鷹連荘雑感

 

四月二十一日   柳   


 芭蕉と来れば奥の細道と答えるのが相場と 言う物だろう。その奥の細道の入り口辺りで 翁が一句ものしている。

 田一枚植えて立ち去る柳かな   芭蕉

 この句の主語は?まさか柳じゃない。普通は 句の作者が主語になるわけだ。するとなぜここで 柳が出てくるのか。田植えは夏の季語、柳は春。 当然田植えがこの句の主題になる。
 では何故柳か。何か他の適当な植物は無いのか。無いのだ。 奥の細道は芭蕉が、西行の旅の跡を慕い辿ったこと はよく知られたことだ。この句は西行の歌に芭蕉が句で 応じているのである。西行のどの歌か。

道の辺に清水流るる柳影しばしとてこそ立ち止まりつれ
 
 こそ〜已然形の係り結びは逆接の意を含むそうだ。
 つまり、ほんの少しの間と思って立ち止まったのだが、と西行は 言いさしている。それに対して芭蕉は、田圃を一枚植え終わる 程の長休みだったのでしょう、と答えているのだ。
 柳でなくては、この応答は成り立たない。よって句の主人公は表面的には芭蕉 だが、含意として西行がある。その方が趣きが深いかな。
 西行の歌の雰囲気は、どうやら夏場だ。田植えの季も夏で ぴったり合うぞ。こんなこと、こちとらが言うまでもなく、皆さん 御承知のことだったろうな。では御退屈様でした。


三月二十四日   東京直下大地震   


 東北地方大地震とそれに次ぐ大津波という、まれに見る 大災害に、日本中、いや世界中が息を飲んだ。こんな ことが実際に起こりうるという怖さ。
 それが以前から予告されていた関東、東南海地方ではなく、東北地方であ ったことが、東京直下型大地震の予報に繋がってしまう のだから、噂や放言という物は怖い。
 多分その内、遠からず東京は、直下型か沖合方かは 分からないが、大地震に見舞われるだろう。そういう周期 なのだから、仕方がない。まあ何とか凌ぐか、お陀仏か、 それこそ運天まかせのことで、今更ごそごそ騒いでみても、 大した用意も出来まい。
 東京は一極集中が行き過ぎだから、 多少は怖い目を見たほうが良いと言う意見もあるそうだが、 それはちと行き過ぎの意見だろうよ。何もなければそれが 一番なんだがね。


三月二十日   雪割桜始末   


 先日のこの欄に、「雪割桜」のことを載せたのだが、 色々なところからブーイングが来た。
 一つは盛岡にある説明書は、「石割桜」のもので「雪割桜」で はない、というもの。もう一つは横手の高校付 近にもそれらしき物は見当たらないというもの。
 ちょいと調べたら、盛岡の抗議は正解。彼の地 に有るのは「石割桜」であり、大石の割れ目にたま った土の上に桜の種が落ちて、育った物らしい とのこと。
 困ったのは横手の方の問題だ。「青い山脈」の 映画主題歌の中に、「雪割桜」が出てくることは、 有る年代以上の方は御存知の筈だ。
 ところが 作者石坂洋次郎氏も、作詞家西条八十氏も 何処に咲いているのか分からないそうだ。第一 「青い山脈」の高校が横手とは何処にも書いて いない、東北の何処とも知れない高校だと仰せ だ。
 読者はてっきり作者の勤務していた高校だと 思うのが自然だろう。でも違うと言われれば、そう ですかと引き下がらざるを得ない。
 では「雪割桜」はどうなるのか。作者が本当に何処か で「雪割桜」を見たかどうかも、いささか怪しい。そんな 事も知らずに、「青い山脈」を歌っていたこちとらは馬鹿 みたいだった。
 東北地方にも何処にも「雪割桜」など存 在しないのだ、と思ったら、どっこい、四国の高松周辺 に「雪割桜」の木が存在するらしい。木が有るならその苗 を買ってきて、盛岡でも、横手でも育てたらどうだい。 結構売りになるかもよ。


三月七日   雪割桜始末雪、梅   


去る29日は、東京には珍しい大雪が降った。図書館での会合が有ったので 出掛けたのだが、往復とも道が滑るのに苦労した。
 大雪といっても、たかが 2センチとか5センチとかで、雪国暮らしの人達には笑い話の種にもならない 程の積雪量だが、これでJR中央線が(又も中央線かよ)15分遅れだとか 騒いでいる。本当に東京って、雪に弱い町だねえ。
 いい話もあった。千葉県の何処かで、梅が満開で見頃だそうだ。梅なんて 花は、東京でも1月下旬には咲き揃うのが普通なのだが、今年は2月も末な のに梅便りが聞けなかった。例え千葉県でも、咲いた便りを聞くのは嬉しい。 桜も遅いのだろうなあ。


二月二十九日   雪割り桜   


 昨年の地震、津波、原発の被害を蒙り、避難場 に移られた方々にも、今年の冷たい冬がやって来た のでしょうね。全く自然は情け容赦の無いものです。
 些少の義援金など何の足しにもならないことは承知の 上で、協力しました。何度か旅行をした盛岡、仙台、 福島の皆さんが、辛い暮らしに耐えておいでかと思うと、 東京でぬくぬくと暮らしていることが、申し訳なく思えます。
 でも、確か東北には雪割り桜という、雪の中から可憐な 緋色の花を咲かせる桜が有るんでしたね。「青い山脈」の 主題歌にも歌われていました。冬の東北地方には出掛けた ことが有りませんが、この雪割り桜のように、寒い冬に負けず に、これからの人生を花一杯にしていただきたいと願うものです。
 盛岡のわんこそば屋さんの辺りに雪割り桜の説明が有った のを覚えています。秋田の横手は「青い山脈」の本場で、 今更その本を買うのもダブリになるので、「石中先生 行状記」を見つけてそっと買いました。
 中学生の頃友人に借りて読んだのですが、雪に埋もれた東北囲炉 裏端の話題と言ったら、これなんだろうなあと、妙に納得しました。
 これも雪割り桜の一種でしょうかねえ。


二月二十三日   鶯   


 先日、いつもの散歩道で、目の前を飛ぶ小鳥 に出会った。続いてもう一羽、おや、と思ったのは その羽色だった。草色?いや確か鶯色だ。迷った のは鶯に出会ったのが、何年、いや何十年ぶりだ からか。この辺には、結構野生の小鳥が多いのだ。 ではあるのだが、鶯をまじかに見るのは、初めてだ。
 多分今までにも飛んではいたのだろうが、こちらに 見えなかったのだろう。見る気が無ければ見ても見え ない、ということが、ある年齢になると実感できる。人間 の感覚なぞ、いい加減で当てにならない、と知ることは、 あまり愉快なことではない。つまりは自己不信につなが るからだ。
 小鳥は3メートル程先の山茶花の木に止まったという か、潜り込んだというか、ちょこちょこと小枝の間を飛び 遊んでいる様子だ。確かに鶯の番だ。鶯色そのものだ。
 ここ三鷹の下連雀7丁目近辺も、住宅地として混み 合っている感じだが、所々に、小さいながらの休憩所の ようなものが存在する。そこに飛んできたのだ。
 五秒か十秒か、見ていたね。懷しくも珍しいものだった からなあ。あまり長く見ていると、向こうさんが気にして、 逃げてしまうかと、離れたが嬉しくも心休まる一時だった。
 この辺でも、こういう時と場が有る、貴重なことだな。


二月十四日   地震予想   


 昨年の3,11以来、首都直下型地震が、40年内 に70%で起きるとか、5年以内に20%の確率だとか、 いやはやけたたましい限り。
 その気持ち分からない じゃあない。何しろ、東京を中心にした関東地域に、 巨大地震が襲ってくる期間が、この頃だという計算 は、過去のデータからの計算だから、計算自体に 間違いはあるまい。
 しかし計算と現実とは本質的 に違うものだろう。地震そのものは、ある日突然、 いきなりやってくるものだ。東北地方の地震を 予想した何処かが有っただろうか。
 日本は地震の 多いこと世界1だろう。毎日何処かで揺れない日 は無いと言って良いだろう。何やら大きい地盤の ずれが日本列島の南に有り、それがずっこけると 大揺れになるとか、ならないとか騒いでいる。かも しれないしではないかもしれない。
 用心だけはして おけばいい、というくらいで、余り騒がない方が精神 の安定にいいのではあるまいか。東京の市街地 も、住宅地も騒ぐ割には地震を考えて建てた形跡 が無い。仕方がないと皆諦めているのではないか。 その辺が正解だろうよ。東京に津波は来ないと 思うけどね。


二月七日   西行   


 月が改まり二月になった。二月になると思い出すのが次の和歌だ。

願わくば花の下にて我死なんその如月の望月の頃 西行

   彼は河内の弘川寺で、如月十六日に亡くなった。弘川寺にも立派な 桜が咲いていたそうだ。
 てっきり吉野で入寂したと思い込んでいたのは、吉野に西行庵 が有り、それを墓と思い込んでいたかららしい。それに吉野で見た 桜の花の迫力に影響されたことも有るだろう。たった一度訪れた 春の吉野が満開の時季であったことは、幸運というよりほかない。
 蔵王堂の辺りから見渡す桜も結構だが、更に高い水分(みくまり) 神社からの景観は、これぞ吉野の花というべきものだろう。峰が二 つ、その間に谷ができている。そんなに高い山でもなければ、深い 谷でもない。何しろ吉野山自体がそれ程高くない。タクシーで楽に 花見ができるくらいだ。私もタクシーを利用した。
 だが、二つの山とその間の谷全体が、白い花で盛り上がった様子は、 津波が押し寄せ波頭が白く泡を吹き上げ、そのままひたと静止した、 それくらいの圧倒的な力を持った景色だった。その後、色々な桜を見た が、多くは一本桜で、それはまたそれで結構なのだが、吉野の花のよう な迫力を持つものではなかった。
 河内の弘川寺の桜の様子は知らない。かなり不便な場所のようだが、 そこに間違いなく西行の墓が有る。
 如月というのは陰暦二月のことだから、現在の暦だと三月に当たる。 望月は満月だから、十五夜お月さんだろう。如月十六日に入寂したと すると、西行はその前夜の望月を見ることが出来ただろうか。歌の調子 からすると、かなり身体が衰弱していたのではあるまいか。
 享年七十三というから、あるいは老衰死であったか。当時としては異例の長寿であろう。 にしても、願ったとおりの往生を遂げたとは、ちとできすぎじゃありませんか な、と茶々を入れたくなるほどの話しだ。
 今、テレビで大河ドラマ「平清盛」を放映しているが、北面の武士佐藤義清 として登場している。彼がどのように保元・平治の乱に関わったか、いささか 興味がある。清盛にも頼朝にも面識がある旅の僧侶などそうざらにはいない はずだから、ドラマの中でどう扱われるか楽しみだ。


一月二十四日   安全第一   


 未だに原発を稼働しようと蠢いている者がいるという。 それもいわば犯人とも言うべき電力会社であり、その恩恵 (どんな恩恵かね)に与っている政治家、政府閣僚も込み だというのだから、一体この国はどうなっているのかね。また どうなるのだろうねえ。
 原発関係では、除染物の処理も気になるなあ。福島市 の建築物の材料に汚染された石材が使用されらしい。除染 されたから大丈夫ということらしいのだが、実は水で洗った程度 の除染で、当然のことながら建築物からはセシュウムなど有害 物が検出された。石材等は福島だけじゃあるまい。全国にばら まかれたのではないのか。
 原子力発電は安上がりというのが売り手のうたい文句だった が、うまい話にゃ裏が有るってね。決して安くは上がらないよ。 原子力を日常生活に使うほど、人間はまだ進歩発達していない と思うよ。風力、水力、潮力など自然の利用で電力を確保 できるくらいの技術を、日本は持っているはずだろう。何も慌てて 原子力なんかに手を出す必要は無い。
 安全に行こうぜ。な、電力会社さん、日本政府の皆さん。


一月十二日   木曾は雪   


正月五日から十日まで木曾に行ってきた。
 薄くだが、雪景色だ。日本海側の東北は豪雪だという報道は 心得ていたが、木曾にまでそのトバッチリが及ぶとは 想像出来なかった。
 しかし、風景ばかりでなく、結構 な御馳走にも有り付いたぞ。東京なんぞじゃ口にで きない旨いものを、たんまり味わってきた。寒ければこそ 味わえる美味が有る。鍋物ばかりじゃないよ。焼物 煮物漬物と種々様々な味が存在するなあ。
 幸せな五泊六日だった。これだけで今年は良い年 になったね。おあとは地震や津波が来なければ良い のだがね。


十二月十七日    TPP   


 何の頭文字か分からないが、太平洋を取り巻く国々 の輸出入関税を全廃しようということらしい。アジア 諸国の生活レベルが向上して、購買力が増し、米国 の景気が回復せず、その対策にアジアを利用したいと いうことが、どうやら事の発端らしい。
 日本には米(こめ)を始め 農産物の輸出を狙っているらしい。だから日本の農家は この相談に反対だ。逆に自動車や精密機械などの製造 輸出をしている所は大歓迎ということらしい。
 大まかに言って、関税そのものは撤廃されるべきものだと 私は思っている。関税の背後には必然的に国家が控え ているし、その国家の強弱によって、不公平な関係が作 られてきたからだ。
 今回はそれを止めようというわけだから、 原則、私は賛成なのだ。日本の農家が潰れるという悲鳴 らしきものがチラホラ聞こえるが、そんなの関係ないという農 業関係者もかなり多い様子だ。
 米(こめ)の関税が700%だった とは知らなかったが、そりゃあ無理というものだ。米(こめ)なんてまとも に作っていたら、アメリカ辺りにゃ負けないよ。ついこの間アメリカ の米を食ってきた当人が言うのだから間違いない。野菜や果実 はどうかな。
 大体政府の補助金を当てにしなければなりたたない 商売なんて、税金の無駄遣いだ。食料の自給率が云々という前 に、休耕田の広がりを見て御覧よ。いずれ食料は、地球規模で 不足することが分かっているのだ。
 国とか国家とかの枠組み無しに 物事を考えなければならなくなってきたということだろう。その大波は 目前の利害を超えて、世界を巻き込まざるを得ないものだ。
 その観点から私は、目先日本の経済界や、農林水産業界の思惑如何に 関わらず、実行有るのみだと思っている。


十二月十一日    開戦   


 12月8日は我々昭和1桁世代にとっては、なかなか 忘れにくい日だ。
 この日のラジオが独特の口調で、米英 両国と開戦状態に入ったと報道した。ハワイ真珠湾の海 軍基地を爆撃した。戦艦や巡洋艦の大多数を沈めたら しいが、航空母艦は1隻もいなかった。
 それでも、やった やったとお祭り騒ぎだった。飛行機で挙げた大戦果なの に、この後日本は大和なんかを夢中で作り、なけなしの 金を使い果たして、惨めに負ける。食うや食わずの乞食 でもしたくなるような飢餓状態の2,3年。育ち盛りの我々 には応えたね。
 おまけに、戦争の名義人である昭和天皇 が何の責任も取らないのは、納得できなかった。何かと いっては連帯責任をとらされ、班全員がビンタを食らって いたのに、総班長の天皇がのうのうとしていたのでは、示し がつかないじゃないか。
 もちろんマッカーサーの占領戦略で 天皇に手を出さない事にしたのだろうが、それは別の話で 日本の国民は天皇をどうするのかは、自分で決めなきゃ いけなかったんだよ。
 だから、以後の政治家は、どんな悪事 を働いても、心中、天皇だって何も責められないじゃないか、 それに比べりゃ俺なんて可愛いもんさ、というわけで、未だに その悪癖が残っている。何何大臣なんぞと言っているうちは 日本の政治は絶対的に良くならないね。
 大臣は天皇が 任命するんだからね、形だけにしろ。でも知的レベルの低い 政治家は、本気にしてるんじゃないのか、自分は陛下の臣 であると。ホント、ャンなっちゃうよな。マスメヂアも良くないよ。
 女性宮家がどうのこうのと、野次馬騒ぎをしているけど、所詮 余所様の親族騒ぎの域を出ないことだ。こんな無駄な家族を 税金で養う義理はない。辞めて貰おうというマスコミは一つも 無かったね。
 何だか戦中戦前のお前さん達の先輩に似てきた のではないのか。しっかりしてくれよ。TVが幼稚化したのは、 或る意味仕方がないのかも知れないが、新聞、週刊誌まで 切っ先が鈍っちゃあ読む気がしなくなるなあ。


十二月三日    文化の日


 こちとら国民学校に通っていた頃は、この日を明治節 と呼んでいた。つまり明治天皇の誕生日だったのだ。
 当然在世中は天長節だったわけだ。天長節というのは、 天皇誕生日のことだよ。この人即位したのが16歳の時 だった。1868年だ。尊皇攘夷と世間がその気で騒いで いたらしいが、天皇なんて存在を知っていた人が京都住 まいの人以外では居なかったのではあるまいか。
 だから尊皇だの勤王だのやいのやいのと騒ぎ立てねばならなか ったわけだ。西郷だの伊藤だの桂だの、倒幕を志したのは 良かったのだが、重みや権威が決定的に不足していた。 みんな下級侍だったからなあ。といって大名を持ち出す わけにも行かない。幕府の二の舞になりかねないからね。
 で、孝明天皇を担ぎ出したわけだ。この人大の外国嫌い、 尊皇攘夷にはうってつけの天皇だった。でもね、薩摩も長州 も攘夷ではでは痛い目に会っている。外国兵に上陸まで されて砲台を破壊されている。尊皇開国にならざるをえない。
 攘夷から開国に180度の政策転換が、そうそう簡単にすん なりいくわけもなく、堺事件なんてのが起こったりしている。 大なり小なり似たような事があったのじゃ有るまいか。森鴎外 以下何人かの作家が書いたのでこの事件が有名になった だけだろう。
 さて孝明天皇の外国嫌いだが、攘夷がお題目 のうちはぴったりの天皇だったが、開国となるといささか都合が 悪いな。それがだ、いざ新政府を拵えようというときに、亡くな ってしまうんだなあ。天然痘だということになっているが、あんまり 間が良すぎるので、暗殺されたんじゃないかと言う説も、有力 なんだそうだ。
 で明治天皇が1868年に即位するのだが、その 歳16歳、京都育ちの坊ちゃん天皇に、動乱期の政治の何が 分かるだろう。おそらく何も分からない。だから明治伝説の創作に 必死になる。明治天皇自身は、あまり東京住まいを好まず、折に つけては、京都に帰りたがったそうだ。だから墓も京都の桃山に有る。 せめて墓だけでも京都にしようかという、こういうのは何と言うのかね。
 思いやりとか、心遣いは生きているうちに示して貰いたいだろう。墓の 場所ではねえ。あれも偉かった、これも優れていた明治大帝とか、 いろいろ苦心して神話を創作したらしいが、まあ無理というものかな。
 それにしても、西郷以下維新の実行部隊には、よく言えば政治家、 有り体に言えば粒よりの腹黒が揃っていたねえ。だからろくな死に方 ができなかったんだろう。担ぎ出された天皇家も、内心迷惑だったん じゃないのかね。
 それでも美智子さんとか雅子さんとか、自分から あんなお化け屋敷に飛び込んでゆくのだから、女性って勇気が有る んだねえ。もっとも雅子さんは余程辟易したのかどうか、ノイローゼ 気味だね。無理もないが、研究不足でもあるね。
 女性にとって、というより一般庶民にとって、あそこはそんな楽しい ところじゃなさそうだよ。


十一月二十八日    バレーボールの勝ち点


 バレーボールの女子、男子両方TV観戦した。女子は惜しかったな。 男子はまあまあ予想通りいまだに一勝も挙げられない。
 少し気になったのが、勝ち点制だ。3−0、3−1で勝ったら勝ち点3、3−2だと勝ち点2、 負け点1。負けた方にも点がつくとはおかしな話だ。
 なんだか納得出来ないなと思っていたら、24日朝日の 朝刊にその問題点が指摘されていた。3−2で全勝し ても優勝できないケースが出てくるというわけだ。勝負事 なんだから勝ちは勝ち、負けは負けとけじめをつけなきゃ そんな馬鹿げたケースも出てくるだろうよ。
 世界のバレー協会は何を考えてこんな勝ち点制を作った のか。女子のチームは来年の世界予選で頑張れば五輪 出場可能だそうだから、来年是非とも頑張って貰いたい。
 何しろ、こちとら大ファンの木村沙織が、スパイクを打ち込 んでやったねという笑顔がたまらない。何か変な国に負けて 4位になったのが残念とはいえ、来年の楽しみが有る。 頑張れ、日本チーム、ぶち込め沙織。


十一月二十三日    面白いCM


 近頃TVドラマの面白いのが少なくなった。で、主に NEWSを見ることになるのだが、時々CMに面白いのが 出る。
 白戸家の云々という、白い日本犬がお説教を 垂れるやつ、もっともらしいお説教が笑えるね。よく思い 付いたものだ。犬は笑わないし、至極真面目だから余計 面白い。
 もう一つ面白かったのは、坂本冬美だと思うんだが、女性 演歌歌手が、「このごろCMの注文が少なくて、久しぶりの CM出演ですから宜しく」みたいな、楽屋落ちみたいな、私 小説的なCMだった。
 この手が有ったかと感心したのだが、 この頃みかけないな。これはあの歌手だけで、真似するわけ にはいかないだろう。早めに止めちゃったのはどうしてだ。歌手 の人気に響くとでも思ったのかな。そんなことは無いと思うがね。
 こういうのがたまには出て来ないと、TVを見る気がしないからなあ。


十一月十五日 フィギュアスケート・グランプリシリーズ


 フィギュアスケート・グランプリシリーズ第3戦の第1日目をTVで観た。 優勝の有力候補として紹介された選手は、さすがに上手に滑る。 転んだ場面を除けばね。1日目だからかどうか、実によく転んで いたね。
 フィギュアという種目は、かっこよく滑ることが目的ではない のかね。取り敢えずは転ばずに滑って欲しいものだな。しかも尻餅 をついた選手が、得点トップという結果に驚いた。転べば減点され る決まりだそうだが、どの程度の減点か知らない。何か示されていた ようだが、スッテンコロリで1位になるフィギュアなんて、その時点で 観る気がしなくなった。
 男子だと4回転ジャンプが今のところ、1番 難しい技らしい。転ぶのはこの回転を試みたときに多かった。難技 に挑戦するのは、当然のことだろう。ただし難しいから減点も少し にしておこうという考えはどんなものかな。
 試しに飛ぶのなら、初心 の者でも飛ぶだろう。でもグランプリの選手ともなったら、転んで欲し くないね。転ばずにきちんとこなしても、4位、5位というのはおかしく はないのか。競技の本質をよく考えて点数制度を整備して貰いたい。
 ちなみに2日目は観戦しなかった。こけた奴の優勝面なんか観たく ないからな。


十一月十一日   広島旅行 6終 酒蔵 


 本日は3泊4日の最終4日目、予定の空港発15:35に 乗るとすると、午後は殆ど移動に時間を取られるだろう。
 午前の予定は酒蔵4軒。西条なるところが、広島の酒造り の中心地なのだそうだ。造り酒屋に行けば、試飲は付きもの、 ほんのちょっぴりづつとはいえ、4軒となるとほろ酔いくらいには なるんじゃないか。そんな心配は御無用だった。
 訪問先は2軒、 「白牡丹(はくぼたん)」と「賀茂鶴(かもつる)」。「白牡丹」では試飲 無し「けちんぼ!」。「賀茂鶴」では6、7種の、むかしなら2級酒級 から大吟醸まですべて試飲可能、全部やったらそれこそ酔っぱ らっちゃうから、2種だけにしておいた。純米酒とは、吟醸とはと、 結構為になる説明もあった。
 かみさんは「原酒賀茂鶴」を一本、 多分750mlの壜を1本お買い上げ。さすがわが女房殿と感心 しきりだったが、家に帰ったら、これはお正月用ですとのたまわれた。 がっくり。
 賀茂鶴の主人曰く、「『賀茂鶴』の鶴は、ズルと濁らないで 下さい」とのこと。清音で発音して貰いたいそうだ。そうは言っても、 広島の酒は東京じゃああんまり見かけないんだよな。以前来たとき 飲んだのは、確か「酔心(すいしん)」ではなかったかな。有るとしてもそのくらい かもしれないな。精々灘止まりだからね。
 でも気になるのなら良い 方法を教えて上げようか。「賀茂鶴」の読み方を(かものつる)にする。 これで濁音になる心配は無いよ。(の)を入れないとまず6、7割は 濁るだろうなあ。日本語にはそういう習慣が有るのだよ。参考までに。
 これにて3泊4日の広島旅行の顛末の一切(いっさい)に御座りまする。


十一月九日   広島旅行 5 宮島 


 三日目はいよいよ安芸(あき)の宮島観光という スケジュールになっている。
 実は我が家のかみさん、 まだここを見聞したことが無い。こちとらは何かの序で に二度ほど来ている。話の成り行きで、つい一緒に 来たような気がして、「〜だよな」とか同意を促すと、 「私は未だ行ってません」と厳然と宣言する。
 こりゃ まずいな、近々連れて行かずばなるまいよと思って いるところに、アビリテイーズの企画案内が送られて きたというわけだ。丁度良いタイミングだった。紅葉に は一月程早かった模様だが、気にしない。その為に 紅葉饅頭という、全国版の土産品が存在している ではないか。
 さて、肝心の宮島の厳島神社行きなのだが、予定 ではしゃもじ作り体験とある。これは以前来たときに見 る聞く無し、まして買うなど絶対に無しと固く心に誓った 土産物だ。
 今更誓いを破れるものか、とは思えども身は ツアーの一員、しかも、わがかみさんは満更興味が無い とは見えない様子、世に、三度目の正直ということわざが あるが、三度目の運の尽きってのも有るんじゃないのか。
 フェリーで10分足らずの距離ではあるまいか。下りたら 神社と反対の方向にガイドが歩き出した。おいおい、何処 に連れてくつもりなんだと不審に思ったが、或る程度は予測 していた。やっぱりしゃもじ屋さんだった。白木の杓子を一本 ずつ渡され、今からこれに焼き印を押す方法を伝授すると 仰せだ。
 こちとら、かみさんに杓子を渡した。なんで宮島で 飯をよそう杓子なのか、訳も由来も分からんものに付き合う 気はさらさら無い。それより早く厳島神社に案内して欲しい ものだ。かみさんは二本ともに焼き印を押して得意げな様子。 何だか時間稼ぎの意味も有ったんじゃないかと邪推したくなる ほど杓子屋にいたな。
 やっと厳島神社に向かう。日本三景の 内、人工建築物はこれだけだ。それだけに一番壮麗だし、印象 に残る風景だ。松島も天橋立もそれなりの良さを持ってはいるが、 こちとら、此処が一番好きだね。だが汐が引きっぱなしで、一向に 満ちて来なかったのはどうしてだ。
 此処は矢張り、青い海に丹塗り の壮大な社が、浮かぶがごとく漂うがごとくに張りだしているのが値 打ちなのだが、例の大鳥居の根本で餓鬼共が十人ほど遊んでい るとはどうしたことだ。汚い海藻がこびりついた岩に取り巻かれた 厳島神社など、あまり見たくないね。かみさんも、海の中の社を 見たかったと仰せだ。ごもっとも。
 昼飯は穴子料理と書いてあったが、 なに、穴子丼だ。穴子を蒲焼き風にして要するに鰻丼風に仕立て ただけ。これをやったら鰻に負けるのは見え見えなのによくやるよ。 でもまあかみさんにこの社を拝んで貰っただけでも良かった。
 社を 出たところでガイドが変わった。おやと思ったら、どうやらおみやげ屋の 娘さんか従業員らしくその店に案内された。かみさんはそこで、しこたま 土産物を買い込んだ。といっても大したものは無いけどね。ホテルでは お別れ晩餐会だと、一応のフルコースが出たが、それはそれなりに美味 ではあった、と言う程度。そろそろ疲れてきたなあ。


