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鷹連巣雑感


七月二十六日

百日紅

 こう書いて(さるすべり)と読ませる。どう考えても 無理な読みではあるまいか。どこが(さる)で、どこ が(すべり)なのか、誰にも合理的な説明はできない だろう。(ひゃくじつこう)という音読みはもちろん有る。 だがあの花を(ひゃくじつこう)と言っても、それと思い当 たる向きはそんなに多くはあるまい。
 この花が、いつもの散歩道に咲き誇っている。木は10 本有るのだが、咲いているのは三本、白いのが一本、 白くても百日紅なのかね。
 そろそろ盛りをすぎたのが紫陽花、この花の読み方も特殊 だな。(しようか)と言っても(あじさい)を言い当てられる人は (さるすべり)より少ないのではあるまいか。この種の漢字の 使い方は花に限らず、地名でも結構幾つも有るのだが、今日 は例を羅列することは止めよう。問題はこういう漢字の使い方 が、どうして生まれたのかということだからだ。
 和名が先にあり、 その意味を汲んだ漢字が、あとから付けられたらしいものも少な くないけれど、どうしてこの字が、と思われるものも有る。(つば いち)という地名が奈良に有るが、調べてみて欲しい。何でそう なのと感じないお方は、余程の歴史ファンかその道の専門家だ ろう。いろいろ説が有るらしいが、本当のところは分からないという ものが大部分のようだ。
 日本の古代史には現代に生きる我々に とって、解けない謎が山ほど存在することを実感せざるを得ない。

七月十六日

ねじれ選挙

 今度の参院選挙の結果、ねじれ現象が起きた そうだ。要するに、野党多数、与党少数になった ということらしい。それなら衆議院と同じように与党 が多数になるのが当然なのか。とすると、参院なんか 要らないのじゃないか。
 そもそも参議院を必要とする理由は、衆院の政党 優先の行き過ぎをセーブすることに有るのではなか ったか。とすると、参院に政党の参入を、原則、認め てはいけないのではないか。少なくとも我々世代の 社会科ではそんな風に教えられたように思う。
 もっとも、我々の中学時代は1948年頃だから、 現在とは考え方が違うのかもしれないが、選挙の 基本となる憲法が変わったわけではないのだから、 そんなに変わることはないだろう。
 それにしては、新聞 やTV等のマスコミが政党同士の競争を煽っているの はどうしてか。W杯が終わってニュースのねた切れから 参院選挙が騒がれたのではなかろうな。本来マスコミ は政党間の競争をたしなめる役柄ではないのか。
 マスコミの餌にしかならないのなら、本気で参院など 潰すべきだろう。理想や思想のかけらも無い、党利 党略だけの言い合いなど衆議院だけでうんざりなんだ からね。
 菅君もこのくらいのことでウロチョロするんじゃないよ。一国 の宰相たるものが税金のことなど、敵の誘いにうっかり のるなんていただけないね。江戸時代でも年貢の値上げ に当たっては、かなり神経を使い、百姓町人を納得させる のに苦労したらしいよ。鳩山君も菅君もちと不勉強じゃあ あるまいか。自民のお殿様ぶりに愛想が尽きて君達を 選挙したのだから、しっかり腰を据えて、後世に残るよう なまつりごとを披露して貰いたいものだ。

七月十二日

梅雨

 このところ、集中豪雨が鹿児島近辺を連続して 襲っている模様だ。あの辺は、桜島の火山灰が 堆積してできた土地柄であることは、よく知られて いる。しかも新しい火山灰だから雨に弱い。しかも 平野部分が狭く山地が多い。えらいことだ。崩落 事故が続発している模様だが、これ以上雨が降 らないことを祈るばかりだ。
 梅雨時のこんな豪雨は、珍しいのではあるまいか。 大抵は台風に伴うものだったはずだが、それなら これほどに連続せずに、一晩くらいで通過していた。 梅雨前線が停滞して動かないことが原因の連続 集中豪雨など聞いたことがない。何やら日本の気 候全体が変わってきたようだ。
 と思っていたら、 今度は埼玉県やら多摩川上流地域での豪雨の 情報だ。あの辺は普通水の出るところではない。
 TVでは果たして、こんなことは初めてだ、という人が 膝や腿の辺りまで水につかって歩いていた。 本当にどうしたのだろうな、日本の気候は。地形が 大きく変わりそうなくらいの、気候変動なのではある まいか。だとすると、その備えは大変だぞ。

七月七日

消費税10%

 菅君が消費税10%論を野党の誰かの尻馬に 乗って口走った。選挙の前に何たることだと民主 党の中でも評判が悪いらしい。だが、今のままでは 国家予算が絶対的に不足していることは、どの 党も認めざるを得ないだろう。どういう社会福祉の ために、何処を倹約して此処を重点的に手当する という説明が聞きたい。ただ増税するというだけでは 前政権自民の二の舞を舞うだけだ。
 前にも書いたとおり、日本の国民は君等政治家の 思うほど馬鹿じゃない。この不景気を招いたのが、 前政権自民党の政策の間違いだったことに、機敏 に反応したことでもそれは分かるだろう。何が何でも 税金を払うのは嫌だというのは、自民党の時の話で よく説明すれば、大方は渋々でも了承するはずだ。
 今からでも遅くはない。あらましでいいから説明する ことだ。でもなあ。沖縄で候補者を立てられないの ではなあ。それこそ足下を見られてるのではないか。

七月二日

惜しかったパラグアイ戦

 16強に入れたのは凄いことだった。感心 した。デンマークに勝てるなんて、思っても みなかった。比べてパラグアイ戦は惜しか ったな。何か遠慮っぽい戦い方のような気 がしたぞ。
 PK戦で負けたのは仕方ないだろ うけど、一度思い切り攻めて貰いたかった。 それでカウンターを食って負けたとしても、 その方が良かったと思うよ。でも、近頃の 面白かったものの中の五指のうちに入るな。
 お陰で朝の眠たかったこと、だがそれは日本 チームの名誉な勲章だ。Jリーグでもあのくらい 迫力のあるゲームが続くなら、野球を抜く人気 が出るかもしれないぞ。頑張って貰いたい。

六月二十六日

デンマーク戦

 日本人がこんなにサッカー好きとは知らなかった。 明け方の3時から開戦と分かったときから、こりゃあ リアルタイムじゃ見られないと、諦めていた。デン マークも強そうだったしな。3−1で勝とうとは予想 もできなかったよ。取り敢えず勝ててよかった。お次 はパラグアイだそうだ。南米の中堅どころらしい。
 だが、イタリーもフランスも1次予選で消えてしまう くらい予想のできないスポーツだな、サッカーは。 もしかするともしかするぞ、等と密かに期待したり する、楽しい者なのだ、人という者は。
 決勝リーグ に出るということが、つまりはW杯に出るということ らしい。今度は何時開始か知らないが、起きて 見ていられる時間だといいな。
 当然サッカーは 賭博の対象になっている。トトカルチョとかいう のはイタリーの国営じゃなかったか。1次予選 敗退という予想はいくらに付いたのだろう。当たった 奴もこっそりとじゃなきゃ受け取りに行けないだろう。
 スリルとスピード、それにきっちり決まった時間等は 御婦人向きでもあるな。延長何時間なんてこと はないし、野球よりでかい声を出せそうだし、ストレス 解消にはサッカーの方が向いてるかもな。次戦を 楽しみに待つとしよう。

六月二十四日

米軍基地無用

 沖縄からなかなか米軍が撤退しない。アメリカにとっても それは、あまり利益や収入にはならないはずだ。何故 普天間や辺野古にこだわるのか、その真意が分からない。
 日本よ、お前はアメリカに負けた国なのだぞ、つべこべ言う でない。黙ってすっこんどれ。 確かに戦争に負けるとは こういうことなのだと、しみじみ思い知らされる。特に沖縄に ついては、3度ほど本島と宮古島を訪問しただけだけったが、 普天間基地の広大さと、騒音のひどさには訪問の度に参った。 あんな轟音のもとでは多分1週間も保たない。
 アメリカは何処から何処へ向けても、自由に核兵器を発射 出来る体制が、完成されているはずだ。沖縄に海兵隊を おく必要など、軍事的には皆無の筈だ。多分海兵隊の無益 をアメリカ社会が知ったとき、その就職先が見当たらないのかも 知らない。武器の扱いと暴力だけが取り柄の集団など、何処 の国でも、ヤクザぐらいしか受け入れてくれないんじゃないのか。
 そう、軍隊とは国家が雇った、公認されたヤクザ組織そのも のだからね。それと知らずに赤紙で徴兵された素人の新兵さん、 ご苦労様でした。それか有らぬか敗戦後の日本って、随分 ヤクザっぽくなっているんじゃあないかな。で、ヤクザの方も 昔ながらの博打や喧嘩だけじゃあ食えないので、昔は手を出し てはならないと禁止されていた素人にも誘いを掛けるようになって 見分けが難しくなった。
 それがどういう社会になるのか、封建社会 の例はいろいろ書き残されたり、未だに残滓が残っていたりするが 現代社会のヤクザの有り様はまだはっきりしていない。銃を振りまわ すのもこれからは難しくなるだろうし、ボクサーやレスラーだけじゃあ頼り 無いしな。
 現代的任侠道とは?ま、しっかり考えるこったね。そう、 米軍基地の問題は、こんな所にまで影響する深刻な問題なのだ。

六月十八日

ごっつあん

 ごっつあん相撲という言葉が十一、二歳の頃から 友達の間で使われていたよ。いうなれば八百長の ことだ。当時は栃錦、初代若乃花の全盛時代、 当然ラジオの実況放送に耳を澄ませて、ひいきの 力士が勝てば、大歓声を挙げて喜んだ。だが、中 には事情通がいて、ありゃごっつあんだけど、うまい もんだなと解説する奴がいた。とても八百長とは思 えなかったが、もし本当だとしても充分見る価値の ある取り組みだったと思う。
 確かに15日間、全力 で取り組んだら身体が保たないかもしれない。でも 敢えて取り組むからプロではないのか。それとも相撲 は芝居の一種と割り切っているのか。琴光喜の名前 がTVや新聞を賑わしているが、三役は勿論、親方、 理事まで関係していることは、大抵の見物衆は心得て いるよ。今更何を弁解しても、何の効果もないことは 相撲協会自身が充分分かっていることだよな。
 神前競技だとか国技だとかいばってみても、スポーツ としては、特に幕内になったら見ていないよ。 勝負事なのだから賭け事に興味を持つのは、むしろ 当然のことだろうよ。出世して大金が入るようになったから 手を出したら、そこにヤクザが待っていたということぐらいは、 誰にでも想像できることだろう。スポーツとして営業する つもりなら、それはそれで成り立つとは思うが、今のまま では潰れるしかないだろうな。秒単位で勝負が決まる スポーツは世界的にも珍しいのだから、そこを売りにする 知恵者を見つけることが、何よりも先決問題だろう。
 勝負事に八百長は付きもので、或る程度は仕方が 無いけれど、大相撲のそれは行き過ぎだろう。早い 時期に解決しないと、大相撲が消えてしまうかも知れない。 この頃は期間中でも相撲を話題にする人は十人に 一人いるかいないか程度だ。相撲協会にそういう危機感 が有るのかね。

六月十七日

夜更かし

 カメルーン戦は面白かった。取り敢えずはどちらが先に 得点するかで、寝る時間を決めようと思っていた。相手 に先を越されたら、日本は巻き返せないだろうとの予想 だった。ランキングも随分こちらより上だしね。
 ところがこちら が先取点、こりゃ寝てられないわなあ。いつ取り返されるか それが心配だ。相手は大きいしよく走るし、高く飛び上がる し、ひやひやの連続だった。見てる方も楽じゃなかったなあ。
 だが、日本のシュートは素晴らしかったよ。一つの典型と して残るんじゃあるまいか。サイドからのパス、受けて僅かの フェイントをかませて左からのシュート、力任せスピードだより だけがサッカーじゃないよと、態度で示してくれたのが良かったね。
 とうとう終わりまで見てしまった。岡田監督もこの一勝で今まで のブーブーブツブツを聞かなくて済むようになるだろう。W杯で あれだけのプレイのできるチームに育てのだから、大したものだ。
 できればオランダ戦を引き分けぐらいに持って行って貰えば、 言うことないんじゃないか。勝てればいいけど、それほど甘くは なさそうだからな。また夜更かしをさせてくれると嬉しいのだがな。

六月十四日

梅雨入り

 本6月14日、関東地方梅雨入り宣言。まあまあ 順当な季節の巡りに戻ったか。紫陽花が方々で しっくりと色づいて目を楽しませてくれる。隣家の花 は淡紅色だが、散歩道で見かけるものは例外なく 淡紫色、土の性質によるものか、七変化の名に恥 じないところが楽しい花だ。一つの花の色の変化を 言ったものかと思っていたのだが、生える場所によって も、最初の色が違うということも意味しての七変化で あったのか。
 紫陽花は見るのが楽しいが、この季節、成長著し いのが十薬、またの名がドクダミ、白い十字の花も ボッテリ厚い緑の葉の不気味なつやの中に咲いてい ると、なかなか鑑賞という気分になれない。同じ植物 仲間なのに、損しているなあ。
 本日は実はサッカーの対カメルーン戦がこれから始 まる、それを待つ間に周囲の様子の変化を御報告 に及んだという次第。でもなあ。エトーを抑えきれるか なあ。ひょっとして日本が勝ったりしたら、選手全員 生きてアフリカを出られなかったりして。ま、そんなこと は有るまいが、アフリカの熱狂ぶりは凄まじいものが あるなあ。このW杯がかの大陸の発展に大いに寄与 すると、我々も喜ばしいのだがね。さてそろそろかな。

六月七日

意外と長持ちするかも

 鳩山君が総理を辞めて、菅君が後釜を引き受けた。 この辺までは大方の読み通りだったろう。なにしろ政治 についてはずぶしろのこちとらでも、ここらまでは予想できた。
 問題はこの後だよ。日米安保について、鳩山君の言ったことが、 内容としては正しい。悲しいかな外交手段に無知だった。自民 が憎かろうと蹴飛ばしたかろうと、外国相手に結んだ約束は、 一応尊重せにゃならんのだよ。そのため明治政府が二十数年も 苦労したのではなかったか。鳩山君が最後に日米合意に膝を 屈したのも、勉強不足のせいだ。
 ところで、菅君、安保問題の 問題提起には君も絡んでいたのではないか。九月の選挙の時 には是非、米軍基地の国外退去を公約に入れて欲しいな。
 急がなくても良いよ。慌てる乞食は何とやらだから、じっくり構えて 中国とも韓国とも北鮮とも話し合って、北東アジア、東南アジア には原則、アメリカの軍事力をはじめ、どの国の軍隊も長期滞在 させないようにせねばなるまいよ。内戦だの暴動だの、いろいろ 有るらしいが、取り敢えずは自国内で処理することを原則としよう。
 一時の現象だけで外国軍が乗り込むことは厳禁。武器の提供も 勿論禁止。政府が崩壊しようと後釜がいるなら其処に任せる。 この地域はその程度でうまく収まるはずだ。その辺をじっくり研究 してアメリカを説得することだな。アメリカだって自国の格差社会を どう均していくか、大変なはずだ。
 菅君、君の政権が長持ちするようなら 、日本もまんざら捨てたものじゃ ないと、国際的評価が上がるかもよ。頑張って欲しいね。

