というかシステム というかが、非常に重要な存在になる。理屈としては大いにあり得る物 だが、今回のようなことになると、確かに問題になるだろう。作者は本気で 問題提起をしているのかもしれない。上巻グッチー、下巻白鳥チャンという 構成はチーム・バチスタの時と同じ。これはこれで面白い。現役医師で 此処まで書けるなんて、羨ましい才能の持ち主だ。


 二月十六日掲載                   新潮文庫

「 しゃべれどもしゃべれども 」     佐藤多佳子   


 噺し家 今昔亭三つ葉 が主人公で、今昔亭小三文 の弟子。まだ真打ちになれず、二つ目でうろうろしている。
 この三つ葉が、会話の下手な男女四人、女は一人、男 三人だが、中の一人はいじめられっ子の小学生という、 多彩と言えば多彩、珍妙と言えば珍妙な取り合わせに、 話し方を教えることになる。
 話し方といっても、三つ葉に教え られるのは落語しかない。「まんじゅうこわい」を覚えさせること で話し方教室の代わりにしようというわけだ。この生徒四人が 相当な曲者で、まともに教室が成立するわけがない。という ところから始まる話だ。
 当然作者としては落語好きなのだろう。関係方面の蘊蓄もかな りなものだ。こういうのは、三つ葉と 四人の絡みが、本物の落語より面白くできていないと白け ちゃうんだが、際どく其処はすり抜けたようだ。
 「本の雑誌が 選ぶ年間ベストテン」第一位に輝いた名作、と帯に書いてある。 結構面白く読める作品になっているが、解説の北上次郎氏 が騒ぎまくるほどのことは無いだろう。文学的分析や論評なんか 邪魔なんじゃないか。面白かった、良かったで済ましておくべき 作品だと思うよ。


 二月八日掲載                  新潮社

「 高く手を振る日 」     黒井千次  


 高齢者の恋の物語と言ってしまえば、それだけで事足りそうな 気がする向きもお有りだろうが、そうは上手く事が運ばない。 恋、つまり恋愛なのだから男と女が登場するだろう。男と女だよ。 爺さんと婆さんじゃない。
 大学の同窓生の葬式で、浩平と重子が出会う。古希を越 えようかという年になると、目出度い会合より、葬儀に立ち会ったり、 喪中の知らせを受けたりするすることが、圧倒的に多くなる。
 そういう中で諦観と達観に徹して生きていくことを、今までの いわゆる老人は期待され、そうするように我が身を嵌め込んできた。 だがそういう枠組みなど家族制度の崩壊とともに、消えて無くなって しまったのだ。
 古希になろうがなるまいが、男は男として、女は女として 生きていかねばならない。浩平の妻はすでに亡くなり、重子の夫も あの世に行ってしまった。この浩平とその妻の芳恵、重子の三人は 大学のゼミ仲間であり、互いに知り合いだったというのか、であるという べきか。
 浩平と重子は遠い昔、事故というか偶然というか、そんな成り行きで 一度口唇を合わせた事があった。浩平にはその思い出が有るのに、 重子の方は彼のことなどすっかり忘れてしまった様子、浩平としては 甚だ不本意だ。だが彼女は忘れたわけではなかった。覚えている癖に、 ちらともそぶりに見せない。
 そんな重子に浩平は惹かれていく。浩平にはすでに嫁に出した娘がいて、 この娘が、重子の娘と懇意で重子とも気楽に話し合えるという設定に なっている。これは要するに、子供世代がいままでの世間の(老人という 常識)を代表し、そんな娘の常識が浩平に逆に作用する。
 娘の常識とする枠組みなど消えてしまった、古希年代の男女のラブ・ ストーリーだ。まるで二十代の恋愛ものじゃないかという意見も聞こえて きそうだが、恋に年代など関係無い。老人ホームに入る重子は、浩平に 見送りに「高く手を振って頂戴」と頼む。浩平はどうするか。これが本書の 題名の意味するところだ。
 重子が浩平に携帯電話のメールの使い方 を教える。だが浩平は、ついに漢字変換の方法を覚えない。ひらがな書き の彼のメールが泣かせるね。良い作品に仕上がっている。
 初恋世代を描いた代表作は「たけくらべ」、適齢期世代を描いては漱石 の「三四郎」、夫婦を描いた作品は無数に有るので、選ぶのが難しいが、 仮に太宰の「ヴイヨンの妻」あたりにするとして、七十代の男女を描いた 作品としては、これが挙げられるようになるのではあるまいか。鴎外の 「爺さん婆さん」も良いのだが、現代ではやはりこれかな。