十一月六日   広島旅行 4 尾道 


 本日は尾道まで出掛けて、しまなみ海道を 見物する予定だ。序でに尾道ラーメンを昼飯 に食べる。何時からラーメンが尾道の名物に なったのかね。
 宿舎のANA クラウンプラザホテル を9:00に出発。まあ10分や15分の遅れは、 我々のハンデでは仕方がない。尾道までは1時間 三十分の予定だが、トイレ休憩もあるから、丁度 昼飯時に予定地到着となるはず。30分程の遅れ だったか、ラーメン店に到着。
 なるほどあちこちにラ ーメンの看板が立っている。ラーメン、餃子4コ、 御飯というのがラーメン定食なるものだ。これは少々 炭水化物過剰じゃあるまいか、とても食べ切れまい と思っていたのだが、気が付いたら綺麗に平らげて いた。
 だが、このスープの塩味、こちとらには濃すぎる。 東京ではこの味じゃ通用するまいと思えたが、味は それこそ趣味の問題だから、拘るつもりはない。だが なんと並んで待っているお客がいるのには驚いた。多分 漁師さん相手の味付けなら、塩味が強くなるのも無理 はないだろう。
 問題はしまなみ海道の見物だ。今から三、四十年前にな るだろうか、一度この地に来たことがある。 その時にはしまなみ海道などまだ出来ていなかった。建設 途中だったのか別ルートだったのか生口島までは、その時 にも行っている。何が有るかって?よくぞ聞いて下さった。 かの有名な耕三寺が有るのだ。知らない?そうか君は 運のいい人だなあ。でも参考のために、知らざあ言って 聞かせやしょう。
 法隆寺は御存知ですよね。中尊寺も 金色堂で有名ですな。東照宮は当然お参り済み、石 山寺は御存知かな。琵琶湖畔大津市にある古寺ですが、 紫式部が源氏物語を執筆したという伝説で知られた寺 だが、実は此処の多宝塔の姿が良いのだ。
 うん?あっちこっちの寺や神社の名前が、出鱈目に出てくる なんてどうなってんの、と疑問を抱かれた貴方、貴方の 感覚は正常で鋭い。これらの雑多な、しかし有名な寺や 神社の建築の一部が、所狭しとこの耕三寺の境内に立ち 並んでいる。悪趣味という言葉は、此処のために作 られた言葉ではないだろうか。二度と来るまいとその時心に 誓ったのだが。
 それがああ、なんと二度目の対面、本当はもう 一つ向こうの大三島に行きたかった。以前来たときは、そこまで 道が通じていなかったのだ。そこにはおおやまつみ神社 が有り、源義経奉納の大鎧が祀られているはずだ。いくら 原寸大だと言われても、瀬戸内海で陽明門に見とれるほど暇じゃ ありませんと、憎まれ口のひとつも叩きたくなる。
 一つ一つ、その場に 直接出掛けて拝むなり、鑑賞するなりするのが本来の姿だと思うが、 その手間みんな省いてあげましょうとの親切心のつもりかな。余計な お節介だ。実地を知っている者にとっては、何だか馬鹿にされたようで あまり愉快でない。降参降参の降参寺だ。いや参った参った。
 前に来たときには、土産に真鯛の塩竃焼きとかいうのを一匹買った覚え が有るのだが、今回は太刀魚、蛸、穴子等やはり海産物が主流をなして いるのはさすがだ。だが、鯨羊羹トハ何だ。まさか鯨の切り身をどうとかして 嫌々、そんなこと有ろう筈がない。じゃ何なのだ。店の娘さんに聞いたら、 後は教えない。知りたかったら買って御覧。多分ネットでも買えるはず。
 この日の晩餐が牡蛎舟(かなわ)。これ有ればこそ、ラーメンも耕三寺も 忍の一字。牡蛎を2,3種のチーズと混ぜて練り上げた摘みは珍味だ。 牡蛎の塩辛も有ったが、趣味じゃないな。牡蛎の雑炊が何とも旨かった。 さすがに本場だけのことはある。終わり良ければ全て良し。満足、満足。


十一月三日   広島旅行 3 平和公園 


 広島風お好み焼きで第1日目が終わりなわけがないだろう。
 広島と言えば、何よりぴんと来るのが原子爆弾の被爆地第 1番ということだ。お好み焼きの次は当然平和公園だ。何故 お好み焼きが、聖地平和公園より先かってか。そりゃ時間の こともあるし、取り敢えず何か腹に入れなければ、仕事が前へ 進まないのが人生ってものなのだ。
 聖地とは聞き慣れない? こちとらもこの呼び方を聞くのは初めてだ。もっとも、ガイド付き で此処を回るのも初めてだから、かなり前からの呼び方だった のかもしれない。原爆ドームの隣に屋根型の反りを持たせた 記念碑、その前に「安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しま せんから」との有名な文句が刻まれた石碑が有るあそこだ。 敷地内に原爆資料館が有る。それらを全部含んだ緑地が 平和公園だ。非常に広い。
 此処はもともと広島市の一番 の繁華街であり、盛り場だったそうだ。原爆の直接被害者 が25万人とも35万人とも言われるが、そんな多人数の 人間が一瞬の間に落命する爆弾など、当時は想像する 日本人は少なかっただろう。知っていたのは極少数の物理 系科学者だけだったらしい。未だに少し掘り下げると、当時 の被爆者の遺骨が出てくる事が有るそうだ。
 何しろ3千度 の高温が500メートルの上空から、半径か直径か、5キロ に襲いかかったとのだから、被害実数など未だに誰にも分か りはしないのだ。「水を下さい、水を、水を」と呟きながら、 焼けただれた皮膚を垂らしたまま息絶えた無数の人達の 鎮魂のために、清冽な水を不断に湛えた池が作られた。 不滅の火も炎を絶やさず燃え続けている。そう、平和公園 は巨大な墓地なのだ。その意味で、聖地と呼ばれているの だろう。資料館も結構広大で、ゆっくり見ていると、すぐに 時間が過ぎてしまう。
 今日の予定は此処で終了、後は ホテルでの夕食が待っているだけだ。考えてみれば、此処で 亡くなった方々は、お好み焼きさえ知らなかったわけだ。水 さえ飲めなかったのだからなあ。此処をもとのように、繁華街 を作ろうという意見もかなり強く有ったそうだ。だが、断固として 聖地平和公園にしたのが誰だったか、ガイドさんが言わなか ったか、こちとらが聞き漏らしたか、兎に角平和公園建設は 広島市のみならず、日本国にとって正解だった。
 原爆を保持 して外国と太刀打ちしようなどと、馬鹿なことを考える奴が 居なくなる効果くらいは期待できそうだから。 瞑目、合掌。


十一月一日   広島旅行 2 広島式お好み焼き 


 空港に着いたら、すでに昼飯時だ。バスに乗り込む にも、結構時間が掛かるのが、我々身障者の宿命 である。何しろ1台づつエレベーターで上げ下げする わけだから、1台当たり2,3分は必要だ。今度は5 台だったかな。うち2台はバスのステップを利用可能 で、車椅子だけバスの胴の格納庫に入れて貰えば いい。
 そこから駅前広場に行くという。ビルの6階に有ると 言うのだが、何処かいまいち納得できない話だ。 着いてみると(駅前広場)というのは単なる名前 で、広場どころかゴチャゴチャした狭い空間に、なんと 15件のお好み焼きやが、ぎっしりと詰まっている。 我等16人の一行が一つの店舗に入りきらない。 背中合わせに2軒の店舗に分かれて席に着く。
 このお好み焼きなるもの、敗戦直後のメリケン粉 の水溶きにいい加減な味を付けて、パンと称して 食わされた記憶が有り、薩摩芋の次に嫌な食い物 だった。その連想から、今日までお好み焼きなるもの を、積極的に食べる事は無かった。今回認識を改め ることになったのは、この旅行のお陰だろう。
 直経10センチ程もない薄く溶いたメリケン粉を、鉄板 の上で焼くところから仕事が始まる。細く刻まれたキャベツ が、この上にこんもりどころではなく、盛り上げられる極限 迄盛り上げる。まだまだ仕事は序の口だ。このキャベツが しんなりしてくると、待ってましたとばかりに、じゃこやら何やら かにやら7種程の具材が盛り込まれ、ソースが掛けられる。 その上に豚の3枚肉が2切れ載せられ、それを返して火を 通してようやく出来上がり。結構手間がかかり、その分味も 良く、今まで敬遠していたのが勿体ない事と反省しきり。
 お好み焼きも大坂式とか東京式も有るそうで、今度試して みるか。名物にもうまいものが有る。


十月二十九日    広島旅行 1   朝 


 近頃はNPO法人日本アビリテイーズ主催の、身体障害者 を対象にした旅行に参加することにしている。私の足の状態 と年齢では、とても普通のツアーにはついて行けない。多少 割高でも、障害者の扱いに慣れているスタッフの多い、この 協会の旅行企画が安心だ。
 今度の企画は、始めは4月に行われるはずのものだった。 しかし3.11の東北大災害の余波で、10月23日〜26日 の3泊4日に変更になった。多分花見から紅葉狩りにという のが主たる変更理由だろうが、車椅子利用者の旅行設定と いうものも、大変だろうと想像する。
 列車利用の場合も、航空 機利用の場合も、座席の取り方に制限が有るだろう。トイレの 場合など考えれば、奥の席は無理なのだ。その上、車椅子用 のリフト付きバスが必要だ。そんな特殊な手配に時間が掛かる だろう事も、充分に予想できる。
 4月実行の予定の時は、こんな早くに羽田に行けるかなと、 ちょっと心配だったのだが、10月に変更になったら、1時間程 集合時間が遅くなり、これならなんとかなるだろうと心積もりを した。8:30に羽田集合なら午前7時30分くらいの、吉祥寺 発バスに間に合えば何とかなるはずだ。しかしなあ。道路の混 み具合までは分からない。混めば90分は掛かるだろう。妻と 相談して、少し早めに出掛けることにした。
 ところが、妻も私も 近頃目覚めが早くなっている。年齢の為せるワザか。朝5時 に二人とも目を覚まし、このところ朝食にしているバナナと豆乳 を摂ったが、そんなもの20分も掛かりはしない。二人とも、旅 の服装のまま所在なくTVなど眺めている。
 6時過ぎたらタクシー を呼ぼうと話していた。それで吉祥寺まで行けば空港行きの リムジンバスが出ている。呼んだタクシーの来るのの早いこと、 走るのも速い、15、6分で吉祥寺に着いてしまった。バスを 待つこと殆ど無く、羽田空港行きが来た。このバスがまたすた こら走ること走ること、渋滞なんぞという言葉は知りませんとでも 言いたげに7時前には羽田のロビーに着いてしまった。
 集合時間 は8時30分!誰も来ているはずがない。慌てる乞食は貰いが 少ないと言うけれど、何かを貰うつもりもなければ、乞食を働く 元気もない。何だか怪しい天気だが、何とか保ちそうだという 天気予報。
 8時を少し回った頃から、お仲間がすこしづつ集まり 始めた。やれやれ。広島行きの離陸予定は10時、それが都合 で10:15になり本当に離陸を始めたのが10:20。飛行時間 はせいぜい1時間半くらいだから、どうってことはないのだが、朝の 早いのは、いろいろもんだいの余波が有るねえ。やれやれ、やっと 出発まで辿り着いた。今回は此処まで。


十月二十六日    春の七草 


 先日秋の七草についてちょいとお喋りをした、序でに 春の七草についても触れておこう。春になってからなど と悠長にかまえていられる年ではないからな。春の七草は 

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、春の七草

と、これも短歌仕立てになっているから覚えやすい。
 だが、これは何だ、と首を傾げるのは、春の方が多いのではあるまいか。 セリは分かるが、ナズナとは一体どんな菜なのか。スズナは蕪、 スズシロは大根と分かっているが、分かるのはこの三種だけ、残り 四種は分からない。
 秋の方は四種か五種は分かる。春の方は 食べられる野草ばかりだそうだから、余計気に掛かる。ヨメナ なんかは入れても良いと思うんだが、なぜか入っていないね。
 何故だ、どうしてだ。これも新春の七草を考える必要がありそうだな。


十月十九日    小鳥 


 この頃小鳥を見かけることが少なくなったような気がする。雀 と鳩くらいしか見かけなくなった。烏はいるが、あれは小鳥では あるまい。
 小鳥といえば、長女の嫁ぎ先の信州のさるところで、毎年御 馳走になる焼き鳥を思い出す。雀はもちろんその他私の知ら ない小鳥を、霞網で捕らえるとのことだ。霞網自体が禁止に なったように記憶するが、記憶違いか。雀など稲を食い荒らす 害鳥だから、取り放題捕って食べて構わないものと思っていた。
 あに計らんや、雀も何処かの役所に届けてからでなくては、捕 らえてはいけないのだそうだ。だが焼鳥屋と名告る店が都内だ けでも百を超えるのじゃないか。確かに小鳥の肉らしきものが 五つ、六つ串に刺して焼いてある。大方は雀の肉だ。
 現役の頃は浅草の国際通りと言問通りの交差点の角に、か なり大きな焼鳥屋が有った。何回か食いに行ったが、雀以外の 小鳥の名前は教えてくれなかった。北千住にもかなりな焼鳥屋 が有ったが、其処でも雀以外の鳥の名を知ることはできなかった。
 雀の味はよく知っていた。何しろE君と共に煉瓦の罠で捕まえて、 しめて羽をむしるところまでは自分達の手で行ってから、E君の母 君に焼いて頂いたのだから、忘れようがない。
 木曾の焼き鳥にも、 小雀(こがら)とか四十雀とか、その他、名も知らぬ小鳥たちが 串に刺されていたのだろう。さすがに、鶏や豚の肉は使っていな かった。
 そうだ。現役を退く頃だったか、焼き鳥の横に焼き豚と 書く店が出てきた。焼鳥屋が豚を焼いてどうするんだよ、などと 嘲笑していたのだが、それはそれで商売になったらしい。
 でも、私が長女の嫁ぎ先を訪れる時は、密かに例の焼鳥を楽 しみにしているのだ。どうやらそれがばれて、近頃は娘の夫君が、 勤め先で焼鳥を同僚から買ってきてくださる。有り難いことだ。


十月十一日    金木犀 


 朝の散歩道を、いつもとは逆の道筋を辿って みた。すると通い慣れた道では、まず知ることの 出来ないことが幾つか有ることに気が付いた。
 我が家は下連雀の若葉通りに面したマンション なのだが、玄関を出て南に向かうのがいつもの道 筋だ。50メートル程歩くと、若葉橋なる小さな橋 を渡ることになる。下を流れるのは仙川上水だ。 渡ってすぐに西に向かうのがいつものコース。
 今回は曲がらずにまっすぐ南に向かった。歩道も 東側のものを選んだ。と、何か看板が立っている。 この一画は都営住宅といっても、7,8階だての高層 アパート形式である。橋を渡った直後から道幅が 広くなる。全部で八棟の都営エリアだ。
 で、今看板 を見ているこみちは、コミュニテイー道路と記されて いる。若葉通りじゃありませんよ、と主張しているつもり らしい。私の散歩道は都営アパートの中を一巡りする コースだった。こちら側の歩道を通らなければ、コミュニ テイー通りには気が付かなかったろう。
 そしてこの歩道 の並木に、八本の金木犀が香りを放っていた。嬉し かった。この木の花は割と地味で、遠くからだと黄色 の塵のようだが、近づくと爽やかな香りが身体を包み、 存在を教えられる。
 ところでこの木は何故秋の七草に入っていないのだろう。 秋の七草は、ハギ・キキョウ・クズ・オミナエシ・フジバカマ オバナ・ナデシコ秋の七草、これで短歌になっているから 覚えやすい。山上憶良の歌にも秋の七草を詠んだもの が有るが、あの中にはあさがおがはいっている。たいてい の辞書の朝顔の項に、あれは桔梗の古語だと解説され ている。だが、現代俳句の歳時記には朝顔が秋の部に 収録されているはずだ。ややこしいことだ。
 先程の金木犀といい、菊の花、朝顔といい、七草に 入らないが印象の強いものがかなりある。新秋の七草 など作ってみたらどんなものカね。


十月七日    季節の段々 


 夏から秋に変わるときの、今年の気温の変化 の激しさには驚かされた。確か十度かそれ以上 の下がり方ではなかったか。そう言えば去年も そんなような季節の変化の仕方だったような気が するが、記憶違いか。そんなに急に秋になられても、 こちらにはそんな用意は無い。心にも、服装にも。
 そして今度は冬だ。未だ十月の初旬だというのに、 もう初雪が降った所が十カ所以上にのぼるという ことだ。つい二、三日前まで半ズボンをはいていたの に、長ズボンどころか、ズボン下まで着用しなければ 寒い程の気温だ。一体、日本の季節の変化はどう なったのかね。こんなに急な階段を上り下りするような 変化をするものだったかな。
 いや、そんなことはなかったぞ。 もっと緩やかに、徐徐に変わっていったぞ。ついこの間 までは。夏場は夏場で亜熱帯地方になったかと思わ せるような高気温を味わわせて、今度は秋季省略の 冬場かよ。
 こんな変化が日本一国だけに起こっている とは思えないが、他の国ではどうなっているのかね。 地球規模で何かおかしな事が起こっているのでは ないだろうな。どこか不自然で不気味な感じがする のはこちとらの思い過ごしだけかな。それならそれで 良いのだがね。


十月四日    クラマトジュース 


 カナダについてもう少し。
 カナダで、無条件に感心した物が二つある。 一つはクラマトカクテル、もう一つは高速道路上 の橋だ。このカクテルはクラムとトマトの ジュースでウオッカを割ったカクテルだ。これが実に 旨い。鮮やかな紅色が先ず目を惹く。口が広く 底すぼまり、背の高いグラスに入ったこのカクテル にはストローが付いてくる。
 クラムとは蛤のことだそうだ。 貝の蛤のエキスが、カクテルに使われるとは意外も 意外、飲んでみるとじっくり貝の出汁の味がする。 海老蟹一番、貝二番、三四が無くて五が鰹節 と出汁の順番を決めていたこちとらには、実に有り難い カクテルで、もちろんお代わりをした。
 橋について述べよう。バンクーバーから何処に行くに 付いても、広い国立自然公園を通る。高速道路が、 延々と続く森林の中を走る。道の両側は金網で仕切られ 動物が道に出て来ないようにしてある。
 この高速道路の 所々に橋が架けられている。コンクリートの立派な物だが、 ガイドの言葉で橋の縁をよく見ると、雑草が風にそよい でいる。つまりはこの橋は人間が渡るためのものではなく、 道で仕切られた動物たちが渡るための橋なのであった。
 そこまで考えるか、橋まで造るかと感心した。国立公園 では、手を出さない、餌を与えない、何一つ持ち出さない、 の3ない原則を厳しく守らねばならない。日本にも国立 自然公園が有ったと思うが、此処までの配慮はされて いなかったと記憶する。
 派手な宣伝をしていないから、 カナダについて知るところ少なかったが、こうして思い出すと 結構な観光地ですよカナダは。一度おいでになることを、 心からお勧めします。のんびりゆったりがお好きな方には とりわけ気に入るところだと思いますよ。


九月二十八日    カナダ往復9日間の旅 5


 ソルト・レークの飯粒、カルガリーの巨大サンドについて 書いたのだが、こんあことで驚いていてはカナダじゃ生きて いけないぞ。やっとのことでバンクーバーに着いた。その日 の夕食がステーキだったことも既に述べた。
 翌る日、 スタンレーパークに出かけた。パークというから公園なんだ ろうが、何をして、何を見たか覚えていない。覚えているのは レストランで出たラザニアだ。よく体操をするときに、手を肩幅 に開いてと先生が仰せだ。さあ、出してみたまえ。それが皿の横 のサイズ、奥行きがその三分の二程。この巨皿にパイの皮に似た 良い匂いのするものがふうわりと盛ってある。その手前に棒切りの フライドポテトが、てんこ盛りに積んである。
 先ずはその良い匂い のするパイ皮作りのものからとスプーンを入れてみたら、これが何と ラザニアなのだ。味はそこそこ無難に出来ているのだが、こんな大量 のラザニアをどうすればいいのか。手前には、向かいの人の顔も見え ないほど積み上げられたフライドポテトの山。それでも頑張って 三分の二くらいラザニアを食べたが、とてもポテトにまで辿りつけない。 ポテトどころかコーヒーも飲めない程の満腹状態だ。
 昨日のサンドと言い、この日のラザニアと言い、半端じゃなく日本人 には量が過大だ。俺達は牛や馬ではありませんと、断固として抗議 すべきだと思っていたら、カナダ政府当局もその点には気が付いていて、 食事の量について国民に何か注意をするとかいうことだった。
 妻は頭が 良いのか、元来吾が食欲に懐疑的であったのか、スープしか注文しな かった。そのスープなるものもコンソメごときさらりとしたものではなく、トロリ とした感じの、シチューか粥のようなもので、ああ俺もあれにすれば良かった と反省してももう遅い。こりゃ確実に5キロぐらい体重が増加するぞと思い ながら昼飯を終えた。晩飯のメインは確かまたビーフだったような気がするが 覚えていない。カナダの人達は確かに背丈が高いが、その背丈よりも 突き出た腹が見事だ。
 この食事の後、土産物屋で孫娘注文の赤毛の アンの人形を購入できて一安心した。数年前には何千何万と売れた 人気商品だったらしいが、このところ売れ行きがパッタリ止まり、おいてある 店が殆ど無くなったという情報が入っていたので、心配していたのだ。この 店、OKという店名を掲げていて、何処かで見たような気がすると思ったのだが、 思い出した。オーストラリアのシドニーかそのあたりで何か買った。その時 大橋巨泉の店だと教えられたのだ。彼、バンクーバーにまで手を延ばして いたか。そうだよな。TVタレントなんていつ局にポイされるか分からないものなあ。
 この旅行の直前に、しんすけがTV番組の司会を下りると一騒ぎ有ったが、 何か別の商売をしていて、別に困ることなんか無いのだとか、まあそんなもの なんだろう。こちとらには殆ど関心のないことだからその後のことなぞ何も知らない。 だがヤクザと関係を持つことだけは止めといた方が無難かも知れないな。


九月二十四日    カナダ往復9日間の旅 4


 旅について何事か書くとき、食い物に触れないで 済むはずがないと、思っている向きも多いだろう。 そうとも、書きたい気持ちを宥め宥めして、やっと 此処まで筆を進めてきた。ここいらで一筆触れなくては まずもって自分自身の身が持たない。食い物から旅先 地名を思い出すことの方が多い人間なのだ。
 例えば 初めて河豚を食ったのは、大分県は別府だ。同人O氏 の母上が其処にお住まいで、その血縁者が料理屋を 営んでいるからと、わざわざ紹介された。真夏である。 河豚は冬に食うものとばかり思っていた常識を、簡単に 引っ繰り返された。ついでに言えば、夏場は河豚より 城下鰈が旨く、とても河豚の値段では食えないそうだ。
 閑話休題、先ずカルガリー空港で食ったサンドウィッチ について、是非記録しておきたい。バンフからバンクーバー へ行くには、カルガリー空港から空路によらなければならない。 カナダは広いのだよ。で、そのカルガリー空港のカフェテリア でビーフサンドを注文した。晩餐に備えて、ランチは軽い ものにしようという心積もりだった。
 だが、出てきたサンドウィッチ の巨大なこと。大きめのコッペパン40センチは有ろうかという 代物をサンド切りにして、薄切り牛肉の煮物を、200グラムほど 挟んで、真ん中からえいやっと二つに切ったものが、でんでん と皿に載っている。その他に野菜やらフルーツやらが有ったが、 この巨大サンドの始末に気を奪われて、他の物など目に入らない。
 1個だけでも食べきれるかどうか、自信が無いのに、2個もどっしり 控えているのだ。エッ、とか、おっ、とか、うむ、とか、うへっとか、 何か絶望的!感嘆符付きのうめき声の如きものを発したと思うの だが、覚えていない。
 ああ、そしてこの化け物サンドを、この私が 2個とも胃袋に収めるという、信じがたい事態に発展したのは何故か。 世の中何が起こるか分からないものだ。カルガリーという空港の名前を 見聞きしたら、あのサンドウィッチが瞬時に瞼に浮かぶだろう。
 その日の晩餐のメインはステーキだった。これも食ってしまったのだから、 一体私の胃袋はどういうことになっているのか。本当に空恐ろしいことだ。 横綱クラスの紳士淑女が、その辺をうようよと歩いておいでだ。この食事 事情のなせる結果であること間違いなし。多分、カナダじゃ相撲など流行るまい。