六月一日

大臣罷免

 福島瑞穂大臣を鳩ちゃんが罷免したと TVや今朝の新聞(5月30日)で報道された。
 まあ、なるべくしてなった結果で、福島氏を大臣に したときから、或る程度は覚悟していた事態だろうとは 思っていた。沖縄問題に話が行けばこうしかならないことは、 熊さん、八っつあんでも予想できて、一文の賭けの対象 にもならなかったろうよ。
 でもなあ。鳩ちゃんよ、あんた商売 が下手だねえ。辺野古まで背負い込むなら、前政権が決めた ことだから仕方が有りませんが、私は米軍基地に日本から出て 行って欲しいのです。その交渉をこれから四年かかって始めます から、その用意を米国政府によろしくお伝えくださいね、とでも 言っとけば、君の評価は逆転してたんじゃないか。これじゃ 自民の汲んだ肥桶を自分で持ち上げ頭から被った形だな。
 鳩ちゃんは政治的マゾなんじゃないか。しっかりしてくれよ。 と、言っても所詮無駄か。高速道路の無料化も、子供手当 の給付も、やらないよりはやった方が良いかもしれないが、 これって一国の政府が選挙の公約に掲げるほどの事かね。 もっとしっかり政治を営業して貰いたいなあ。素人総理さん。 長屋の御隠居はもとより熊も八もそう言ってますよ。これじゃ 落語のネタにもならないってね。

五月三十日

南北の緊張

 北朝鮮の潜水艇が韓国の軍艦を撃沈したらしい。良い 加減にして欲しいものだ。北朝鮮が、こっちに も注目してくれというサインを出したつもりなのか、 あるいは本気で戦争を仕掛けるつもりなのか、その真意 が読めない。韓国としてもこのままにしておくわけには行か ないだろう。四十人以上の戦死者が出たのだ。韓国の 国民が事態の放置を許すまい。金正日というお方は何を お考えになってこんな危険な行動をお執りになったのか、 全く理解できない。
 日本の防衛大好き論者達が、ほら見ろ、 あんなことをしでかす国がすぐ傍にいるんだぞ。日本も再軍備 して、ミサイルも核弾頭も持たなきゃならないぞと、勢いづいて まくしたてるだろう。中国はもたもたしているようだが、決して今回 の北のやり口を歓迎してはいないよ。もしかすると一番迷惑に 思っているのが中国かも知れない。彼の国の一揺るぎで北朝鮮 など消えて無くなるだろうが、その難民が中国に押し寄せるだろう ことが目に見えているだけに、潰すわけにはいかない、といったところ だろう。東ドイツの例が有るからな。傍迷惑も程々に願いたいもの だ。
 国民を飢えさせてまでハイレベルの軍備をしても、つまるところ 日本の嘗ての軍国主義の末路が待っているだけだよ。平和な話 し合いでいきましょう。日本が何とか食えているのは、他国と戦争 をしなかったからだよ。無駄な悪あがきはやめようよ。もっと国民を 可愛がってやれよ。それが今の政治体制を長持ちさせる、一番の 方法だよ。分かって欲しいなあ。

五月二十五日

続・台北四泊五日

 前編で書き残したこと、遠慮したことが多少有るので続編を 書くことにした。書き残した事の最たるは、旅の目的の一つ にからすみの購入が有ったこと。これを忘れてどうするのだ、 と言うくらい、脳の半分ほどをからすみが占めていた。初めて 案内された店で、早速仕入れたのは良いが、その後傷みは しないかと、その心配が移動中の脳の三分の一ぐらいを占めて いた。真空パックだから大丈夫だと我妻殿は仰せだが、それでも ときどき心配になった。
 帰国して早速試食してみたが、嬉しや何 事もなく上々の味を披露してくれた。好好。食べ物で感激したのは これのみであった。今夜も薄切りを軽く炙って一杯やるのが何より 楽しみ。大きいのを一腹、小さいのを二腹、合計三パックで、五千 台湾ドル、これはかなり値切った値段だ。台湾ドルと書いたが、ドル の表示は無い。圓と表示してある。一圓が三円ちょいの為替相場 だ。三パックで五千圓ということは一万五千円くらい、私にとっては 大金の部類に属するが、といって破産覚悟というほどの金額でもない。 長崎あたりで買うと、この三倍くらいは軽く取られることはとうに承知 している。
 次は遠慮したこと。と言うより疑問に思ったこととするのが正しいか。 台北市には高速道路が発達している。鉄道も発達しているのだが、 今回は主にバスで移動した。つまり車椅子に乗ったまま乗車、下車 の可能なバスを借り切ってのツアーだった。これがアビリチィーズの目的 とする仕事なのだ。
 さて、高速道路に乗ってしばらくして気が付いた。 両脇にずらりと廃墟とおぼしきマンションかアパートの列が延々と並んで いる。四、五階建ての住居跡、それも築二十年前後と思われる。それが 一カ所でなく、何カ所にも現れるのだ。高速道路の開通の影響かとも 思ったが、そんなことはあるまいとも思え、当地のガイドさんに聞くのも 失礼かと遠慮した。此処にも格差社会が有るのだろう。
 ところで我々の 行く先は、淡水市の士林(スーリン)なる夜店だ。これが浅草ロックの 何何市(いち)の何倍かの小店が無数に集まり、細い通路に客が 溢れかえっている。
 私は手動車で見物したのだが、有りとあらゆるものが売られていて、 勿論食べ物の店も有る。ガイドさん曰く、「何を食べさせられるか 分かりませんから、絶対に買い食いをしないで下さい。」なるほど、 食中毒でも起こされたら問題だし、その可能性無きにしもあらず、 それにしてもこの人混みは尋常一様のものではない。さっき見た 廃墟とどう結びつくのか、全く不可解な現象だ。
 台湾は実に不思議 な島、と言えば良いのか国と言うべきかそのへんからして面白い 所だった。
 もう一つ注意すべきこと。遊覧バスのシートベルトは 絶対に使えないように細工してある。追突でもされたらどうするつもり なのか、これも聞くことを遠慮したことの一つ。こればかりは注意 しろったって注意出来るものじゃないから、これからお出かけの向き は覚悟が必要かな。なんでこうなるのか、これも不可解なことだ。 以上が前編の追加事項でした。

五月二十二日

台北四泊五日

 五月十四日から十八日まで、四泊五日の台北 観光をしてきた。リハビリのリーダーに、事前に台北 行きを話したら「グルメ旅行ですか」と聞かれた。それほど 台湾料理が有名だったとは気が付かなかった。後で 料理についての感想を総括することにしよう。
 一番の期待は故宮の所蔵品だった。蒋介石が内戦に 敗れて台湾に退去するとき、当時北京の故宮に有った 主な所蔵品を持ち去ったことが、かなり大きく報道された。 蒋介石さん、なかなかの判断力の持ち主だったようだ。現在 北京の故宮には見るべきものはほとんど無いというから、 毛沢東さんも口惜しかったろうが、革命が成功するかどうかの 瀬戸際に、美術工芸品にまで気が回らなかったのは、当然と 言えば当然のことだったろう。
 期待の二番目は京劇の見物。TVで部分的にしか知らない 京劇なるものを知りたかった。三番目は茶芸なるものの体験、 これは開高健が何か随筆に書いていたのを覚えていた。茶道 なら日本の抹茶を用いるあれの事だろうが、茶芸とは初耳だ。興味がある。
 中国本土に旅行する気には、未だならない。何処か でトイレ事情を読み、こりゃかなわんなあと思ったのが頭に 残っている。シェラトン・タイペーに四連泊するならその心配はまず 有るまいと参加を決意した。例によって日本アビリテイーズ協会主催 の行事だ。割高だが面倒見がことのほか宜しい。我々身体障害者 にとってはこのことが、料金の問題より大切なことなのだ。
 さて、胸わくわくの故宮博物院だが、驚いた。何という人混み だろう。押すな押すなの大盛況。スーパーの安売りかなんかなら いざ知らず、博物院の此処までの人混みは初体験だった。ウフテイ は美術館だったかルーブルはどっちだったか、大英博物館とか、とにかく ヨーロッパッ系のその種の施設は随分訪れたが、こんな人混みに 出会ったことは一度も無い。
 象牙の薄彫り細工とかオリーブの実を 船に仕立て、中に何人かの客をそれぞれ別人として彫り込んである とかその他二、三点を鑑賞したら、はや制限時間一杯、まあこの状況 じゃ仕方があるまい。書画、書物、衣装関係のものなど見たかったが、 日本の国立博物館でも、こんなに混むことは将来にわたって無いだろう。
 近代美術館で、ピカソとかマネとかその種の特集展のときには、えらい 人混みらしいが、こちら台北博物院は休日も平日もなくこの混みよう だという。よほど教養レベルが高いか、中国本土からの客が多いかでは ないかと思われる。小物細工もあの程度だと、日本では博物館に入れて もらえないかも知れないな。いるのだよ、我が国にも器用なのが。
 さて京劇。主人公の青面虎という人物の扮装の異様なこと。べっとり と青い何かを顔に塗り、目と口の周囲だけ申し訳程度に白か黄色か そんな色をぬり、なんとも異様な飾りを付けた鎧甲に身を固めているのだが、 兜から長々と二、三メートルは有ろうかという鞭とも触覚ともつかないものが 二本生えている。これが中国流の快男児なのだそうだ。一見とても人間には 見えない。
 この快男児が悪事を働く官軍を懲らしめに行くという、筋書きとしてはごく ありふれたものらしいが、官軍が無条件に悪役に設定されているのが いかにも中国らしい。この快男児がドン、ジャン、キーキー、ドン、ピー、 ジャーン、ジャーンと賑やかと言うかうるさいと言うか、大騒音の中で立ち 回りを演じる。中で椅子を使った曲芸じみた技も見せる。快男児には妹 がいて、綺麗な衣装に身を飾っているが、彼女にも二本の鞭だか触覚が 生えている。日本の歌舞伎も相当に荒唐無稽な衣装や扮装をするが、 此処までは観客が許さないだろうなあ。遠慮無く言わせて貰えば、こりゃ 悪趣味ってもんだよ。
 お次は茶芸、ウーロン茶とかプーアール茶の正式ないれかたを茶芸と称する らしい。茶碗に注ぐまでに五、六回湯を注ぎ回す器が必要だ。いずれも 陶磁器だが、ままごとの道具のように小さい。飲むに当たっての茶碗も、 杯程度のもの、黙って出されたら、昼間から酒を飲むのかと聞かずには いられないほどの小さな茶飲み茶碗だ。忙しい向きにはやってられないよ。 中国人のガイドも、「これは老人茶といいまして普通の人はこんなことは しませんよ」だそうである。一煎めを少し蒸らしてから捨て、二煎めから飲む と旨い。これは体験済み。
 次は龍山寺だが、龍だの鳳凰だの仏様だのが、山門から本堂に至るまで 派手に極彩色に彩られてこれ見てくれよと言わんばかりのごてごて飾り、 ああ、これは京劇の世界だなあと納得した。そういう文化というものも、 それはそれで存在価値が有るわけで、私の趣味と異なろうと同じだろうと あちら様には関係の無いことだ。だが、遣唐使が我が国に伝えた寺院の 様子がこういうものだったとは思えない。色彩はこの派手さを伝えられただろう。 「青丹良し奈良の都はー」と詠まれた色は多分この色だったろう。関渡宮と いうお宮さんにもお参りしたが、趣味の壁は厚いとだけ言っておこう。
 おしまいにグルメの話になるが、一言で済む。料理は東京が一番旨い。 中国に限らず、フランス料理でもイタリア料理でも、間違いなく東京の店 で食した方が旨い。腕の良いのがこちらに来てしまっているのかもしれない。 そこそこのものを食べたが、成る程と感心するまでには至らなかった。もともと そんなに期待していなかったから、どうということは無かった。大体において 台湾は自己主張が足りない感じかな。中国との関係が有るから、我々には 分からない部分も有るのだろう。穏やかで楽しい旅行だった。博物院が ゆっくり見学できるようになったら、また行っても良いな。

五月十六日

日本語のアクセント

 「日本語にはアクセントが無い」と、大学時代に専門家の 教授に教えられた。当時はどうということも無く聞き流しに していたのだが、退職後、音訳ボランチアを始めたときに、 これがかなり問題になることを知った。
 音訳の主な仕事は、 蔵書テープの作成だ。指定された書物をテープに音読して 吹き込むことだ。録音デッキの使い方は勿論、音読そのもの についての講習も受けねばならぬ。視覚障害者を対象にした 音読は、通常の音読とは全くといって良いほど注意点が違う。
 同音異義語に対する感覚等が一番の注意点になることは誰 でも予想できることだが、句読点の間の取り方などは、文章 全体の主題、主張点等を理解していないと、適確な読みが できない。
 だからかなり注意して音読するが、先ずは単純な読 み間違いが意外に多いのだ。つまりはそういう読み間違いに気 付かず、普段の読書を行っているということなのだ。これは音訳 するものには許されない。そのために校正者が付く。私の属する グループでは二人の校正者が付く。
 そのとき、校正されることにアクセントがかなり有る。そこでこの文 章の書き出しを見て欲しい。確かに欧米語におけるアクセントの 重要性あるいは語意決定性が日本語には無い。日本語では 文脈が意味決定性を持つ、と考えて良いだろう。だから肯定文 か否定文か最後まで聞かないと分からない。このこと自体はアク セントには直接関係しないが、間接的にはアクセントの意味決 定性の否定につながることだろう。
 しかし、アクセント辞典なるものまで出版されていることも事実だ。 S堂とNHKから発刊されている。するとこの頃は国文学系の講義 にアクセント学も含まれるようになったのだろうか。そうだとしても、 それは多分行き過ぎだろう。正当な日本語は古代から中世に かけての畿内で使われたものが基準とされている。意味も文法も 共にそうなっている。
 ところがアクセント辞典の基準は東京地方を 基準にしている。気が早過ぎはしないか。もう少し様子を見る べきでは無かろうか。東京が何時まで首都でいられるのか、誰にも 分からない。たかが百数十年しか首都としての歴史を持たない 地方のアクセントを全国版にしようとするのは、或る意味、ファシズム 的現象ではあるまいか。とは言うものの、共通語の必要性は認めざる を得ない。ただそれも何時までのものかという認識だけは持って いなければなるまいよ。