 一月二十八日掲載                  

「 KAGEROU 」      


 KAGEROU 斎籐智弘 ポプラ社大賞受賞作品、 とやって読後感を書くのが通常の私の書き方なのだが、今回は 省略。
 過日に我妻殿が買った「週刊女性自身」に載っていた、 この作品の書評について書こう。名前を忘れてしまったが、ま、 いいか。その書評家は最初から最後まで、作者が自殺しよう としたのは事実である、従ってこの作品に書かれたことは、真実 なのだと、そればかり書いていた。
 実に面白かった。こういう書評 は、近頃滅多に見られる物じゃない。作者と評者が良く知り合った 仲だから間違いないのだそうだ。いや面白いね。この人本当に 文芸作品の批評をしたことが有るのかな?ポプラ社社内選考委員て 誰々なのか、名前もはっきりしない選考委員なんてのも有りなんだ。
 流石にブログには文句が殺到してるね。2000万円の賞金を、作者 が辞退したそうだが、次作の資料収集に使いますなんてのも、面白 かったんじゃないのかい。こういう時には徹底的に面白がらせるのが礼儀 ってものだろうよ。
 水島某という俳優らしいが、その舞台も、TVドラマも 見た覚えがない。それだけに、このネタで一本小説が書けるんじゃないかと さえ思われる面白さだ。「KAGEROU奇談」なんちゃってな。底が浅すぎて こちとらはあまりのれないが、きっと出てくるよ、そんなのが。楽しみだな。
 水島某が初めて小説を書いたからって、40万部だか、60万部だかの 予約が有ったそうだが、そんなことをするファンなら、出来をどうこう言う んじゃないよ。やられたーってひっくり返ってりゃいいのさ。
 たまたま訪問先 の娘婿さんが、この作品を買って来たので、お先に読ませて貰った。 普段はあまり文芸物には興味を示さない方なのだが、珍しく買ったのが この作品だったとは、何て言って良いのか、困るのだよ。娘には「こりゃ 素人だよ」とだけ言っておいたがね。何か作品を読み込んで勉強した とも思えないし、文才が光っているわけでもないしなあ。2,3時間 損した気分だ。中途半端な悪戯は止めて貰いたいな。


 一月十八日掲載                  宝島社文庫

「 チーム・バチスタの栄光 上下 」     海堂 尊  


第4回(このミステリーがすごい!)大賞受賞作品


 バチスタ手術という設定が、既に素人には無理かも しれない。本来なら心臓移植を必要とする、肥大した 心臓(拡張型心筋症)を手術によって治療する治療法 で、正式には(左心室縮小形成術)という。
 東城大学医学部 臓器統御外科の桐生助教授は、この成功率は平均六割、 要するに難しくてあまり手を出す医者がいない難手術を、連続 27例も成功させた、奇跡的な腕を持つ外科医だ。だが最近 3例を立て続けに失敗する。
 高階病院長に呼ばれた俺、即ち 田口公平講師は、外科医志望だったが血を見るのが苦手という 変な医師で、愚痴外来と陰口をきかれる、不定愁訴外来という、 患者の不平不満をふむふむと丁寧に聞き、うなずきそのストレスを 解消する特別な部門を作ってそこに立てこもっている。
 その田口が スーパーエースの桐生医師の手術の観察を依頼される。手術の 失敗は、この場合、患者の死を意味する。優秀な桐生チームに 何が起こったのか、それを見つけろというわけだ。しかもそれを 請求したのは、桐生助教授自身だという。術死が故意なら、それは 殺人である。田口は桐生チームの全員の聞き取り調査を開始する。 此処までが大雑把に言って上巻のあらまし。
 下巻の巻頭に現れるのが、厚生労働省大臣官房秘書課付技官 白鳥圭輔だ。「見るからに高級仕立ての紺の背広。黄色いカラー シャツ。深紅のネクタイ。」このシリーズでは田口とコンビで活躍する 人物らしい。だが「擬音語なら”ぎとぎと”、擬態語なら”つるん”、 つややかに黒光りするゴキブリ」と作者からもあまり好感を持たれて いなさそうな人物だ。
 全く海堂さんというお方は、人物の造型が上手 だ。こちとらにに言わせれば、悪趣味としか言いようがない白鳥技官が、 ロジカル・モンスター又は火食い鳥として大活躍とは、エンタメ推理を 極めておいでだ。作者が医者でこそ、こんなに面白い作品ができるわけだ。 推理物だからこれ以上は内容に触れないでおこう。 「ナイチンゲール」も「ジェネラル・ルージュ」も読んでみたくなった。


 一月七日掲載                   新潮社

「 一週間 」        井上ひさし  


 舞台はソ連の日本人捕虜収容所、シベリアから ハバロフスクに移送され、日本新聞の発行をさせ られようとしている。名前は小松修吉。明治37年生れ。 外語のロシア語本科を卒業、京都帝大経済学部も苦 学して卒業した。
 日本共産党の連絡員をしていて捕まり、出所して満州 に渡り、色々な職業を渡り歩いているうちに敗戦、ソ連 軍に捕まった。ロシア語と満州語に堪能。 小松は日本新聞の発行をやらされるわけだが、周囲のロシア人 のみんなが、日本語のよくできること。
 本の帯に「吉利吉利人に比肩する面白さ」とある。 悲惨な舞台を使って、此処まで笑わせてくれれば文句 は無いと言いたいところだが、少し待ってもらいたい。 作者は今年(2010年)の春先に亡くなった。しかしこの 作品は(2006年)に連載を一応終わっている。後、加筆 訂正が予定されていた旨が巻末に記されている。私の 読むところでは、この作品は未完成だ。
 題名の一週間 に沿って、月曜日、火曜日ーと続き、それぞれ100ページ 内外の内容が綴られている。だが、最後の日曜日はたった の3行。実質1行半程。それも漢字カタカナ書きのソ連軍 の命令書。作者得意の仕掛けた罠が、笑いの炸裂と共に 読者の興味を捕らえようと、待ち構えているではないか。
 入江医師が99%成功した脱走を捨ててまで志した、 収容所内の旧軍階級の解体の成り行き、小松と美人 娘とのなりゆき、捕虜の帰国、何よりも何故この時期に ソ連の収容所を舞台にしたかの、作者独特の説明が 用意されていたのではないか。それがある時期の日本の、 何かが何処かとそっくりだということで、読者は成る程と 笑いながら納得する。
 井上ファンとしてはそう思はざるを 得ない。こんな稚拙な終わり方の作品を書く作家では、 なかった。井上氏が亡くなったのが確か本年の4月、 この本の初版の出版が6月、ちと急ぎすぎではあるまいか。
 この作品は、漱石の「明暗」と共に、未完の傑作と、 いつか呼ばれるようになるだろう。何処かに作者の覚書 でも残っていないものかなあ。「吉利吉利人」と比肩だと? 比肩も比較もできないよ。出来損ないと言われる事の 無いように、厳重注意するのが新潮社の責任だぞ。