九月二十一日    カナダ往復9日間の旅 3


 ソルト・レークの空港レストラン、その犯罪的な 料理については前回に書いた。何度書いても あのまずさは許せる物ではない。
 だがこの日の 旅程はまだ終わっていないのだ。嫌で嫌いな ソルト・レークで3時間半もぶらつかなければ、 次のカルガリー行きの飛行機に乗り継げない。 だがカルガリーは未だ目的地ではない。其処から バスで2時間揺られて漸くバンフのリムロック・ リゾートホテルに到着と相成るわけだ。
 ここまで の実働時間は何時間になるのか、勘定するのも 面倒臭く、阿呆臭いから取りやめたのだが、なんと 着いてみれば出発した9月5日の未だ明るい夕刻なのだ。 日付変更線の為せる悪戯である。半日ほど 我慢すればこの昼夜のギャップに慣れることは、 何度かの外国旅行で分かってはいるのだが、 やっぱりあまり良い気分の物ではない。
 第一 食事のリズムがどうしても狂ってしまう。思い 切って一食抜いてしまうのも、一つの技術なのだが、 妻と一緒だと、なかなかそんな奥の手を、簡単に使う わけには行かない。乗り物疲れも相当なものだから、 この日は早寝に限ると、これは意見一致して目出た かった。
 バンフという都市は、カナデイアン・ロッキーの 山麓に位置する所だった。カナダに行くと言ったら、ロッキー には行くのかと誰かに聞かれた。さあ、どうなのかなと 答えたのだが、こちとらの無知蒙昧に呆れたことだろう。 バンフはロッキー見学基地としての都市なのであった。


九月十八日    カナダ往復9日間の旅 2


 前稿で米国DL社の航空便を利用する不合理 を述べた。カナダに定期便を開設するのはもうから ない、ということなのだろう。商売として成り立たない なら、無理は言えない。
 だがバンフに行くのにソルト・ レークシテイーで乗り継ぐのは何としても、客としては不合 理だ。2、3時間の時間が浪費される。おまけにこの 空港で昼食をとることになっている。成田を16:15 に出発したのだ。今度採るのは晩飯だろうがよ。 これが日付変更線のなせる技だ。
 この昼飯なる物を ソルト・レークのさる店で食った。野菜たっぷりで添え物 にスパも付いている。で、それを頼んだのだが、野菜の 人参に火が通っていない。ガリガリと兎か山羊のような 囓り音を派手に立てて食わねばならぬ。他にも何種類 かの野菜が有ったが覚えていない。全部に火を通した 形跡が無い。これじゃ料理人は不要だろうよ。
 だから アメリカって国に行きたくないのだ。旅先が思いやられる ソルトレークの昼飯であった。今まで行きたいとか行こう とか思わなかった自分の予感が正しかったことを再確認 した。バンフでの昼飯にもこの手の野菜が出てガックリし たのだが、ここでの飯粒のひどさについて忠告しておきたい。
 米?飯粒?そんなものはここには存在しない。 形だけは飯粒に似ているが、これは絶対に米でも飯粒 でもない、家畜の餌に似た何物かが、皿の一画に 載っている。やれ嬉しやとスプーンに載せ、口に入れた ときの味覚を、どう表現すればi良いのか、もうこの世に 生きていていても、良いことは何もないと引導を渡された、 そんな感じの味覚だった。
 アメリカさんよ、人生は武器や 戦争だけが楽しみじゃないんだよ。食べ物の味なんてもの こそ人生の基本でしょう。しっかり人生を勉強しなおして 欲しいもんだ。
 ソルト・レーク、しっかり料理の基本から 人生ってものを考え直して欲しいな。ま、空港の出店だ からってこともあるから、うるさくは言うまい。だがアメリカ じゃ旨いものは食えないという吾が先入観が、しっかり 裏打ちされたぞ。


九月十五日    カナダ往復9日間の旅 1


 「NPO日本アビリティーズ協会主催の満喫!カナダ9日間の旅」に参加した。
 はて、カナダというと何を連想する?あの世界NO1 の 大滝?。残念、今回はあそこには行かなかった。行ったのは、 バンフとバンクーバーだ。バンフに3泊、バンクーバーに4泊。それ じゃ7泊ではないかってか。その通り。太平洋は今も昔も広いの だよ。行きに機内1泊、帰りも同様、合わせて9泊だ。後に言おう と思っているが、この時間はもっと短縮可能だ。
 バンフで見学して良かったのは、氷河というものを初めて見て、 その上に自分の足で立ったことだ。主催者の案内書には大氷原 とある。氷原と氷河とは全く違う物ですよ。日本語正確に使いましょう。
 正確に大氷河雪上車観光と書いてあったら、少なくとももう2,3人の 客がふえたのではあるまいか。何しろ日本には氷河など無い。有るのは 雪渓だけ。氷河の上に立つのが良いかどうかは、個人の趣味の問題に なるだろう。氷の上に、溶けかかった雪と水たまりが有るだけだから、その シーンなら冬場の日本なら大抵の所で経験可能だ。
 足下の氷が300 の厚さだと言われても、それは想像力の問題で、3メートル程の厚さの 氷なら人を支えるには十分だ。氷河なるものが山間をゆっくり滑り落ち てくる様子と、その断面の厚さを遠望するところに、氷河見物の価値が 有ると私は思うよ。それと氷河が押し出す堆積物、言えばゴミの山の 連続体、ボウ川という川が有り、ボウ滝という滝も有るのだが、落差10M じゃ滝の内には入らないよ。でも途中見るものが他に無いなら仕方が無いか。
 この日の日程はかなりきつかった。アビリテイーズ協会がそもそも身障者を 対象にした団体なのだから、その辺は少し考慮しても良かったのではある まいか。
 バンクーバーでは対岸のコロンビア島にあるブッッチャード・ガーデン散策が 良かった。良かったと言っても、こちとら車椅子に乗って、押して貰って眺める わけで、押す方は眺める余裕なんか無かっただろう。
 色々な花が広い庭園 に溢れるように咲き乱れていた。薔薇くらいは分かるだろうというのは素人考 えで、薔薇だけで何十種類も咲いているのだから、とても全部の名前までは 面倒見切れません。名前を知らない花が殆どで、説明書を入口で貰ったが、 当然ながら文面は英語、そんな物がすらすら読めるくらいなら、とっくの昔に カナダ辺りに移住していたさ。花の生えているところには、花の名前も説明も 一切無し。これも一つの見識というものだろう。この日はこの花園鑑賞で1日 を過ごした。
 このコロンビアという島にはフェリーを使うのだが、その埠頭に行くま での時間が、フェリーに乗っている時間よりかかるというわけで、これもかなり きつい日程だったが、花の美しさに免じてそれは良いことにしよう。
 これからは、きつい文句が目白押しだぞ。今回はその一つだけを述べておこう。 カナダに行くのに、何故往復アメリカの空港を経由しなければならないのか。 行きはソルトレーク、帰りはシアトル。往復デルタ航空。直行便は無いのかね。 日本人の客も多いらしく、日本語の達者なボーイやメードが多かった。日航や 全日空よ、頑張ってカナダ直行便を運航したらどうかね。意外と儲かるかもよ。


九月十三日    新お茶の水駅の階段 


 地下鉄新お茶の水駅からJRお茶の水まで出るには、ホームから 長々しいエスカレーターを確か二、三本乗り継ぐのではなかったか。 兎に角、あのエスカレーターは日本で一、二を争う長いものに違い 有るまい。
 所が、なのだ。なんと便利な地下鉄駅だろうと感心 するのは未だ早い。駅の外に出るには何と最後の十段ほどの階段 を上らなければ ならない。えーっ、今までのあのエスカレーターの長 さ楽しさはどうなったの?この駅を設計した人の神経はどうなってい るの、どれだけ意地悪にできているのだろう、親の顔が見てみたい とはこういうときに使う啖呵だろうなあ。
 おまけにバリアフリーの立場 からいっても、あの階段は無くすべきだ。多分もうなおっているのだ ろうとは思うのだが、本来はエレベーターを通すところだろう。今から でも遅くはないよ。営団か都営か知らないが、社長さん方よく考え ておくれよ。栄えある首都東京の地下鉄の恥曝しだからね。


九月九日    蝉の鳴き声 


 一月か一月半前に、ヒグラシの声を聞いたと書いたのだが、このところ アブラゼミのミーンミーンという耳障りな鳴き声ばかりが聞こえ、ヒグラシ やツクツク法師の染みいるような鳴き声は、一向に聞こえない。 台風12号が通過するまでは、まだ晩夏なんだろうな。
 蝉取りも幼年時には よく友達と立教大学の並木道に出かけたが、なかなか捕まえるのが難 しかった。長い竹竿の先につけた網が、重くかんじられるまで追い回す のだが、先様だって一週間かそこらの命だ。はな垂れ小僧の相手を しているひまなんぞ無かったろう。
 そこにいくと、トンボ捕りは比較的楽 だったような気がする。2,3匹虫かごに入れて家に持ち帰った記憶が ある。しばらくすると、父が「いい加減ではなしてやりなさい」と声を掛け てくる。確かにそのくらい時が経つと、トンボのことなど忘れて、他の事 に熱中している。そこで逃がしてやるのだが、父はよく覚えていたものだ


九月五日    夏休み終わる 


 ついに夏休みが終わった。宿題が出ようが、何であろうが、 高校までは、夏休みが待ち遠しく、楽しかった。生徒や 学生にとってばかりでなく、教員にとっても夏休みは心待ち にしていた。熱心な、とか、良い先生は、クラブや部活の 顧問を引き受けて、その合宿やら指導に休みだというのに、 出勤してくる。建前上、教員には夏休みは無い。だからその 先生達の行動の方が、合法的なのである。
 だが、こちとらの ような不良教員にとっては、6月にボーナスが出ているし、 旅行をする絶好のチャンスなのだ。特に国語の教員(他教科 でも)にとって、教科書の読み書きばかりでは、授業が三日と もたず、居眠り、欠伸、おしゃべりのの連発となる。無駄話の 材料が絶対に必要なのである。
 例えば太宰の「津軽」が教材 に出ていたとする。とすれば、教材に文章化された部分は勿論 のこと、津軽と呼ばれる地方の有名な場所や、行事は心得て いて、適当な所で話題にする。その無駄話が実は無駄にはな らないことも多々有ったらしい。
 夏休みは生徒や学生にとってば かりでなく、教員にとっても必要なことなのだよ。外国旅行もでき れば必要だ。森鴎外の「舞姫」はベルリンが舞台だろう。行ってみ れば分かるだろうから、敢えては言わないが、鴎外程の語学の 達人でも、その訳語はどんなものでしょうか、という部分のある ことに気が付くだろう。クラブや部活の指導ばかりが教育では ないよ。地震の経験や知識の拡大も、必要ですよ。


八月三十一日    恵まれない国 


 本8/28は朝からカンカン照りだ。うんざりしている。 日本の天候がそっくり変化したのではあるまいかと、 本気で思う事がある。エアコンを使うわけだが、この 人工低温も納得出来ない感覚が有って、エアコン嫌い のお方の気持ちも分かるような気がする。
 とはいえ 熱中症にはなりたくないから、エアコンを使うわけだが、 やれ節電だ、何だかんだとうるさいことを宣伝する。 政府や電力会社の失敗責任を、お客様たる我々に 取らせる魂胆らしい。盗人猛々しいとはこういうことを 言うのだな。
 朝刊に汚染された土を除去したら、元の家に帰れる のだろう。早く除去して帰して欲しいと、住民の声が 載っていた。政府も電力会社も早く本当のことを 伝えたらどうかね。一時避難じゃありません。半永久 的移住なのですよ。20km以内に戻れる可能性は 有りませんとね。違うか。二年先とか三年先なんて見 え透いた嘘はすでにばれているよ。帰れる帰れると言 っている間は家屋、土地の補償金を払わなくて済む からな。
 こんな誤魔化しばっかりやっているから、おかし な奴しか政治家にならないのだよ。景色は綺麗だし、 食べ物は旨いし、人情は厚いし、良い国なんだけど、 何故か政治には恵まれないんだよ、あの国は。そろそろ そんな評判が広がりそうだな。


八月二十八日    東京ヘルス機能訓練センター 


 不自由な足の訓練のために、表題の施設に、毎週水曜日の 午前中に通っている。これが結構きつい訓練なのだ。特に足の 訓練は辛いな。中でもスクワッチとかいうやつは実に辛い。然し 辛いだけに効くだろうと我慢している。指圧マッサージの治療も してくれる。
 少しづつだが足先の指が上がるようになった。といっ ても、ほんの僅かだが効果が出てきたらしい。それに機械による 訓練が私の場合四種類ある。腰掛けた姿勢で足首にかけら れた7、5キロの重しをもちあげること30回、なかなかどうして30 回は楽じゃない。膝を開くのにこれも7、5キロの負荷をかけた機 械これも30回、次は腕でボートを漕ぐように機械を引きつける 運動、負荷は25キロだそうで、これ以上の重しは無いそうだから、 一番重い奴を惹いていることになる。
 高校、大学の体育の単位 を鉄棒の蹴上がりで獲得してきたこちとらには楽なもんだ。あとは ミニバイクと称する自動足こぎ機。 最後にゴムベルトやボール、長い棒、短い棒を使った、まあいわば 整理体操のようなものなのだが、今日は長短棒の代わりに、気功と 称する運動だった。これで随分筋肉がほどけた気分になり、適当 に腹も減って健康的だ。毎日だととても続かないだろうが、週1くらい なら気分転換にもなる。往復バスで送ってくれるし、言うこと無しだ。


八月二十二日    水洗トイレ 


 水洗トイレ程便利で重宝している、外国産の日常生活 道具は滅多にない。それまでは御存知の向きも多いはず だが、床板を四角か長楕円形に切り抜き、その下の地面 に穴を掘り、そこが排泄物の落とし所になる。床板にも穴に も、その家の財政状態や家格などにより、それなりの装飾 をするが原理は変わらない。
 このトイレをねたにした徳川 夢声の漫談を見聞した記憶がある。昭和21年か22年の、 日大三中の講堂だったと思う。その頃日本を占領に来た 欧米の軍人達が、たまたまこの日本式トイレに遭遇し、この 落とし穴的トイレが怖くて跨げないというわけだ。生理的 要求に急かされるものの、穴が怖くて跨げない様子を 「オオ、ダメ、ワタシコワクテマタゲナイ。アア、ウンコモリソ」 などと足を出したり引っ込めたりしてみせる。何ともおかしい、 腹を抱えて笑っちゃった名人芸だった。
 それが二、三十年ほど 経って自家を建てる時には、様式水洗トイレを注文した。跨いで 膝を究極的に曲げる排便姿勢が、いかに足腰に負担を掛けるか 実感したからである。
 さらにウオッシュレットとかいう排便後の 汚れも或る程度洗う装置も付加されて、かなり満足できる 道具になっていた。
 さて、話はここからなのだが、ヨーロッパ各地 に旅行できるようになって、二回目の時か、三回目の時か、 この洗浄装置がどの国のどのホテルにも装備されていないことに 気が付いた。何故なのか、この装置、痔主さんにも好評の ようなのだが、欧米には痔主さんはいないのだろうか。それとも すでに装備されたのを、私が知らないだけなのか。近々カナダに 出掛ける予定なので気に掛かる。


八月十八日    木曾にて(3) 


 木祖村の薮原宿に「おぎのや」という蕎麦屋が有る。ここの 蕎麦が絶品だ。
 親父が蕎麦をこね伸ばして、細く切っている ところを客に見せている。この店の構えが又黒光りがした、多分 江戸期か明治初期の建物で、天井が高く、奥に中庭などが見え、 曲がり廊下の奥にはさらに広い和室が続いている。この雰囲気 の中で味わうざる蕎麦が、実もって蕎麦とはこういうものだったと 教えてくれる味なのだ。
 木曾に行ったら、薮原宿の「おぎのや」の 蕎麦を食わない手はないよ。蕎麦ぜんざいなる甘味もある。 蕎麦の実を使ったぜんざいだが、一風変わった甘味だ。打ち上げ は梅のシャーベット。蕎麦屋でシャーベットが出るとは、吃驚もの だがこれが結構いけるのだ。古い物の良さを維持しながら、新しい ものを取り入れるための工夫を怠らないのが、信州人の凄いところ。 蕎麦でそれを実現しているのが「おぎのや」だ。
 上野は池之端の 蕎麦も、浅草の藪の蕎麦も食った。そこそこ旨いが高いんだよね。 藪なんて名前も薮原から来たんじゃないのかと思うくらい、「おぎのや」 の蕎麦はお勧めだ。なに、広告代をいくら貰ったかって?。 そんなもの貰っちゃいないよ。これからも旨い物、良い物を見つけたら お知らせすることにした手始めだ。


八月十六日    木曾にて(2) 


 信濃毎日紙に、長野電鉄の屋代ー須坂間が廃線に なり、代替バスの路線をどうするか等の議論が紹介 されていた。
 この廃線区間に松代が含まれている。私 が学童疎開で降り立ったところだ。長国寺という寺が本部 で、私の宿所は加賀井温泉の一洋館だったことは、拙著 「チグハグな春」に書いてある。
 我が人生の足跡が徐徐に 消えてゆくのを眺めているのは、何とも言えないな。自分の 影が薄くなって行くのを眺めたら、こんな気分になるのだろうか。


八月十四日    木曾にて(1) 


 木曾と言っても広うござんすよ。私が行ったのは木曽郡 木祖村小木曽というところ。やたら「きそ」なる単語が出て くるところだ。木曾も暑かったが、夕方から朝にかけての 涼しさは、東京とは比べものにならない。明け方などちと 寒いかなと感じるくらいの気温だ。
 8月8日の夕刻、木曽福島の中島祭りに案内された。 孫娘がバレーで出演するのを見物するのが目的 だ。孫娘は木曽福島までバレエを習いにいっていて、 そこの先生の推薦かどうか知らないが、そんな関係で 踊ったわけだ。孫娘もバレエが好きらしいから、それは いいのではないかと思う。
 孫娘の出番は二番目なの だが、最初はおばちゃん達の太極拳、これの長いこと 長いこと。何か長剣のようなものが用意されているのだが、 それがなかなか出てこない。三曲目あたりでようやく の出番になったが、それまでに、たっぷり15分は経って いたね。剣なんかもうどうでもいいやと、やけくそ半分に なったころなんだから、やってられないよ。で、肝心の 孫娘達のバレエは5分たらずで終わり。
 その後土地の ロックバンド3人組の演奏が始まったが、まあねえ、聞く ほどのものじゃない。だがちらほらと祭りの幟が翻り、屋台 の烏賊焼き、焼きそば、金魚釣りなど出ていて、我が 7,8歳頃のお祭りの賑わいを思い出して懐かしかった。
 そこから夕飯に中華料理屋に行ったのだが、それぞれ 食べたい物を頼んだところ、大きなテーブルに載りきらない ほどの種類と量の料理が運ばれてきた。こりゃとても 食い切れまいと思ったのだが、なんと見事に綺麗に 平らげたのには驚いた。旨かった。「喜多郎」って店だ。


八月十一日    円高 


 近頃TVや新聞でしきりに円高ドル安が報道されて、経済音痴 のこちとらには、何やら分かりにくい言葉だなあ。八十円だった円 が七十八円になったら円高なんだそうだ。普通はこんな場合安く なったと言うんじゃあるまいか。話をよく聞いてみると、外国為替 の取引上の使い方らしい。
 日本国内の取引では、円高も円安 も関係ないそうだ。外国の品物を買う場合、今まで八十円だった ものが七十八円で買えるようになる、つまり輸入するときには多く の物が買え、輸出するときには、値上がりして売りにくくなる、ここ で円が高くなったというわけだ。つまりは外国にとって円高なのだ。
 現在はアメリカが債務超過が限界で、ドルを売る国が多くなり、 よってドル安らしい。どちらの立場から為替相場を見るかの違い で、高いか、安いかと言う問題らしいね。しょせんこちとら貧乏人 には縁のない話だな。(しゃれですよ)


八月八日    戻り梅雨 


 いったん梅雨明けして、また梅雨模様になるこの頃のような 空模様を、戻り梅雨と呼ぶのだそうだ。
 面白い事にこの言葉、 歳時記には載っていない。すくなくとも私の持っている二種の 歳時記には載っていない。
 梅雨は御承知のように夏の季語だが、 戻り梅雨は何時そうなるか分からない分、季節的に 判定しにくいのかも知れないな。
 しかし、辞書にはちゃんと 「戻り梅雨」が載っている。最初に紹介したような文言で説明 してある。「戻り梅雨」なんて響きの感じも悪くない日本語 だと思うが、歳時記に無視されるとは、ちと残念ではあるまいか。


八月二日    暴れ陽気 


 またまた散歩道のことなのだが、当方足が不自由 なので二十分か三十分程度の距離しか歩けない。
 その道に百日紅(さるすべり)が十本うえられている のだが、そのうち四本には花が咲いているのだが、 残りの六本にはまだ咲く気配が無い。おかしな咲き 方をするものだ。
 咲き始めて十日ほどになるが、確か この花の開花時間はかなり長かったような気がするから、 そのうち後咲きの方も間に合うのかも知れない。
 多分この頃のおかしな天気の影響かもしれない。 なにせ、カンカン照りの二十日間くらいのあと、東京 では綺麗に晴れた日は一日も無かったのではあるま いか。
 曇り、又曇り、一度だけ俄雨が十分おきに二度 降ったが、その後音沙汰無し。湿度だけは一人前なん だから嫌になる。九州やら東海やら東北では、大雨だ 豪雨だと警報まで出ているのに、東京はどうなっている のだろうね。
 予報だとまたカンカン照りが戻ってきそうなの だが、いやはやどうもやってられないなあ。

「枝先へ枝先へ花百日紅 星野立子」


七月二十九日    クールビズ 


 近頃クールビズという言葉が方々で流行っているらしい。 TVでも小沢一郎君が、クールビズっていう形式の洋服 が有るんじゃないの、なんて取り巻き連にきいていた。
 この暑さの中、Yシャツにスーツを着用し、ネクタイだけを 外した服装がクールビズらしい。見るからに暑苦しい。建物 の中なら、かなり冷房を効かせないと、あれでは保たないね。
 去年辺りから、日本は亜熱帯地区に成ったのではないかと 思っていたのだが、今年はもう熱帯だな。熱帯であの服装 は無いだろう。
 アロハシャツを着ろとは言わないが、Jシャツ なんてものを考案したらどんなものかね。気温だけならまだ しも、湿度まで高いのだから、何か考えるべきだろう。
 あの服装で会社なり議会なりで働いているとすると、かなり 冷房を効かせているはずだ。節電なんざあやってられるか、 みたいになっても不思議はないね。
 傍の見る目にも暑苦しそうで迷惑だ。本気でクールかつ 上品な男の夏服を考えるデザイナーはいないものかなあ。


七月二十二日    退屈しのぎ 


 人生最大の問題は自分とは何か「?」だそうだ。 あらゆる宗教、あらゆる哲学が結局のところ、 その辺に集積するらしい。
 もちろんその中には ありとあらゆる人間の考え、実験、その結果、 発見ETCが含まれる。「人はどこから来て どこへ行くのか」とか、「人生とはなにか」或いは 「人間には存在理由が有るのか」とか色々と 言い方の種類が有るらしいが、結局は最初 の「?」に戻るらしい。
 そういうことをまともに考えていると、いつの間に か時間が経ってしまう。暇なお方はその考えを 書物に書き残したりする。書かない人は他人 に話したりする。で、それに感心した人が弟子 になって師の言葉を書き残したりする。そんな ものが世の中に溢れかえって、何を読み、何を 信じたらいいのかと戸惑ったりする。何も考えな いで過ごす奴もいて、それはそれで人生なんて 気楽なものさと、身を以てしめしているのだろう。
 確かに人間の行為の七八割は「退屈しのぎ」 じゃなかろうかと思えることがある。当人は命がけ だなんぞと思っていても、他人様から見れば退屈 しのぎのお遊びにしか見えない。
 たまたまそんな退 屈しのぎが物好きな金持ちに好まれて、高い金 で買われたりすると、やれ天才だ、芸術作品だ などとおだてられたり、権力者に強制的に利用 されたりする。またはいろいろな物を作る会社に 勤務したり、何やらの仕事をしたりする。
 よくよく 考えると、そんな物事に意味なんか無いことに 気が付いたりする。でもだからといって止める人 はいない。食わなきゃならないから、意味が有 ろうが無かろうが、働かにゃならんと仰せだ。食 わねば生きていけないから、それを否定する事 はできない。
 いま問題にしているのはそういうこと ではなく、それ本当かということだ。食えないのが 怖いなら食い物を作れば良いだけの話だろう。 みんな農民になれば、問題は解決するのか。 怖いのは食えないことではなく、退屈することが 怖いのではないのか。
 人生そのものに天与の 面白さが備わってはいない。むしろ変化のない のっぺらぼうな時間が目の前に続いているわけ だ。よってこののっぺらぼうな時間に、有る刻み 目を付けること、そこに人生の本質が有るらしい。
 時間に刻みめとはまた勿体をを付けた表現だが、 平たく言えば退屈しのぎ以外の何者でもない。 人間にとって一番怖いのは退屈することではあ るまいか。
 死ぬことは怖い。未経験だから。だが その死恐怖を考えることさえ退屈しのぎになって いるのが現実だろう。新興宗教がはやるわけだ。 修行とか勉強とかいうのは、退屈しのぎの別名 じゃなかろうか。


七月十八日    なでしこ優勝 


 なでしこジャパンとアメリカとの対戦、どう見ても なでしこに勝ち目は無かったな。試合経過もその 通りで、常にアメリカの得点が先行した。
 延長戦 になっても経過は変わらない。だが延長戦ギリギリ のところで、日本が同点ゴールを決めた。アメリカは もう勝ったと思っていたらしい。アレーって顔をしてた のが2,3人いたな。
 アメリカとしては勝って当然の ゲームだったろう。そこに驕りがあり、手抜きが有った。 PK戦で三人も弾かれるとは、そうとしか思えない。
 もちろんなでしこのGKも奇跡的な働きを披露して くれた。足で弾き出す特技など、国内試合でも見た 覚えがない。あのGKにMVPを贈ってもいいくらいの ものだ。
 それにしてもなあ。優勝とは恐れ入りました。 天晴れ、天晴れ  