五月十二日



 今年は鰻が不足しそうだとTVが報道していた。 本当は鰻の完全養殖に、日本が初めて成功した と報道するつもりだったらしい。ところが今年は鰻の シラスの漁獲量が極端に少なく、加えてシラスの 供給源だった中国でも鰻が喜んで食べられるようになり、 日本に輸出するには、値段がピンと跳ね上がるそうだ。
 いくら鰻が好きでも毎日食うほど金もないし、栄養の バランスも考えなきゃならないしなあ。もともとそんなに 安い料理ではなかったのだから、今更少々値上がりしても 多分それほど影響は有るまい。それより、蒲焼きにする 機械が中国に有るとは気が付かなかった。つまりは スーパーあたりの鰻の値段が何割か上がるだろうと いうことらしい。
 日本料理が世界的に知られることは、 むしろ喜ばしいことだ。フランス料理だけが料理じゃあ ないのだからな。しかし、中国人が喜んで鰻丼を食う 図には、驚いたなあ。そういや中国料理にはあまり 鰻を使ったものは無かったな。珍しいものは人気が出る のは当然のことだから、これから今の人気がどこまで続く かが問題だろう。日本人だって土用丑の日ぐらいにしか 食べないんだから、多少高くなってもどうってこともあるまい。

五月六日

これで行こう 紫光線で野菜栽培

 LEDとかいう光で野菜を栽培すると、結構なものが大した 手間もかからず収穫出来る技術が開発されたことを、最近 のTVで知った。まだ金は相応にかかるらしいが、これは朗報 だよ。
 いずれ世界的な食糧不足になることは、どの国でも 予想していることだ。解決の方法が見つからないから、見て見ぬ 振りをしているだけで、この方法の採用が解決の緒になる可能性 が高い。日本政府はこういう研究にこそ費用を惜しんじゃいけないよ。
 実用化されれば、それこそノーベル賞ぐらいでは済まないほどの 価値ある研究ではあるまいか。レンホーさん、仕分けでこの研究費 を削っちゃいけないよ。議員の数はそれこそ半分でも三分の一でも いいから、こういう研究の費用は増やして貰いたいね。

五月二日

上海万博

 上海で万博が開かれている。その予行演習が行われて 大混雑だったとTVで放送されていた。中国も立て続けによく やるもんだね。それだけ景気が良いということだろう。何しろ 銀座辺りのブランド店で百万、千万単位の高級品が、中国 からのお客さんに、束で買われているといった様子も、何度か TVで見た。桁違いの金持ちが、中国の沿岸地方に生まれ ているらしい。
 けれど、これって毛沢東等が革命を起こさざるを得なかった 状況に際どく似てきているのではないのかな。中部や北西部 の人達にもこの繁栄が行き渡っているとはとても思えないのだが、 チベットや青海県あたりの様子も時たまTVで紹介されるが、 どうも札束とは縁のない生活のようだ。
 地方官吏の汚れ方も 半端じゃないようだし、さて一党独裁からどうやって抜け出すか、 四千年来の知恵の生かしどころじゃないのかな。もはや中華 人民共和国の名前に期待するものは何も無くなってしまった ようだから、獅子身中の虫を片づけてから万民共栄の道を 探さねばなるまいね。大騒ぎにならないうちに宜しく頼みたい ものだ。

四月二十九日

北京国際モーターショー

 過去最大のモーターショーが北京で開かれて いるようだ。経済的に発展してきた結果だろう。 その限りでは目出度いことだ。近所付き合いの 欠かせない日本としても、先ずはお祝いの挨拶 ぐらいは掛けずばなるまい。
 ただ彼の国は特許 意識が格段に低レベルで、平気で他社のモデル を真似したものが多いらしい。日本は言うに及ばず ドイツもイギリスもアメリカも、どうしようかと迷っている ところらしい。日本も明治時代には、かなり阿漕な 貿易商売をやったらしいから、あまり大きな顔を できないわけだが、市場として現在世界第一のスケール を誇る中国に、面と向かって抗議のできる会社は 少ないだろう。
 だが、商売で成功を狙うなら、何時までも そんな無茶が続くわけのないことを、痛い思いをして 知ることになるだろう。世界中に点在する華僑の方々 が、故国の無茶を警告するに違いない。商売のこと に政府が口出しをしても、ろくな結果にならないことも 序でに教えてやって貰いたいな。

四月二十四日

ノートルダム・ド・パリ

 去る15日、オーチャードホールで上演された 「エスメラルダ」を見た。当然のことながら、 原作は「ノートルダム・ド・パリ」 ヴィクトトル・ ユーゴ作だ。エスメラルダはこの小説のヒロイン だが、何故このバレーがヒロインの名前なのか 分からない。予め筋書きを知っている者には 何が演じられているか想像できるのだが、原作 を知らないとなかなか難しいバレーらしい。
 この音楽も問題ではあるまいか。太鼓の摺り打ち からシンバルと太鼓の大打ちが、押しつけがま しいのだ。踊り手は何か派手なポーズを見せ なければならないだろう。作曲はモーリス・ ジャールという方らしいが、あまり聞いたことのない お名前だ。それはこちらの不勉強かも知れない。
 だが、バレーの音楽というと、「クルミ割り人形」でも 「白鳥の湖」でもああ、あれかと一節聞いただけ で分かるのが普通だと思うのだが、この作品に ついては、悪いけどそんなに印象的な一節は無 かった。これはバレーよりオペラ向きの作品では あるまいか。とは言え牧阿佐美バレー団の得意 演目になっているそうだから、この世界でそこそ この作品ではあるのだろう。
 そこで昔見た映画を思い出した。「ノートルダムの せむし男」だ。今ならこの題名は差別用語として 許されないだろう。ジーナ・ロロブリジーダのエスメ ラルダ、アンソニー・クイーンのカジモドという、これ 以上は望めないような配役の映画だった。
 この映画を一緒に見た土屋君が、ジーナを嫁に貰っ たらいくらぐらい金がかかるかな、と大マジメに聞いて きたので、その場の一同大笑いになった。何しろ 彼は昭和30年頃、昼飯として学食で買ったコッペパン に苺ジャムを付けたのを一個かじっていたのだから、 かの大女優を嫁にする等は出来すぎの冗談以上の 馬鹿話だった。
 「れぷぶりか」の同人の一人で、個性的な評論を書 く友人だった。それだけに、消息が気になる。君は今 何処にいるのだろうか。

四月二十一日

春が来たようだが

 桜は既に散った。鈴蘭が散歩道のあちこちに可愛らしい 鈴を振っていたが、目を上げると紫木蓮が大きな花びら を合掌させ、今にもだっと開きそうに見えるのだが、なかなか そうはならぬ。
 と思ったら、小さなツツジが花を開き、初めは狂い咲きかと 思ったら、徐々に花数を増やしている。今朝はどうだんツツジ が鈴蘭より二回りほど小さい鈴を振り咲かせている。先日卯の 花と間違えたのは雪柳だろうと我妻殿が仰せになり、成る程と 花に弱いこちとらは納得するほか無い。
 確実に春が来ているようだが、17日には4月の東京で 41年ぶりの雪。また真冬の気温に震え上がった。 この気まぐれ天気はどうなっているのかね。とても身体が付いて いかないよ。本当に二酸化炭素の為せるワザだけなの かね。何か肝心なことを隠しているんじゃあるまいな。密約ばやりで なかなかマスコミの報道を素直に飲み込めない心境だ。
 四季それぞれの味わいが時々に合わせて展開されてこそ、日本の観光価値が 評価されるわけだから、天候不順は困ったことだ。政治や政治家を あてにできないわけだから、せめて季節や自然に身をゆだねたいんだが その自然が狂っているとすると、末世かなあ。

四月十七日

由美かおる

 由美かおる、水戸黄門から引退 というタイトルで騒がれ、あの番組の主役ははやはり 由美かおる演じる女忍者だったのだな、と得心がいった。
 黄門様の役者が変わったって、新聞だねになることなんぞ 無かったんじゃないか。新聞によっちゃあ彼女の入浴シーン が有名だったとか書いたのが有ったが、そういやそうか、悪代官 か抜け荷商人が覗き見をして、湯をぶっかけられるシーンが必ず 有ったな。それにしても59歳にしてそんなシーンを演じていたとは、 女優として天晴れなことだ。
 今再放送している東野黄門様にはまだ 彼女が登場していない。そこがちょっと物足りないところだったのだが、 そのうち再放送されるだろう。楽しみに待つとするか。それにしても 里見黄門様をどうするのかな。疾風のおえんが登場しない水戸黄門 なんか見てもしょうがないって輩がぞろぞろいるんじゃあないか。 と言って、由美かおるに太刀打ちできる、くのいち女優がいそうも ないし、そろそろ違う時代物シリーズと取り替える頃合いかな。
 またまた太閤記あたりか。あれも食傷気味だし、織田信長も 何度も見たし、家康はいまいち人気が無いし、時代劇ファンとして は気になるところだなあ。そろそろ宮本武蔵あたりが出てきそうな感じ がするんだが、外れかなあ。
 親鸞あたりを視点に据えたドラマあたり が面白いんじゃbないかと思うんだが、半僧半俗だから宗教問題にも 引っかかりが少ないだろうしね。でっかな寺を持つ浄土真宗とは、殆ど 縁のない親鸞の目から見た京都や関東の現実がどんなものだったか、 興味が有るねえ。何処かのTV局で作ってくれないものかねえ。 NHKはインチキ龍馬伝でつまらないし、民放さんにここは頑張って 貰いたいな。

四月十二日

またまた嘉手納基地

 先日書いたマッカーサー宛の昭和天皇の手紙の英文 の原文が1週間ほど前の朝日新聞の朝刊に掲載されて いた。その中で昭和天皇は沖縄を25年から50年、或いは それ以上にわたって占領を続けて欲しいと希望している。
 あの時にもまさかと思いながら、もしやと不安を感じていた。 だがあの時には、手紙の中身を細かく知らず、そういうもの が有るということだけを知っていたのだが、現物を読んで、 余りのことに声も出なかった。一体何を考えてこんな手紙 を書いたのか、理解できない。
 現在の普天間基地の問題に影響していないと言い切れない ところが怖いのだ。外相岡田君、あれをひらひらされて困って いるんじゃなかろうね。やりかねないんだからね、奴らは。
 おまけに、それをそうとはっきり言えないってことも有るよな。 言えば、あのお人の政治責任を問うことになるものな。まさか とは思うが、それならそれとはっきりさせた方が良いよ。
 そもそも現在の沖縄に米軍基地、それも海兵隊基地など 必要ないんだから、県内外、国内外何処にしよう、ではなく 日本国から基地を引き払って欲しいと言えばいいのだ。
 アメリカだって日本に基地を置くことの負担を感じている筈だ。 話し合いにのってくるチャンスは今だぞ。しっかり頼むよ。ここで しくじったら、参議院なんか1人も当選しないからな。よくよく 覚悟しておくことだな。

四月九日

男系天皇制

 天皇家の後継は男でなければならないそうだ。確か 卑弥呼は女性ではなかったか。それとも卑弥呼は 天皇家とはそもそも無関係な女性なのか、どうなってる のかね。
 男系を維持するためなのか、ただの言い訳 なのか理解に苦しむような乱脈ぶりが、「源氏物語」は お話だからおいといて、平安末期から鎌倉初期にかけて の無茶苦茶ぶりは目を覆いたくなるほどだ。
 保元、平治 の乱などは天皇家の乱倫乱脈の後始末みたいなもの ではないか。あげく、天下の権は武士の手に渡り、明治 になるまで名目的にさえ金も権力も返って来なかった。
 とすれば、何のことはない、天皇なんて種馬にすぎない 存在だったし今もそうなのではないのかい。天皇が男だ ろうが女だろうが、我々にとってはどうでもいいんだがね。
 イギリスじゃ現に女王が存在しているではないか。血の つながりを重視するなら女系天皇の存在を認めたほう が間違い無いと思うんだが、ま、よそ様のことには余り 口を出さない方がいいかもな。
 ただし万世一系なんて 男に拘る限り無理だし、信用もされてないよ。何処から どうやって探し出したのか分からないのが一人や二人 じゃないんだから、信用しろってほうが無理なことだ、と だけは言っておくよ。

四月四日

学習院

 皇太子のお嬢さんが、学習院の小学校で 苛められたとか苛めたとかいう話題がようやく 近頃下火になったようなので、一言感想を 述べておこう。
 6,7歳の子供の喧嘩は、成長 過程として必要にして不可欠なものではあるま いか。それが皇族の子供だろうが社長族のそれ だろうが、一種の子供の付き合いか挨拶みたい なものだろう。
 近頃はそれでは済まず、かなり悪質 な行為も行われているようだが、それは大人の真似 だよ。学習院だろうがその辺の小学校だろうが、子供 に変わりは無い。
 天皇が現人神(あらひとがみ)だった 昔のことは知らないが、何か特別な事をお嬢さんに させたり、言わせたりすると、その反応が返ってくる時に 問題が起きるだろうな。子供は子供でルールを持って いるから、それを信用して普通に遊ばせておけばいい。
 男なら、殴り合いの時に拳を使わないこと、まして刃物 は絶対禁止等々結構合理的だったな。で、喧嘩は 原則として1:1。助太刀は禁止。それでも多少の 引っ掻き傷ぐらいはできたが、その程度のものだ。
 今でもたいしして変わっちゃいないんじゃないか。女子のことは 分からないが、ま、落ち着いて見守るこったね。