 十二月三十日掲載              実業の日本社文庫

「 残照の辻 」     鳥羽亮


 非役の旗本、青井市之介が主人公のチャンバラもの。とはいえ よくある、やっつけ仕事のアチャラカ・チャンバラとは、一味違う。
 真の主人公は横川晋兵衛なる悪役で、秘剣「横雲」を使う浪人 だ。一の太刀が鋭く、受けにもたつくと返す二の太刀で喉元を真横 に切り裂いて相手を倒す、そこから人呼んで「横雲」。市之介も 心形刀流の一応の使い手だが、スーパーヒーローとしては描かれて いない。「横雲」にどうすれば勝てるか、苦心を重ねる。
 友人やら仲間やら お決まりの周囲が配置されているが、前述の筋道を真っ直ぐに物語を 進めている。こいうのって気持ちが良いね。苦心の末横川を倒すことは、 最初から決まっているのだが、立ち合いの描写など迫力が有る。
 解説の細谷正充氏によれば、作者は大学在学中に剣道三段を取得 したそうだ。それだけにあまり無責任なチャンバラを筆にすることができない のであろう。
 藤沢周平も時代物で名を売ったが、かれの「秘剣」シリーズ には、ちと首を傾げたくなるものが有った気がする。藤沢氏が何処まで 剣道を心得ていらしたか知らないが、編集者が無理して書かせたのでは ないかとさえ思われた。鳥羽氏の作品を読むのははこれが始めてだが、 こういうのなら、次の機会に又読んでも良いな。


 十二月二十七日掲載                 文春文庫

「 ベルカ、吠えないのか? 」     古川日出男


 ベルカは犬の名前。この作品自体が、犬、それも軍用犬 についての物語だ。敗戦時、日本軍がキスカ島に残した 4頭の犬が、交配と混血を繰り返して、恐ろしく優秀な 軍用犬を生産してゆく。何しろ戦力として、敵兵を噛み 殺すのだから、敵たるものも、うかうかしてはいられない。 こういう犬を何十頭と揃えて、戦場で使ったらどうなるか、 というのが作者の狙いだろう。何とかそれなりのもになっては いるのだろうが、さて犬にあまり興味を持たない読者は、 お呼びじゃないか。
 主たる舞台がロシアというのも、悪くない。 ロシアにとってのチェチェンが、現在のアメリカにとってのアフガン と同じような、面倒くさい存在であるあることが分かっただけでも、 良いとは思うのだが。
 何十年も前に、無性に犬を飼いたいと 思ったことがあった。昭和21,2年頃だったか、人間の餌さえ 満足に無かったから、犬猫など飼えるわけが無かった。 現在はペットブームとやらで、2,30分散歩をする間にも、2,3に 留まらない、お馴染みさんの犬に出会う。大抵は小型の可愛い 犬で、間違えて踏み潰しそうな奴ばかりだ。
 作者もきっと犬好きなのだろうが、よく分からないカタカナ用語の多用 には参ったな。「炸裂する言葉のスピードと熱が衝撃的な、エンタテイメント と純文学の幸福なハイブリット」だと裏表紙のうたい文句に書いてあったが、 こんなものでなければ、今時の若者は満足できないのかね。 この手の文章には、これきりで後はつきあいきれないな。