七月十四日    かき氷・アイスキャンデイ− 


 つい先頃、TVで、子供達がかき氷を食べるシーン が撮されていた。そういや、何年、いや何十年か、 かき氷なんか食べたことが無い。子供の頃は夏場 にはよく食べたものだったが。はて、どんなところで 食べることが出来たのか、思い出せない。店に行 かなければ食べられなかったと思うのだが、子供の 気安く出入りできる店が、その頃といっても昭和 二十年前後にそんざいしたかどうか、はっきりしない。
 だが、イチゴシロップやらメロンシロップやらを氷の上に 掛けた、歯に染みるやつを大切に、こぼさないように 仲間と一緒に食べた思い出は、幼少期の鮮明な 記憶の一つだ。どういうわけか、中頃になると後頭部 が必ず痛くなる。現在でもどこかの喫茶店にでも行 けば食べられるのだろうが、そうまでして食べたい物 でもない。でも懐かしいなあ。
 アイスキャンデイーは自転車に乗った小父さんが、 「ええ、アイス、アイスだよ」と売り声を上げ、子供の 集まりそうな場所に自転車を止めて、商売を始める。 割り箸のような細い棒に細い円柱形の甘い氷がバナナ のように付いていて、これもイチゴだメロンだバナナだ と色と匂いだけはそれらしいが、味はどれも似たような ものだった。この頃はこの手の物売りが殆ど姿を消して しまった。そういえば紙芝居まで来なくなって久しい。
 大太鼓を叩いて近所を一回りし、いつもの場所に店 開きをする。水飴を短い割り箸の先に飴玉一個半分 くらいの水飴を買って、三作くらいの始まるのを、今か今か と待っていたものだ。話のクライマックスには必ずドーン と太鼓が打たれる。良いところで、後は明日のお楽しみ とくる。あの塩辛声と太鼓の音が実に良かった。
 TVのかき氷から、とんだところまで思い出してしまった。


七月十一日    蝉、クチナシ 


 今年だけだろうか、それとも三鷹に越してきてからだろうか。 あのうるさいアブラゼミの鳴き声をきかない。雑音の最たる ものだが、聞こえないと何となく物足りない。今や七月も 中旬になろうとしているが、先六月にヒグラシの鳴き声を 続けて二度聞いた。あれは秋口に聞くものではなかったか。 暑い暑いの真っ盛りにヒグラシとはねえ。何かが狂っている のではあるまおか。
 散歩の途中でよく見かけたクチナシの花が、萎れてきた。 真っ白で良い香りを放つ花だが、「今では指輪もまわるほど 云々」という歌い出しの流行歌のテーマが確か「クチナシの花」 だった。終わりの方が「クチナシの白い花お前のような花だった」 ではなかったか。そこそこ良い演歌だったと思うよ。渡哲也かその 兄弟かが持ち歌にしていたのではなかったか。
 それにしても、近頃 は良い演歌が出ないねえ。やたらとリズムの早い、ろくに口も回ら ない歌詞で、訳の分からないカタカナ交じりの歌では四小節も 聞けば、こりゃ駄目だとチャンネルを換えちゃうよ。演歌の作詞家、 作曲家も頑張って、リズムの早いのもたまにはいいけれど、せいぜい 「お祭りマンボ」程度にしといておくれよ。それにしても美空ひばりは 良かったなあ。  昭和一桁


七月七日    時代物の言葉遣い 


 「仁」という時代物のドラマがTVで放映された。 あれれと思ったのは,野風さんという吉原花魁 上がりの何処かのおかみさんの言葉が「ありんす」 という花魁言葉になっていることだ。いかに元花魁 でも、町方の女として暮らすようになったら花魁 言葉は絶対に使わないきまりではなかったか。
 吉原の花魁という存在は、一種独特のもので、 現代の我々が考えているような、単純な売春婦 ではない。その辺の素人女より、女としての格は 上等だったのだよ。その格を印象づけるための 「ありんす」言葉で、吉原花魁を辞めたら、使え ないわけだ。野風という花魁名も使えなかった筈 だ。
 ドラマの作者はそのへんのことを勉強している はずだが、一々説明するのは面倒だと、こういう 常識破りをするのは感心しないね。特に吉原 関係のことは、江戸時代の風俗の、一つの見本 のようなところもあり、勝手に風俗習慣を変えたり しては、識者の顰蹙を買うばかりか、時代物の 信用性も疑われることになるぞ。
 もっとも「仁」は タイムスリップのSFだからというのなら、なにおか 言わんやだけどね。


七月三日    蚊、蠅 


 近頃、蚊や蠅を見かけなくなった。毎年この頃になると 蚊遣り線香を焚いたり、蠅取り紙をぶら下げたりしたもの だったが、何時頃からか我が家からその種のものが消えた。
 夜など風を通すために、庭側のガラス戸を開け網戸だけ にして反対側の玄関のドアを10センチほど開けておく。 これにはさる秘密の技術が有るのだが、これで結構風が 通って涼しい。エアコンなど未だ使わないで済んでいる。
 玄関の隙間など一昔前なら、蚊の出入り口になって とても開けては居られなかったと思うのだが、不思議な ことにこの暑さ、湿度にも関わらず、一匹の蚊も入って 来ない。いささか気味悪いくらいだ。  蠅の方にも同じ事が言える。蠅取りスプレーなどで追 い回していたのは、つい昨日のような気がするが、今や 1匹も家の中に見当たらない。一月ほど前に、小さな 蠅が飛んでいたが、それも見なくなった。
 何が起こった のだろうか。この辺だけの現象なのか、全国的な現象 なのか、TVも新聞も一向に取り上げないが、蚊も蠅も 絶滅種になったのかね。蚊や蠅の媒介する病気を心配 しなくて済むのは有り難いが、下水が発達して殆どが 暗渠になってしまったせいだろうと、勝手に想像しているが、 それで安心していて良いのかなあ。何となく不安なのだ。 人間の方が絶滅危惧種になりつつあるんじゃないかとね。


六月二十八日    梅雨 


 今年、東京の梅雨は、今一つはっきりしない。 雨が降るのか降らないのか、どんより曇っては いても、雨にまでは至らない。降るときでも チョボチョボということが大部分。激しい雨音 を聞いたのは昨26日だったか、30分置きに2回、 雨らしい雨はそれっきりだ。空梅雨かと思ったら そうではないということで、一体どうなっているのか 分からない。
 雨に混じって原発の灰が降ってくるのは大迷惑 だが、ほぼ本州全域が程度の差こそあれ、被爆 していることが、今朝の新聞で分かった。或る程 度は覚悟していたが、東京なんぞは立派な被爆 地だ。とても東北だけで済む問題ではないな。
 九州あたりはしばしば豪雨にみまわれているようだが、 大丈夫なのかね。発生源が全く違うから、取り敢えず は大丈夫なんだろうが、広島の尾道で何シーベルト、 三原で何シーベルトなんて記事を読むと、ホント 憂鬱になるよ。


六月二十三日    汚泥汚染 


 汚泥を圧縮焼却したら、原発のゴミの残骸が出てきたそうだ。 考えてみれば、何とやらいうカタカナ名前の有毒元素が灰に 混じっているらしい。その灰の捨て所が無くて困ったという話の ようだが、いくら圧縮しても、54カ所から毎日ひっきりなしに出て 来るものだから、いくらデシベル数が低くても、引き受け手は見 つかるまい。
 昔はセメント会社が買っていたらしいが、現在はお 断りらしい。ロケットに積んで火星辺りに打ち捨てるしか方法は 無いんじゃああるまいか。もちろんロケット代は東電持ちだよ。 それでもまだ原発を使いたい人がいるらしい。
 いっそ、原発是か非かテーマを一本に絞って国民投票に掛けたら どうだろう。それが難しいなら解散、総選挙だな。当然テーマは 同じだよ。自民や民主の反乱軍を黙らせるのは、これが一番 良い手かもな。


六月十八日    サツキの季節 


 サツキの季節はついに終わったようだ。我が散歩道にも サツキは多く植えられている。ツツジが終わる頃、先月の 中頃から花を開き始め、つい先週くらいまでは咲き盛りの 勢いだったが、ここに来て流石に勢いが衰えた。
 皐月と漢字 で書くように、陰暦五月に咲く花のようだ。形良く剪定された ものは綺麗に咲き揃う。パラパラに咲くのは、多分素人が いい加減に剪定したものだろう。だが、ツツジもサツキも終わり は哀れだ。桜のように花吹雪などということは、絶対にない。
 このころから蕾を膨らませるのが、紫陽花だ。これで(あじさい) と読ませる由縁が今もって分からない。が、我が散歩道のあじさい  は、先を争うように咲き始めた。最初に咲いたのが、隣家の一株 だったのには驚いた。
 だがピンク色をした花だ。紫陽花というくらい だから、紫色から咲き始めるものと思っていたのだが、ピンク色から 咲き始めるものも、結構多いらしく、都営住宅の庭にも、このての 色のものが見受けられる。別名七変化というくらいの花だから、これ から色を変えて目を楽しませてくれるだろう。


六月十四日    君が代起立 


 近頃の新聞種に、方々の学校で、式典中に 君が代を斉唱させ、その際全員起立させる、もし 起立しない教員がいたら注意、勧告し、何度も 繰り返したらクビにする、という話がのっている。嫌 になるね。
 この話、こちとら現職の頃からちらちらしていたのだが、 歴代の校長は頭が良く、君が代斉唱なんぞ式次第 の中に入れなかったよ。そのかわり校歌斉唱を必ず 入れていた。そのくらいでいい話だと思うんだが、教育 委員会の連中はそれでは気が済まないらしい。校長 の中には早く学校現場を逃げ出して、教育委員会に 入りたいと願望しきりの連中が多いから、教委の好感 を買うために、この問題で教員を苛める。実に下らない 馬鹿馬鹿しい話だ。
 「君が代」は天皇制賛美の歌に 間違いない。近頃天皇夫妻や皇太子夫妻が、東北 の被災地など、うろちょろしているようだが、まさかこの 「君が代」問題に絡みが有るんじゃ無かろうね。
 天皇 が公式に外出するときの戦中の騒ぎといったら、なみ 一通りのものじゃなかった。天皇の乗った乗用車の通り 道に、30分近くも前から整列させられる。その場所まで これまた徒歩で、2,30分はタップリ掛かる距離だ。
 で、 乗用車が通る1分程前から最敬礼をさせられる。車が 通過するのはそれこそ、アッという間だ。頭を上げたとき には遙か彼方の車の後ろ姿しか見えない。 いくら国民学校(小学校)の2,3年生でも草臥れるし、腰は痛く なるしで、はっきりそういう奴はいなかったけれど、大迷 惑だった。
 今でも天ちゃんが来るからと、ゴミの整理や、 雑草の引き抜きなんかやらされてるんじゃなかろうな。 金なり品物なりそれなりの土産をもっていっただろうが、 それ、結局我々の税金だよ。大震災を利用して、 天皇制の権威付けを計ろうなんて魂胆じゃあるまいな。
 そんな手は古いんだよ。大方は、天皇一家は京都の 御所とやらにお帰り願い、皇居は公園なりなんなり、 もっと都民が使いやすいように、明け渡してもらいたい と思っているよ。天皇家自身もよく自分達の存在意義 を確かめた方がいいのではないか。
 政治的権利や 利益が皆無で、ただ権威付けの道具にしか使われ ないなら、辞めちゃったらどうかね。それとも辞職も できないのかな。基本的人権ももっていないとすると、 哀れで無駄な存在でしかないね。一般庶民の中に 混じり込んだ方が暮らしやすいと思うよ。君達天皇家 の方から「君が代」は止めてくれと要望するのが、この 問題の一番簡単な解決方法なんだが、それも無理か。
 君達を煽てたり利用したりする奴に、ろくな奴はいないし いなかった。それだけは注意して欲しいね。


六月八日    生肉中毒 


 焼き肉屋でユッケを食べて食中毒に掛かった人が多いらしい。近頃は 年の所為か金欠からか、あまり牛肉を食べないので、昔のことを思い 出してみた。
 確かに一、二度食べた記憶が有る。それほど旨いとは思 わなかったようだ。魚の刺身はしょっちゅう食べるが、牛や豚の生は ほとんど食べない。生ハムは別だよ。牛のレバーなんかも生で食べる らしい。鳥刺しは旨かった。
 思い出してみると、かなり危ないものを 食べていたのだなあ。ビフテキもレアーが好きだったが、今度から ウエルダンにするか。


六月四日    総理大臣不信任案 


 菅直人君の人気がガタ落ちになって、身内の民主党内 からも辞任を迫られる羽目になった。何とかのメドが ついたら辞めると言うことで、鳩山君と話がついたとか つかないとか、ペテンに掛けられたと鳩山君は怒っている。
 政治家は嘘を言ってはいけないのだそうだ。沖縄の基地問題 で「方便」だとおっしゃったのは、どなたでしたかな。嘘の 一つや二つ平気で口にできなければ、日本で政治家なんかでき ないのと違うか。
 で、不信任案を採決したら、反対が圧倒的 多数で否決された。つまり菅君は信任されたのだよ。一応の メドがつくまでは。で、今度はそのメドとは何時かで一月だ、 二月だ、いや一年だとまたまた騒がしい。
 家も田畑も、職場 も津波に浚われた人達は、一円の現金も無くて、店が開いても 買い物が出来ないと嘆いているよ。我々の税金を無駄に眠らせ るな。一刻も早く救援金を被災者に届けよ。それが現在の日本の 政治家の急務だろうよ。
 誰が総理でも草履でもやることは決まって いるではないか。それでも派閥争いしかできないなんて、お粗末 過ぎやしないか。他の国ならとっくに暴動が起こっても不思議じゃ ないね。日本だから大丈夫だなんて舐めてるんじゃあるまいな。
 こんな政治家しか選ばなかった、我々選挙民にも責任の一端が有る と思えばこそ我慢しているのだよ。だが我慢にも限界が有るぞ。 議席からおっぽり出されることになって後悔しても、その時はもう遅いよ。


五月二十八日    ツバメ 


 ツバメの飛ぶ姿を見かけたのは、つい1,2週間 前の散歩の時だった。ああツバメだ、と気が付い たのは、あの独特の空を切り裂くような、鋭い 飛び方からだが、それにしてはちと時季が遅くは ないか。家に帰って歳時記を調べると、果たして ツバメは春の季語だ。今頃は巣の中の雛に餌を 運ぶのに懸命の頃らしい。我が家の周囲には、 ツバメの餌になりそうな虫がいそうな場所が無く、 あの時以来又姿を見かけなくなった。
 それにしても、三陸近辺の被災地に渡ってきた ツバメはどうしたかな。綺麗に津波に浚われてし まった沿岸の家々にも、ツバメの巣が幾つも軒下 に下がっていただろうに、戸惑ったに違いない。まあなんとか 都合しただろうが、放射能の危険区域までは、さすが に知る筈がない。知らせてやりたいが、手段を知らない。
 なまじ20キロとか30キロとか線を引いて、人を避難させた だけに、空き家がごっそりできた。その家々にも古巣が 有って何も知らないツバメは、当然そこに巣を構 えるだろう。ツバメに放射能は影響しないなどということ はまず無い。人間の我が儘のとばっちりを食わな いで欲しいが、そうも行くまい。原発の事故は人類だけ の問題では有り得ないのだ。地球は人類だけのもの ではないのだよ。原発は廃止するしかないだろうな。


五月二十二日    原発特攻隊 


 ついに出たね。原発の内部に入る特攻隊が。最初から必要 だったんじゃないのか。危険すぎて言い出せなかったんだろう。
 複雑な配管や細部の部品の点検等、ロボットだけじゃあ無理 だろうよ。地震と津波の被害の状況が、大空襲の焼け跡に似 ていてまるで戦争だなあと思ったのだが、原発の方もいつか誰か が、被爆覚悟で内部に入ることになるぞと予想していた。
 東電 も政府も当初からそのつもりだったのだろう。線量が高すぎて 二十分もいられないなんて言ってるが、五分や十分で交替 しながらできる仕事かね。いずれ、これなら大丈夫とかいう 防護服等持ち出して、内部作業をやらせるのだろうが、その手 口で大勢の特攻隊員が犠牲になったのだろうに。君達の勇敢 なる行動のみが、我が国と国民を救う唯一の手段だ、とか何とか 煽てて、体当たりをさせたんだろう。似てるねえ。そっくりだなあ。
 いずれ原発戦犯を告発しなけりゃなるまいが、A級戦犯の大 部分がその頃にはあの世行きになっているだろう。何しろ 仲曾根元総理あたりから始まって、何代にもわたる自民党の 大臣やら長官やら委員長やらが絡みに絡んでいるんだからねえ。 菅君も尻馬に乗った口じゃなかったっけか。反対じゃなかった からBC級の戦犯てえところか。
 まったく日本の政治家って、ろく な奴がいないんだなあ。東電の会長、社長、重役とか 安全保安委員会、安全委員会のメンバーあたりから特攻隊 になってもらおうじゃないか。大丈夫だ、大丈夫だと言い続けた 人達から原発に入ってもらおう。もちろん政治家にも入って もらおう。それが責任を取るってことだよ。十分お分かりの上 覚悟しておいでのことでしょうが、念のため。


五月十四日    背広にネクタイ 


 天気さえ良ければ二,三十分の散歩に毎朝出掛ける。 この頃は日が上ると暑いくらいなので、六時半頃に出掛ける ことが多い。
 すれ違う勤め人らしい人は皆背広(この頃は スーツと呼ぶらしいが)を着てネクタイをしめている。当然乍ら Yシャツも着ている。こちらTシャツに薄手の半袖を、少し邪魔 かなと思いつつ着ているのに。
 日本は何年か前に亜熱帯に 属する地域になったようだ。なのにこの服装の暑苦しいこと、 こちとらは現役の頃から背広が大嫌いで、半袖開襟シャツ を、今頃から愛用していた。何か式典が有るときは仕方なく スーツを着用したが、行事が終わったら上着ネクタイをさっさ とはずし、Yシャツを肘まで畳み、胸のボタンを二つ三つ外し ていた。
 冬場の寒い頃ならいざ知らず、この季節になってまで 背広にネクタイは止めようよ。クールビズとか言う言葉がTV等 で見聞きするが、今頃になってじゃ遅すぎなんだよ。まあ、やら ないよりはましだろうけどね。


五月九日    原発 


 近頃は原子力発電所を略して原発と称する。 始めのうちは「原爆」と間違えそうだったが、原爆 は水爆になり、今や核兵器と称するようになり、 聞き間違いの恐れはなくなったが、威力は何百 倍にも増加したそうだ。
 原発の燃料として使っているのは、主としてウラン らしいのだが、この燃料は使用後も相当な高温を 発するらしい。高温を求めて物を燃やすのに、 燃やした後にも高温を発生するなんて、話がおかし いのじゃないか。
 その熱を再度利用することはでき ないのか、しかもその熱を冷やす為に、水を汲みあげ 循環させるのに電気を使うというのだから、出来の悪い 落語を聞かされているようだ。「花見酒」のやったりとったり は名作と言える笑い話だが、原発の自転車操業は 笑い話にはならないよ。
 しかもこの期に及んでもまだ原発を操業させようと暗躍 している連中がいる。電気を大量にしかも安く使いたい 連中だ。原発なんぞ無くても停電する必要は無い、という のが、週間各誌の調査結果だ。計画停電は原発の必要 性を強調するための、ジェスチャーだったというのだから、非 道い話だ。
 多少不安定でも太陽熱や水力、火力、潮汐力 等の自然エネルギーの開発に全力を挙げるべきである。 原発は例外なく廃止と決め、そのためだけの予算しか計上 してはならない。もしCO2増加とか気温上昇で人類が滅亡 するなら、人類の生物学的寿命がそこまでだったのだと諦めよう。
 地球を制覇した生物は何種類も存在したようだが、いずれも 滅亡するか、数的に減退している。人類にその時期が来た とすると、やや早過ぎる気がするが、とにかく自殺的道具や行 動を、これほど好み行った生物種はいなかったのだから、仕方 がないかもしれない。少々悲観的な意見かも知れないが、 原発問題の解決にはそのくらいの覚悟が必要だ。


五月六日    復讐 


 先日パキスタンで、オサマ・ビンラデイン氏が 米軍によって殺された。俗に9.11と言われ、 同時多発テロとも言われる事件の首謀者 として、国連から指名手配されていたらしい。
 国連なる組織が、どのような権限と実行力 を持っているのか、私には分からない。ただ 今回の事件が、単なる復讐感情による殺人 事件としか思えない。そもそも9.11事件 そのものがイスラム原理主義者の中の過激 派と言われる集団の行為のようだ。そういう 言い方をするなら、米軍の行為もプロテスタント 過激派の復讐劇ということになりそうだ。
 つまりキリスト教の一派とイスラム教の一派 との宗教戦争のように、私には見える。宗教 戦争なんて中世のもののように思えるが、 それはとんでもない間違いで、個人的な喧嘩 と、集団の対立としての戦争との違いは、実 のところ、対立の底辺に宗教が絡んでいるか どうかに有るのではないだろうか。資源争奪 を目的とした、資本主義的略奪行為として見る だけでは、納得出来ない点が色々有る。
 そもそもの始まりが、アフガニスタンへの米軍の 介入だという意見が有力で、そうだとすると我が 日本も自衛隊を派遣しているから、無関係面 を決め込むわけにもいかない、困った関係に なっているようだ。
 いくらアメリカに強要されても、 印度北部から中東にかけての危険区域に、 自衛隊を送り込むのは断ってくれよ。日本にも 右翼原理主義者がいないわけじゃないんだから、 慎重で穏やかな外交を展開して、右翼につけ 込まれないように、くれぐれも用心して貰いたい。


四月二十六日    あかめ   


 散歩の途中で、近所の小父さん二人の会話が 耳に入った。「あかめが勢いいいの」「まったく、春 になった気がするわ」、といった工合である。ここで 交わされた「あかめ」と言う単語には、心当たりが有る。 生垣に使う植物の一種なのだが、この時期になると 一斉に赤い若芽を吹き出す。これが実に鮮やかな 赤さなのだ。一つ二つや一本二本でなく、生垣だから 厚みのある列を2,30メートルは続く。花と見紛うほど の鮮やかな色合いだ。なるほど「あかめ」と呼ぶのかと、 その時まで名前を知らなかったこともあり、感心した。 正式名称かどうかは知らない。だが私にとっては「あかめ」 で十分。もう少し伸びると剪定されるだろう。それまでは あの鮮紅色を楽しめる。
 同じ道筋に紫木蓮の木が二本有る。蕾が心を掴む 木だ。どんなに立派な花を咲かせるだろうと、日々膨ら んでゆくのを眺めると、つい鼻歌の一節も口ずさみたくなる。 だが、ふと蕾の生長が止まった。もっと大きくなるはずだと 期待していたのだが、そのまま花が開き始めた。開き方も 中途半端で、一片だけ半分ほど開いて、後はどうしようか と戸惑っているようなのだ。大方の花がそんな様子だ。期待 外れも甚だしい。紫木蓮てこんな木だったっけ、と記憶を探る がいつも感心しながら見ていた記憶しかない。機会が有れば 来年又見ることにしよう。最終評価はその時まで保留。
 道筋の始めに目立つのは、今ではハナミズキの花だ。派手な ところのない木であり、花なのだが場合によると桜に続いて 花を開き、春の終わりをそれとなく知らせる役割を負った 花のようだ。ところが、我が家の極小の庭にもハナミズキと称 される木が二本有るのだが、花どころか蕾さえ付けている気配 が無い。あれは本当にハナミズキなのか、それとも道筋の方が 違う木なのか、そういうのを調べる趣味は無いのだなあ。 いずれそのうち、何かの拍子に分かるだろう。それまで放って おこう。


四月二十二日    植物二題  


 満天星、こう書いて「どうだん」と読むとは、少なからず 驚きだ。今時、この読みは無いだろう。わけ の分からない訓読みの一つだ。要するに 「どうだんつつじ」のことなのだ。今朝、いつもの 散歩道で、「どうだん」が白い小さな鈴の蕾を 無数に付けているのに気が付いた。わが俳師猿山木魂氏の
      どうだんの白鈴の花日を振りて 木魂
を思い出した。師の句は花が開いたときの 情感の表現だろうが、「日を振りて」は流石 の木魂流だ。花が開けば、確かに心の耳に 可憐な鈴の音が響いてくるだろう。そういう 季節になった。派手な花びらを開くつつじも 好きだが、「どうだん」の慎ましさが、私には 一番好ましい。

 「ざいれんぼく」という花木を御存知の向き も多数おいでだと思うが、私はこれまで遠目に 桜の一種だと思っていた。白っぽい花の桜も 結構多いからな。
 ほんの一週間前だったか、 木の幹に白い札が付いているのを見て、この 木の正確な名前を知ったわけだ。初めて知る 名だった。よく見れば、似てはいるが桜よりは 遙かに小ぶりな花弁は、幹の太さや高さには 似合わないものだった。
 思いこみとは怖ろしい ものだ。桜だと思っていたら、多分死ぬまで 「ざいれんぼく」等という名前を知ることはな かったろう。
 この種の無知はまだまだ有るに 違いない。十年余り住んでいる、ごく近くに 有る花木についてもこの有様だ。勉強不足 を反省せざるを得ない。


四月十六日    屑の寄せ集め


 東日本大震災に付属して起きたことだ。原発 放射線保有物が青物に付着している。よって 出荷を停止すると、確か枝野氏だったかがTV で放送した。
 それに付け加えて、ほうれん草や 小松菜等の葉物に付着した原発の灰は、洗えば 大部分が落ちるから、洗って食べれば大丈夫 みたいなことを言った。この発言については、大方 の顰蹙を買って、枝野氏も反省しているようなので 今更言うこともあるまい。
 だが、その時の東京都民の浅ましさよ。青物がスーパーでは 綺麗に買い占められて、、少しも残っていなかったそうだ。 トイレットペーパーもその他諸々が買い占めの対象に なったようだ。都民なんて屑の寄せ集めなんだと、遅まき ながら気が付いた次第だ。
 と思ったら、都知事に例の後期高齢者を選出した。呆れたね。 こちとらも都民の一人だが、こんな仲間に数えられるのは 真っ平御免だ。まったく首都の住民としての見栄も誇りも 有ったものじゃない。いち抜けたってところだな。