三月三十日

マグロ漁規制

 地中海と北大西洋でのマグロ漁を禁止する提案 がモナコから出され、否決されたと報道された。 始めのうちは圧倒的多数でモナコの提案が支持 されそうな報道だったが、蓋を開けたら大逆転だった。 禁輸という話もあった。
 寿司屋に行ってもそう沢山は マグロを食べないから、そんなに影響は無いかと、 個人的には思っていたが、刺身としてはマグロは旨い ものの1番だ。こちとらは赤身が好きなのだが、大方は トロをお好みのようだ。やはり消費には気を付けねば なるまいなあ。
 だがなんで提案がモナコなんだ。モナコ とマグロはそんなに深い関係にあるのかい。いまいち ピンとこないんだがね。本当にマグロの個体数が、モナ コの言うように、激減しているのだろうか。増えていない のは事実らしい。そして消費の80%は我が日本におけるものらしい。
 マグロばかりか近海ものも少なくなったようだ。江戸前の鮨種が少なくなる のは乱獲も有っただろうが、埋め立てもかなり影響して いるはずだ。こりゃ寂しいし心細い。
 でもなあ、鯨から始まって 何だか日本が狙い打ちを食ってる塩梅だが、今回はアフリカ 諸国や東南アジア諸国が日本に味方してくれたらしい。何か の折には恩返しをせにゃあなるまいな。マグロは養殖に 精を出すしかないだろうなあ。
 だが何処かで欧米諸国の差別意識みたいなのがひっかかるん だなあ。

三月二十七日

サンシュユの花、卯の花

サンシュユの花
 散歩道の途中に都営住宅の団地が有る事は 前の雑感で触れたが、その一画に小さな黄色い 花の咲く木が植わっている。
 札が付いていてサンシュユ(みずき科)と書かれている。 そういう植物が存在することは知っていたが、それが草か 木かの区別も知らなかった。それにしてもあまり 見掛けない木であり、花だった。
 金色の花は色として目を惹くが、花自体は小さく可憐で、しばし 立ち止まって鑑賞した。いろいろ記憶を辿って見たが この木この花を見た痕跡は無い。初見というわけだ。

卯の花
 この1区画南側に、2,3日前に卯の花が満開になり 花の重みで枝が特有のしなりを何本も見せていたはず なのだが、今朝は綺麗に無くなっていた。これはどうし たことだろう。
 待てよ、卯の花は卯月に咲くから卯の花 なので、夏の花のはずだ。旧4月が卯月で現在では 5月か6月にあたるだろう。いくら暖冬でもちと早過ぎる のではないか。では今まで卯の花だと思っていた花は 何の花だったのか。似たような白い小さな花を付けた 灌木なら他の区画に何本もある。
 早速調べてみなけ れば、などと思うのだが多分面倒臭くてそのまんまに ほったらかしになるだろう。だからお主は何時まで経っても 駄目男なのだ。ちっとは反省しなさい。

三月二十四日

大河ドラマがつまらない

 現在の大河ドラマのテーマは坂本龍馬だが、この人に ついてはデータが極端に少ないのではなかったか。それ だけに想像をかき立てられる部分が有って、いわば維新 のミステリアスな部分をおっ被される役回りの人物なのだ。
 島崎藤村は明治維新を「夜明け」と理解した木曾の農 民を「夜明け前」という作品にしたてたが、本当に夜明けで あったかどうか、新政府樹立後にも続く暗殺に次ぐ暗殺 は一体どうしたことなのか。徳川慶喜は何故幕府を放り 出したのか。維新を現実的に成立させたのは慶喜だった と言う説も有るくらい、不明な部分が多い政変なのだ。
 もしかすると夜明けの次は新しい闇だったかも知れない。 佐久間象山や吉田松陰やらをさておいての、坂本龍馬 は頂けないな。先ずは西南戦争辺りからやって欲しいね。
 そう言えば、この前の前の大河ドラマは直江兼嗣だったな。 あれもかなりいい加減な作りのドラマだった。上杉家が 会津から転封された山形の何処だったか、あそこは 直江の土地だったのだ。そのことを省いていなかったか。
 また、上杉攻めの小山の徳川軍を石田三成に向ける ために引き払うについては、佐竹義宣の動静が多大な 影響を及ぼしていたのだが、その辺もサボっていたな。 それでは関ヶ原の実相なんぞ分からないのが当たり前 だよ。
 この頃の大河ドラマの作りはおかしいんじゃないか。 褌を引き締め直して作って欲しいものだ。

三月二十日

米の自給率

 現在日本の米の自給率は30%台だとか。これを 40%台にしようというのが、歴代政府の農家への お願いなのか、公約なのかよく分からないのだが、 食料自給率が100%を切る国は、独立国と認め ないのが欧米諸国の常識らしい。それに相応しい 相当強力な農家支援対策を、国家として実施して いるようだ。
 我が日本では敗戦直後にアメリカ製の 小麦粉によるパンの給食実施で、パンに飼い慣らされ、 米の生産が徐徐に減って今日に至ったそうだ。この 面でもアメリカの日本占領はまだ続いているのだな。 米ぐらい100%自給したいものだ。近頃は米粉で焼く パンも旨いのができると言う話。
 子供手当も必要だが  農家支援もしっかりやってくれよ。鳩山君。しっかりした 政策を実施するためなら、多少の税金を支払う用意 を、多くの日本国民は覚悟しているよ。でもねえ。母上 から月1500万円もの小遣いを貰ってる総理じゃちと 無理な話かなあ。

三月十七日

電柱埋込

 我が家からちょいと離れたところを、連雀通と呼ぶ 東西に走る道路がある。この道路の電柱を路側 の地下に埋め込む事が決まったそうだ。何処で決 まったのかまでは知らなかったが、取り敢えず結構 なことだ。
 何しろ東京の空は蜘蛛の巣のように電 線が張り巡らされていて、智恵子抄ではないが、 東京には空が無い。東京を観光都市にする重要 な仕事の一つが、この電線の埋込だ。連雀通だけ でなくほかの通りも綺麗に埋め込んで欲しい。
 このくらいは武蔵野市に先んじないと、これから先ずっと 後塵を拝し続けることになるぞ。けれど予算は有る のかねえ。まあ、精々頑張って下さい。

三月十四日

ハンコ制度をやめよう

 先日一寸したことで、何通か書類を作ったのだが、 一々署名捺印を要求されつくづく参った。ところが その中で実印を要求されたものは一つもない。これ には驚いた。聞けば今時実印を要求されるのは、 不動産の取引の場合くらいだそうだ。
 貯金を下ろすのも 登録印ならOK。なくしたらその辺で買って、登録変えを すればいい。結婚、離婚の届け書きも三文判で良い。 出生届け、死亡届も右に同じ。
 これってハンコなんぞ 要らないってことじゃないのか。署名だけで充分だと思うん だが、不安なら姓は漢字で名はひらがなの署名なんての はどうかね。
 まさかハンコやさんが潰れるから、それはでき ませんなんぞと言うんじゃあるまいな。煙草を1箱千円に したら煙草栽培農家が困るとか、ふざけた話をぶち上げた 政党がいたな。なに煙草から上がる税金が、国民の健康 や命より大事だからつべこべ屁理屈をこねてるだけなのにな。
 取り敢えずハンコ制度をやめてくれ。そうじゃなくてもこの不景気で、 気が重いんだから、せめて無駄な手間だけでも省いておくれよ。

三月十日

他人事のよみ方

 この単語の二通りのよみ方は御存知ですよね。そう、 「ひとごと」 と 「たにんごと」 です。先日のTV朝日の、 「池上彰のスッキリ解説」とかいう番組で、両方 使っていました。文字列が出ているのでバレちゃうのです。 どちらかに統一した方が、池上さんあたりのお方でしたら 良いのではありませんか。
 ただ、この語に限って言えば、 伝統的なよみ(ひとごと)より(たにんごと)の方が良い と、私は思っています。聞いて分かった漢字を書けと言えば、 (たにんごと)の方が圧倒的に多いことでしょう。
 言葉は特に 使う人のための道具なのですから、いわば多数決に従う べき道具の最たるものです。木や金属等を使う道具は、 そう簡単には換えられませんが、言葉は或る程度の普及 率になったところで、多数に従うべきものだと思います。
 現在の日本語のかな表記の混乱ぶりは、その辺の判断 の仕方が原因ではありませんか。考え直す時期だと思い ますが如何なものでしょう。

三月六日

高専と言う面白い学校(1)

 私がこの仕事に就いた最初は、工業高校の国語 の教師としてだった。都立航空工業高校という校名 だった。今はもう存在しない学校だから、本名を明か してもいいだろう。
 「航空」というのが珍しい。昭和10年 代の初めに設立されたらしい。航空といっても製造の ほうではなく、整備士の養成を目的にした学校らしい。 戦闘機以外の爆撃機や輸送機には、機関士、今なら ナビゲーターと呼ばれる人員も必要だったらしい。 こういうナビも養成していたらしい。
 らしい、というのが多いのは、 私がこの学校に就職したのは昭和33年のこと、 太平洋戦争が終わって13年も経っていたから、戦争中 のことなど既に関係なく、思い出したくもないことだったろうから、 私が勝手に想像したことだからだ。御年23歳のときであった。
 民間の航空機も営業していたし、航空自衛隊も存在して いたから、整備士はそれなりに結構必要だったのだ。ナビの 方は副操縦士になり、高校では間に合わなくなったのか、 あるいはもともとその役は養成していなかったのか、その辺は 分からない。
 素人の悲しさというものだろう。だが、格納庫に 昔、赤とんぼと俗称された2枚羽根の練習機や、セーバー ジェット戦闘機、セスナ等5,6機の小型機が教材として置かれており、 さすが航空と名乗るだけのことはあると感心した。
 教員の中 にももと神風特攻隊員候補だったり、その教官だったりした方々 もいらした。「今でも操縦できますか」などと心ないことを聞いた ものだが、「一日ごろごろ転がせば何とか飛ばせるんじゃないか」 というお答えだった。
 現役空自からこちらに転職された方もおいで になり、ドッグファイトの話をしたら、「そりゃ練習はしますが、そんな 近くまで行きませんよ。レーダーに映ったところでミサイルをぶっ放して お後は逃げてくることになるんでしょうね」と、極めて合理的な 説明だった。
 流体力学やら何とか工学やら、こちとらにはちんぷん かんぷんな勉強をせにゃあならない生徒達が、日用品の用と 日曜日の曜との書き分けができないのには、驚くやら危なっかしいやら うっかりさぼっちゃいられないぞと、緊張したものだ。
 数学の教員から は、分数の四則計算ができないのが何人かいるという嘆きも聞かされ 「君等の整備した飛行機には乗りたくねえなあ」なぞと、なかば本気で 嫌味を言ったりしたが、良くしたもので、そのクラスの生徒は航空会社 には絶対に入社できなかった。
 工業高校の生徒といっても、成績の 良いものはずば抜けている者も多く、なるほど好きで来るだけのことは あるものだと納得させられた。 中にはパイロットになりたいという者も当然 ながら出てきて、宮崎の航空大学校に入学する者も何人かいた。そんじょ そこらの大学に入るのとはわけが違い、これがなかなかの難関なのだ。
 そのうちに、この学校が公立高等専門学校に昇格し、そこから新たな 人生も始まるのだが、そんなこんなは新作に仕立てようと思っている。

三月二日

採点公表

 スケートのフィギュアー系の競技、ペアとかダンス 等は採点だけの勝負になる。今回の男子フィギュアー 女子フィギュアーで、何が加点され何が減点されたか 最後まで分からなかった。
 それでロシアの選手の、(4回転 を飛ばない男子などフィギュアーじゃない)という不満が 画面に出てきた。優勝したアメリカの選手の演技は見事 だった。長い手足の利点を存分に生かし切って、なるほど これがフィギュアーかと感心した。
 一方でロシアの選手の 言い分も尤もな点が有りそうだ。4回転を飛ぶのはかなり 失敗率が高いようだ。そこに敢えて挑戦して成功するのは 高く評価されて然るべきだ、と言う意見もスポーツである以上 当然出てくるはずの意見と思われる。
 キム・ヨナと浅田真央の場合も同じ様に、回転の質が問題に なったようだ。そこでなのだが、採点の過程を即時スクリーンか 何かで公表したら如何か。PCを使って加点減点を行っている ようだから、簡単に同時速報が可能なはずだ。
 これは夏のオリ ンピックの体操競技にも要望したい。どの審判が、誰のどの演技 に何点加えたか引いたか、それが即分かれば観客の興味は一層 盛り上がるだろうし、審判の公平性の保証の一端を担うことにもなる だろう。他の競技では既に採用しているものもあるし、是非この点 は考えて貰いたいね。
 オリンピックは競技会であって、鑑賞会では ないということを忘れずにな。

二月二十六日

遊びこそ人生

 今回の冬期オリンピックの宣伝はすごかったな。
 毎日メダルラッシュが続くような宣伝がどこまで通用 すると思っているのかね。前半終わって銀1銅2、ま、 そんなとこだとは思っていたがね。
 面白かったのは カーリングという種目、漬け物石みたいな石を滑らせて 、その前をデッキブラシを持った二人がごしごし擦っている のには笑っちゃったが、これがなんと大切な役割だというの だから、わからんものだねえ。
 人間て奴はもともと遊び好き にできているらしいな。そんな歌が我が国にも有ったっけ。 (遊びをせんとや生まれけんー)梁塵秘抄だったかな。
 考えてみれば、遊びの要素を持たない仕事や職業が、 我々を束縛するようになったのは、産業革命からこっちの ことなんじゃないか。仕事なんて食えれば良いようなもんで 遊びこそ人生の本質かもしれないな。つまらぬことを無理 してすることに、果たして如何なる意味があるものなのか、 そんなつまらぬ事を考え出した奴にこそ、地獄が待って いるんじゃないのかな。
 それはともかく後半の五輪のTV 見物を楽しもうよ。そう言えば、スケルトンとかリュージュ とかいう橇の練習中に亡くなった選手がいたな。気の毒 だったが、当人にしてみれば意外に本望だったりしてるか もな。目くじら立てずに真央ちゃんのフィギュアでも見物 しますか。

二月二十二日

今期オリンピックの日本チーム

 やっと男子スケート500で銀と銅のメダルを 1個づつ、男子フィギュアスケートで銅のメダルを貰えて何よりだが、 それより何よりもモーグル女子の上村愛子、スケート500の岡崎 朋美、両者オリンピック数回めの出場だという。
 立派なことだ。スキーもスケートも体力を 消耗するスポーツだ。本来なら御両人とも何処かの大学 あたりで後進の指導に当たっていても、何の不思議も 無いわけだが、現役選手として活躍とは大したものだ。
 だが、これって後に続く若手が育っていないってことじゃないのか。 10代20代の若手が彼女らを追い抜いていないのが現状 だとすると、これは多分スポーツの世界のことだけで済む問題 ではないのかも知れない。
 日本という国が、全体として坂を滑り 落ちつつある現状を、図らずも具現してしまったのではなかろうか。
 いい年をした大人が漫画雑誌を堂々と人前で読み始めた頃から 不安を感じていた事態が進行しつつあるような気がする。杞憂で あればいいのだが。