 十二月二十二日掲載               ハヤカワ文庫

「 虐殺器官 」     伊藤計劃


 戦争が民間会社の業務になっている。某国が他の 某国に戦争を依頼する。それを引き受ける会社も 有る。9.11事件以来、テロ対策としてそんなシステム ができた近未来が舞台。サラエボに手製の核爆弾が 使用されて以来、暗殺を業務とする会社も設立される。
 クラヴィストン・シェパードはその社員の一人だ。世界の 様々な国で、虐殺や内乱が絶えない。その陰に必ず名 を残している男、ジョン・ポールを標的にしている。感覚 感情はマスクングされている。良心や倫理感は殺人業務 の邪魔になるから、薬物で除去する。運搬手段の船舶や コンテナは、使い終わると即座に腐敗して消失する肉質で 出来ている。この辺がSFらしい設定だ。吾が日本では、軍隊 も一職業に過ぎない点では、この作品の設定に近い。
 しかし、ジョン・ポールの語る内乱や民族紛争の真相は、なん とも無残な我々自身の心情そのものだ。中東かあるいはインド 国境地帯か、その辺で繰り広げられる戦闘の無残な状況は、 朝鮮戦争やベトナム戦争を報道でしか知らなかった我々世代 にも十分に、何が行われたかを想像させる。その意味では単なる SFとは言えない作品だ。
 何よりも、そういう人間、人類を視る作者 の視線の冷酷さが、ある種の魅力を生じている。人類こそ地球 を蝕む害虫の最たるものだと、作者は思っていただろう。作者の 語る(虐殺の深層文法)がどんなものか知りたくもないが、そこに 作者流の救いが籠められているのかも知れない。
 であるにせよ、 作者の背負っているニヒリズムに私は感動する。キリスト教の原罪論、 浄土真宗の他力本願と紙一重の人間観だ。自身の実存をどう 自覚しているのかと、作者は読者に問いかけている。予定調和的 救済論のないところが、冷酷に感じられるのだろうが、冷静にという のとは、全く違う視点だから、冷酷というより仕方ないだろう。作者の 若死にが惜しまれる。


 十二月十一日掲載        ちくま学芸文庫(1300円+税)

「 古代大和朝廷 」     宮崎市定


 宮崎氏は東洋史学者で1989年に (古代大和朝廷)を、 筑摩叢書327として刊行した。本書はその復刻版として、 1995年に初版が出版された。
 学術書は原則としてこの欄 では扱わないことにしているのだが、この書は単なる研究論文 ではない。特に古代の権力関係については、最近様々な遺跡 が発掘され、面白い状態になっているのである。
 一つは荒神谷 遺跡の銅剣358本、銅鉾16本、銅鐸6個という大量の古代 遺物の出現。さらには巻向(まきむく)京とでもいうべき、大都市 遺跡の発掘。藤原京より大規模な都市が、1世紀から2世紀頃 に巻向で営まれていたとすると、日本の古代史は、根本から見直 されることになるだろう。
 古事記や日本書紀には、この都市について 触れないのは何故か。まあ、そのあたりがこの頃の日本古代史の 中心的な話題だろう。著者は荒神谷についても少し触れているが、 それは若手研究者に任せた方が面白かろう。それより著者の面目 ヒコとタケルの対立抗争という発想だ。前者が後者を圧倒していく 過程を日本古代史として捕らえるユニークな観点だ。
 さらに終章の(幕末の攘夷論と開国論 佐久間象山暗殺の背景) は、ああ、学者の中にもこういう考えをお持ちの方がいらしたのか、 と意を強うした。薩長の攘夷論が見せ掛けで、本音は開国論だった。 ただ幕府に開国されると困るので、尊王攘夷と唱えていただけだ、と私も 考えていた。著者も其の点を強調されている。さらに尊王も16歳の少年 天皇が何処まで何を考えて、倒幕に狂奔する薩長に勅語を下したのか、 怪しいものだと喝破している。
 著者は1995年に94歳の天寿を全うして 亡くなった。学者の文章としては平明にして達意、稀に見る名文家だ。


 十一月三十日掲載                ハルキ文庫

「 笑う警官 」     佐々木譲


 水村朝美という女性警官が殺される。容疑者は、 同じ本部の津久井巡査部長、ところが彼は水村 を殺していない。だが、本部は無理矢理彼を犯人 にして、射殺せよと命ずる。水村と津久井は確かに 男女の関係にあったが、それは過去のこと、現在は 何かを誤魔化すために、時々アジトで会うだけ。
 本部 の偉いさんたちの裏金作りについて、議会に呼ばれて いる。そこで証言されては困る偉いさんたちの命令で、 津久井は抹殺されようとしている。
 最近は検察の方も何か問題があったようだが、警察 本部もかい、と言いたくなる。しかし、なかなかに迫力 の有る作品だ。
 はじめは「うたう警官」という題名で発表 されたのが、文庫にするときこの題名になった。
 「笑う警官」という作品はマルチン・ベックシリーズで有名な 作品。推理フアンなら大方はご存知の作品だ。比べる こともないだろうが、損得五分五分かな。作者が警官 だったらやはり射殺命令が出るかもしれないな。おお怖わ!


 十一月二十日掲載                  新潮社

「 逍遙の季節 」     乙川優三郎


 2,3回、この人の作品をこの欄で取り上げたが、その都度 讃辞を呈してきた。実に味が良い作品を書くお方だ。
 この本も短編集だが、始めの「竹夫人」なんか出汁の良く利 いた作品だ。「竹夫人」とは「だきかご」ともいう、暑さ避けの道具 だが、この単語が作品中に一度も出てこない。語意の解説もない。 だが、なるほどと読者を納得させる。さすがだね。
 帯にも書いてあるように、一芸に秀でた女性、三弦、絵画、ねつけ師 生け花、等々に長じているのではあるが、それで暮らしを立てるのは、 なかなかに難しい技芸に生きた、無名の女性の生き方を描いている。
 読んでいて楽しい。極上の懐石料理を味わっている気分だ。以前も 感じたのだが、この作者は短編時代物の分野では、追随を許さない 存在になっているようだ。知らず知らず、いろいろ勉強もしちゃうし、 お勧めの作品です。