四月十三日    元号


 年号というほうが、現在では普通かな。今の元号は 「平成」、その前は「昭和」だった。この元号にタブー が有ることを、歴史に詳しい向きは御存知のはずだ。
 どういうタブーかというと、元号の頭に「保」と「平」は 付けないというタブーだ。何故か。保元・平治の乱と いう、当時としてはかなり大がかりな戦が有った。
 摂関 家を発端とした天皇家の内紛で、負けた崇徳院は 讃岐の国に流された。京育ちのお坊ちゃま天皇にとって 讃岐の国は絶海の孤島みたいなものだ。その退屈さや 田舎ぶりに我慢できず、京に帰して欲しいと何度も何度も 後白河に嘆願する。
 だが許されない。絶対に許されないと 知った崇徳は、自らの血で書いた経文を切り裂いて海に捨て、 かくなる上は地獄に落ちて、天皇家を呪ってやる。天皇が 庶民に落ちぶれ、庶民が天皇になるようにと言ったと、ものの 本には書いてある。
 中世の天皇家からコミュニストが飛び出す とは意外だが、どうやら本当の話らしい。崇徳は四国の讃岐で 憤死し、その墓の上に白峰神社が、今でも建っている。
 さて、この呪いをどう避けるか、以後の天皇家は密かに、然し 必死にその方法を考え続けた。京に崇徳をまつる神社を建てたり、 宮中にも特別な崇徳廟を作ったり、あの一族にとってはそれほど 珍しいことではないはずだが、何故かこの件だけには拘っている。
 中でも 前述のタブーは厳重に守られてきた。年表の元号の欄を調べて みるといい。「保」の付く元号は保元以後一つも無いよ。「平」も 「平成」の今日まで無い。それでこの東日本大震災だ。担ぐわけじゃ ないけど「平成」と命名したのは誰だ。天皇家ではないはずだ。 そういうことにだけは詳しいお方達がわんさとおいでだからね。
 確か当時の総理じゃなかったか。本来元号は天皇家が扱うもの だったらしいが、何時からか政府が扱うようになったらしい。 それはそれで結構だと思うが、そうならそれなりの基礎的知識 くらいは勉強しておいて欲しいね。敢えて縁起の悪い元号を選んだ 理由ぐらいは用意しておいたほうが利口かな。
 当時の総理は 竹中君だか竹下君だか忘れたが、どうも当事者も周囲のお方達も、 例のタブーを御存知無かったのじゃあるまいか。明治天皇でさえ 即位直後に崇徳廟に参詣したそうだよ。日本の与党政治家って、 実に不勉強家揃いだと思われても仕方ないな。この大災害に一応の 収まりが付いたら、このタブー問題は必ず持ち出されるぞ。 関係筋の各々方、御覚悟召されよ。


四月九日    亡国か


 この度の原発事故については、言うべき言葉を 知らない。つき放題の嘘、言いたい放題の高言、 臭いぞ、匂うなと思いながら、大多数の日本人が 賛成するなら、こちとら一人反対しても致し方無と 思っていたのだが、予想を超えたと言うのは、東電 のやりたい放題の出鱈目原発の建設だったとはなあ。
 CO2の温暖化現象がどうのこうのと、喧しい論議が 横行した揚げ句の原発建設ではなかったか。今や 何処で福島原発と同じ事故が起こっても、おかしくない 状態だということが分かった。何しろ54カ所も同じような 原発があり、同じ様な危険性を抱えているわけだ。
 この事故は日本一国の問題ではない。近隣諸国は もちろん、太平洋を隔てたアメリカがその影響を心配 して海軍と対策団を日本に派遣している。欧州諸国も いずれ同じ態度に出るだろう。日本の政府の無能ぶり が、かくもあからさまに晒されるとは、恥ずかしいなどという レベルではあるまい。
 取り敢えず、日本は国連か何か 関係諸国の管理下に置かれるのではあるまいか。日本 に任せておいては、自国が危ないという意識が露わだ。 対抗する日本の政治家がいるのだろうか。いそうもない。
 ではどうなる。国連統治とか国際原子力委員会の統治 におかれる可能性が高いね。国という概念では処理しきれ ない問題であることがはっきりした。これって国なるものの 存在を否定することだろう。半身不随になった日本が自力 で立ち直れる確率は、かなり低いだろう。
 いい加減な原発 などを作った連中、作らせた国民、共に責任を世界に対して 負わねばならない立場だ。日本などという国は消えて無くなる かもしれない。同じ危険性は他の国にも当然有るのだが、 さし当たり、日本が槍玉に上がるだろう。致し方有るまい。
 大したことは起こらないと思うが、覚悟だけはしておいた方が 良いのではあるまいか。そういうスケールの問題なのだよ。 ところで菅直人君、どうする。今更どうしようもないか。君に 原発建設の責任は無いのかも知れないが、国が無くなる 事態になれば、その責任者は君にならざるを得ないね。気 の毒なことだが、人生ってそんなものだよ。そんなことになら ないことを祈っているよ。


四月六日    改名しては如何ですか


 10日に都知事選が行われる。わが相棒殿は東国原氏に入 れようかと仰せだ。もとお笑いタレントが都知事ってのもどんな もんかねと疑問を呈したら、早稲田かどっかに入学して政治を 勉強したらしいよと、息子殿も満更ではない様子。
 こちとらは 判官贔屓でいつも共産党に入れてたんだが、今度ばかりは 石原君にご遠慮願いたい。何しろ東日本大震災の被害者 の皆さんを、天罰が当たったとほざいたお方だ。許せないね。 けど、週間文春の記事によると、ひがちゃん、あまり勢いが無さ そう、やっぱり死票でも共産党に入れるかな、と思っているところ なんだがね。
 どうですか。党名を変更してみては。「共産党」ってのは正直、 イメージがきついんだなあ。良いこと言ってる割には40万票位 しか採れないんだよね。共和党がアメリカ臭いなら、労和党でも 労政党でも、平民党はちと古臭いか、悪くはないと思うんだが、 とにかく党の改名を考えてみては如何でしょうか。
 今のままじゃ こわもてだけが売りみたいな感じになって、損しているんじゃない かなあ。一党独裁である中国や北朝鮮のマイナス・イメージも かぶっているよ。そろそろ考え時だと思うんですが、どんなもんで しょうか。


四月二日    桜咲く


 桜咲く。こう書くと、普通は何処かの志望校 に見事合格という意味になる。今回は違うよ。
 昨日気が付いたのだが、いつもの散歩道ながら あまり目を向けない方が気になって、ふと見ると 7,8本並んでいる桜の木が、五分咲きほどに 咲いているではないか。2,3日前にTVで1,2 輪咲きかけた画面を見たから、何処もそんなもの かという先入観から、公園の桜に注意しなかった のであろう。さよう、我が散歩道の傍らに公園が有る。
 私の不自由な足でも2,3分の距離であろう。桜と藤棚と この二つ以外に見るべき植物は無い。そう言えば 四月くらいには咲いても良い頃だったなあ、とあらためて 見直した。気温が激しく上下した春だったから、そっちに 気を取られて、桜のことをすっかり忘れていた。
 その上 地震、津波、原発と、嫌でも意識せずにはいられない ことが続いて、桜のことを無視して過ごしていた。我が散歩 道には、ここしか桜がないというのにだ。桜に謝らなきゃなら ないな。


三月二十七日    政府報道の信用度


 地震と津波とによる被害は、天災だから或る程度は諦め るしかない。もちろん亡くなった方、被害に遭われた方々に は心からお慰めの言葉をお贈りさせていただくし、できるだけ のお手助けを息長く続けるだろう。
 だが、原発による被害は別口だ。20キロメートル範囲の人は家 の中に批難とか、さらに30キロメートル以上離れろだとか、何を 根拠にそういう指示を出したのか、それが分からない。指示を TVで喋っている人、自分で分かって言ってるのかね。どうも 信用できないのだ。
 昨日はほうれん草とかき菜だけだったのが、 次の日はぞろぞろと20種類ほど増えていた。昨日の段階で そのくらいの予想はついていたのではないのかい。無いとすると 政治家としては失格だね。二種に限定するってことは、後は 大丈夫だということになる。で、それを争って買ったら、それも 駄目だと翌日発表。買った品物をどうすりゃいいんだい。
 一事が万事、一号炉がどうの、3号炉がどうの、冷えたようだ という傍から隣の建屋から煙が出たり水蒸気が吹き上げたり、 もう少し原発に詳しい専門家にでも依頼したらどうかな。 この大震災さえ起こらなかったら、君がその立場にいることは なかったかもしれないのだから、へどもどするより専門家に任せろ よ。
 枝野君とかいうんだっけ。君の言うことなんか誰も信じちゃ いないよ。また明日になったら何を言い出すか、わからないのだもの。 総理が総理だから、仕方がないといえば仕方が無いのだがね。 政府が政府なら、都知事も都知事。日本も東京もよくよく 政治家に恵まれない所なんだなあ。


三月二十四日    出荷規制


 原発の火事や、建屋の爆発の影響で青物類に それらの灰のようなものが付着して、ほうれん草を 始め、かき菜その他十指にあまる野菜が、出荷 規制となり、店先から姿を消した。
 ところが葉物 に付着した灰類は、洗って食べれば殆ど危険性 はないともいう。大体ほうれん草など生で食べる 人がいるのかね。洗ってお浸しぐらいか、炒め物か そんなところだろう。よく洗うことさえ注意すれば、 出荷しても差し支えないのではあるまいか。
 東京 では青物類が不足仕勝ちなのだから、その辺を 心得てこういう指示は出して貰いたい。生産現場 では廃棄処分、消費地だは買い占めじゃあ、矛盾 もいいところだ。現実をもっとよく調べて、食料関係 の指示を出して貰いたいね。
 戦争を知らない子供 達は、食べ物について無神経すぎるよ。この大震災は 一種の戦争だよ。作物を現地で廃棄するなど考え られないよ。食べるための知恵を絞る、いいチャンスなの にな。


三月二十日    計画停電


 先ずは訂正を。先日、雑感に書いた河津桜と「伊豆の踊り子」 の件、「踊り子」の発表は大正15年、河津桜 の最初の開花が昭和41年だそうだ。川端が河津桜を 「踊り子」に書けるわけが無い。それにしても、河津桜の 栽培は意外に新しい時代のものなのだな。
 さて、今日語りたいことは、東京電力の時間制限の停電 のことだ。特に鉄道の間引き運転は、本当に必要な事な のか。必要なデータを作成し、持っているはずだろう。新潟 地震や、阪神淡路大震災という貴重な先例が有るのだから、 こういうときにはどうする、と言う方針ができているはずだ。先ずは それを公表してから、制限停電を始めるべきだろう。
 この度の大震災の被災者の状況を思いやれば、少々のことぐらいは我慢 するさ。だが東電のやりかたを見ていると、こいつ本当に、真面目な 方針でやっているのかいなと、疑わしくなってくる。未曾有の災害だ からというのは、言い訳にはならないぞ。今まで通りの被害予想で 済むなら、高校生のバイトクラスの仕事だろうよ。
 それじゃ済まないから 専門家を抱えているんじゃないのか。それともそんな先生方はおいでに なりませんてか。さんざ揉めに揉めた揚げ句、無理矢理作った原発 が、この程度の地震と津波で10日も動かなくなるなんざ、立派な詐欺 行為だぞ。原発を作る時の経緯を知っている向きは、全員そう思っている だろう。それを54も作っちゃった。
 本命の地震は、関東、東南海、南海 に跨る地震だろう。お前さん達に任せておいて、大丈夫かね。全く信用 できない気分なんだが、技術屋さん達の意見も聞きたいものだね。費用 がどうとか利益がどうとかと、トップクラスが邪魔したのなら、そいつらの実名 も公表して貰いたいね。政府がうじゃじゃけているだけかと思ったら、東電、 お前もか。
 日本人は忘れっぽいから、ほっときゃそのうちうやむやになる、 なんぞと舐めていると、今度ばかりは痛い目に会うぞ。何しろ大震災の 犠牲者と被害者の呪いと恨みが、お前さん達を的に押し寄せるだろう からな。JRもグルになっているのなら、そっちも覚悟しとくんだな。


三月十八日    天罰


 都知事の石原君が東日本大震災の被災者 について、「天罰を蒙った」という意味の発言を した。新聞で読んで、おんや?と思った。確か 都知事選挙に立候補したばかりではなかったか。
 そのお方の発言であろうとなかろうと、そんな言い 方はないだろう。あの言い方では、どんな訂正も 無効だな。大地震や大津波に襲われた方々は、 揃って我欲に汚れていて、その報いとしての天罰 を受けたのだ、と我が都知事たる石原慎太郎殿が マスコミ相手に蛮声を張り上げた。
 都民の一員として は、何だ、あれは、と一瞬耳や目を疑い、次の瞬間 恥ずかしくなったね。こんな馬鹿たれを知事の椅子に 何度も座らせてきたのかと思ってな。
 そういや、昔昔、 「太陽のなんたら」とかいう下らん小説を書いたお人 でもあったっけ。弟の裕次郎の方が芸能タレントとして 有名になって、選挙の時には「裕次郎の兄貴です」を 売り物にしていたほどの、みっともなさだったな。
 いい加減 にしてくれよ。お前さんそろそろ78,9歳になるんじゃあ ないのか、その年でまだ都知事になりたいなんざあ、その ほうがよっぽど我欲まみれの、薄汚いもがきまわりじゃないか。
 こんなお方にも身びいきがいて、何が何でも都知事にしよう って輩がいるらしいが、ま、やめといた方がいいんでないかい。 東京の有権者もそれほど舐められちゃいないからね。 悪いことは言わない。今の内に立候補を辞退するんだね。 言い訳したけりゃ、その後からするんだね。
 作家としての 表現力にも、そろそろ限界が来たんでないかい。そっちも 引退したほうが良いかもな。そうか、そっちは早々と引退 していたか。いかれた小説の一つ、二つも書けない奴に、 都知事なんぞ勤まるわけが無かろうがよ。裕次郎があの世 で泣いてるぜ。兄貴とうとうボケちゃったかってな。


三月十五日    早く救援物資を


 この度の東日本大災害に必要なことは 食料、水、毛布を含む暖房諸機具類を、 直接被害者に届けることだ。それには米軍 のヘリが良い例をしめしている。自衛隊の持つ 物は勿論、民間での持ち物であるヘリを総動員 して直接被害者の手に渡せるように運搬すべきだ。
 軽飛行機によるパラシュートを使うことも試みる 価値があろう。陸路が寸断されて遣えない以上、 海路、空路からの運搬しか手段はない。即刻 実行しないと、凍死、餓死の可能性が否定できない 事態だ。関係各位、即断実行有るのみだぞ。
 こちとら計画停電くらいは、辛抱するつもりだが、今まで 東電は、何故関西電力と共通の周波数の電力 供給をしなかったのか、それなら計画停電などせずに すんだはずだ。これで損害を受ける企業も多いだろうし、 通勤にも苦労する社員や工員も数多い。
 そのことに、どのマスコミも触れようとしないのは何故か。 何かタブーデもあるのかね。今回を良い機会に、この問題も 解決して貰いたい。計画停電なんてこれも一種の災難 ではあるまいか。
 話を戻せば物資の支援は「早く」がキーワードだよ。使える 船とヘリを総動員してほしいね。


三月十四日    続地震


 11日の地震は、世界中注目の異常な地震だったらしい。 震源が桁外れに大きく、それに伴う津波がこれまた高さが 異常を通り越したものだったらしい。観測不能だったということは 観測機を波が越えたのだろう。津波の高さを10メートル以内 と予測して作ったものなら仕方がないだろう。そんな大きな津波が 来るはずは無いと、設置者は考えたのだろう。
 だが地球規模の 現象については、僅かな経験を元にした判断など何の役にも立た ないという貴重な知識を得た。えらい高価な額を払った知識であり 経験だったが、長生きをすると色々な見聞をするものだ。
 できれば今回のような災厄の見聞は御免蒙りたいものだが、 選り好みのできることではないから致し方ない。恐らく、 場所によっては、20メートルを超える津波に襲われたのではある まいか。
 原子力発電所も地震の影響を受け損壊したらしいが、作るとき にはこの程度の地震ではびくともしないはずではなかったか。  マグニチュード9,0の地震など想定外というなら、それはそうかも しれないが、だとすると他の原発の操業は可及的速やかに、停止 すべきだろう。我が国は地震大国なのだ。
 M8,8だろうが9,0だろうが、大きな地震がいつ来るかわからないのが 現状だということがはっきりした。原発など作るべきではなかったのだ。 今からでも遅くはない。地震の被害は天災だが、原発のもたらすもの は人災だ。水力なり火力なりでの工夫を凝らすべきだ。


三月十二日    地震


 昨日3月11日午後3時頃、東北三陸地方で 地震があった。観測史上最大だとか言われて いるが、こういう物事に史上とか世界1とか言う 比較はあまり意味がない。個人にとっては、その 個人的経験だけに意味がある。第3者的立場 の者にとって、観測史上とか世界史上等々の、 比較考察する意味と余裕がある。
 この地震東京にも多少の影響をもたらした。私 は三鷹市役所の福祉課の女子事務員と、福祉 タクシー券のことについて交渉している最中だった。 ゆらりゆらりときた。かなりゆっくりした横揺れだ。何処 か遠くでかなり大きい揺れが有ったな、とは思ったが、 話し相手の方が慌てて、机の下に入れと言う。
 「天井を見ても重そうな物はぶら下がっていない。なら 慌てることはない、潰れるなら一度にべしゃっと潰れる、 だがそれほどやわに建てた物とは思えない。とすると、 しばらく様子を見るのが一番」、と判断した。その時私は 電動車椅子に乗っていたのだ。多少の揺れは吸収 したのかもしれない。
 妻も一緒に隣の銀行まで来たの だが、姉との金のやりとりがあり、銀行にいて市役所には 一足先に私だけが来ていた。そこにこの地震だった。 「3年や5年に一遍くらいはこのくらいは揺れるよ」と事務員 には言ったが、まんざら嘘ではなかった。震度4くらいなら、 多分そのくらいの間隔で、東京は揺さぶられているはずだ。
 それより少し長くて揺れ巾が大きいかなと思ったが、取り敢えず 下から突き上げる直下型の揺れでなはないことが、私の余裕 の根拠だった。家に帰ってTVを見れば震源地くらい分かるだろう と思ったのだが、とんでもない大地震だということだった。それ以後 TVはこの地震についての情報ばかり流し続け、余震も結構 有ったりして、成る程事務員の騒ぎの方が正解だったのかと、少し 反省した。
 東京発の鉄道関係は全て止まり、動くのは自動車 だけだったようだが、それだけに道が混んでバスなども役に立たな かったらしい。とにかく後世の記録に残る大地震であったらしい。
 困ったことが一つある。図書館の「声の会報」という文書の最後 の部分を既に書き上げて、係の校正、了承まで終わってしまっ ことだ。この手順でいかないと、22日の発刊という予定には間に合 わない。だが地震のことにピリとも触れずに、(PSコーナー)などと 言えようか。しかし対象は武蔵野市の視覚障害者だけだから、 それほど地震に触れる必要は無いとも言えるしなあ。ままよ、書き 直しならその場で書いても何とかなるだろう。


三月六日    河津桜


 伊豆半島南部に咲く河津桜は、知る人ぞ知る 名物桜だ。未だ冬も盛りの2月初旬頃から咲き 始める年もある。今年3月1日〜3日にかけて この桜を見に行った。
 なんと真っ盛りだ。大島桜 となんとか桜の交配種だと、青野川の看板に書 いてあったが、確かに色鮮やかに、小ぶりの花を 開いている姿には、昔風の風情が漂っている。 ソメイヨシノの艶やかさとは、全く異なる味わいの 花だ。
 泊まりは下田の白浜近辺のホテルだったが、 一度行けば、おおむね心得てしまう町であり風景 なのだが、房総半島にくらべると何故か人気のある 観光名所になっている。河津桜は、この半島の人気 の半分くらいは、背負わされているに違いない。
 この小ぶりの桜に目を付け、並木として植え付けた 知恵者に、静岡県と下田市、河津は市なのか町 なのか知らないが、揃って感謝状でも贈るべきだろうな。
 そう言えば川端康成の「伊豆の踊り子」ではたしか 踊り子一行は河津に下っていくのではなかったか。その 時季はいつだったかな。春だとすると、河津桜の描写 が無くて当たり前か。菜の花畑の黄金色も素晴らしか った。すると冬と春が此処では同居するわけか。そういう 描写も無かったような。
 しゃあない、「伊豆の踊り子」を読みかえしてみるか。


三月二日    退屈


 人類が、と大きく出ましよう。一番怖がっている事は 何でしょう。死 でしょうか。勿論怖いです。何しろ その経験を語ってくれる人もいなければ、書いた人 もいない。当然ながら語ったり書いたりできるという ことは、死んだことがない、ということでしょう。こういう のを本当のカタリというのでしょう。
 信長が好んで歌 ったという幸若舞の一節に、「ひとたび生を受けて滅 せぬ者の有るべきか」とあります。身も蓋もない文言 ですが、それだけに痛切に心に響く一節です。
 死 とは何かについて、答える資格の有る人間はまず いないということでしょう。時々まことしやかに語るお方が 出てきて、極楽とか天国とかについて語り、序でに、現在 の我々の生活がいかに罪深いものであるかについても 教えて下さる。死さえも分からずに、どうして死後のこと まで心配せにゃあならんのか。分かりませんねえ。教祖様 はその辺の事情をよくよく御存知のお方だったのですねえ。
 要するにそれを考えることが、一番暇つぶしになる、それが 人間には是非とも必要だとお分かりだったんじゃあありませんか。
 始めから分からんことが分かっている、でも自分の身に必ず やってくる。だから考えずにはいられない。この経緯が、人生の 中核存在、あるいは人生そのものなのではないでしょうか。
 人生の本質は無価値であり、人間の営みの全てはこの 無価値であることの退屈を避け、感じず、分からなくする ためのものらしいと思いませんか。でなくて、なんであんなに 下らないものが、大きな顔をして「お仕事です」などと口走る のでしょうか。

遊びをせんとや生まれけん、たわぶれせんとや生むまれけん、 遊ぶ子供の声聞けば我が身さえこそ揺るがるれ

遊び、戯れに人生の真実を凝視した人の作品でしょうねえ。
 苦痛や退屈を我慢して何やかや、何事かを生産したり、演じたりする ことが、本来の仕事だと思われてきたし、今もそうでしょう。言えば金を 得るための営みです。金を得ること自体に、何か意義や価値が存在 するのでしょうか。人間の生命を支えるための営為は、農、漁、猟くら いのものでしょう。後は衣と住に関することくらいのものですか。
 だが、そこにも退屈しのぎの匂いが纏いついています。そもそも人間の 存在に、天与の価値が存在するという錯覚がこのような事態を起こし ているのですから、人間て、もともと脳天気な存在なんですよね。
 自分の選んだ人生に価値を与えるのは自分しかいないのです。 マラソンで優勝して月桂冠を貰おうが、ノーベル賞を受けようが、 それは退屈しのぎの本質を誤魔化すものでしかありません。それが自分の 選んだ道だというところに、唯一の価値が自分にとって存在するだけです。
 新聞やらTVやらの空騒ぎには、一文の価値も有りません。余計なお節介は 適当なところで引っ込んで欲しいというのが、私の人生論なのですが如何な ものでしょうか。


二月二十四日    中国からのお客様


 近頃、中国からのお客様が半端じゃなく増えた という話を、とくにTVで報道されて、見る度に驚 いている。最初の頃は秋葉原近辺の電機製品 盛況が画面を賑わせていた。電気炊飯器を3,4 台抱えているのには、正直、理解不能状態になった。 パソコンやら携帯とかゲーム機というのならまだしも納得 できるのだが、なんで炊飯器なのか、わからん。
 それが最近は銀座にも進出してきて、洋服、ドレスは 勿論、宝石にまで手を伸ばしている。確かに中国の GDPとやらは、日本を抜いて世界第2位になったそうで、 他人事ながら喜ばしい。なにしろGDPとやらがどうなるこうなる に、殆ど関係ない元職だったから、もともと関心が無かったのだ。
 世界を体験するためと称して、ヨーロッパ諸国には、同人諸氏 と毎年のように出掛けたが、買い物はあまりしなかった。主に 食い物体験だったような気がする。なんの料理でも一人前の 量の多いこと、そのうち慣れて別々のものを頼み、分け合って 食べたが、それでも食いきれないことがあった。
 だがどうも、今回のお客様は買い物が目的らしい。宝石やら 古美術品やら、値の張るものをジャンジャン買いあさっている 様子だ。こういう富豪層は、清朝時代からいたのだろうと思う のだが、一方で、その日の食い物にも事欠く貧民層も圧倒的 に多く、毛沢東率いる中国共産党が革命を起こさねば、この 富の偏在は矯正できなかった。
 で、現在の中国はみんなが富豪になったのかな。みんながあれほど の万札を持って、買い物に日本に来られるようになったのかね。 その辺がよく分からないのだよ。中国は広いからね。中央部の ステップとか砂漠とか、あるいは北辺地域の住民達にも、国民 総生産世界第2位のお金がいき渡っているのかね。
 何しろ 日本製がブランドなんだそうだから、有り難いと言えば有り難い 話だが、一方で中国から輸入しなけりゃならないものが、山 のように存在する日本としては、中国のお客様方の自国不信 が気になるな。米やら野菜やら、かなり大量に輸入しているはず だが、中国では日本産の果物、野菜、米等が信じられない ような高値で買われているそうな。こちとらの食い物、大丈夫 なんだろうなあ。


二月十九日    日本の政治


 なるべく政治関係には触れないようにしているのだが、 それというのも、その辺には面白種がなさ過ぎるから なのだ。それでいいものなのかね、政治なんてものは。
 どういうネタでもいいから、有権者の注意を惹きつける ことが、取り敢えず肝要なんじゃないかな。近頃は有権 者の視線をそらそう、そらそうとしているとしか受け取れない 挙動をする政治家が、多くなったのではないか。
 月単位で総理が何人も交替したり、野党の時には、 結構景気の良い発言をしていたお方が、総理になった 途端に、フニャフニャ、モゴモゴと、わけの分からない発言 を繰り返したり、これじゃお客は木戸銭返せと言いたくもなろうぜ。
 政治ってものは、その国の民衆にとっては、最大のイベント であり、ショウビジネスだと思うんだが、そういう意識が殆ど無い のはどうしてだろう。議員になる前は、一流のタレントであったり、 チャンピオンであったりしたお方達が、議員になった途端に、何の 働きも動きもなさらなくなっちゃうのは、何故なんだろう。それで 人さらいみたいなことをして議員集めをした小沢君とやらが、衆目 を集めたりする。
 何だか始めから筋書きも役割も、見物衆にばれて いる、田舎の素人芝居みたいで、八百長は相撲ばかりじゃありません、 とか言われそうだな。本気で政治をやる気が有るのか無いのか、 今のままじゃ、議員の歳費が多すぎるって文句が出てくるぞ。定数 を減らせ、歳費を削れってな。気の利いた地方自治体じゃ、言われ ない先に先手を打っているよ。
 参議院は無用だとか、衆議院議員 の人数を半分にしようとか、そんな暴論を、政治家自身が生み出し ていることに気が付いているのかね。政治家という名の役者、噺家等 の芸人が必要なんだろうなあ。政治も立派な芸の一つだと思うんだが 違うかなあ。無芸大食が私の芸です、なんざあシャレにもならないよ。