二月十八日

日本国歌を換えてくれ

 13日、冬期オリンピックの開会式と韓国との 女子サッカーのTVを見た。後者の最初に、恒例の両国国歌の斉唱がある。 この時私はTVの音声を0近くに落とす。(君が代)を聞き たくないからだ。いい加減に国歌を換えて貰い たいな。
 「故郷」の(兎追いしかの山ー)なんか良 いと思うよ。昔々の胡麻擂り歌が国歌だなんて、 どうかと思うよ。誰が国歌を決めるのか知らないが 係の人、よく考えておくれよ。

二月十三日

朝青龍はー

 朝青龍は辞めたけど、小沢一郎君はどうしたのかね。 相撲などそう言っては何だけど、たかがスポーツの1種 ではないか。年中モンゴル場所では、見てられなかっ たよ。品格とか国技とか、すでに関係ないんじゃないか。
 昔流の、稽古と称するいじめをやってるんじゃあ、日本の 素質のある若者は、相撲には行きたくないだろうなあ。 野球やサッカーの方が、スポーツとして面白いし、練習 もそれなりに合理的だしねえ。金銭的にもおつかつなんじゃ ないかな。ま、辞めても辞めなくても大した変わりは無 かったろうよ。
 一方、小沢君の方は不起訴になって、しめしめみたい な笑顔を洩らしたりしてる。こっちの方はこのままでは済 まないんじゃないか。鳩山君も含めて、説明責任、政治 責任、が必要最低条件として残っている。これをとぼけると 今年の参議院選挙での優勢なんて夢物語に終わりかね ないよ。君達民主党の議員さん達には、正直がっかりして いる。
 でもまあ、まだ政権を取って1年も経っていないのだから と、我慢しているわけだ。何かイメージを刷新する行動が 必要だよ。さもなきゃ政権交代なんて無かったんじゃないか なんて言われかねないぜ。

二月七日

トメ、ハネ

 NHKの木曜ドラマに「とめはねっ!鈴里高校書道部」というのが有る。 高校の書道部が材料になっているのが珍らしい。
 パホーマンス書道などという、あまり聞いたことのない 書道が登場するのも、この御時世では笑って見て いるしかあるまい。高橋英樹演じる書道の大家も 結構笑わせてくれる。
 ただなあ、トメ、ハネだけでは 書道にならないのではないか。せめてもう一点ハライ を付け加えるべきだろう。ヒロインが柔道部員でもあり、 それなら払い腰などという技も柔道にあることだし、 やはりこのドラマの題名は(トメ、ハネ、ハライ)が 良くはあるまいか。
 今時、書道等という部活が有ろうとは思いもよらな かったので、なかなかNHKもやるなと感心している ところだ。鈴里(すずり)高校の校名も見る度に ニンマリするよ。是非ハライを加えてもらいたいものだ。

二月四日

日本語の長音表記

 日本語の表記を説明する場合、いちばん難しいのはカタカナでも ひらがなでも漢字の字形でもない。それらは単なる説明で事足りる。 困るのは長音の表記の説明である。つまり私の姓は大野だが、かな で書くと おおの になる。しかし 草加 の表記は そうか になる。
 いずれも語頭が長音になるのだが、一方は お で、もう一方は う で長音を表記している。何故 おーの、そーかではいけないのか。この 説明は生なかの知識で、素人に説明しきれるものではない。多分 このことを質問されるのが、国語教師としては最も嫌なことだろう。幸い 私の在職中に、このことに気付く、暇で意地悪な学生はいなかった。
 国民学校の2年生のとき、おほの と書いた記憶がある。通る、遠いも とほる とほい ではなかったか。これだけな5、なるほどH音はフランス語 だけが発音しにくいのではなく、日本語でも脱落しやすいのか、等と勝手に 思い込んでいれば良いかもしれない。しかし、らふ をろうと発音し、蝋の こととなると、ちと話がややこしくなる。らふのふは果たしてHUなのかFUなのか はっきりしない。この辺りになると、私自身説明の足取りが怪しくならざるを 得ない。この点韓国のハングルは見事に合理化しているという評判だ。 そのほか、係助詞の は 同じく格助詞の を の問題、何助詞だか忘れたが へ と え も整理しきれていない。
 ほんと、日本人にとっても日本語は難しいねえ。おまけに現代仮名遣いと くるんだから、やってられないよとおっぽり出したくなっちゃうよ。もう少し 日本語表記について整理してもらいたものだね。国語審議会の先生様方 にお願いするよ。

一月三十日

デフレ

 現在日本はデフレなのか、そうではないのか、はっきり しない。私らの年代に限らず、デフレーションを経験し た方は極く少数になってしまったのではないか。昭和の 初めあたりの不景気時代が、どうやらデフレーションで あったらしい。(大学は出たけれど)という文句で有名な 時代だ。
 私らの世代は敗戦直後のインフレなら、よく知っているが、 それはひどいものだった。昨日と今日、では間に合わず、 午前と午後ですでに価額が違うことも、決して珍しいこと ではなかった。もちろん午後のほうが高くなっている。特に 食べ物の値段の値上がりは無茶苦茶だった。
 その当時からすると、ものの値段が下がっていくのは有り 難い現象だ。下がりきったところで止まっていてくれれば、 我々年金生活者にとってこんな嬉しいことはない。だが 値段が下がる、でも買う人が少ない、又下げる、儲けが 少ないから、会社はリストラ、商店は店を閉める、働き口 が減り、失業者が増える、こういうのがデフレという現象らしい。
 これは困る。専門店が潰れ、コンビニも閉店するところが 多くなり、スーパー系だけが我が世の春というのもおかしな話だ。 値下げ競争も在るところで消費者が食い止めないと、結局は 少数企業の高値に跳ね返って、損害を蒙ることになりかねない。 頃合いの値段なら買おうではないか。無理に値切らずに。
 何事もほどほどっていうものがある。安けりゃいいってもんでもな さそうだ。今までガバガバ儲けていた大会社は、その儲けを 吐き出して、社員を雇用すべきである。多少給料が安くても 物価が安止まりしていれば、何とかなるだろう。デフレを チャンスとして、この国を暮らしやすくしよう。

一月二十三日

JALのこと

 JALについては若干の感なきにしもあらず。というのは 私自身の元職に関係が有ったからだ。このHPを御覧 の方なら御存知のことだが、航空工業高校、航空高専 の教員だった身にとっては、他人事ではない。教え子の 多数が胸弾ませて就職した先がJALだった。学年で1,2 を争う学生しか応募出来なかった会社、それがJALだった とはねえ。生なかの罪業では済まないぞ。大分前から 仕事の内容がおかしかったのではないか。34、5年ほど前から ヨーロッパ行きのツアーに、JALが外されていた。
 アリタリアとかルフトハンザとかが、組み込まれて いたのは日本航空の料金が高かったからではあるまいか。 そんなヨーロッパの航空会社の名前など、何の興味も無かった のに、何となく覚えてしまったのは、何回かそういう名前に 出会ったからに違いない。勿論、全日空にも、東亜航空 にも何人もの教え子が就職している。それぞれ個性的な学生 であった。
 だから、今、何故JALだけに国家規模の金を投入するのか 理解に苦しむ。JALは既に私企業になっていた。何百億円 という資金を、国家から支給される私企業が他に幾つ存在 するのか、納税する身としては是非知りたいものだ。そんなもの が他にもあるなら、税なんか払いたくない。民主党はまたまた 説明義務を一つ余計に背負ったな。前政権の尻拭いの気味 が有る事も承知の上で言う。JALは破産解散すべきであった。
 社員は会社の旨味を既に充分に味わっているはずだ。これ 以上の恩恵を受けなくても、暮らしに困る事など無い筈だ。 競争会社のANAにも同額の資金を支給しなくては、不公平 だろう。同業種でなくても国家の資金を受けたい企業が無数 に有る。これらの企業にどう説明するのか是非聞きたい。

一月二十日

ハイチ

 小沢君の政治資金集めの問題、白秋の歌を 思い出させるねえ。(この道は何時か来た道、 ああそうだよ、ーー秘書が秘書がと同じ言い訳) 民主党も所詮はどこかと同じ穴の狢(むじな)なの だなあ。こんなこと何時までも続けていたら、落ち行く 先も同じなりけり、だろうなあ。なら何も言うまい。
 この頃一番気になる二ユースはハイチの地震の様子だ。 新聞報道によると、中米で一番貧乏な国だそうな。 亡くなった人が1万人を越えるかも知れないという、 大災害らしい。我々はそういう情報を、殆どリアル タイムで知ることができるが、肝心のハイチの人々は 自分達の置かれた状況を、ほとんど知らないのでは あるまいか。人口1000万そこそこの国で、首都の インフラが殆ど壊滅、政府もどうなったかはっきりしない、 国連事務所も壊滅、これって国家そのものの壊滅に 近い事態ではないのか。
 隣はたしかドミニカだったか、 難民は隣国で引き受けられるのか、確か小さな島が 不自然な直線で国境を引かれ、もと欧米の植民地 であったことを示している。もと宗主国は援助の手を 差しのばしているのだろうなあ。我が国もできるだけの ことはすべきだが、何しろ当のハイチの国民に自らの 状況を知る手段が必要じゃなかろうか。
 ハイチ国民 より日本の人の方が情報に詳しいなどという、逆転 現象からまず解決せにゃ事は始まらないかも知れない な。他人事ではないぞ。地震大国の日本にとっては。

一月十六日

風の里

 縁有って開田高原の風里(かざり)ホテル に宿泊した。開田高原に行く道は幾通りか有る ようだが、今回は木祖村に一番近い道から入った。 木曽駒牧場のすぐ近くに有る風里(かざり)ホテル に招待された。この道筋には宿が少ない。
 だからか、にもかかわらずなのか分からないが、このホテルの 有りように感心した。館内がバリアフリーになっている。 見掛けも洒落ているが、内部の凝りようは通り一遍 ではない。ロビーの椅子だけでも凄い。勿論部屋の つくり、家具掛け物に至るまで、一見の価値有り。
 それより何より料理の旨いこと、京都の和懐石料理 の店から引き抜いて来たと、オーナーが自慢するだけ のことはある。こんな(と言っては失礼かも知れないが) 所にこれほどのものを食べさせる料理人がいるとは、 正直驚いた。美味追求を心がけている向きには見逃 せない所なのだ。いつも食べ過ぎないように注意して いる私自身が、ついつい食べ過ぎてしまったほど軽くて 旨い。
 こういう所を観光名所として大いに宣伝すべき だ。IT製品の輸出ばかりが日本の儲け口じゃないと いうことがよく分かった。我が国は即時観光国として の宣伝を展開すべきである。多くの客を招ける要素 が今のままでも結構沢山ある。外国のお客さんが来る ことによって、必要な事が自ずと分かるはずだ。
 我が国ほど観光要素に恵まれている国は、極く々少ない のだ。観光でも大いに儲けよう。儲かること間違いなし。


     木曽御嶽温泉 開田高原 つたや季の宿 風里 Kazari



一月十三日

高齢化

 毎朝散歩することは以前に書いたとおりだが、その中に 都営住宅の中を通る道のことも書いた。その時は外見 のことが主であった。内部がどうなっているかは、そこに 知人も友人もいないので分からない。いつ頃建築され たものかも分からない。
 私の姉二人が住んでいた新宿の戸山ハイツと呼ばれた 都営住宅は、見掛けこそ10階建てか12階建てか覚えて いないが立派なもので、多分34,5年前に建設されたものである。 3DKの間取りだが、バリアフリーなどという概念そのものが 存在しない頃の建物で、足に不自由な私が時々訪問 するにつけ、何だか山越え谷越えトイレに行ったり、水飲み に出掛けたりしなければならない。ここに移住しなくて良かった と、今にしてしみじみ思う。
 駒沢の都営住宅の建て替えで そこを出なければならなくなったとき、選んで良い住宅の 中に戸山ハイツが有り、名義人である私は文句なく此処を 選んだ。その時私は既に40歳そこそこで3人の子持ちだった。 母は既に無く、妻も働いていたので、よくよく考えた末姉達に この権利を献上することにした。本来はK姉に住んで貰うつもりだったが、 1人では3DKに入居できないので、他の姉2人の名義を 借りた。然し結局は名義人の姉二人が住むことになった。 最近1番上のS姉がそこで亡くなった。90歳であった。
 散歩の途中に立ち並ぶ都営住宅の内部構造が気になるのは、 そういう事情があるからだ。しかもそこに出入りする住民の 方々の年齢がかなり高齢なのだ。入居したときには人生 盛りの頃に違いないが、今現在の住み心地はどんなものだろう。 私自身は分譲マンションを購入し、出来る限りのバリアフリー化 と手すりの付加を注文したので、今のところ身動きに不自由 を感じることはない。
 しかしマンション全体がバリアフリー化 しているわけではない。駐車場に出て行く段差10センチ程 の1段は私にとって難物だ。尤も現在は自動車もやめ、 自転車も使わないので、この段差が影響することはないが 1度この段差解消を提案したとき、(このマンションはバリア フリーじゃないんだから)という反対意見が強く、否決された ことがあった。できればそういうところに気を使った建物の方が 値打ちが出ると思うのだが、現在が永遠だと錯覚している 人が多い間は、このマンションでも無理なことらしい。 散歩の途中で見掛けた住民の方の年齢から、妙な所に 話がずれたようだ。

一月九日

新年参賀

 皇居前広場に35000人の人数が、参賀に 集まったとテレビが報じていた。不景気だ不景気 だとしょんぼりしているかと思うと、こういうときには 元気の出る人がまだまだ大勢おいでなんですなあ。 元日は晴れていたが、結構風が吹いて寒かったんじゃ ないのか。本当に御苦労サンでした。
 ところで、正月のお節料理というやつはまずいねえ。 特にお煮しめと称する、野菜の煮物は日本料理 とは思えないほどまずい。鯛の塩焼きなんぞが出る 家は何とかソノアタリで誤魔化せるんだろうが、我が家じゃ そんな贅沢品は無いからねえ。見栄えは立派だけどねえ。
 ところで、又もところでだな、初詣ってやつだが、けっこう 出掛けるお方が多いらしいね。私なんざあ5,6歳の 頃に、父に連れられて明治神宮に行ったきりだがね。 毎年出掛ける初詣ファンも多いらしい。普段はそんなに 信心深そうにも見えないお方が、お参りするんだって言うから どうなってるのかなあと思うのだよ。見かけだけじゃあ人の 本心はなかなかわからないものだよねえ。
 以上三つの話題、思いつくままに書いたのだが、読みかえし たら何か似てるところが有るみたいだ。正月ってことは別に してだよ。外国でも新年にこんなことするのかなあ。向こうは クリスマスが有るから、新年騒動は無いだろうなあ。両方 祝っちゃうのは、やっぱり日本ぐらいだろう。よくよくお祭り好き な国民なんだなあ。いや、目出度いことです。