 十一月十日掲載                中央公論新社

「 早雲の軍配者 」     富樫倫太郎


 軍配者とは作者によると、易者と軍師を兼ね備えた、学者兼 軍師のようなものだそうだ。足利学校で成績優秀な者だけが 特別な教育を受けて軍配者になれるというわけだ。早雲は言わず と知れた北条早雲、もと伊勢新九郎という今川の客将の一人 だったが、堀越御所に足利茶々丸を襲い、一夜にして伊豆を手に 入れた戦国時代の風雲児である。出家して宗瑞(そうずい)と号する。
 彼が見いだし、教育した風摩小太郎という天才児を主人公にした、 時代物だが、軍配者という設定が成功しているかどうかは、あまり 細かく詮索するまい。この職名も作者の考案だろうし、足利学校の 件もそうだろう。その足利学校の同窓生が武田家の軍師山本勘助 であり、扇谷上杉家の曽我冬之助となって、やがて軍配者同士として 対戦する運命にある、という変わった設定である。
 早雲の人物造型 などかなり御都合主義だが、それも愛嬌のうちか。確かに後北条家 の年貢制度は、当時としては合理的なものだったらしく、よく学術的な 考証にも引き合いに出される。本当に百姓が泣いて喜ぶほどの安い 年貢だったかどうかは分からないが、当時の雰囲気は充分に出ている。
 啓文堂書店おすすめ文芸書大賞2010第1位の作品。取り敢えず 面白い。


 十月三十一日掲載

「 クライマーズ・ハイ 」     横山秀夫


 題名の(クライマーズ・ハイ)とは、登山家、特に 岩登りを得意にする方々の間のいわば術語らしい。 岩を登ることに夢中(ハイ)になり、恐怖心を何処かに 置き忘れて、登頂に成功する、あるいはその途中の 心理をさす語のようだ。
 だからといって、この作品が登山のことだけを扱った作品 と思ったら大間違いだ。むしろ新聞記者の、特ダネを巡る 心理の比喩として使われている意味の方が強いだろう。
 その特ダネとは何か。御巣鷹山(おすたかやま)と聞いて ピンと来るようなら、あなたの記憶力は正常以上だろう。 そう、1985年夏、日本航空のジャンボジェット羽田発 大阪行き123便がこの山に墜落し、乗客乗員あわせて 520人という犠牲者を出した、史上最悪の単発航空機 事故の現場である。
 作品の主人公は北関東新聞、略して北関(きたかん)と呼 ばれる1地方新聞の遊軍記者、悠木和雅だ。妻も子もある 40歳、その前日記者仲間の安西と、谷川岳の衝立岩に 登る約束をしていたが、この事故発生で、約束は果たせなくなる。
 しかし、安西はその事故とは無関係に、病気で入院していた。 作者は当時地元の上毛新聞の記者として、この事故の取材に 当たったそうだ。それだけに事故を巡る記者連中のいざこざや、 競争心やその他諸々を、迫真的に描き出している。けれども 事故現場の描写は一切無い。それでいて事故の重大さは 充分に伝わってくる。節度というものだろう。
 それから17年後、悠木は安西の息子と共に衝立岩に登る。 この描写と事故を巡る北関内の動き、悠木の妻や娘の反応 までが絡み合いながら、無駄のない文章になっている。 ここいら辺りから、日航は問題有りの会社だったのかなと思った りして、結構迫力のある作品に仕上がっている。一読お勧めの 上物である。


 十月十九日掲載

ノーベル文学賞


 バルガス・リョサがノーベル文学賞を受賞した と報道された。驚いたな。とっくの昔に受賞し たものとばかり思っていたからな。「緑の家」も 「世界終末戦争」も、これはホントか、ホント の話なのかと 思いながら 、意外なというか、 無茶苦茶なというか、それでいて実に説得力 のある現実感に圧倒されながら読んだ記憶が、 今も鮮明に残っている。
 なにしろミラノのオペラ ハウスをそのままペルーだかチリだかに建てよう ということになると、ほい来たと建設費を投げ出す ゴム成金が存在し、一方で、アマゾン流域で 暮らす方式の生活を送る原住民もいて、この 両者がどうやって一つの都会の中で、さしたる いざこざも起こさずに生活できるものなのか、 それを書いたのがリョサであり、マルケスだった。
 確か、我が村上春樹も今期の候補として、噂 ぐらいにはなっていたのでなかったか。春樹も結構 だが、一度リョサでもマルシア・ガルケスでも読んで 御覧。魔術的リアリズムなんぞと呼ばれた時期も 有ったようだが、そういう方法論でケリのつく問題 ではないだろう。欧米諸国は自ら植民地を作った のだから、或る程度は承知していたはずだ。
 だが、その実体は彼等の文学的才能の開花を 待たなくてはならなかった。マルケスはすでに ノーベル賞を受けているはずだ。2,30年前に (れぷぶりか)の同人会でこれらの作品を話題に 討論をしたことを覚えている。やっと今頃ノーベル 賞かい。遅すぎて吃驚ってとこかな。