二月十日    八百長


 近頃大相撲で八百長が行われているのでは ないかと、新聞、TVなどで騒がれている。
 今更 何を騒いでるんだい、こちとらなんざあ、12,3 歳の中学生の頃から、そんな噂をちょくちょく耳 にしたもんだ。栃若の人気が盛り上がり始めた 頃だったか。なにしろ深川なんてところは、その 手の情報の伝わり方の早いこと。深川不動だか 富岡八幡だかに、歴代横綱の名前を刻んだ 石碑が有るんだからね。
 昔から相撲贔屓の多い 土地柄なのだろう。それだけに情報も詳細で早い わけだ。「昨日のあれか?ごっつあんだよ、ごっつあ ん、決まってるじゃあねえか」と訳知り顔に友達の 一人が顎を突き出す。相撲取りが、「有り難う」と いうときに、「ごっつあん」ということは知っていたが、 この解説君の「ごっつあん」は違う意味のようだ。
 「ごっつあんてどういうこと?」と聞いたら、解説君、 得意げに「ごっつあんずもう、八百長だよ、八百長」 と教えてくれた。人気の高い力士ほど、際どい芝居 を演じるのだそうだ。「見てて面白けりゃそれでいい じゃねえか」と解説君の妙に心得たしたり顔。
 TVは まだ家庭に入れる値段じゃなく、ラジオで聞くか電柱に 吊されたTVを見るかという時代だった。そういう時代 から知る人ぞ知ることだったのだよ。場所数も、取り組 み日数も増加していった。毎日ガチンコでなんざやって られねえよ、と言いたくなる力士もいただろうし、現在 もいるだろう。或る意味当然な意見かも知れない。
 スポーツかスポーツじゃないかなんて問題にする方が おかしいかな。あの体格、力で本気を出されては、ただ では済むまいよ。力士は一名男芸者とも呼ばれる そうだから、芸を楽しめばいいんじゃなのかな。それが 嫌なら、こちとらみたいに、見なけりゃいいだけの話さ。
 この節は力士も演技が下手くそになって、見え見えの ごっつあんばっかりじゃあ、見る気にもならないだけの 話だよ。相撲協会が困ろうがどうなろうが、見物衆の 知ったことじゃあるめえ。今更調べるなんざ、笑っちゃう ぜ。皆さん承知で御覧なんでしょう、と居直っちゃうのが 一番良いかもな。


二月四日    鳥と仲良く


 近頃散歩の途中で、小鳥の群れや鳩の 群れと良く逢うようになった。というより、向こうが 逃げなくなったと言うべきか。チッチッと舌を 鳴らすと、それに答えるように、鳴き返す奴 も出てきたようだ。
 こちらの思いこみかも知れないが 逃げなくなったのは確かなようだ。こちらが近づいても 気にする様子が無く、ちょこちょこ近づいてくる やつもいる。とても愉快だ。餌でも持っていって やりたいが、あまりに人を恐れなくなるのも、問題 が有ろうと控えている。
 だが数年前、オーストラリア のパースの公園での経験が、日本でも実現可能 に近くなったのなら、それはとても嬉しいことだ。子供 がどう鳥達に接するかが、これからのもんだいなのだろうが、 早い内に外国での経験をさせるのも、良いかも知れないな。


二月一日    サッカー・アジア杯優勝


 準決勝の相手が韓国になったとき、こりゃ危ない かなと思った。そう、近頃は野球よりサッカーに興味 を持ってしまったのだ。大学時代の友人でサッカー部 に所属していたN君に言わせると、野球なんてスポーツ のうちに入らないんだそうだ。
 投手と打者は一応なんか やってるようだが、他の奴は暇そうにぶらぶら歩いてたり するスポーツなんぞ、スポーツとは言えねえよ、だそうだ。 スピードとスリルの点では、どうしてもサッカーの方が勝る ようだ。しかし延長の末のPK戦でも勝ったのは、日本も 強くなったのかね。
 続くオーストラリア戦も、勝てる気のしない相手だった。 何しろ大きい。後半の体力勝負に持ち込まれたら、駄目だ ろうと思っていた。それがなんと勝ったというのだから驚いた。 こちとら真夜中から始まるゲームを待っているほど体力が 無い。翌日の新聞で勝ちを知って驚いた。
 ゲームの詳細は VTRを見りゃいいのだが、決勝の一点は綺麗なパスとシュート だったな。だがゲーム全体は相手のペースで進んでいたのじゃ ないか。全く勝敗は時の運だな。だがその運を逃さなくなった分、 全日本が強くなったのだろう。この両試合、日本は良く頑張った。 W杯のゲームを見る張り合いができて良かった。ヨーロッパの一流 どころを相手に、何処まで戦えるか楽しみだ。良かった、良かった。


一月三十日    就職氷河期


 近頃は大学の4年生の3,4割の就職が決まらない、 という話題が、頻繁に新聞の紙面を賑わすようになった。
 不景気だから、新入社員を採用できない、臨時なり、 派遣なりなら何とか、というのが会社の言い分らしい。
 ところが、学生の方が、有名会社の正社員じゃなきゃ嫌だ、 と突っ張っているらしい。中小企業もなかなか良いところも有 りますよ、などと忠告めかした意見もちらほら見かける。 中で、ちょっと目を引いたのが、大学を作りすぎて、今や大学全入 になってしまったのだから、云々という意見だった。そうなんだよ。
 この前の義務教育の話とも関係するのだが、大抵の会社の 大抵の仕事をこなすには、中学までのカリキュラムをこなして いれば、間に合うはずなのだ。いっぺん義務教育のレベルで、 大学4年生のテストをしてみてはどうだろう。多分仰天して間 に合う問題じゃ済まないんじゃないか。
 中小企業云々をいう 前に、中小企業で、出来の悪い大学生を受け入れるかどうか、 意見を聞いてみてはどうだろう。大方は、お断りと答えるんじゃ あるまいか。いい加減な大卒が多すぎるんじゃないか。多分 中学卒の上位2割ぐらいの能力を持たない大卒が、ごまん といるはずだ。だから義務教育を充実させろというのだよ。
 でも、今の給料じゃ良い先生も義務教育に止まっちゃい ないだろうな。その辺に問題の根源が有るような気がして ならない。


一月二十二日    大河ドラマがつまらない


 お江という大河ドラマが始まった。前の龍馬もつまらなかったが、今度は始めから駄目 だね。だいたい江の母親お市の方の配役は何だ。市は戦国時代きっての美女と評判 の女性だ。あの女優には悪いけど、市には向いてないよ。戦国の美女がどういう基準 なのか知らないが、今の基準からしても美女には遠いだろうよ。
 それに、浅井には確か 世継ぎの男子がいたのではなかったか。秀吉が信長の命令で殺したのが市の恨みを 買う原因になったのではなかったかな。それはこっちの記憶違いかも知れない。
 だがね、 朝倉攻めの始めには、浅井の反逆で逃げた信長が、二度目の朝倉攻めには何故成 功したのか、朝倉が滅びれば次は自分の番だと分かっていただろうに、何故今度も 加勢に出動しなかったのか、丁寧に説明してくれなきゃ分からないよ。秀吉の軍勢が 小谷城を包囲しているシーンがあったが、それが朝倉攻めと関係があるのか無いのか、 ドラマの中ではっきりさせて貰いたいものだね。
 どうせ話の始まりの、いわば(つま)みたいな ものだから、はしょっちゃえというなら、それはそれでいいけれど、はしょるのならもっとばっさり、 景気よく切り落としてもらいたい。どうでも良いシーンが永いし、多いし、これからまだまだ 光秀の謀反、秀吉の大返し、山崎の合戦、賤ヶ岳の決戦に北の庄での勝家と市の死 と見せ場が続くのだろう。そんなの何遍も見せられたから覚えちゃうさ。
 で、いつになったら 江がヒロインとして登場するのかね。大体秀忠の正妻の何処が面白くて、ドラマにしたのか、 近頃は女性に胡麻を摺っておけば、取り敢えず間違い無いだろうという判断なら、それこそ セクハラってもんじゃないのか。
 大河ドラマも溝川ドラマに落ちぶれたのかねえ。もっと面白い 材料がいくらでも転がっているだろうに、スタッフの勉強不足じゃないのかい。一年間続くん だから面白いのを頼むよ。
 こんなのばっかりじゃあ、料金払うの止めるぞ。大晦日の紅白 だって、こちとらにゃあ他のチャンネルの(懐かしの歌声)なんて方が良かったしな。本気で 料金不払いにしちゃうかなあ。


一月十六日    義務教育


 現在、義務教育は小学校6年、中学校3年の9年間 になっている。義務教育であるから、誰でもこの年数の 教育を受ける権利があり、保護者は親族であろうが、 公共自治体であろうが、この教育を受けさせる義務がある、 という趣旨だったと記憶する。敗戦までは尋常小学校6年が 義務教育であり、プラス高等科というのがその上に2,3年 載っていたらしい。これは義務ではなく、今でいう選択制だった ようだ。
 私は小学校に入った記憶はない。国民学校に入ったの だ。昭和16年入学、この年から尋常小学校が、国民学校に 変わった。天皇陛下の御為に、身も心も捧げ尽くす、大日本 帝国国民としての、覚悟と根性と、戦争に必要な僅かばかりの 知識とを授ける教育機関として、設立された制度であろう。この 国民学校に高等科が付いていたかどうか、私には定かではない。
 しかし、付いていただろうと推測されることがある。この国民学校が 昭和22年まで続いたことである。敗戦は20年だ。高等科を希望 する児童がいたので、その卒業を済ませるまで戦争続行制度を生 かしておいたとしか、私には思えない。だから私は、国民学校入学、 国民学校卒業という、我が国でも滅多に存在しない学歴の所有者 だ。そして待っていたのが義務教育としての中学である。
 それまでの中学は旧制中学であり、いわば高等教育機関の入口だったが、 新しい中学は試験無しで誰でも入れる中学である。当然私立のものもあり、 そこを希望する者は受験しなければならない。 旧制中学と区別するために、我々の入る中学は(新制中学)と呼ばれた。 このとき、旧制中学にも制度上の変動が有ったらしい。旧制中学、 女子なら高等女学校が高等学校になったのである。戦前戦中の学校制度の中で、 試験の最も難しいのが旧制高等学校だったと聞いている。
 佐藤紅緑だったかの「ああ、 玉杯に花受けて」という少年向けの小説も、第一高等学校を目指して 勉強する少年達を主人公にしたものではなかったか。旧制高校さえ卒業 すれば、大学の試験など無いに等しかったと、今は亡き酔骨先生が教えて 下さった。先生は一高、東大国文卒業でいらした。現今は大学受験が最難関 になっている。そのため良い高校に入らねばならず、さらにそのために良い中学に 入らねばなぬ、ということらしい。
 だが、義務教育が大学入学のためのステップに利用されるというのは、話が おかしくはないか。話がやっと本筋に入ってきた。そう。小学校と中学校を一つ の校舎に纏め、一貫した教育課程のもとで教育すべきだ。現在では、小学校 と中学校との教育内容が連結されていない。教員の意識もそこには存在しない。
 鶴亀算や○○算が、中学に入って代数を習うと、なんでもっと早くこの方法を教えて くれなかったのかと、怨めしくなる。英語なんかもそうだった。物理学や化学方面 でも、というよりそっちの方が小中の間の離れが大きかった気がする。この離れを なくす必要があるだろう。小中の教育課程を完全にこなせれば、相当な学力が つくはずなのだ。
 なのに、前述の離れから勉強に興味を失い、道を外れてしまう ケースが多いようだ。そしてまた小学校の授業時数を増やそうなどと、馬鹿な親父 共が騒ぎ出しているようだ。詰め込み教育など百害有って一利無しと、まだ気が 付かないとは情け無いねえ。必要なのは、子供の興味、好奇心を掘り起こす事 なのだよ。何故だ、どうしてだと心が動けば、後はほっといても或る程度まで、といっても 馬鹿親父共の想像する範囲など遙かに越えるところまで、自力で到達するよ。
 そこで、次の好奇心の存在する方向を向かせるのが、教員の役割だ。教科書で 此処まで進んだとか遅れたとか、そんなところに教員の役割は無いのだ。ゆとり 教育の発想は良かった。だがその時間に塾通いをさせたり、家庭教師を雇ったり した親も、損をしたね。無理矢理の詰め込みが勉強嫌いをぞろぞろ作り出して いるのに、どうして気が付かないのか、不思議だなあ。詰め込みのあげく一流大 学を出て、有名企業に入って満足している奴が何人いるのかね。その企業さえ 今やいつ潰れるのか分からないときちゃあ、ま、自殺したくなるのも分からないじゃ ないが、なんか国家がかりで大きな無駄をこいている気がするな。
 この間、学力の国別ランキングみたいなものが新聞に載っていたが、あれを見て 慌てているんじゃあるまいな。トップの国の教育課程なんか取り寄せて、あれが 足りない、これも取り入れろとやったんじゃあるまいな。そうできる環境と、優秀な 教員を育てることが先決問題だ。焦っても無駄だ。焦った近代化の結果が前大戦 の敗戦を招いただろう。敗戦こそいいチャンスだったのに、政治家が教育に首を 突っ込んで、しっちゃかめっちゃかになった今がある。今からじゃ遅いかも知れないが、 教育部門を政治から独立させたらどうかね。ガラリと変わった視野が開けるかもな。


一月十一日    東京の気候


 このところ東京の天気は快調そのもの、雨雪無し の快晴続き、たまに雲が出る程度か。新聞、TV では島根、鳥取、新潟など日本海側の各地は 大雪でえらい状態らしい。1000台ほどの車が 雪でストップ、そのまま一晩過ごしたなどと、ちと 考えられない事態になっているらしい。
 それに反して、東京の快適さは信じられないほどだ。 実に心地よい。できれば東京に出てきて、さらにできれば 住居を構えたいと思うのは、無理からぬことだ。
 その昔に は、どうしてこの辺に都を置かなかったのかね。京都 なんてところに、1000年以上も拘ったわけが、今と なると理解できないが、なにしろ東夷のうじゃうじゃいる ところだから、怖かったのかなあ。
 大阪とか、名古屋辺 ならまだ理解できるが、京都の利点はいまいち理解 できないねえ。富士山の噴火が怖かったというなら、 一応分からないでもないけどなあ。
 先日、渋谷辺り でちょろりと霙が降ったらしいが、ほんの狭い地域での 降雪らしく、ちらと報道されただけで、後は何の音沙汰 もない。
 多分東京という都市は、江戸時代から続いて 現在も建設中なのだろう。何処が完成点なのか、 誰にも分かっちゃいないところが、面白いけど怖い のだがね。


一月五日    遅筆堂


 これは井上ひさし氏が自ら名乗った号らしい。 事実大変な遅筆だったらしい。連載物、特に 新聞や週刊誌等での締め切り近くの騒ぎは、今 だに昔と変わらぬようだ。ペンで書こうが、ワープロ で書こうが、文章を書くスピードに、さしたる変化は 有るまい。
 先日、井上氏の「一週間」についての、 読後感を纏めたのだが、その方は後日、鷹の抜け羽 ででも読んで戴くとして、そのとき井上氏の個人的 情報を、インターネットで拝見してみた。驚いたね。
 読者としては、作品が面白ければそれでいいので、 作者の品性や性格、環境等にはそれほど興味を持たない 方だ。それでも、漱石は半ば精神異常だと、夫人が語って いたとか、太宰はその昔から自殺癖があり、何度も失敗した 挙句の玉川上水での成功だったとか、別に知りたくも無いことが 自然に耳に入ったり、目に触れたりする。
 今回はちと違った。連載を終えて、4年経つのに、作者は纏めて 出版する気は、まだか、既にか無かったらしい。そのうち今年の 春先に亡くなってしまった。数えてみると、連載を終えたとき作者は 既に古希を超えていた。作者としては、いずれ結末を付けるつもり で、連載を半端なまま、一時中断のつもりだったのではあるまいか。
 けれども、原稿が書けなくなると家庭内暴力を、其れも中途半端 じゃないやつを、前婦人に対してふるったという情報には驚いた。それ が直接の原因かどうか分からないが、離婚に至ったらしい。 家庭内暴力、近頃はD・Vと省略するのだそうだが、私はそんな 卑怯なことをする奴は許せないと思っている人間だ。筋肉の 力は男性の方が、女性より圧倒的に強いことは、分かりきったことだ。
 大人が無抵抗な幼児を殺すのが卑怯なことであるように、夫が 妻を、それも顔が変形するほど殴るなど、聞いただけで反吐が出そうだ。 小説なんて、それほどまでにして書くほどのものなのか。
 編集者の中には、書上げを急ぐあまり、奥さんに「もう2,3発殴られて 下さい」と頼む奴もいたそうだ。冗談にしてもお粗末なんじゃないか。 井上氏の作品を愛する人間であるがゆえに、氏のこの性癖を惜しむ ものである。


十二月二十八日    自分の言葉


 この間、何のドラマだったか、教室のシーンで先生役 が言ってたね。「自分の言葉で書きなさい」。作文の 授業だったのかな。言われたことあるでしょう。「自分の 言葉で書きましょう」。自分の言葉ねえ。そんなもの有る のかな。
 言葉は徹底的に他人のものじゃあるまいか。 話し言葉は親や兄弟、遊び友達の真似。字なんぞ 自分で勝手に書いたら、他人様には絶対に読めないからね。
 言葉というものは、他人のものだからこそ、通用するのじゃ あるまいか。ごく軽い気持ちで、「自分の言葉」と口に する先生が多いのは何故だろう。自分の感じたことを、 そのまま感じたとおりに書け、というほうが、表現としては 「自分の言葉」よりは正確かもしれない。
 だが、自分の 感覚を、そのまま言葉で表現するなんてことを、すらすら 言えるのは、それがどんなに困難なことか知らないってことだ。
 既成の知識や記憶に頼ることの一番少ない感覚刺激は、 まあ音楽かな。絵画もそのうちに入るかな。音楽を聴いた 感想を文章にしろと言われたとしよう。さあ、どうする。題名 の付いた曲なら、その題名に関したことを書けるかもしれない。
 音楽は後頭部から侵入してくる、と私は思っている。前頭葉 での分析や照合を全く受けない分野の刺激だから、後頭部 からの侵入と名づけているわけだ。音楽の解説を専門に書かれて いたお方がいらしたことは知っているが、あまり感心した覚えが無い。
 交響曲OO番とか練習曲OO番とかいうものを聞いて、何か感動 するとしよう。その時気がつくのは、自分の感覚を表す言葉が 無いということだ。思いつくのは他人様から教えられた、あるいは 真似した言葉でしかない。
 そんなことで、自分の感覚を正確に 表現できるとは、到底思えない。だが、伝えたいと思えば他人の 言葉と妥協しなければならない。妥協、すなわちコミュニケーション だ。言葉の本質は、他人との妥協なのだ。
 「自分の言葉」などと 軽々しく言わないで貰いたいな。我々にできるのは精々言葉の選択 くらいかな。他人様の言葉を使っての選択と並べ替えの分野で、 そんな狭い分野でしか個性を発揮できないのが、言葉を使う人間の 宿命だ。「自分の言葉」をお好きな向きは、これくらいの前置きを 納得させてから使うことだな。


十二月二十四日    山茶花


 この時期赤い色の花を見ると、なんだかほっとする。散歩道の途中の 立ち木にぽつぽつと赤い花が開き始めた。ぽてりと厚く、緑色に艶めいた 葉の様子からすると、山茶花か椿だと思うのだが、そのあたりの区別に 甚だ弱い。だが、歳時記からすれば椿は春、山茶花は冬、よって私の 見た花は山茶花に決めたのだ。
 しかしながら、近頃当てにならないのは、 わが身の記憶力ばかりではない。季節の移り変わりのありかたも、相当に 当てにならない。一日単位で、今日は晩秋のような天気でしたが、明日は 真冬のような気温になるでしょう、などという天気予報だ。
 この調子が、 今年の春あたりから続いているのではあるまいか。今年を表す漢字一字は 「暑」だそうだ。そういえば暑かった。馬鹿馬鹿しいほど暑かった。それも季節 はずれではなかったか。
 小沢がどうした、菅がどうしたなんてことより、こちとらにゃ季節の花の方が大事 なんだよ。
      山茶花や家並み相似て道終る  神田喜久子
 そうだよなあ。家並み相似て、ですよ、道の両側は都営アパートだもの。似るも 似ないもありゃせんがな。そう言や山茶花の読み方だが、「さんちゃか」という読み も有るそうで、ある先生はそうお読みになるそうだが、駄洒落じゃないが、なんだか 茶化しているようで、読み辛いな。こちとらはやはり「さざんか」でいくとしよう。


十二月二十日    すみれ


 散歩道にすみれの花が咲いている。それも先月の 始めから咲き続けている。これ、本当にすみれの 花なのだろうか。それとも、別の草花なのだろうか。
 歳時記によれば、すみれは春の季語だ。そんな気 がしていたのだが、目の前の現実がこちらの季節感 を狂わせる。「すみれのはーなーさーくーころ」という れいの宝塚の代表的な歌も、気分は春だろう。温 暖化とやらの影響で、季節がずれたのだろうか。
 12月も中旬になって、冬らしい気温の日々になったが、 長続きするのかなあ。このごろわけのわからない、 カタカナ名前の草花が、ごっそり輸入されている模様 なので、その類かもしれないな。
 何しろ我が家の周りは、 マンションと都営住宅ばかり、自分だってマンションの住民 なんだから、つべこべ言うことは無いのだが、風情も味気も 無い環境なので、きょろついて歩くしかないわけだ。
 今度、植物図鑑でも買って、散歩のときに持ち歩くか。それも 面倒臭いなあ。技術屋のくせに、馬鹿に草花に詳しい、 畏友江守氏でも近所にいれば、碁打ちにかこつけて 聞きに行けるのだが、横浜じゃちと遠いしなあ。
 おまけに 彼の家は、恐ろしく急な坂道を上り下りしなければなら ないので、今の私には、とても訪問できない雲の上人に なってしまった。さあて今日も天気だ、散歩にでかけるか。


十二月十五日    障害者手帳続報


 市役所に行ったら、吾が障害等級が、2-4から 1−3になっていた。これって上がったと言うべきか、 下がったのか、つまりは度数が重くなったわけだ。
 おまけにタクシー券も付いてきた。或る意味では 当然なのだが、喜んでいいのかどうかは別問題だ。 タクシー券は初乗り710円分の値打ちだ。後は 今まで通り、手帳で10%引き、武蔵野図書館に 通う費用が約半分になる。
 新宿区では姉に 500円券が何枚も来ていて、現金代わりに何枚も 使えた。おなじ東京都の中で大違いだ。三鷹市と 武蔵野市でも、障害者手当てが十倍違う。
 福祉 関係の費用ぐらい、都内で統一できないものかね。 地方分権なるものが、こういうものだとすると、ちと 考えにゃあならんなあ。
 でもこちとらには、ゆっくり考え てる時間が無いのだよ。あれはいいけど、こっちは損だ なぞと数え上げるなんて、ややこしすぎる。基本的なことは 或る程度統一してもらいたいものだ。
 その上でそれぞれ の地方とか、市町村とかの独自性を発揮したらどんなもの かね。東京も多摩の奥地とか島嶼とか、いろいろ有る のは分かるのだが、それにしてもちと格差が付き過ぎじゃ ないのかね。
 すでに東京の中でも生活条件の格差で、 過疎地域ができているのではないか。都知事が石原 じゃこんなとこかもしれないが、お次は誰かときょろきょろ してるのもいるからね。その辺に期待できるのかなあ。


十二月九日    南天


 散歩の途中に3,4本、赤い粒々の実の成る木が 有る。これは南天だろうか、ピラカンサスだろうかと、結構 長い間悩んでいた。何のことは無い。グーグルで検索すれ ば良かったのだ。
  結果、全部南天と判明した。ピラカンサスの 枝には棘が生えているそうだ。それにしても、実の成り方に 違いがあるものだ。ある木はパラパラ、ある木は鈴生りという のでは、実だけ見ていたら違う木だろうと思える。
 ピラカンサスの 存在は同人の北村君に教えてもらった。だが、そのころは植木 には全く興味が無かった。よって南天との違いにも無頓着だった。
 今でもさして庭木に関心が有るわけではない。世話は専ら細君 の受け持ちだ。ではあっても、時々気になることが起こる。
 バラに実が成った。それも2粒。バラに実が成るとは、76歳のこの 年になるまで知らなかった。極々小粒の柿の実に似た実である。
 大きな花を咲かせて、楽しい時間を作ってくれたのだが、この実を どうすべきか。摘み取って、庭に蒔いてみようかと細君に話したら、 彼女も満更ではなさそうな返事だ。
 が、どうなることやら。菊、撫子、 牡丹や水仙も花を咲かせるが、その実を見たことが無い。バラの 場合のように、気がつかないだけなのか、こっそりと実を育てて いるのか、少し気になる。


十二月六日    身体障害者手帖の等級昇格


 先月30日に市役所の係から電話があり、手帳の 等級が2−4から2−3に変わったとのことであった。
 それでタクシー券が給付されるかどうかは、 手帳を受け取りに行かなければ分からないが、 旨く運べば、武蔵野図書館で仕事が続けられる かもしれない。
 もう一度やり直してみようか。もう1冊 くらい、音訳できるかもしれない。ま、手帳を受け取って から、ゆっくり考えよう。


十二月二日    戦争?