一月六日

COP15

 二酸化炭素の排出量を規制しないと、地球規模の 温暖化が急激に進む、だからお互いに排出量を減らしましょう という趣旨の会議だったらしい。
 で、予想通り、アメリカと 中国が反対で、その中国に開発途上国が悪のりして、 結局の所規制らしい規制は何もきまらず、お互い気を付け ましょう くらいのことになったようだ。
 先進国だとか途上国 だとか言っているうちに、人類が滅亡する危険が大なんじゃ ないかな。国という概念から解放されないとこの問題は 解決しないだろう。迂遠なようだが、それが一番手っ取り早い よ。
 良いと思った場所になら何処でも誰でも自由に移住可能。 住居や食糧は一定期間、地球統一政府が支給する。 使用言語の問題があるなあ。でも何とかなるだろう。
 人類規模の自殺を選ぶよりは、多少の不便を忍ぶべき だと思うが、如何でしょう。

一月一日

まきむく遺跡の意味

 奈良の箸塚古墳の近くに展開するまきむく 遺跡発掘の意味する事は、素人考えでもえらい 事件である。想像を絶する古代日本に、 想像を絶する広大な都市が存在した事実 は、記紀の語る日本古代史の全面的書き換え を要求するものかもしれない。
 箸塚古墳が (ひみこ)の墓かもしれない、などと言う説が冗談 でなく語られる事態になった。すると(ひみこ)と 天照大神とはどういう関係になるのだろうか。 真実を知るためには、古墳を発掘調査しなければ ならない。とすると、事は箸墓だけでは済まなくなろう。
 ××天皇の陵墓とされていて、調査を禁じられている 幾多の古墳の調査も必然的に必要となろう。 そこで何が出てこようが、困ることは無いはずだ。
 たかだか二千年ほどの歴史さえ、自由に研究できない 等という状態は、非常識もいいところだ。現今の 天皇家さえ歴史の研究を拒否できないはずだ。万世 一系であるかどうかを知る、唯一の方法が、この 研究以外の方法では不可能なのだから。
 天皇制に 影響する史料等が出てくる可能性が大だが、だから どうするという程の問題でもなかろう。日本古代史学 の信用度にとっては存在意義を賭けた生命線の筈だ。 まきむく遺跡の意味するところが重大である所以である。

十二月二十八日

たまには良いことも

 本28日付朝日新聞朝刊第2面に、「皇居を京都 に移したらどうですか」と、今上に話したと言う記事が 掲載されていた。
 亀井静香君、噛みつきだけが能 じゃないんだね。まさかこのサイトを読んでいるわけじゃ ないだろうが、九月二十二日の(高速渋滞)の欄に 同じ事を書いたのだよ。今の場所に天皇が住んで いること自体が、政治的行為を誘発する原因に なっている側面が有る。亀井君は天皇制中毒症 から解放されているようだな。意外も意外、驚いた。
 天皇家の住居にはやはり京都が相応しいのではなか ろうか。明治天皇も京都に未練が有って、陵墓も 伏見桃山に作らせている。東京(旧江戸城)に住む 必然性など天皇家にとっては何もない。
 薩長藩閥政府の旧幕府勢力に対する威圧戦略の 意味しか無かっただろう。現憲法の国事行為も、それ ほど重要なことではなさそうだから、そのうちなし崩し に消えてゆくだろう。亀井君、良く言った。
 それにしても 民主党の中に、これ位のことを思いつく知恵者は いないのかねえ。うじゃじゃけているだけが総理の仕事 だと思い違いをしているんじゃないだろうね。鳩山君。

十二月二十五日

天皇の人権

 中国の習近平が天皇との面会を求めた、それを 小沢幹事長がゴリ押しして実現させた、これは 天皇の政治利用だ、と週刊誌が騒いでいる。
 週刊誌にとってはウハウハの材料だよな。どんどん 書きまくってもらいたい。政治に関係ない外交など 何処に有るのかね。我々が上海に遊びに行くのとは わけが違うんだよ。国家副主席と肩書が付いたお人 の公式訪問は政治的行為以外の何物でもない。
 そんなこと当然だろうよ。天皇に会いたいという要求 も政治的行為の一つさ。それを受け入れるのも、 勿論政治的行為の一環に間違いない。下手な 言い訳は失笑を買うだけだ。忙しいから1ヶ月前に 予約しろとかしなかったとか、ガチャガチャうるさいが 天皇家にはそれなりの日程が有るんだ。確か3,4 代前の天皇の命日や、伊勢神宮への参拝や、その他 我々庶民には全く関係のない祭祀がぞろぞろ有るのだ。 忙しいと言えば忙しいだろう。でも私的な事情と言ってしまえば それまでだとも言える範囲のことだ。
 「日本国民統合の象徴」たるものに会いたいと強要するとは、敵も然る者 1枚役者が上だな。問題は天皇が面会を拒絶したら どうなるかだ。小沢君は「お断りにならないと思う」ような 事を口走って顰蹙を買っていたが、それは用意しておいた方が いいと思うよ。
 会いたくない奴にでも、内閣の命令(だよな、 今度のような場合は)に従わなければならないとすると、 天皇家に基本的人権は存在しないということかな。 いずれ同じような事態が起こるぞ。
 次代の天皇がもし皇位につくことを 拒否したらどうするつもりかね。広い屋敷やら、高額な 生活費を支給されても、嫌なことを無理強いされるような 仕事は御免蒙りたいんじゃないかな。だから国事行為から 天皇を切り離せというんだよ。
 週刊誌天皇制になっちゃったと嘆いたのは、三島由紀夫 だったかな。今度の話題でボーナスの心配が無くなった 週刊誌が多いんじゃないか。良かったなあ。ジャンジャン 書いて儲けてくれよ。こっちもあやかりたいくらいのものさ。

十二月二十一日

連立解消

 近頃の亀井静香君の言動は目に余るぞ。本来 内閣なんぞに縁のない筈のお人が、何兆円で なきゃ駄目だとだみ声を上げ続けているようだ。 極小政党と連立を組む必要が何処にあるのか?
 社民も同様だ。この党が沖縄の基地そのものに 反対なのは、始めから分かっていたはずだ。問題 ごとに是非を問えば済むことではないのか。亀井君も 福島君も即刻民主党員と交替させるべきだ。
 鳩山君の辞任とどっちが先か、それが問題だが、辞任する気は 当分無さそうだから、交替が先だろうなあ。でなければ 何のために民主党員であるのか、存在理由が分からない じゃないか。党員に気の毒だよ。
 鳩山君も今一つはっきりせず リーダーシップが不足しているねえ。何をどうしたいのか 分かりやすく言明してもらいたい。でないと次の参議院 の選挙は危ないよ。

十二月十六日

またまた水戸の御隠居

 懲らしめて上げなさい は里見浩太朗の御隠居だったが、 この前は、堺正章扮する芭蕉が出てきた。ちとイメージが 狂ったが、ま、こんなとこかなと見ていたら、この芭蕉が俳句 を作ると言うので吃驚した。
 芭蕉は発句は作ったが、俳句は作っていないよ。芭蕉を呼 んで句会を開くと言うのも変な話で、俳諧の座は開いても句 会は開かなかったのではないかな。
 ついでに、 前の天下の副将軍、水戸光圀公なるぞ と怒鳴っているが、征夷大将軍には副将軍は存在しない よ。
 いつからこういう無責任な時代劇が一人前面ではびこる ようになったんだろう。一度お断りでも入れて、前述の常識 くらい取り入れて欲しいな。

十二月九日

そろそろいちゃもん

 民主党が政権を取ってから、そろそろ3ヶ月経つ。 あるいはそれくらいしか経たない。それなのに随分 問題が涌いて出るものだな。一番良くないのは、 金のことだ。母親から9億円貰ったそうだが、有るところ にはあるもんだね。個人的にはそれで済むわけだが、 日本の総理が政治資金に使ったとなると、話は ガラリと変わるよ。
 知らない、とか、秘書がやったとか、 そのせりふは、大分前に何度も聞いたものだぜ。その 時も確か小沢君がらみだったような気がするが、私の 記憶違いかな。いずれにしろ、鳩山由紀夫君は、一度 総理の座を降りなければなるまいなあ。
 折角苦労してやっと成れたのに、と思うだろうが、此処は 潔く身を引くところじゃあないかな。金まみれの政治は 自民党でうんざりしているのだからね。でないと信用 に関わるぜ。金持ちのお坊ちゃん総理のままじゃあ、 この国の政治は取り仕切れないよ。
 検察が調査中 とかいうせりふも聞き飽きてる。逮捕される前に、 検察に圧力をかけるつもりかな。そんな総理もいたな。 そうなる前に、総理をやめ、議員も辞職したらどうかな。 で、金を使わずにもう一度選挙で出ておいでよ。
 必殺仕分け人の人気が冷めないうちに、そうした方が 利口だろうよ。お後は菅君とか岡田君とか、金では 引っかかりそうもない御人がおいでだもの。心配ないで しょう。

十二月二日

ペットの敵討ち

 愛犬が保健所の職員に捕まって処分されてしまった。 その敵討ちに厚生労働省の役人を数人殺傷した、 という意味の報道があった。犯人は、犬も人間も 同じ動物なんだから、犬を殺すのなら、人間を殺し て何故悪い、のような理屈を述べたという。大分 前のことになるから、細部に異動があることは御勘弁 願おう。
 近頃はペットブームで、朝散歩すると、犬を 連れた常連に、何組も出会う。中には躾の悪い犬 もいて、糞を道の真ん中に置いたままのの組もいる。 これは飼い主の責任で、犬には直接の責任は無い ことだろう。
 私も少年時代は動物を飼育することが 大好きだった。鶏、兎、鳩等。 犬は子供達の要望で 飼ったが、予想通り世話の大部分は私がみることになった。
 それはそれとして、生物としての視点からすれば、 犬も人間も同じだ、とする犯人の思考の筋道は 間違いではないだろう。問題はその筋道が、途中 でプッツリ切れていることだ。生命としての視点から すれば、蠅も蚊もヴィールスも等しく生命だ。然し 人間の生活に都合の悪い者は、容赦なく駆逐 する。
 また食物になるものなら、これも容赦なく その肉を料理する。その点については種としての エゴイズムというべきか。これは早くから人間の業、 或いは原罪として認識されていた。
 つまりこの度の 犯人の思考の筋道は其処まで届かなかったよう だが、方向としては間違いではなかった。だが何事も 中途半端は怖ろしい。なまじの思考能力を持って いるだけに、人間が一番怖い動物なのだ。
 この犯人が其処に早く気が付いてくれると良いのだが。 誰しも蠅や蚊の敵討ちはしないのだからな。

十一月二十六日

方丈記私記その他

 堀田善衛の 「方丈記私記」 の最初に彼はこう 書いている。
 (私が以下に語ろうとしてしていることは、 実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明 「方丈記」の鑑賞でも、また、解釈でもない。それは、 私の、経験なのだ。)
 ここから始まって第4章の終わり、 99頁までの大半を使って、1945年3月9日夜半 から10日明け方までの空襲の被害のひどさと、その 被害にもまして衝撃的な、3月18日、天皇一行の 被害地視察のおりの出来事が語られている。
 彼、堀田は当時親しくしていた女の安否を気遣って、 深川の門前仲町、富岡八幡の辺りに出掛ける。 其処に憲兵に護衛された天皇が、小豆色の乗用車 からピカピカに磨き上げられた長靴を履いた姿で現れる。 衝撃的だったのは、天皇の出現ではない。焼け跡には 其処をほっくり返していた、まばらな人影が有った。
 (私は方々に穴のあいたコンクリート塀の陰にしゃがんで いたのだが、これらの人々は本当に土下座をして、陛下、 私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いて しまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命 をささげまして、といったことを、口々に小声で呟いていたのだ。 私は本当に驚いてしまった。私はピカピカ光る小豆色の自動車 と、ピカピカ光る長靴とをちらちらと眺めながら、こういう ことになってしまった責任を、いったいどうしてとるものだろう、 と考えていたのである。こいつらのぜーんぶを海のなかへ 放り込む方法はないものか、と考えていた。ところが責任は、 原因を作った方にはなくて、結果を、つまりは焼かれて しまい、身内の多くを殺されてしまった者の方にあることに なる!こういう奇怪な逆転がどうしていったい起こり得るのか!)
 堀田は考える。焼け跡に土下座した人々の心情は真底 からのことばであり、否定したりすることは許されることではない だろうという考えも、彼の中には存在した。堀田は人々の 優しさ、優情と呼んでいるが、それが私に言わせれば、中毒 症状なのである。若き堀田は 彼はこの時二十歳を幾つも 越えていなかったが、この優情が人民の側に有る限り、体制 は維持されるだろうと、ヤケクソになる。
 果たして、敗戦の8月15日、宮城 当時の皇居の呼称 前 広場で前述とそっくりの場面が展開されることになる。いわば 無常観の政治化だと堀田はいう。政治における結果責任も へったくれもない、政治であって同時に政治ではない。うっかり 踏んでしまった犬の糞のようなものだ。厄介きわまりない。
 序でだから言っておこう。岩波新書 「昭和天皇の終戦史」 吉田裕著に (また、四十七年九月二十日、天皇は寺崎英成を通じて、 沖縄に対するアメリカの軍事占領を継続するよう要望した 覚え書きを、マッカーサー元帥あてに提出している。166頁)とある。
 まさか現今の普天間基地問題で、こんなものをちらつかされ ているのではあるまいな。だから言わないことではないのだ。 天皇を一切国事行為から切り離す時期なのだ。 右翼も近頃はあの辺のことにはノータッチらしいから、安心 して実行できるよ。

十一月十五日

NHKの視聴料

 NHKだけが何故視聴料を取るのか、その 理由が分からない。大分前にも問題になり、 その時には、一度視聴料を払ったら、視聴契約 をしたものと見なして、以後不払いは違法と見なす みたいな、妙な論法が展開されて、それなりの 法律が既にあったか、慌てて作られたか、そんな 経緯が有った事を、微かに覚えている。 多分民間放送の開始に備えての対策だったろう から、何十年も前の話になるだろう。
 だが、今も視聴料を取り続ける理由が、どうにも 分からない。結構面白い番組を作っているではないか。 スポンサーも付くと思うよ。他局と競争しても、負けないと 思うが、何故独立した企業にならないのかね。これって 不公平ではあるまいか。他の何局もが只で放送して いるのに、一局だけが視聴料を、それも半強制的に 取り立てるなんて、独占禁止法の正反対じみた違法 行為ではあるまいか。(うちではお宅の放送を見聞き していません)という抗議も通用しないというんだから、 非道い話だ。
 そういう商売は、つまり商品を自己管理 できない、この場合なら、聞かないというなら放送しない、 というようなことが不可能なら、原則として商品にしては いけない、という法律があるのではなかったか。何故 NHKだけが例外扱いになるのか、改めて説明して 貰いたいものだ。