 十月十日掲載                  講談社文庫

「 永遠の0 」  百田尚樹   


 0は零戦の0だ。我が少年時代の憧れの 的であったゼロ戦。海軍艦載戦闘機 で、当時、世界一優秀な戦闘機だと の評判だった。向かうところ敵なしの報道 は我ら少国民の血をたぎらせたものだ。 今や祖父世代に属するそのパイロット達を、 孫世代の健太郎と慶子の姉弟がインタビュー して、祖父宮部久蔵の実像を探ろうというの がこの作品の骨格である。
 臆病者という評判 から神業に近い戦闘技術まで、言ってみれば 0から100までの宮部像が出揃う。作品として はこうでなくては面白くなかろう。宮部は生きて 妻子のもとに帰ると公言して憚らない。あの当時 そんなことを言えた軍人が存在したとも思えないが、 そうでないと、この作品が成り立たないのだから、 仕方がないか。
 だが一つ間違うと、戦闘技術賛美の作品と間違 われる危険性も充分に持っている。特攻の 無茶苦茶な戦術批判ぐらいで、その危険性を 薄められると思ったら、大間違いだ。新聞、ラジオ が囃し立て、日本国民の大部分が賞賛の歓声 を挙げている中での宮部の存在は、書きたかろうが ちと無理かな。初期戦闘の有利さを利用できなかった 政治体制の中心に天皇がいたことを逃げていては、 あの戦争の悲劇の本質を撃ち抜くことはできないよ。


 九月三十日掲載                  双葉文庫

「 告白 」  湊かなえ   


第6回 本屋大賞2009受賞作品


 この作品は映画化までされた有名作品であるらしい。近頃 はこの手の作品が興味を惹く物なのかね。最初に犯人が割 れている作品等は珍しくもない。ミステリーの種類として、昔 から認められている。「罪と罰」 ドストイェフスキー だって、 まあミステリーと言って言えないこともない作品だよな。そうと はっきり言った批評家も作家もいなかったが、その方が不思議 なくらいだ。ミステリーだからといって、文芸的な価値に何ら影響 するはずが無いだろう。
 でもねえ。この作品はかなり問題が有ると思うよ。全編告白というか 自白と言うか、そんなもので構成されているところが、珍しいと言えば 珍しい作品だが、ミステリーにはなっていないと思うよ。自分の子供を 殺された復讐譚と言えば、その手の作品の感想をこの欄に書いた ばかりだが、こちとら推理物大好き人間なのだ。ミステリーでも、 純文学を称するゲテモノ小説より、文芸的価値が遙かに高い推理物 が、幾つも有ることは常識以前のことなのだ。
 そこで、この作品の問題点なのだが、最後の部分を不明確に、つまり 爆薬を仕掛けたのか、仕掛けなかったのか。その爆発ボタンを押したのか 否か、まで不明にするのは何故だろう。意図不明、つまりミステリーとして 成立していないのではあるまいか。では何故映画化までされたのか。
 文庫版の最後に、中島哲也監督のインタビューが載っている。よく読むと 自分勝手にストーリーを作れる作品だと思ったらしいコメントが有る。大筋 が決まっている文芸大作の映画化より、どうにでも監督が作れる映画として この作品を選んだらしい口ぶりだ。まだ映画を見たわけではないので、決定的 な意見を書くつもりは無いが、映画化されるということが、その作品の文学的 評価を語るものではないと言うことが分かっただけでも、参考になった。


 九月二十一掲載                  双葉文庫

「 犯人に告ぐ 」  雫井修介  


第7回 大藪春彦賞受賞作品


 警察物の一種であることは間違いない。変わっているのは 連続児童殺害という犯罪行為の中に、劇場型 犯罪の無動機性を盛り込んだ点だろう。そして これに対して劇場型捜査を警察側が展開する という組み合わせの目新しさだろう。この組み合わせ を成功させるために、巻島史彦という一風も二風も 変わった警視が必要だ。この作品に関する限り、この 設定は有効だったのだろう。讃辞は表紙や腰巻き、 解説に任せて、いささか気になることを述べる事に しよう。
 先ずは劇場型犯罪という言葉自体が既に 古臭い。TVを始めとしたマスコミを意識した、言えば マスメデイア型とかマスコミ型犯罪とでもいうべきもの だろう。その底には抜き去りがたい自己顕示欲と共 に他者との連携ないしは対話の成り立たない孤独 あるいは孤立感が存在するだろう。
 巻島警視が備 えていると言えばいいのか、性格だとすればいいのか まあ同じタイプの人間が、たまたま犯人と警察に別れ て存在したわけだ。普通はこんな警官は警察組織が 受け入れないだろう。物語の中でも、彼はしくじりを 犯して僻地に飛ばされている。だがそこで検挙率 80%という信じられない好成績を挙げていて、引き 続く児童殺害犯の捜査に行き詰まった捜査陣が、 彼を呼び戻すわけだ。
 彼、巻島もまた孤独であり、 周囲との対話や連携が苦手な性格なのだ。そこに このマスコミ型捜査の成否がかかっている。警察を 対象にした作品である限り、犯人逮捕の落ちがな ければ格好が付かないが、この題材なら犯人の 孤独、孤立の状態をもっと深く堀り下げられたの ではなかろうか。
 巻島の方のそれは表面的にでは あるけれど、かなり丁寧に描写されているのに反し、 犯人の方は手紙の文面だけというのは、工夫が足 りないのではあるまいか。しかしそこに手を延ばして 成功するのは、社会病理に対面することになるから なまじの力では避けるのが利口かも知れないな。 これじゃ誉めたのかけなしたのか分からないが、これが 私の正直な読後感だ。