 北鮮が韓国の島を砲撃したとやら。韓国も反撃 したが、射程距離が短く、取り敢えず戦闘機が 出動したとやら。これって殆ど戦争じゃないか。
 そういえば両国は停戦中で、戦争状態は続行 していたのだっけ。でも今更何で戦闘再開なん だろう。どうやら北から仕掛けたようだが、無茶 もいいとこだろうよ。
 マスコミも喜んでばかりは いられないだろう。なにしろ北のミサイルは、日本に 照準を合わせている、と韓国の情報が伝えている のだから。核弾頭はまだできていないようだが、TNT でも百単位で打ち込まれたら、たまったものではないぞ。
 こんなことを続けていたら、人類の絶滅はおろか、地球 の破滅を招きかねない。やめてもらいたいが、あの 将軍様にはその気がないらしい。嫌だなあ、狂気の 将軍様の道連れになるのは。 いずれただでは済まない事態だと思うと 憂鬱だなあ。


十一月二十七日    ボケか


 最近なんだか忘れっぽくなってきたような気がする。
 この前は大切なファイルをしまったフォルダーを忘れ たようで、記念誌編集の皆さんに迷惑をかけてしまった。 次の機会に謝っておかねばなるまい。編集の仕事は ほぼ目鼻がついた。上手くすると来月の定例会に配布 可能なんてことになるかもしれない。
 この仕事をひと区切 にしようかと思っているのだが、市役所の判定がどう出るか、 3級OKなら武蔵野で続けられるかな。未だに返事がこない のは、やはり駄目なのかな。2−3だとタクシー券が出るから なあ。


十一月二十三日    老人苛め


 今日は20日だが、昨日今日は天気が良く、散歩していても 心がすっきりする。
 それにしても、私の左足はどうなっているの だろう。脊髄管狭窄症とかカルテには書かれているけれど、 本当かな。左足のつま先が上がらない。左足の左の脛の 筋肉が極端に弱くなって、横に動けない。手押し車を押し ながら、4,500メートルの移動がやっとのことだ。
 それでも 要支援1の段階だそうだ。でも介護保険料を値上げすると いう。老人苛めもいい加減にしないと、本気で怒るぞ。老人 を大切にしない国なんぞ、国とは言えないお粗末な何かなの だから、さっさと消えて無くなれ、なんてことにならないとは言えな いよ。
 そろそろアメリカ頼みの資本主義的民主主義も寿命かな。 かといって頼りになりそうな野党も存在感がないしなあ。藤圭子 じゃないけれど、〜どうすりゃいいのさこの私〜彼女の夢は夜に なると開くけど、こちとらの夢は何時開くのかね。


十一月十六日    アイーダ


 先日NHKの教育テレビで、「アイーダ」のハイライト 集のようなものを見た。オペラというものは、見る、聞く もしかすると歌う(客が)ものかもしれないな。「アイーダ」には 特別な思い出がある。
 初めてヨーロッパ旅行に行って、泊 まったのがローマのさるホテルだった。と、ガイドが言う。「今夜 カラカラオペラで『アイーダ』が有るんですが、お出かけになりますか。」 カラカラオペラは知る人ぞ知る、遺跡活用の代表格として、 当時は有名なイベントだった。けどなあ、開演が夜9:30だか 10:00だかというのだから考えちゃうよ。
 でもまあ折角だから 行こうかと出掛けたのは良いが、何しろヨーロッパに到着第1夜 なのだ。当時はソ連が健在で、アラスカ経由でヨーロッパへいったもの だ。時間がかかる。草臥れている。カラカラ浴場の石段ベンチに腰掛けた のは良いが、そのままぐっすりと眠り込む。
 突如、ぐわーんと銅鑼の音 が響き渡り、はっと目を覚ますと、そこでかの有名な凱旋行進曲が朗々 と演奏を開始する。立派なラッパだな、しかし、あれは何という楽器かな、 延び縮みしないのでトロンボーンじゃないし、日本じゃあまり見かけない 楽器だと思ったが、何しろ眠い。だが凱旋の行列は広い舞台を使っただけの 値打ちは充分にあり、馬の引く二頭立ての戦車が、フルスピードで舞台を 駆け抜け、本物の象がのしのしと登場する。
 今度のTVではそういうところは やらなかった。でも一つだけ勉強した。あのラッパ、アイーダトランペットとという、 この行進曲を演奏するだけのために作られた楽器で、コックもひとつしかない 特製トランペットだということ。普通は三つあるコックが一つじゃ吹きにくい だろうと同情したい。
 一時カラカラオペラは遺跡を傷つけると、止めにすると 報道されたが、確かにあの使い方じゃ傷も付くだろう。でもな、劇場の舞台 では、あの迫力は到底出せないだろうし、日本での上演の時は、後楽園 の球場を使ったのではなかったか。
 「アイーダ」で不思議なのは、日本で歌われるアリアが殆ど無いことだ。当然 イタリアあたりでは、庶民が口ずさんでいるのだろうが、日本じゃあまり聞かないな。 先日聞いた特集物でも行進曲を除いては、ほとんど聞いたことのないものだった。 不思議なオペラだ。
 その夜ホテルに帰ったのが確か夜中の2時過ぎ。翌日は 全く使い物にならず、バスの中でひたすら眠り込んでいた。


十一月九日    情報流出


 尖閣諸島での中国船との映像、警察庁だかの 捜査資料など、国内外に関するデータの漏れが、 マスコミで大問題になっている。尻馬に乗って政府 の悪口を言おうという気はさらさらない。むしろそうなら それを利用したら良いのじゃあないかと、一つ提案を しようというわけだ。
 日本は世界でも指折りの、原子力発電所の保有国 だ。そこでできるプルトニュームが、核兵器の基本的な 原料であることも、まあ、日本では常識だろう。だからその 始末も結構厳重なんだろうと想像する。地下何百メートル に埋めるとかと、何かで見たか読んだかした覚えがある。 原発を安全に、しかも高能率に働かせる技術は、それなりに 発達しているはずだ。効率よく原子エネルギーを引き出す 研究も当然行われているはずだ。
 これら全ては、核兵器開発の技術と、紙一重の差が有るか 無いかの際どい研究であり、技術だ。何しろ、一番効率よく 原子エネルギーを引き出せるのは核爆弾なんだからね。
 さて提案なのだが、ユーチューブに例の映像を投稿した人よ、 (日本政府が秘密裏に核兵器の開発を始めた)として、原発 関係の施設の一部を映像化して流したらどうなるか。そこら あたりが、日本を気にする一番のポイントだろう。さて、その結果 は如何相成りますか、今までは隠してきた事実が流出公開 されたものだ。今回もか、となると多分ただでは済むまい。
 「日本は憲法9条が有るから、そんなことはできません」と、いくら 説明しても、信用できない政府の説明など聞く耳を持つ国は 無いだろうな。アメリカは何をしていたんだ。もっとしっかり監督する はずじゃなかったのか、などと攻撃されてアメリカも慌てたりする。 査察だとか検査だとか、国連辺りの委員会が乗り込んできたりして、 日本中を探して回るだろうが、実体の無いものが出てくるはずが無い。
 で、証明されるのは日本の研究レベルと兵器開発をする気が無いと いうことだ。信用度が高くなるだろう。逆に無理矢理に核保有国に なった国に対する、不信と冷たい視線が強くなるかな。
 冗談だよ、これは。でもこれくらいの覚悟が無くては、軍隊を持たない 国家としての外交はできないよ。暗に、何時でも日本は核武装可能 な国ですが、その気が無いだけです。でも、あなた方が武力を背景に 領土や領海問題でごり押しを続けるなら、いつまで我慢するか保証 の限りではありませんよ、という意思表示にもなろうというわけだ。


十一月七日   むらさき日和(ひより)


 11月に入ったら、途端に天気の良い日が 続くようになった。3日ぐらいからかな、意識しだし たのは。11月3日は晴れ、と昔から決まっていた。 何故か。
 この日は今では文化の日とかとなえているが、 明治時代は天長節(天皇誕生日)こちとら子供時代 は明治節で、ずっと休日だった。昭和天皇の場合は、 緑の日とかで休日、大正天皇の場合はというと、これ が無いんだなあ。不公平のようだが、ま、仕方がないか。 歴代の天皇の誕生日を全部休日にすると125,6日 休みが増える。となるとえらいことだものな。
 昨日6日も朝から良い天気だった。だがもはや見るべき 花も無くなった。と青空を鑑賞しながら歩いていたのだが、 うん?いつも通る漢方薬局の前に、3列も4列もの多人数 が並んでいる。ざっと5,60人はいただろうか。並んで買う ほどの漢方薬なんて有るのかいな、と行列の人に聞くと、 「むらさき券」という割引券を売り出すのだそうだ。
 割引率 10%。多分三鷹市の全店舗で通用するのだろう。1割 ぐらいなら値切った方が、話が早いだろうと思ったが、いやいや スーパーやコンビニじゃ値切りにくい値段のものが多いか。 と人の列を通して貰ったら、むらさき券の旗が翻っていた。 と、角のパン屋さんの前にも同じ様な行列騒ぎ。確かに 世の中不景気なんだなと、改めて思い知らされた。
 それにしても三鷹市は「むらさき」が好きだねえ。 同じ道路が武蔵野市では成蹊通り、橋を渡ると 「むらさき橋通り」、橋の名前は当然「むらさき橋」だ。昔々 のその昔には「むらさき」という植物が自生していたらしいが、 今や植物園にも無いんじゃないか。
 なら、こういう秋の晴天 の日を「むらさき日和」と呼ぶなんてのはどんなものかね。


十月二十九日   木枯らし1号


 24日、末姉のN子姉が他界した。仏は 落合斎場の霊安室に眠っている。25日は 都合があり、26日に姉の遺体を拝みに出掛けた。
 姪の話では、16:00〜19:00まで面会 可能だということだったが、17:00ごろ出掛けてみると 霊安室のある建物はシャッターがおりている。係の 小父さんに聞くと、一寸聞いてみましょうということだった。 やがて引き返してきた小父さんが、どうぞこちらへと 建物の裏手に案内してくれた。そこにはまだ明かりが着き 私らのような間抜けがほかにもいるらしく、そのため用意 しているもののようであった。姪の連絡では、行く前に 電話をせよと有ったことを、ころりと忘れていた。でもまあ、 取り敢えず用は足りた。
 帰り、三鷹の駅ビル5Fのイタメシや で、茄子とベーコンで炒めたパスタを食べた。何年ぶりだろう。 このての食べ物を食うのは。それにしてもパルメザンチーズが用意 されていないとは、意外と言おうか心外と言おうか。
 そのせい かどうか、あまり美味くなかったなと思いながらタクシー乗り場 に急ぐ何秒間に、急激な寒さを感じた。かたかたと肩が震える 程の寒さだ。寒いなと我妻殿に声を掛けたら、それ程でもない 様子。タクシーの中でも寒さで震えっぱなし。帰宅早々に 就寝したが、38度ほど発熱していた。身体の節々が痛かった。
 翌日の新聞で、前日木枯らし1号が吹いたと報じられていた。
寒いわけだが、風邪を引いたか引きかけたか、翌日はかなり楽に なったが、これって抵抗力が落ちたのか、並だったのか判断に 苦しむ。
 それにしても、10月の26日にこんなに冷たい風が吹く なんて、予想も着かなかったよ。多分風邪の引きかけだったの だろうが、気を付けねばなるまい。今すぐ姉のお供をするわけ にはいかないからな。


十月二十七日   ノーベル平和賞


 ノーベル文学賞については鷹の抜け羽で触れたが、 平和賞については、どうにも気分がのらなくて、つい そのままになっていたが、中国の現状を考えると、心が 重いが、一言触れずばなるまい。
 劉氏を投獄したところで、中国当局の心中は収まるまい。 各新聞が筆先を揃えて攻撃しているように、 言論の自由を認めることが、現在の政権にとって、そんなに 危険なことなのか。だとすれば、いかにこわもてぶっていても、 危ないのは権力自身ということだろう。一党独裁が良かろうが 悪かろうが、それは中国国民自身が決めることで、私らの出る 幕じゃない。
 だが、そういう意見を発表しただけで、獄にぶちこむ のは、言論の自由を許さないということだ。新聞でもテレビでも 使って討論したらいいのではないのか。それとも反論できないから 投獄しちゃったのか。それほど中国共産党は理論的に弱体化 してしまったのかと疑われても仕方がないな。
 ミャンマーの軍事政権や、北朝鮮の金幕府なみに見られることは、 中国政府にとっては耐え難い屈辱だろうが、あえてその道を選んだと いうことは、国内の問題がそれだけ急を告げているということだろう。
 そっちの方を上手く納めて、こちらにとばっちりの来ないように始末 して貰いたい。いくらデモを煽っても無駄だよ。デモにはデモでと、 そちらの戦略にのるほど、日本の政府も国民も馬鹿じゃないからね。 自分の巻いた種を自分で刈り込む時期は、意外に早いかも知れない。 そのくらいの覚悟が有ってのことだろうと、大方の日本人は思っているよ。


十月二十四日   晩秋


 ついこの間、暑い暑いと騒いでいたと思ったら、 今朝の御近所の方との挨拶は、「お寒くなりましたね」 「なんだか冬がすぐそこまで来ている感じですね」となる。 初秋、中秋をすっ飛ばしてはや晩秋か。
 本23日は10月2度目のすっきりした秋晴れだ。ただし風は北から吹いている。 この間中咲き誇っていたエンジェルストランペットも、今や すっかり勢いを失って、しぼみかかった花が、長たらしくて 花にも後期高齢者があるなら、これなぞ良い例かも知れない。 エントラの隣に赤い実が無数になっている木があり、これ ピラカンサスじゃ有るまいかと眺めている。
 いずれも都営住宅 の庭に、一見出鱈目風に植えたようで、実はよく考えられた 花の配置らしい。そういう庭のある建物と、庭の代わりに 非常口の付いた建物が道を挟んで、並んで建っているのが 珍しい。朝の散歩で挨拶を交わすようになった方も、何人か できて、何となく楽しい。特に今日のように良く晴れた日は、心 までが浮き浮きしてくる。
 だが、76歳という我が年齢を考えると、 これも晩秋なんだろうなあと、いささか寂しい気がしないでもない。 近くに紅葉を鑑賞する木が無いのが残念。神代植物公園に 行くのも億劫だしなあ。


十月十七日   金木犀


 散歩の途中で、何か黄色い小さな実が成っている木が有るな、 と前から思っていたのだが、今朝その実が花になっていた。これは 何処かで見たことが有ると思う暇もなく、あの特有の香りが鼻の 周りに漂ってきた。何だ、金木犀だったのか、と今更のように気が 付き、うかつにも木の実だなどと思っていた我が身の忘れっぽさ というのか、杜撰さというのか、呆れかえった。
 金木犀なら松戸の家の玄関先に植えてあり、毎年秋にはその 香りを楽しんでいたではないか。花が咲いて香らなくては、それ と気が付かないなんて、年はとりたくないものだ。
 この時期に合わせたように、お二方の日本人がノーベル賞を 受賞された。科学関係の研究者の模様だが、取り敢えず めでたい。そのお一方が、学問や技術でなくては、日本は 食べていけなのですから、と仰せだったが、その通りなのだ。
 なのだがこの頃の若者は、そっち方面弱いというか、興味を 示さないというか、内向き閉じこもり傾向なのだそうだ。 一寸心配だが、こちとらが心配したところで、どうにかなるもの でもあるまい。大学に入った時点で、燃え尽きちゃうような 受験システムをそろそろ考え直す時期なのではあるまいか。 小学生の頃から受験勉強しか知らないような状態が異常 なのだよ。だからろくな政治家も役人も育たないのさ。
 ノーベル賞もあのお二方止まりかも知れないなあ。 義務教育の時点から本気で考え直せないものかね。 ううん、駄目かなあ、やっぱり。この人ならって名前が 浮かんでこないものなあ。金木犀で止めときゃ良かったか。


十月十四日   秋晴れ


 去る11日は、朝から雲一つ無い、いわゆる日本晴れ だった。散歩していても気持ちがいい。だが、このての 天気は、10月だと3日もあれば御の字がつくそうだ。
 連続しての話ではないよ。10月全体を通しての話だ。 少し汗ばんだが、それすら心地良いと感じるほどの さわやかさ、このところ雨がしょぼついていたから、一層 晴天が印象強く心に響いたのかもしれないな。
 そう言えば、近頃挨拶に天気のことを話題にする人が 少なくなったように感じるのは気のせいかな。 例えば今日のようなときは「良いお日和ですね」などと 言ったものだがな。まあ初対面では、そうはいかないという 事情は有るのだがね。そうなのだ。初対面が多すぎるのだな。
 近所づきあいが薄っぺらになったというか、何しろ同じマンション に住んでいても、顔も名前も知らない人が大部分だからな。 無駄話やら、井戸端会議やらが結構老化防止に役立つそうだ。 忙しいのは分かるが、近所づきあいも忘れてはなるまいぞ。


十月十二日   郵便と宅急便


 今一寸した雑誌の編集をしている。原稿 集めが主たる作業になること、計算済みなの だが、これからその本業が始まるところだ。
 そこで気が付いたのだが、原稿を送るに当たり 郵便を使うと、宛名の多少の間違いは、局の 方で直して配達してくれる。コンビニで扱っている 宅急便(クロネコ・ペリカンなど)では、さすがにここ までのサービスをする経験も、ノウハウも持つまでに 至らない。本業じゃないから仕方が無いと言って しまえばそれまでの話だ。
 原稿をこちら宛に送るについて、 たまたま両方を使ったケースが有り、郵便の方は届き、 コンビニの方は返送された。元々は私の名簿が違ってい るのが元凶なので、文句を言う筋合いではないのだが、 親切さの点では郵便だな。コンビニ系統はまだ研究する余地 が有りそうだ。
 それより何より住所の間違いを訂正することが、 最も肝心なことだ。早速手を打つことにしよう。


十月九日   宗教戦争


 中東方面での戦争は、止むときが無い。原油 保有国の運命なのかもしれないが、アラブ、イラク、 イラン、アフガンと立て続けにやられては、あの辺 の地理に弱い身として、何処だっけと記憶を頼る わけにもいかない。
 中東地方にはイスラムの教えが 盛んなようだ。イラクとの戦争は、アメリカのブッシュ 大統領がプロテスタントの原理主義者だそうで、 イスラム原理主義との宗教戦争だとの風説もあった。
 アフガンとの戦争には我が日本もイージス艦など印度洋 に派遣して、事実上参戦した。タリバンとやらの報復 テロが怖くないのかと思っていた。西新宿辺りは絶好の ターゲットだろうからだ。
 ところが、彼等イスラム教徒からすると、日本人のような、 神を持たない人間の存在は気味が悪くて、手を出す気に なれないのだ、と言う記事をなにかで読んだ記憶がある。 自爆テロは神風特攻のならいだとばかり思っていた私は、 イスラムにも聖戦(ジハッド)と言う考え方が有る事を知った。
 しかし、キリスト教もイスラム教も元をただせば、兄弟宗教 みたいなものではないか。聖書は我が家がプロテスタントの 一派であるメソジストの、形式上ではあるが信者であるから、 ある程度は知っている。イスラムのコーランも随分前になるが、 四分の一程読んだことがある。モハメッドとキリストは兄弟だ とか従兄弟だとか、そんな意味のことが書いてあったような 記憶が有るのだが、私の記憶違いだろうか。
 もっとも、キリスト教の生みの親たるユダヤ教では、キリストなど、 ユダヤ教の教師であるラビの一人に過ぎないとしている そうだ。が、キリスト教ではユダヤ人を、キリストを死刑 にした元凶として許さない。一神教とは不便なものだと 思うが、彼等にしてみれば、先程紹介したように、神無くして 生きている人間が存在していること自体が、信じられない らしい。
 だが、日本人には日本人のモラルが有った。世間様 とかおてんと様とか言う、いわば無意識のうちに、自分を見 ている存在を持っていた。緩やかに見えて、結構厳しい面も 持っていたのだが、村落共同体的モラルと言ってもいいものだろう。
 だから、その共同体が崩れてしまった現在では、新しい 共同体の創造が色々模索されているようだが、まだこれと いった決定版はできていないようだ。
 代わりといっては何だが 色々な新興宗教が流行って、そうか神無き人生というものは それほど辛いものなのかと思ったら、なに現世利益のインチキ 宗教だったりして、だったら宝くじでも買った方が良いんじゃない とでも言いたくなる。
 私自身も神無き人生を生きている口だ。 メソジスト派はどうなった?。あれは父の兄、つまり叔父がその 派の牧師であり、それもアメリカかカナダかそのあたりの大学、 確かエモリー大学とかそこの神学部を卒業したエリート牧師 だったのだ。その義理で父が信者の振りを家族に強制したと いうわけだ。
 処女懐胎も復活も私は1度も信じたことはない。 ただキリストその人は実在の人間だったろうと思う。後から色々 伝説がくっついてくるのは、何もキリストだけではないしね。 今日は宗教戦争の話から、つい枝葉の延びた無駄話でした。


十月六日   将軍様


 北朝鮮ではどうやら3代目の将軍様が、三男 の金正恩氏に内定した模様という報道だ。
 あの国も懲りないねえ。将軍が政治の実権 を握り続けるとは、日本で言えば徳川時代、 政治と軍事が分離できないのは、権力者の 意識がそこまで進んでいないのと、民衆側の 政治意識の低さを物語る。余程前から、あの 政権が潰れないのが不思議だったが、今もって 分からない。
 金幕府が政権を手放すときには 多分血を見ずには済むまい。国内が大人しい なら、余所様のことだから、口出しをする気は 無いけれど、いずれ近い将来内乱による政変 が見えているだけに、隣の民衆はとばっちりを食いや せんかと心配なわけだ。
 それにしても、後押しをしている中国にしても、何とか してやれないものかねえ。権力の血縁相続を避けた 毛沢東はさすがだったが、お後の一党独裁がどうもねえ。 どっちも共産主義の語を党則かそれらしきものから省いた らしいが、その方が利口だろうなあ。マルクスやエンゲルス の著作を元にお前達は偽者だと言われちゃやばいものな。 民衆が大人しくしている内に、何とか上手く政権交代の 方法を考えることだなあ。


十月三日   信濃の食べ物


 先日、孫娘の運動会を見物に、木曾まで出掛け た話をした。無論娘の元気な顔、孫娘の陽気な はしやぎ声に出会いに行くのだが、実は他にもお楽 しみが有る。それは娘の嫁ぎ先の舅さん御夫婦が 珍しい食べ物を御馳走して下さることなのだ。
 東京にいたらまず絶対に口に入らないものを御馳走 して下さるのだ。この度はなんと、熊の肉を御馳走に なった。猪と鹿までは食べたことがあるのだが、熊まで は経験が無かった。
 実は最近近くの村に熊が出たという 話題を、運動会の日かその翌日にしたのだった。何か 新聞だねの話題のつもりだった。とろが、その日か翌日 だったか、出た。熊の肉が。それも娘が料理するという。
 孫娘は早く食べたいと催促している。ということは、孫も 初めてではないということだろう。コンビーフに似た柔らか な口当たりと、砂糖醤油で味付けして、ショウガを加えた この肉は、舌ににとろけた。孫が催促するはずだ。
 今までも冬が近づくと×××の焼き物を御馳走になり、 良いところにすんでいるなと娘に言ったりしたのだが、この 熊には驚いたり舌鼓を打ったり忙しいやら、嬉しいやら。 ×××が気になる?。はて何でしょうなあ。
 果物もいいもの ができるところで信州は有名だが、今回は小梨を御馳走に なった。見たことのない極小粒の梨だがこれが意外に甘い。 庭に生えている木の実なのだが、手間いらずだそうだ。
 帰京したら追いかけるように荷物が届いた。開けてみると 松茸!!。それも親指ほどの太さの、傘などまだ固く 閉じている極上もの。早速焼きたての熱々を適当に 裂いて酒の摘みに。木曾は本当に良いところだなあ。 孫の十一月の七五三の宮参りにも是非参加しよう。


九月二十八日   尖閣島問題


 尖閣島近辺で中国の漁船が日本の艦船に衝突 してきた事件で、中国がやたら強硬な態度を示し ているらしい。日本旅行を禁止したり、貿易に干渉 したり、これはいつか何処かで見聞したことのあるような 様子だ。
 多分軍国日本が中国に侵略を始めるときに 何かといちゃもんを付けて、当時の満州辺りに派兵した あたりの、日本政府の態度に似ているのではあるまいか。
 そういう時は、たいてい国内に問題を抱えて、その解決策 として外国に国民の視線を向けさせる、というのがお決まり の手口だったようだ。昔のことだと思っていたが、現在でも 使われる手口なのだな。漁業問題は見せかけで、中国の 国内問題がその内はっきり見えてきたりするんじゃあるまいな。
 そのくらいのことは、日本国民は先の戦争で勉強しているから、 中国政府の挑発にのって反中国運動なんかは起こさないだろう。 世界の軍事大国たる中国が、大人げなくもみっともない、ヤクザ 紛いのいちゃもん付けをするもんだね、くらいにしか受け取らない だろう。ほどほどにしといた方が、身のためだと思うよ。一党独裁 はいくら中国共産党でも、官僚化や腐敗を避けられないようだ。
 弱い者苛めは他の国にも良い印象を与えないのじゃあるまいか。 仲良くした方が両国のためになるよ。それとも日本の自由さが 気になるかな。


九月二十四日   木曾にて


 17日から4泊5日で孫娘の運動会見物、及び 七五三の写真撮影参加のために、木曾まで 出掛けた。
 18日が運動会。今年、孫娘が小学生になった。 その入学式の時にも見物にいったので ,場所やあらましの様子は分かっていた。 分かってはいたが、1年から6年まで全学年合わせても、 150人に満たない人数の運動会とはどんなものか。 私らの世代には想像も付かない事態だ。これでも 三つの小学校を統廃合した結果なのだそうだ。
 少子化も半端じゃない。こちらの小学校の建物の 広く大きく丈夫そうなこと、敷地の広いこと、東京の 学校しか知らない私にとっては、驚くことばかり、 そうそう運動会の話だった。
 暑かったな。敬老席と 札の出た場所に逃げ込んだ。よく見ようと最前列 に陣取ったのが大間違い。天幕張りに机イスが揃って 良い場所に思えたのだが、これが素人の浅ましさ。 物慣れた御老体は、2列目に控えておいでだ。左様。 日当たりの具合だ。机の上に半袖の腕をドンとのせて 見物していたら、昼までの3時間で、両腕が真っ赤に 日焼けしてしまった。腕時計の後がくっきり白く、今も 残っている。
 1クラスに3人の担任が付いているそうで、 なかなか良く躾けられた運動会だった。躾けられる方は 楽じゃなかったろうが、見物衆には好評のようだった。 騎馬戦や竹引きは、紅白の団体戦ばかりでなく、 一騎打ちまで行われ、企画側の時間稼ぎの苦労が 忍ばれたことだった。
 20日の写真撮影には久しぶりのスーツ、Yシャツ、ネクタイを 用意していったが、こちとら現役の頃からこのスーツ姿 が大嫌いで、特に夏場は解襟シャツで押し通したもの だが、孫の七五三ともなればーー待てよ、七五三という ものは確か11月に行われる物ではなかったか。何で 9月に七五三かと娘に聞いたら、写真だけ事前に 撮影しておくのが今時の常識なので、当日写真撮影 などしていたら、肝心の宮参りなどできないのだそうだ。
 果たして松本市内で昼飯を食い、1時頃だったか JASCO のスタジオに着いたら、和服に着替えるのに 2時間近くかかった。その間、我々男性群は、コーヒー でも飲んで待っているしか仕方がない。で、用意ができた ところでパチリパチリと2,3枚、ハイ、終わり。次はドレスに 着替えて、ときた。参った。舅さんと二人逃げ帰ってきた。
 揚げ句、娘の曰く、七五三て11月の何日なの?。 全部足せば15になるから15日じゃないかと、無責任な ことを答えておいたが、我妻殿もはっきりとは知らなかった ようだ。実に、実に有意義な4泊5日であった。人生こう でなければ面白くも何ともないではないか。それにしても 草臥れた。それでも11月15日には宮参りに出掛ける だろう。かくも人生という物は忙しいものなのだ。


九月十九日   円高


 為替介入とやらのニュースがマスコミを賑わし ている。円高ドル安を少しでも緩和するのが目的のようだ。 ちっとは効果があったようで、僅かながら円安に為替が動いた らしい。予想を裏切った菅君の早い措置に、市場は好印象 を持ったようだが、長くは保つまいまいというのが、大方の見方 らしい。
 ところでこちとらは自慢じゃないが経済音痴なのだ。なぜ 円でドルを買ったり売ったりするのか、それで儲けたり損をしたり するらしいのだが、どういう仕組みや理屈でそういうことが可能 なのか、とんと分からない。どの国の銀行もそういう取引をして 利益を追求しているようだ。金で金の売買をするなんて、変な 話だと思わないか。
 そりゃ我が国でも江戸時代には両替屋という商売が有り、結構な 利益を挙げていたらしいことは知っているさ。でもあれとこれとでは、 話の基本がまるで違う。江戸時代は銅貨、銀貨、金貨と三本立て の通貨がそれぞれ別の商品として扱われていた。幕府は望ましい 両替価格を提示するくらうしか能が無く、万やむを得ないときは 小判の改鋳なんかやったらしいが、これは市場を混乱させるだけ だったらしい。
 目安として四千文が一両、銀六十匁が同じく一両、 十五匁が一分だから、4分で一両。ここまでは秤量貨幣として 合理的な仕組みなのだが、小判一両に含まれる金の量を一定 にしないと、この合理性は銀止まりになる。よって大坂では銀中心 の取引になり、江戸では小判中心の商売だったということだ。 江戸の方が見栄っ張りだったのだろう。この三貨の間で、毎日 相場取引が行われたらしいよ。為替も日本で始まった取引の 形態らしい。
 だから、外国との為替取引とは基本的に違うんだよ。今回の 円高は、実体の無い円高なのだそうだ。輸入品に頼らなきゃ 食料だって充分には出回らない日本にとっては、円高は悪い ことばかりじゃ無いと思うんだが、この不景気だからなあ。輸入 しても売れる物はたかが知れてるか。菅君の動きの早さを 買って、後は様子を見るのが経済音痴の限界かな。


九月十六日   マルチ詐欺?