十一月十日

くらまの舳先

 (くらま)という海上自衛艦が、 韓国のコンテナ船と関門海峡で衝突して、舳先 を大破したという報道には笑っちゃったね。相手の船は 横っ腹に大きな穴を開けながら、ずっしりどっしり構えて いるのに、(くらま)の舳先はボロボロずたずた、話が少し ずれてるのではないかと思うのは、守るも攻めるも鉄の という軍艦マーチの歌詞を知っている世代の感覚か。
 まあ、闘う気がないのなら、この程度でも良いかとは思うの だが、あんなもので沿岸警備程度のことでもできるのかと、 少し心配になってくる。インド洋上の燃料補給なんて アフガンの海賊がその気になったら、どうするのだろう。 舳先を狙ってロケットぐらいぶっ放すかも知れないよ。
 来年1月で燃料補給を止める気らしいが、それで良いのだよ。 舳先をぶっ壊されて、アメリカの軍艦に引っ張って貰って 帰ってくるなんてことになると、みっともないからなあ。
 でも、陸上でも海上でも、自衛隊の実力なんてそんなもの だろうよ。それで良いのだ。警察をもう少し強力にしよう。拉致 なんて許さない程度にな。それで充分、それ以上のことは、 誰も望んでいないよ。

十一月七日

米国もか

 米国基地内で、なにがし・ハサンという、中東系と思われる 少佐殿が、銃を乱射して、10人内外の死傷者を出したと TVが報道していた。
 イラクやアフガンの国内で、内戦が行われていることは承知してい たが、今度の事件では、おい、おい、アメリカでもかよ、という感じがした。 一時的な精神錯乱の結果として片付けられるのだろうが、果たして その程度で収まるものなのだろうか。米軍内部にもイスラム の信者が存在すること、国法より宗教性が優先することを、 現実のものとして見せてくれた、ということではないのか。 アメリカの軍事力最優先主義の破綻の表れでもあるだろう。
 「国家は軍事力のみにて生きるにあらず」とでもいう格言が 生まれるかも知れないな。石油が原因で中東国内の紛争 に介入しているのだろうが、もう少し冷静に、イスラムの内部 情勢を見ているわけにはいかないのかね。いずれ、石油を 売らなくては、ほかに産業が有るわけでなし、売るとすれば 一番のお客はアメリカなんだから、慌てて軍隊を送り込む ことはないんじゃあるまいか。
 日本もアメリカのお先棒を担いで、陸自をイラクに派遣したり、 海自が燃料補給をしているらしいが、燃料や食糧の補給 は、立派な戦闘行為と見なすのが、戦争の常識ってものだ、 くらいのことは知っててやってるんだろうね。新宿の高層ビルや 東京駅が、いつテロの対象に選ばれても、仕方がない状態 に嵌り込んでるという意識を、議員の先生達は御存知なの かな。戦争の怖さを知らない政治家のやることは、危なっか しくて見ていられない。それはアメリカや日本だけじゃない。 中国も北朝鮮もインドとその周辺国も含めての話だがね。 何度でも言うぞ。戦争で解決することなぞ、何もないよ。

十一月三日

時代名称

 江戸時代、安土桃山時代、室町時代、鎌倉時代、 平安時代、奈良時代等と時代名称を数え上げていくと、 その特徴に嫌でも気が付くだろう。明治時代、大正時代、 昭和時代と「時代」名を付けないまでも、付けたような気分 で、時代名称と同等に用いている。おかしな話だ。
 明治以来 一代一元号と決まってからのことらしい。天皇の代替わりが、 その死亡と同時になった結果、そんな気分になったらしい。 江戸時代以前、元号(年号)の改変は、基本的に天皇とは 関係の無いものになっていた。本来は天皇の代替わりの印に 元号を変えるのが原則だったようだが、代替わりが、ちょいちょい と行われるようになると、そんなものにいちいち付き合っていられない とばかりに、時の実力者が勝手に元号を変えて、宮廷にその公布 を強要したらしい。
 だから時代名称は天皇の名称に関係なく、権力の所在地を時代 名称とするようになった。とすると、今、現在我々の生きている時代 名称は、将来、東京時代と呼ばれるはずだ。明治、大正、昭和、 平成なんぞという区別は、あと百年もしないうちに、一括して語られ るようになるだろう。寛永とか、元禄とか、文化、文政とかそれぞれ の色合いはかなり違うようだが、一括して江戸時代とする場合も 多いように。
 天皇の名称が年代と重なるようになったのも、明治以来なのだ。全く 失礼な話だよ。戒名まで他人に、しかも生前に付けられるなんて、 私だったら御免被りたいね。元号(年号)なんぞは本来天皇家で決めて、 使うなら家内で使う迄の話で、我々「汝臣民」には全く関係のない話 なのだ。何か違いが有るような気がしているようだが、明治と平成とでも、 本質的には殆ど変わっていないと私は思うね。
 環境や生活用具の類は かなり変わったから、それで人間の中身までそっくり変わったと思うのは、 ちと甘すぎる。明治を生きた人間の方が、我々より冷静に生きていた かも知れない。いい大人が漫画を読んで浮かれている、昭和や平成の 人間よりはな。

十一月一日

元号廃止

 昭和レトロとか平成何とかとか、平気で使っているよう だが、今の天皇を平成天皇と呼んで、澄ましている奴 もいる。これって失礼以上のことではあるまいか。おまけに 平成という元号を決めたのも、当時の内閣だったと記憶する。
 元号(年号)は本来天皇家で決める物だ。でも鎌倉時代 辺りから、時の権力者が、勝手に変えていたようだから、良いとして 昔も今も元号は追号、つまり亡くなった人に後から付ける名前、 仏教で言う戒名みたいなものなのだ。だから天皇には固有の 名前が無く、生きている間は、今上と呼ぶのが正しい。そんな事 も知らない天皇制中毒患者がごまんといるのだから、嫌になっちゃう。
 それに法律では元号と西暦と両方使って良いということになっているが、 役所はたいてい元号を使い、民間はどっちを使うかバラバラで、新聞は両方 を書いている。西暦に統一しようよ。その方が天皇家にも失礼に あたらないことだしな。
 断っておくが私は天皇制廃止論者だ。でも 普通の礼儀は心得ているつもりだ。生者を戒名で呼ぶようなことはしないつもりだ。 困るのは両者を換算する時だ。ボケ予防に丁度良い、などという奴もいるが、 冗談は顔だけにしておくれ。ボケ予防には、散歩と読書と無駄話 に限る。近頃は話題に事欠かないしな。元号(年号)を廃止しよう。

十月二十八日

沖縄基地

 嘉手納基地の問題は、前政権の積み残しの 最たるものだ。沖縄に行ったことのある者なら、 傍若無人な基地の構え方、猛烈な発着音に 吃驚仰天した記憶があるはずだ。
 ああ、日本は 未だ占領されているのだなあ、敗戦国だったのだ なあと、しみじみ思い知らされる。冷戦状態が 続いている間は、まだその存在意義が有ったの かもしれないが、現在あれほどの米軍基地を 必要とする状態が有るのか、甚だ疑問だ。
 外国相手の交渉は、連続性と一貫性をたもつ 必要性がある。鳩山政権も、この問題では前 自公政権の尻拭いをさせられるのは致し方有るまい。
 しかし、日米対等の同盟交渉という提案そのものは、 引っ込める必要は無い。米側にとっては、不戦無軍備 の九条が足に絡まる日本の自衛隊など、無いのと同じ だ、という態度が見え見えの傲慢な上から目線だ。
 気に することはない。基本的に米軍基地は要りません。自分の 国は自分で守ります、とはっきり言えばいいのだ。貴方達 (米軍)が日本に居座っているから、この辺がいつも何となく 落ち着かず騒がしいのだから、先ずは出て行って欲しい、 とこの次は言い出すぞ、の前置き宣言としての効き目ぐらい にはなるだろう。
 不戦無軍備も軍備の一つだという覚悟は 必要だがね。中国や韓国北朝鮮との、独自の外交戦が 必須だが、今までさぼってきたのだから、これからはどんどん 尻を叩いて外交官をこき使うが宜しい。それでも駄目なとき には、お宅に頼みますよ、とアメリカに頼んでおく。立派な 対等同盟だと思うがどうかね、鳩山総理。

十月二十三日

菊芋

 20日から22日まで長女の嫁ぎ先に遊びに行った。 そこで、あまり馴染みのない、さっくりした歯触りの炒め物 を御馳走になった。材料を訊ねると菊芋ということだった。 姑さんのお手製の料理だ。菊芋とは珍しい物に出合うものだと 感じ入った。七、八歳のころ、父が家庭菜園で栽培したものを 食べた事があった。昭和17,8年頃だろうか。どう調理したのか そこまでは覚えていないのだが、極めて不味かったという記憶が 残っている。
 ところが、今回御馳走にあずかった炒め物の菊芋は、大変に 美味であった。娘に聞くとこの辺(木曽谷)では、季節になると スーパーにも出回るという。生で刻んでサラダなどにしても旨い らしい。藷類の中で生で食べるものは珍しいのではあるまいか。 それよりも、菊芋そのものが、東京近辺で買えるものであろうか。 少なくとも私の近所のスーパーで見かけた事はない。藷といえば 薩摩芋、馬鈴薯、里芋、長薯、大和芋等だが、そうかとろろ汁 にするときには、藷を生で食べるな。それにしてもあのサックリ感は ただものではない。東京でも売っていればいいのにな。

十月十八日

事前の話し合い

 八つ場ダムの中止の時に、事前に何の話も無く中止と 言われても困る、と現地の方々が、大変な見幕で大臣に 抗議していた。何しろ話が出てから57年経過していると いうのだから、想像を絶する事態だ。傍からからうっかり口出し できることじゃない。
 ところが週間ポストが2週にわたって取材 した記事によると、このダム工事に絡んでボロ儲けをした面々 が多数いて、その中には高額の補償金を受けて、補償成金 とでも呼ばれるような方々もおいでだと書いてあり、工事の続く限り 補償も続くという、なんとも羨ましい話だった。その記事が出た頃から ダムの話がパッタリ新聞やテレビに出なくなった。どういう風の吹き回し か。事前の話し合いとは、そういう旨い話を表に出さないで、ということ なのかな。
 だとすれば前原氏が突然中止を発表したのは、正解だった ということにならないかな。あそこはいい温泉場なのだから、ダム湖 なんかよりよほど客を呼べる施設ができるんじゃないのかな。
 成田の空港の話も、健作がいきりたつような問題じゃないはずだ。 これも事前に話もなく、という抗議だ。
 中途半端な出来損ないのまま営業を始めてしまった事情など、知事 ともあろうお方が知らないはずが無いだろう。果たして翌る日になったら、 にこにこ顔で前原氏と握手なんかして、そういうの出来レースとかいうん じゃないの。成田市民や千葉県民の手前、大声で抗議するわけだが、 それはジェスチャーだけだったりして。
 子供瞞しもいい加減 にして貰いたいね。もう1,2本4000メートル級の滑走路を造って 羽田を中心に使うのが合理的なのだ。都心と羽田へのアクセスを、 現在より数段レベルを上げないと、近い将来、成田空港は自公政権 の無駄使いの遺跡くらいにしかならないだろうよ。覚悟はいいかな。 そのアクセスのレベルアップだって結構な金がかかるのだ。その金を 関空のハブ化に使う方が、常識的な発想だと思うのだが、どんなものかね。

十月十五日

話題

 近頃は色々と興味深くも、奇々怪々な話題が多過ぎて、 週刊誌等大喜びだろう。はてなと首を傾げていると、 さっさと取材を進めて、記事にしている。威勢の良かった ダムの小父さん達が、急に大人しくなったりして、やっぱり なあと事情が分かったりする。空港が狭い日本にこんなに存在 したのかと、今更ながらびっくりしたりする。よくこれで、国が潰れな かったものだ。いやもしかすると、事実上は潰れているのかも しれないな。だから前の政権は投げやりだったのか。
 そんなことより、気になるのは1日、2日の便秘だった。大分 前に、年寄りの一番の話題は便通のことだと書いていた、 翻訳物の小説が有った。この頃になって、思い出しては納得 している。だが肝心の作品名を忘れて思い出せない。年だなあ。 散歩道の途中のキンモクセイが、やや盛りをすぎたが、周囲を 和やかで上品な香りで包み込んでいる。等と良い気分に なっていられるのも、今朝散歩前に快通したからだ。尾籠な話で 失礼しました 。

十月九日

食鯨

 2,3ヶ月前だったか。グリーンピースとかいう、団体 の船が、日本の捕鯨船に体当たりを食わせたとか、 食わせそうになったとかという記事が載っていた。 欧米諸国では、日本の捕鯨、続く食鯨がどうにも 気になってしょうがないらしい。
 つい100年か150年前までは、捕鯨砲を使う 近代捕鯨で鯨をぞろぞろ捕っていたくせに、そのための 水や食糧を補給するために、幕府に開港をを迫ったくせに、 今頃になって、捕鯨は絶対許せないとは、何たる身勝手 な言いぐさか。
 あなた達が大砲なんて卑怯な道具で鯨を捕る、ずっと 以前から、我が国では、命がけで鯨をとっていたのだ。だから 捕った鯨の貴重さも、充分に心得ていて、肉、油は勿論、 皮、尾、骨、鰭の先まで何一つ無駄にせず、全部人間の 生活に役立てて来たし、今も役立てている。
 そこにいくと、あなた方欧米諸国の捕鯨は、巨大な頭部 に集中している油の採取が目的で、その他の部分はぽい 棄てだったそうではないか。何て勿体ない、無駄な捕り方を していたのだろう。ああいう捕り方をずっと続けていたら、鯨の 絶滅も、とっくの昔に、すでに実現してしまっていただろう。
 大丈夫、日本は鯨を大切にしているよ。何十人、何百人が 命がけで捕った獲物である伝統は、今でも捕鯨船員に 引き継がれている。あなた方のような、無駄な捕鯨は、絶対に しないよ。2,3日前に、鯨のベーコン料理をテレビで放送 しているのを見て、ベーコンはあまり旨くなく、1番旨いのは 尾刺身、つまり尾の肉の刺身だよと、教えてやりたくなった。
 ところで、鯨を捕るのが残虐で、牛や豚や羊を、無制限に 屠殺することが、何故日常茶飯事なのか。私にはその理由 がさっぱり分からない。家畜だって人間に食われるために、 生まれてきたわけではあるまい。たまたまそういう巡り合わせ になってしまっただけだ。
 牛や豚が、あなた方欧米人の日常食であるようには、 鯨は日本人の日常食ではない。どちらかというと贅沢品の部 に属するかも知れない。
 渋谷の道玄坂の近くに、鯨料理の専門店が有った。この頃 あの辺に出かけないから、今でも続いているかどうか分からないが、 グリンピースの皆さん、是非鯨料理屋に行ってご覧。
 鯨専門店は渋谷だけではないはずだから、探せば何処か に必ず有る。吐き気がする、等と言わずに、きちんと お上がり。我々日本人だって、明治初期に牛肉 を食べるのに、そうとう苦労したようなのだよ。
 捕鯨という、部分的場面だけで物事の全体を判断せず、 利用法から食鯨法まで、現実をありのままに調べた上で、 反対なら反対するが良い。感情だけが先に立っての行動は、 日本では暴走というんだよ。もっと理性的にお願いする。