 九月八日掲載                   新潮文庫

「 そして粛清の扉を 」  黒武洋


第1回 ホラーサスペンス大賞作品


 なかなかの作品な事は間違いない。そこそこ面白く読ませて貰った。 プロローグからして、その意味ありげな平凡さよ。価値も問題性も、 ここから始まっている。並のもの書きじゃないと分かる。
この物語のヒロイン近藤亜矢子の変身ぶりの見事なこと。うん?と  思わせる、サスペンスがここから既に始まっている。計算され尽くした 虚構だよと宣言している。そのことの危険性も知りつつ敢えて書いた 作品だ。読み慣れた読者ならこの辺からそういう匂いを嗅ぎつけて、 期待に胸を躍らせるに違いない。簡単に言えば復讐物語なのだ。
 秋葉の無動機多数殺人やら子殺しやらに、教育問題、学校問題 まで絡ませた物語だ。よくぞ此処まで書いてくれたと喝采する。 けれど、プロローグの亜紀ちゃんに問題は皆無だったのか、亜矢子は 公平にそれを調べた上での殺人なのか、そこに触れないのは少し ばかり問題が有るのではないか。亜矢子自身に教師としての問題が 無かったのか、そこにもノーコメントなのは作品としての問題点だろう。
 さいわいそのへんについては、解説が説明しているから大丈夫と言い 切れるかどうか。とまれかくまれ、サスペンスで引っ張る力は相当だ。 だが何処がホラーなのか、よく分からない。そこら辺りに解毒効果を負わ せたつもりらしいが、その分リアリテイーに欠けて損をしているだろう。 それを承知の上で読むなら、良い点を付けたい作品だ。


 八月三十一日掲載

 「 定家明月記私抄 」  堀田善衞  


 定家といえば平安末期から鎌倉初期にかけての 巨大な歌人、後鳥羽院とともに新古今和歌集 の編者として、国文学関係の人間なら、好き嫌 いは別にして名前と歌の一つや二つは即座に口 にだせなければならないくらいの、大物歌人である。
 だが実体はどうだったのか。堀田善衞は「方丈記 私記」でちょいちょいと定家を鴨長明と比べてい る。長明の方は神主になりそこなったいわば地下の 人である。それに比べれば定家は参議の末座に名を 連ねたのだから、公卿の仲間だ。
 そしてこの二人の 生きた時代は、平家の台頭と公家の没落、頼朝の 旗揚げと源平の合戦、清盛による遷都、平家の敗北、 清盛の死、そして何よりも大飢饉と数え上げればきりの 無いほど政治的、軍事的事件の連発した時代だ。おまけ といってはなんだが、大地震やひどい突風にも何度も 襲われたらしい。そういう時代を、この二人は共通して 経験し、それぞれに日記風にあるいは随筆風に記録を 残した。
 堀田の興味を誘ったのは「明月記」のほうだったようだ。 だが何故か「方丈記私記」のほうが早くに書かれている。 当然そこでは定家はいわば悪役にならざるを得ない。 しかし定家の和歌はいかに事実とかけ離れていようと、また 言葉のつむぎ方にしか興味を示していなかろうと、一時代を 代表する和歌を作った人に間違いはない。
 堀田が「方丈記私記」を書いて十数年を経て「明月記」に ついて書かねばならないと 思ったのも無理からぬところだろう。続編まで書くほど興味 津々だったのだ。当時の和歌の指導者なぞというものが、 我々の想像を超えて貧しく、身分的にも恵まれず、しかし 天才的な和歌を作り上げて行く、いわば作家精神に堀田 は興味以上のものを感じている。一般受けのする作品だ とは思わないが、作家とはいかなる存在かと言うことに関心 を持つ向きには面白い作品かもしれない。


 八月二十一日掲載

 「 方丈記私記 」  堀田善衞  


 「方丈記」というと 「行く川の流れは絶えずしてー」云々の 冒頭の一節にうんざりして、えー又かよと投げ出してし まう向きもさぞ多かろう。私も初めはそうだったから、気持ち は充分に分かる。
 だが平家物語の書き出しを思い出して 欲しい。「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きありー」 なんぞという坊さんのお説教のような文句から始まっている。 あれだってやれやれ又かものだ。ところが清盛の人となりの 描写に入ると、俄然文章の血色がよくなる。つまりは、この 頃、何かまとまった物を書くときには、こういった仏教の経文 みたいな無意味なお呪いを述べてからでないと本文に入れ なかったらしい。
 「方丈記」は鴨長明の作だが、この人意外にミーハーで野次馬 根性の持ち主だったことを、堀田のこの本で教えて貰った。時 は平安末期から鎌倉初期にかけての動乱期、堀田は敗戦 というこれも大変な動乱期に結びつけて「方丈記」を選び出した。 彼もどこか野次馬根性の持ち主と言っては失礼かも知れないが、 興味を持ったところには出来る限り足を運んで実見したらしい。 当時の京の惨状が、歯に衣着せずに書き付けられている。
 なるほど、これじゃ末法末世と庶民が親鸞あたりに惹かれる心情 が理解できるというわけだ。といっても本は古文だから、面倒なら 堀田のこの作品を読めば大筋のところは分かる仕掛けになっている。 藤原定家の「明月記」との比較対照も大いに参考になる。堀田は 「明月記私抄」で定家をも論じているが、それについては機会を新たに 報告することにしよう。