 TVを点けると、画面の下部、時には上下に、来年7月だったかに アナログ放送を止める。よって地デジを受信できるTVモニターや チューナー、アンテナを買い換えろ。期日近くになると混雑が予想 されるから今の内に早く買いなさい。みたいな文言がかなりのスペース を使って映される。
 これCMだったら巨額の金が必要なはずだが、 何処からこの金が出ているのだろう。一体このCMは何処がスポンサー のCMなんだろう。NHK、だけじゃなく民放でも放映しているから、 TV局全体が関係しているらしい。
 それにチューナーやモニターやアンテナ や取り付け工事等が関係するから、電気関係量販店関係も絡んで いるに違いない。それに放送関係の法律を換えなければならなかった だろうから、政治家も大いに関係しているだろう。これらに付随するあれ やこれやをまとめると、想像を絶する大きなグループが共謀して、詐欺行 為を行おうとしているとしか思えない。
 まだ立派に見えるアナログTVを、 なぜ買い換えなければならないのか。これはTV関係を中心にしたマルチ 詐欺だろう。一人を殺せば殺人事件だが、戦争でなら何百人殺そうと 勲章ものという、あの有名な理屈にどこか似ているな。
 このことについては、大分前に一度この欄に書いたのだが、この不景気 を地デジ関係の連帯詐欺で誤魔化す魂胆としか思えないね。自動車 にはエコ援助金みたいなものを出したようだが、地デジには一切資金を 援助しないというのは何故なのか。
 自動車とは比較にならないほど多数 の被害者(これは明らかに被害者だ)が対象になるというのに、何の対策 も考えていないとは、信じられない暴挙だ。国家規模のマルチ詐欺だ。
 地デジ化を止めろという訴訟か損害賠償請求でも起こすかな。言って おくが、地デジ化は視聴者の希望や請求によるものじゃないし、希望の 有無による選択の自由も無い。そちら側の一方的強制的変更だ。とても 無事に済むとは思えない。混乱も起ころうし、騒動も有るだろう。
 無いと思う な思えば負けよ。美空ひばりだってそう歌ってるのだ。マスコミが黙っているのも おかしいな。君等も共犯だな。TVは当事者だから仕方がないが、新聞、 週刊誌、まで大人しいのはおかしいな。こんな無茶な収奪を許せる時代 だと思っている奴らの感覚はどうなっているのか。信じられない。


九月十一日   憲法文言


 私は日本国の憲法に、最低三カ所に疑問を もつものである。そのうちの一つ、第一条の天皇 に関する文言について述べる。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この 地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」
 これが憲法のトップにくる文言だ。前半はまあまあ こんなものかと思うが、後半が問題だ。「日本国民の 総意」だと?。総意とは如何なるものなのか。もしや 過半数とか三分の二とか四分の三とか数字を示す ものではあるまい。しかし、一人残らず、という意味でも あるまい。どうやって「総意」なるものを確かめたのか、 それが問題だ。
 あるいはこれから確かめようと言うのか、 それが「基づく」というこの文の最後にかかっている。 「基づいた」とするなら文言としては成り立つが、事実 として何時、どうやって調べたのかという疑問に答え なければならない。そんなこと聞かれた覚えはないよ、 と大多数の高齢者は答えるだろう。
 あるいは「基づくべきだ」というのでも文言としてははっきりする。だが これもまだ確かめられた記憶を持つ日本国民は一人 もいない。かくして「基づく」という表現は、文言上から すると極めて不安定な状態に天皇を置いていること になる。こんな所に「基づく」などという現在形の動詞 を使う日本人はいないだろう。いるとすれば、誤魔化し を目的とした無学な人間だろう。「総意」と「基づく」を どうにかしないと、天皇が憲法違反の存在に成りかね ない問題だと思うが、その辺をはっきりさせて国民投票 にかけるべきだtろうな。
 今なら、天皇フアンが多いから そこそこの案文なら賛成多数で天皇制存続を確かな ものにするだろう。保守派ならこの点を真っ先に解決 するだろうと思っていたら、このままほっとけ主義らしい。 共産党も天皇制反対を引っ込めたくらい人気のある 今がこの問題を安定させる絶好のチャンスだと思うが 違うかね。


九月五日   大臣という呼称を止めてくれ


 総理大臣始め内閣を構成する閣僚の呼称がなぜ大臣 なのか、長官あたりにどうして変えられないのか、これ も天皇に関係することらしい。閣僚を任命するのは、 形式的には天皇だ。ところが近頃の政治家の質の 低さ悪さのせいか、本当に天皇に任命されたと思いこ んでいるらしいのが目に付く。
 それが証拠に選挙民に 対する高飛車な態度、一旦当選しちまえばお前達には 用がないとでも言いたげな態度には実に腹が立つ。
 浅草の田原町近辺には仏具屋さんが多い。で、そこに (心は形から)と書いたポスターの如きものが貼りだして ある。要するに合掌して南無なんとかと唱える、これが 形、そうするうちに神仏を信仰するようになる、これが 心というわけだ。商売とはいえうまいことを言うものだと 思った。
 大臣の話にこれがぴったり当たりそうだ。形式 として天皇が任命したのに、本当に天皇に任命された と思っている奴がかなり居るようだ。加えて大臣なる 呼称だ。臣とは何者かの家来とか従者の意味である。
 形式と呼称がこれだけ揃うと、自分は天皇の家来だ と錯覚するお粗末政治家が出てくるのも、あるいは 無理無いのかも知れぬが、君達政治家の主人は 選挙民だよ。政治家にしてやったのも、歳費を払う のもみんな選挙民の税金から出ているのだ。
 大臣と いう呼称は止めて貰いたい。選挙民は君達を家来 だとは思っていない。対等な人間だと思っている。 なら、それらしい呼称にしようじゃないか。


九月一日   総理を国民投票で


 今回の民主党の醜態をあれこれいうのは簡単だが、 本をただせば議院内閣制の問題なのだ。この制度 は立法権と行政権の独立を危うくするものだ。
 三権分立が議会制民主主義の基本であるとすれば、 先ずは行政府を議会から独立させるべきだろう。手本 にしたイギリスが議院内閣制を採用しているからと日本 まで真似のしっぱなしとは情け無い話じゃないか。
 確か何十年も昔のことだが、中曽根康弘君がまだ若手の 議員だったころ、総理公選制、つまり国民投票制を 主張していた時期が有った。途中でその主張を引っ込め たのは、そういう風にすると総理の権限の外見が強く なって、天皇の影が薄くなるとか言われたことが原因だ という噂だった。
 いずれ天皇制については法文上の 問題も有り、議論しなければならないのだが、それとこれ とは一応別の問題だ。九条だけが憲法問題ではないと 私は思うよ。防衛権、三権分立、天皇制と最低三つの 解決するべき問題が、現憲法には存在する。自衛隊を 軍隊にしたいからとか、その反対に平和を守るためにと いう口実で九条だけに注目させようというのは姑息な 主張だ。
 そろそろはっきりさせなきゃいけない時期だと思う のだが、どんなものかね。全部一度にというわけにもいか ないだろうが、取り敢えず三権分立を国民投票の対象 にしてみることをお勧めする。


八月二十八日   小沢君出馬


 民主党もとうとう化けの皮を自分で脱ぎ捨てる羽目 に追い込まれたな。寄り合い所帯がいつまで続くか、 いずれパチンと割れることが分かっていただけに、割 れる方の掛け率は20%もいったかどうか、ま、賭には なりにくいことだったろうな。
 黒子は黒子として人形を 操っているからこそ、存在意義が有るのだろうに、手前 自身が舞台に出たがっちゃあ、客は白けちゃうだろうよ。 菅君だろうが小沢君だろうが、やれることは殆ど決まって いるんじゃないのか。まあね、同じことしかできないから、 党首選で競い合うという理屈もわからなくはないがね。
 どのみち円高、株安、デフレ不景気状態から 抜け出す妙案などどっちももってる筈など無いわけだし、 暇つぶしのマスコミ向けサービスの茶番劇ってとこかな。
 近頃、日本の滅亡とか、亡国とかと銘打った文章が雑誌 等にチラチラ見かけるようになったが、「国家」なんてもの は、今更問題にするまでもなく、EU連合みたいにその壁 は薄くならざるを得ないだろうよ。
 今すぐ日本だけというわけ にはいかないだろうけど、マルクスあたりにはお見通しのこと だったんだろう。日本は本当に平和で暢気な国だな。いずれ 沿岸警備の目の飛び出るような費用やら、警備機開発の 巨費に直面しなけりゃならないんだぜ。それが嫌なら国の壁を もっともっと薄くしたり、されたりせにゃならんのだよ。
 そこらへんまで考えて党首争いをしているとも思えないが、 そんなじゃれ合いも 今の内しかできないかもしれなのだから、どうぞお楽しみ 下さいとでも言うしかないか。


八月二十四日   朝顔


 いつもの散歩道に朝顔が咲いている。つい一週間 ほど前には一輪だけしか見えなかったが、今朝生垣 を掃除しているところを何気なく見たら、刈り込まれた 後に十輪ほど咲いていた。
 朝顔は確か秋の季語だった からこの暑さの中でもきっちり季節は進行しているのだな と感心した。昼顔、夕顔は夏の季語だったはずだから、 その通り、大分前から仙川沿いの生垣に見られた。
 一方百日紅もまだ盛んに咲いている。遅れて咲いた若木も それなりの花をつけている。夏と秋が席を争っている様子 が花の種類に表れて、分かりやすくて良い。
 なにしろ早く 涼しくなってもらいたいものだ。とても風流に付き合ってい られるような暑さじゃ無いからなあ。朝の散歩で2,30分 歩くだけで、汗かきの私のシャツはグッショリだ。シャワーを 使ってから朝飯という毎日。後期高齢者にはちと辛い夏だ。

 芭蕉の
「赤々と日はつれなくも秋の風」
 や定家だったか
「秋来ぬ(きぬ)と目にはさやかに見えねども  風の音にぞ驚かれぬる」

 なんぞとのんびり構えていられた頃の夏場が羨ましいような ものだ。
 軽井沢の別荘でのんびり休暇をとっている人がいる かと思えば、熱中症であの世行きという人もいる。電気代 が払えないから、冷房が使えないなんぞという話を、我が国 の政治家諸君はどんな顔で聞いているのかね。
 みんな君達 政治家に何かを期待していただろうに、何にも打つ手がない とはよくそれで政治家面ができたもんだな。こちとらだって他人事 じゃないんだ。何かあったら、あの消えた100歳越えの超高齢者 の先輩達と連れだって化けて出てやるから覚悟しておけよ。


八月二十日   水


 現在水の不足に悩んでいる所が、地球上にかなり 多数存在するという情報を伝えるTV 番組を見た。
 そのことは以前から知っていたつもりだが、それが未だに 解決されず、むしろ増加の傾向に有ろうとは知らなかった。 (湯水のごとく)という慣用句を持つ我が日本では、想像 するのも難しいことだ。水ならなんとかそういう国々や地域 に、格安で提供できるはずだ。開発途上国の支援に使う 金の一部をこの事業に使うわけにはいかないのだろうか。 それとも既にそういう事業が行われているのだろうか。番組 ではそこまでは伝えていなかったが。
 浄化装置の話は出ていたようだが、海に近ければ海水を、 川が有ればその水を浄化できるだろうが、どうも番組の伝 えるところでは、そういうところよりも、今までも水が少なかっ たが、このところの地球規模の温暖化の影響で、飲料水 にも事欠く状態の所が多いようだ。多分町とか市とかの規 模ではなく部族、あるいは国の規模で存亡の危機に直面 しているのではなかろうか。船で運んで間に合う話ではなさ そうだ。
 なんとか技術立国日本の力を役立てる道は無いものかね。 菅君、軽井沢で昼寝している場合じゃなさそうだよ。商売に はなるまいし、又してはいけないことだが、我が国の理想を 世界に示す絶好の機会だし、示さなきゃいけないと思うんだが どんなものかね。


八月十六日   漫画


 今NHKのTVで放送しているゲゲゲの女房は、ゲゲゲの 鬼太郎の作者の夫人のエッセイが原案だと、断り書きが 付いている。この夫人の作品はまだ読んでいない。漫画 の鬼太郎の方も読むというのか見るというのかしていない。 漫画の方は早々とTVで放送されたらしいが、アニメとかいう ものを鑑賞することは先ず無い。
 いつ頃からだろう、いい大人が恥ずかしげもなく人前で漫画 を鑑賞するようになったのは。言葉と絵画的表現に関する基 本的な何かが全く異なる世代が出現したわけだ。こちとら世 代には漫画雑誌に夢中になる奴は、ごく少ないはずだ。 夫人の方の作品は機会があったら一読しても良いかなと思って いるのだが、話題の最中の作品は、図書館でもすぐには借りられ ないのだ。2、30人待ちが普通だから、この状態の解消する頃合い を待たねばならない。
 漫画がこれほどもてはやされるようになることは、果たして文化状態 に影響しないものだろうか。例えばこちとらが一人で「なにげに世代」 と名付けている世代と、漫画愛好世代と重なるような気がする。
 「なにげに世代」とは本来「何気なく」というべきところを、「なにげに」 といってすましている世代のことだ。いくら面倒臭いからとはいえ、 「なにげに」はないだろうと思うのだが、多分こちとらの子供世代の辺りから 「なにげに」世代かも知れない。「何気なく」という慣用句は「〜なく」に 意味の重心とでもいうべき部分が有るわけで、そこを省かれると意味が 分からなくなるはずだが、それにはお構いなく「なにげに」と口にする言語 感覚に、危ないものを感じるのは年齢のせいなのだろうか。
 ふと覗いた高校生の本が漫画の「老子」なので愕然とした覚えがある。 この分では多分論語辺りも漫画になっているのだろう。それでも知らない よりは知っている方が良いのかどうか、それでは何か文化全体が後退 しているように思えてならないのだが、心配しすぎなのかなあ。


八月十二日   方向感覚


 長野県を東北地方の一部のように感じていた 期間が大分長かった。それで通用していたのだ から、世の中かなり緩やかだったらしい。東京に 長らく住んでいると、この種の錯覚が身について しまうものらしい。どうしてかと考えるに、そもそも の始まりが東京駅の構造にあるらしい。
 東京駅から東海道本線の発車する方向はほぼ 真西である。中央線はこれとは180度反対の方 向、つまり真東に向かって発車する。この状態を 子供の時期に覚えると、中央線は東に向かって 走るものと先ずは感じてしまう。そして私共の子供 時代は、長距離旅行などあまりせず、せいぜい千葉 の稲毛海岸辺りに潮干狩りに出かける程度のものだった。
 だから学童集団疎開で上野から長野県に向かう信越 線に乗ったときも、東北地方に行くのだとばかり思っていた。 その上長野県の松代には粉雪がちらついていた。やっぱり 東北地方だと、無意識のうちに自分の方向感覚を納得 させるものがあったろう。
 何時の頃だろう。地図を眺めて、あれ長野県は東京より 随分西にある、と気が付いたのは。東京駅から真東に 走り出した中央線はどうなったのだ。中央線は東京から お茶の水にかけて緩やかに90度ほど回り、さらに飯田橋 にかけてかなりの角度で西に向かい新宿にかけて少し回って 新宿からはかなり北に向かうがその後はほぼ真っ直ぐに西に 向かい東海道と大きく平行しているわけだ。おまけに長野県は 南北に長く面積も広い県なので(東京のいなかっぺ)には 正確な方向さえ分からないのだった。全くしょうのないものだ。


八月九日   碑文


 8月という月は、日本人にとっては忘れられない 月である、筈だ。なにせ原爆を2発も落とされた 月だものな。ところが近頃は日本とアメリカとが戦 争をしたことすら知らない子供も少なくないのだそ うだ。で、どっちが勝ったの?と聞かれて返事に詰 まったと言う話もなにかで読んだ。況や原爆の被害 の凄まじさなど話して聞かせる親も少ないだろう。
 6日に広島、9日に長崎が焼き尽くされ吹き飛ば された。広島に落とされたのはウラン、長崎に落と されたのはプルトニュームを使ったものだとか聞いたが それが正確な情報かどうか、どんな違いが有るのか 分からない。核廃絶の意見が世界に広まりつつある とマスコミが報じているが、実情は保有国が増加して いるのではないか。核兵器を持っていることが抑止力 になると言う考え方だ。これを論破するのは難しい。 またナントカ爆弾の禁止条約もできたそうだが、いざ 戦争となるとどうなるものかね。
 日本は半ば実験的に投下されたようだ。その破壊 力はアメリカ国内の実験でも分かっていたらしいが、 被爆後60年も70年もその影響を肉体に深く与え ることまでは、実験はもちろん予想もできなかったろう。
 核兵器は絶対に廃棄すべきだ。が、それなら通常 兵器による戦争なら良いのかと言われると、これも 返答に困るね。良いわけが無い。自衛のためなら 許されるという意見もある。が、古来自衛の為で ない戦争など一つも無かった。
 だから我が国の憲 法は自衛のための戦争も禁止している。でもなぜか 自衛隊なる組織が存在し、近隣諸国から胡散臭い 視線で注目されている。まあ、アメリカ合衆国日本州 の州兵みたいなものだから、本国の言い分には逆ら えないようだが、このままだと3発めの核爆弾も日本 が受ける羽目になりかねないぞ。
 早くアメリカ軍に日本 からどいて貰おう。沖縄ばかりか日本列島に核兵器を 受けさせて、アメリカ本国の無事を計ろうという下心が 見え見えだ。日本の政府も、本当に独立しているの なら、その辺をはっきりさせて貰いたいものだ。
 さもない と、日本も核兵器を持とう派が力を付けて、本当に 核保有国の仲間入りなんてことになったら、まっさきに 困るのはアメリカさん、あんたじゃないのかな。今の内に 日本から引きあげた方が利口だと思うんだが、どんなも のかね。


八月六日   大相撲


 またまた野球賭博で元若島津が摘発されたと 報道されていた。暴力団との付き合いが今回も問題 にされた。巡業先の場所の選定などでは、その筋 の親分さんに話を通さないと、なにかと上手く進ま ないらしい。
 話は相撲ばかりではないことも、半ば 常識だ。歌手や大衆劇団のいわゆるドサ周りには この筋の関係が必要条件になっていることを、警察 でも当然のこととして、認めているのではないのか。
 その辺のことには問題は無いのかね。無いという のならそうですかと言うより仕方ないが、それで納得 する人少ないんじゃないか。
 話は相撲に戻るが、相撲の取り組み自体が賭博の 対象になっている疑いは無いんだろうな。だから無気力 相撲、実は八百長が行われているのではないか、と 相撲ファンは心配しているよ。
 むしろ問題はその方だと 思うのだが、大丈夫だろうな。検察や警察がそれを知って 見逃していたとすると、これは本当に大相撲の終わりだ。 今の大相撲は一度潰して、新たなスポーツとして再建 すべきなのかもしれない。


八月三日     酷暑


 暑い、毎日暑い、この近所では7月の29日、30日に チョビット雨が降ったようだ。所によってはゲリラ豪雨 が大雨をぶちまけたようだ。こんな気候異変は76歳 の今日まで経験したことがない。
 日本の熱帯化だなどと騒ぐ向きも有るようだが、 千年単位ぐらいでみると、それほど 珍らしいことではないようだ。完全に熱帯化するなら 地球の傾斜度が変わったり、太陽の爆発状態が変化 したりといったような、誰の目にも明らかな、宇宙規模の 変化が見られるはずだが、それは無い。では我々の使う 炭素系エネルギーの残滓が招いた結果という、近頃 流行のエコロジー論が正解かというと、ま、それもあるかも 知れないが、実は何回もこんな現象がおこったらしいのだ。
 温暖化だけではないぞ。寒冷化もあったようだ。石油や 石炭等の化石燃料を使うずっと以前の話だがね。暖かさ に浮かれて北に移動してきた群れと、元々其処に住んでいた 群れが合流し、交配が進んで新しい群れができる。
 てなこと が何回か繰り返されるうちに、大きくなる群れはさらに大きくなり 小さな群れを飲み込んで、民族とか国とかの原型のようなものが できていく。原始的な言葉が生まれ、悪賢い奴は文字まで 考え出す。揚げ句、国家だ、民族だ、宗教だ、戦争だという 騒ぎになるわけだが、地球のリズムはそんなことにはお構いなく 今回は温暖化のリズムですよと告げているわけだ。
 モスクワで 37度超を記録したと言うから半端じゃないな。今回の温暖化が どのような変化を地球にもたらすか、ちと怖ろしいような気もするが、 期待も込めて見守るしかあるまい。


八月一日    サウンド・オブ・ミュージック


 先月25日、四季劇場「春」で「サウンド・オブ・ミュージック」 を見聞きしてきた。舞台はなかなかに仕上がっていたと 思う。ミュージカルものだけに難しいかなと思ったのだが、 さすが浅利、よく鍛えてあった。歌、声共に良くなければ この手の演劇は長持ちしない。その上演技力も要求さ れるのだから、役者としては相当に苦労するはずだ。曲も 結構高音を要求していて、なまじの喉ではこなしにくい作 品だが、それにしても今これかなあ、と胸の内で呟きつつ 我妻殿の仰せとあれば、逆らう術無しと観念した。
 だが、アビリテイーズの周旋価格は一人一万六千円、夫婦なら 勘定するまでもない。もっとも昼飯付きの値段だったが、 これは我ら夫婦がJRとタクシーを使って利用した場合の 値段で、自家までバスで迎えに来て貰うと、それなりの料金 が必要となる。こういうサービスは有って当然とは思うが、現在 は個人の好意によって運営されている模様だ。
 こういうこと こそ国が面倒を見なくてどうするのだ。後期高齢者制度で 早めにあの世に行かせようったって、そうはいかないぞ。鳩山君 や菅君が、いかにお粗末な総理であろうと、取り敢えずそれで 通用する世の中にしたのは、君達が邪魔にしている高齢者 なのだぞ。
 などと文句を垂れているのは、浜松町駅の出来の悪さと、表示 の不親切さ、何処に行けばエレベーターが有るのか、何度見ても 分からん。こんな状態のままなら、劇団四季「春」になど二度と行か ないからな。演目の出来がまずまずだっただけに、環境整備の悪さ が目立った一日だった。
 今日だけで1キロ体重が減った。それだけ 苦労して汗をかいたんだよ。そりゃメタボのためには結構なことで、 などとほざいた其処の奴、ろくな死に方はできないものと覚悟しろ。 「『ドー』はどうでも良いの『ド』」とでも言いたくなるな、あの環境は。


2010年7月までの雑感はこちら