 八月十日掲載

 「 島原の乱 」   


 島原の乱を材料にした作品は、それこそ無数と 言えるほど存在するのだろうが、史料を読みこなし 事柄の経緯をできるだけ詳しく把握し、その背後に 作者の冷静な史観がうかがえるというような、本格的 な歴史小説として挙げられるのは「『海鳴りの底から』 堀田義衛」と「『出星前夜』 飯嶋和一」ぐらいのものだろう。 この二作について話しておこう。
 初めは「海鳴りの底から」についてだが、この作品は1961 年に朝日新聞社から出版された。私の持っているのはその 初版三刷である。1960年には安保騒動とでも言うべき 大がかりな安保反対のデモ行進があり、議事堂に押しかけた デモ隊とそれを阻止する警官隊との間に挟まれて、樺美智子 さんが圧死するという事態まで発生した。だが日米安保条約は 発効し、ああやはり駄目なのかという脱力感のようなものと同時に 次に何か機会が有ったら、保守党政府を倒してやろうと心の奥に 言い聞かせたものだ。
 1961年にこの作品が出版されたのはそんな当時の状況と全く 無縁というわけではないだろう。この作品の主人公山田右衛門作 という絵師のキリシタン信仰についての迷いや裏切り行為や といったものは、かなり身近なものとして感じられた。
 何しろ徳川幕府の天下の中で組織的な武力反抗といえる唯一 の事件だ。もっとも農民軍を指揮したのは、その昔関ヶ原で勇名 を轟かせた元武士であり、戦術的には各藩の戦闘不慣れな武士 達より有利であったろう。
 原城という城は、ごく小さく狭いもので、この当時でさえ石垣だけを 残した城跡だったようだ。そんなところで二万四千人だか五千人だか を、十二万五千人の幕府軍が四ヶ月がかりで皆殺しにするとは 幕府にとっても命がけの事態だっったのだろう。
 苛政に苦しんだ農漁民がキリスト教に頼ったというのが不思議な気が する。天皇家を頼る気にはならなかったらしい。そうだなあ。神社や お稲荷様、八幡様が農民の味方になって領主を諫めたなどという話 は聞いたことがないな。それで最後は国民を裏切るんだから、右衛門作 より余程始末がわるい。 これは乱の内部からの視点を中心にして構成された作品だ。
 次は「出星前夜」だが、飯嶋和一は寡作な作家だが発表される作品は 皆一級品だ。目の肥えた読者は彼の作品を待ち焦がれているよ。この 作品も凄い。島原藩の悪政の様子から農民の困窮の様子、寿安が蔵 を襲わざるを得ない心情まで丁寧に丁寧に描かれている。
 その点では 堀田を超えたものがある。戦闘の一々が目に見えるようだ。松平信綱が 江戸からわざわざ出張って来ざるを得ない現地状況の説明もよく書けて いる。作品としては「海鳴り」を超えているだろう。寿安は乱の仲間を抜け 医者になろうと上京することになるがこの時点で視点が乱の外側に移る。
 私としては前記の時代背景の関係から堀田を贔屓したいところだが、作品 そのものとしては、飯嶋に軍配を上げざるを得ない。時代小説ファンなら 見逃す手はないよ。彼の文章の重量感たるやもの凄い。読み応えが尋常 じゃない。時代物を書くなら鴎外と山本周五郎の間を狙えという教訓が有 るそうだが、ひょっとかすると、飯嶋は両者をすでに抜いているかも知れないぞ。


 八月一日掲載                   角川書店

 「 天地明察 」   冲方 丁 (うぶかた とう)


第7回 本屋大賞2010受賞作品


 この作者の姓名、字画は少ないが入力するのは難しい。
 主人公が二世安井算哲、碁打ちなら何処かでこの名前 を目にしたはずだ。ところがこの男、暦の改訂に人生を賭け ようとしている。その時の姓名は渋川春海、(しぶかわしゅんかい) だとばかり思っていたが、春海は(はるみ)と読むことを本書で知った。
 暦の改訂がどういう影響を、どの世界にもたらすものか、よく 調べてあるようだ。荒っぽいが分かりやすい文章で書かれて いて、ヤングアダルト向きの真面目な時代小説といえるだろう。
 町場育ちの春海が、立場上大小を腰に差さねばならなくなる がその重さにひょろつく有様など、さすが面白がらせのこつを心得た 作者だと感心した。数学者の関孝和等も登場して春海を 応援するのだが、数学と暦とが密接に関係していることに いちはやく気が付くプロセスも、良く書けている。カレンダーなど 眺めながら一席ぶつのもいいんじゃないかな。


2010年7月までの鷹の抜け羽はこちら