十月七日

750と720

 この数字を見ただけで、何のことかピンときた向きは かなりのマニアですね。ワインに興味のない方は、この 後の内容お読みになっても、面白くないと思います。 予めお断りを致しましたよ。
 何故輸入ワインの容量が1壜750mlで、国産ワイン の容量は720mlなのでしょうか。しかも欧米産のワインの味 は、奥行きとこくがあり、要するに味が良いのです。 国産ワインも味の良い物が有りますが、欧米の物 とはかなり違った味です。
 価格にも問題が有ります。私の飲むものはお察し の通り、安物です。1000円内外ですと高い方で、 大体6,700円のものを愛飲しています。しかし国産 で安物ですと、ジュースを輸入して、それを発酵させて いるものが殆どのようです。国産の葡萄を使った物は、 とてもこの値段ではできないようです。
 それはそうだろうと 分からないでもありません。高くても旨ければ、たかが ワイン1壜、買いますよ。山梨、長野両県辺りはさすが と思える物を作れるレベルに達しているようです。時々 高いかなと思いながら、飲んでいます。欧米のワイン と国産のそれとは、別の飲み物だという説も心得ています。 そうかも知れないと思うことも、結構有ります。
 問題は欧米各国1壜は750mlなのに、国産のそれは 何故720mlなのかということです。理由が全く分かりません。 もしかすると、割安感を狙った行為ではありませんか。 そうなら逆効果ですよ。国産ワインも750mlにして 堂々と欧米ワインと渡り合って欲しいものです。

十月三日

オリンピック

 2016年のオリンピック開催地が、ブラジル のリオに決まったそうだ。良かった。かの国も開発 途上国の例に漏れず、格差の激しい国であり 社会であるそうだ。その鬱憤晴らしが年に1度の サンバカーニバルなのだという。オリンピックがそういう 国のインフラ整備に少しでも役に立つなら、結構な ことだ。
 慎太郎も味噌をつけたな。東京の混雑と いうか都市建設の乱脈というか、要するにハチャメチャ ぶりは、56年前の東京オリンピックに端を発していること くらい、都知事として知らないわけは無かっただろうに、 有終の美を飾ろうというのなら、もう少し別の事を 考えるべきだったな。有望選手養成の奨励基金とかな。
 総理が応援に出掛けるとは意外だったね。当選したら 困るところだったんじゃあないの。もう少し国内事情 を整理整頓して、呼び込みをしなくても、あそこで 五輪を開きたいと言われるような国にする方が利口 だと思うよ。

十月二日

落語ブーム

 近頃は落語ブームだそうだ。ブーム等という単語 が使われるようになったのは、いつ頃からだろうか。 十一,二歳の頃に、良くラジオで落語を聞いた。今 ではDVDかCDでしか聞けない巨匠連の噺を、夢中 になって聞いたものだ。
 その中に三遊亭歌笑という落語家 がいた。(歌笑純情詩集)という演し物が大当たり。 (朝は朝星、夜は夜星、昼は梅干しを頂いて、あーあッ 酸っぱいは成功の元ー)という一節しか思い出せないが、 話の内容より、顔が面白いという評判だった。顎が極端 に四角くておまけに馬鹿でかく、目もロンパリだったそうだが、 私は本人を直接見聞きしていない。しかし噺だけでも充分 に面白かった。
 惜しいことに売れている最中に自動車事故で若死にしてしまった。 のちに柳亭痴楽だったか、(破壊された顔の持ち主)という前口上 で山手線の駅名を全部洒落て読み込んだ(痴楽綴り方教室)と いう作品で売り出した落語家がいて、歌笑と区別が付きにくく なっているのだが、それほど歌笑が売れていたという証拠にも なることだろう。
 私も落語が大好きで、戦後入居していた引揚者 寮の娯楽会で、(堀之内)を一席ぶって好評を博した覚えがある。 困ったのは、その話が中学の友達にも漏れて、歌笑という綽名 を付けられたことだ。顔が歌笑に似ているというのだ。落語が上手 だというならともかく、顔が歌笑だというのが気に入らず、中学の 娯楽会では頼まれても落語を演じなかった。
   落語は三女の姉が好きで、私のお守りをしながら、池袋の 寄席に連れて行ったという伝説が、我が家に伝わっている。七歳 違いだから、ちと無理な話かなあと思うのだが、六、七歳の私が 落語を聞いて、ゲラゲラ笑っている図は想像できない。本当の ことだとすると、我ながら怖ろしい。しかし色物も有るからなあ。 よくよく考えてみると、私の教養の半分くらいはラジオの落語から 仕入れた物のような気がする。馬鹿にした物ではありませんよ。

九月二十六日

撫子

 この5,6日は朝の散歩が爽快だった。秋空の爽快さ がこんなに人の心に影響するものかと、今更ながら 納得する。一昨日は一部に鱗雲が見られたが、昨日は 一点の雲もない快晴、本26日は薄曇りと少しづつ変化を 見せながら目を楽しませてくれる。大体朝6時から7時の間までの話で この時間を過ぎると、秋とはいえ未だ汗が出るぞ。
 せんだっても書いた都営住宅の道ばたに、径60センチ 高さ80センチ程の植木鉢が6,7メートル程の間隔で 置いてあり、そこに4,5種の草花が咲いている。このところ 目立つのは撫子だ。桔梗を植えてある鉢もある。鉢により ちょっとずつ花の種類を変えているようだ。
 不思議なのは この季節、前には良く菊の鉢植えがこれ見よがしに玄関口や 道路に置いてあったものだが、近頃さっぱり見かけない。いろいろ 細工を施したものは、悪戯を避けて庭の奥でひっそり育てる ものだろうが、野菊のようなものまで姿を消してしまった。 9月9日は重陽の節句で、菊の節句でもあるのに、一本も 見かけられなかったのは物足りないものがあった。そう言えば 我妻殿が時々草むしりなどしている小庭にも菊がなかったなあ。 そういうものにも流行が有るのだろうか。
 撫子を見ながら、撫子ジャパンは強かったなあなどと思い出した。 今度あのチームがテレビに登場するのは何時かな。 民主党の政治の手口について色々雑音が起きているようだが もう少し様子を見ることにしよう。

九月二十二日

高速渋滞

 シルバーウイーク5連休、うまく有給をつなぐと 9連休になるそうだ。そこで行楽地へドット繰り出す。 自家用車を使って。この日のための自家用車なの だから仕方があるまい。
 だがそのために高速道路が 大渋滞を起こす。30キロ、40キロと予想がでる。 通過に何十分とか何時間の予想まで出る。今日は 9月の22日、明日も未だ連休だ。今日辺りが帰京の ピークになるだろうとテレビが喚いている。
 休日1000円ETCつきというあれ以来、混雑が一層 激しくなったようだ。載せられたね。タローちゃんに。 今回はお彼岸だから、故郷の墓参りという人も多かったろう。
 しかし、こんな現象、他の国に有るんだろうか。 箱根から東なら東京、西なら大阪と大都会への一極 集中が激しすぎるのではあるまいか。本社や企業中枢が 一所に集まりすぎているのだろう。働く場所をもっと分散 しなければ、この民族大移動は永久に続くのと違うか。
 皇居を京都に、議事堂を福島あたりに、各省を一県 一省にばらまくのだ。会議なんてテレビ電話でも、パソコン でもできるはずだ。大都会中毒への対策を始めないと とんでも無いところから、日本崩壊が始まるぞ。
 町村合併で何かを合理化しようとしたらしいが、結果 投票所が峠の向こうになってしまって、投票を諦めざるを 得ないという方の話が紹介されていた。
 こういうことが 崩壊の始まりなんだよ。1000円に釣られてETCを買って 何時間損をしたか反省したほうがいいかもね。 高速無料化に私は賛成だ。道路は何処でも原則無料 であるべきだからだ。高速が混んでいるなら一般道路を走 ればいいだけのことだ。ナビくらいETCより普及しているの だろう。狭い日本に車が多すぎるんだよ。
 大都会の中など 車で走れなくなっているんだから、帰省も鉄道か長距離バス にしたらどうかなあ。終点から家までが大変なら、それこそ タクシーでも使えばいいのさ。エコだエコだと騒いでも、盆と 正月にこの騒ぎを繰り返していたんじゃ、何にもならないような 気がするんだが、どんなものかねえ。

九月二十日

葵の紋

 先日ちらと葵の紋所に触れたが、大切な事を忘れていた。 水戸の御隠居の紋所は三つ葉葵だが、そういう葵は存在 しない。有るのは二つ葉葵だけなのだ。まず見つかるまいよ。 四つ葉のクローバーあたりは、丹念に探せば見つかるものだが 三つ葉葵はそうはいかない。有るかも知れないが、有れば 博物館ものだ。幻の植物の仲間だろう。だから徳川家の紋所 になったのだ。探しても多分無駄だよ。

九月十八日

夏から秋へ

 散歩の途中に、一カ所だけ気になるところがある。 花の名前が確定できない。何処かで見た気がする のだが、何だっけ。一つは芙蓉に違いないのだが 芙蓉はあんなに背がガ低かったかなと気になる。背が 50センチほどしかない。御殿山に住んでいた頃に は、となりの芙蓉の花が我が家の車の上に蜜を垂らし 拭き取るのに苦労した。それほど背が高いものと思って いたから、この花本当に芙蓉かいなと疑いたくなる。
 この手前5メートルほどに葵が開いている。花葵の花は 魅力的だ。ハイビスカスの仲間らしいが、泡盛と大吟醸 ぐらいの差はあるかな。かたや派手で情熱的な サンバ娘、かたや楚々とした深窓の令嬢、どっちも好きだし 魅力的なのだが、はてこの花々、今頃咲くものだったかな と調べてみると、季節がかなり遅れ気味になっているらしい。
 温暖化の影響かも知れない。とすると、今頃エコだエコだ 騒いでもすでに手遅れかも知れないなあ。地球にとって 本当に有害物は人間かも知れないんだからな。 そうならそうと覚悟をするか。

九月十六日

懐メロ節だよ、人生は

 先日の(抜け羽)で歌の事に少し触れたのだが、 それらは主に私が大人になってから覚えた歌だった。
 私の年を考えればすぐに分かることだが、少年時代に 覚えた歌の多くは、大正から昭和初期にはやった演歌か 昭和15、6年以降敗戦までに流行った軍歌である。 軍歌のほとんどは今でも歌うことが出来るだろう。だが、 敗戦以後一度も軍歌を歌ったことはない。当然「君が代」 もだ。これは意識的拒否行為である。
 戦後に流行った演歌もずいぶん覚えた。「湯の町エレジー」や「東京ブギ」等々数え上げ ればきりがない。(なんとかジルバ)も有ったが、ブギやジルバ は演歌と違うかも知れないが、その頃の私にそんな区別 が付くわけもなく、歌いやすく歌詞が面白ければ何でもよかった。
 ラジオドラマのテーマソングも流行っていた。「鐘の鳴る丘」は 子供向け、このドラマ、延々と続き、終わりまで聞かなかったのでは あるまいか。大人向けでは「君の名は」、このドラマの放送時間は 女湯ががら空きになるという評判だった。すれ違いドラマの 一番手で、以後メロドラマといえばすれ違いでなければ納得 しない聞き手が多くなったのではなかったろうか。
 思えば落語もジャズもポルテニアも浪曲もクラシックも、 聴覚文化の全てがラジオを通して我々に伝わった。現在の テレビ以上の影響を我々に与えていたであろう。今で いうライブなど見に行く金など殆どの庶民が持っていなかった。
 笠置静子の真似の上手な女の子が出てきて有名になり、 それが後年の美空ひばりになった。あの泥臭くも魅力的な 歌声が演歌そのものなのだとうなずくところがあり、 (一人酒場で飲む酒は)という「悲しい酒」をカラオケでの持ち歌に していたのだが、いつの間にか同人の森君に横取りされ 仕方がないから「お祭りマンボ」に換えようとしたが、なかなか の難曲で歌いきれずに諦めた。森君も今では故人となり、 カラオケに行くことも無くなって何年になるだろう。 懐かしさとは寂しさの一種なのだろうか。

九月十三日

制度利用

 「都高退教ニュースNO.75」の浮嶋勝郎氏がお書きになった (私と憲法) の中に (06年12月、天皇は皇居でインドおよびイラク に派兵された180人の自衛隊員と懇談しているが、これなども自衛隊 の海外派兵を天皇が容認・支持するというメッセージにほかならない。) という部分がある。
 私は寡聞にしてその事実を知らなかった。マスコミも あまり報道しなかったのではあるまいか。こんな報道のありかたには背筋 が寒くなる。同時に天皇制を残した連中の、残しておけばいつか利用できる との政治的意図がいよいよ表面に出てきた感が強い。
 浮嶋氏と共に私は9条はそのまま残し、第1章を始めとする天皇制関係の 全ての条文を削除することに賛成する。
 我々日本人はイラクやイラン、アフガンの内部政情に手を出すつもりは、 これっぱかりもない。アメリカの9.11の復讐戦に味方する気もない。 断っておくが皇族は日本人ではないよ。日本国籍を持っていないのだからね。 アメリカも、第2次世界大戦当時の日本各都市に対する無差別爆撃の責任、 広島、長崎にたいする核兵器使用に対する責任もはっきりしないうちに 朝鮮やらヴェトナムやらで戦争して、今度は中東かよ。カイザーの事は カイザーに、イスラムの事はイスラムに任せておけば良いではないか。
 日本のアメリカ後追い外交には、嫌な予感がする。天皇制を利用する なんて、なんて古めかしい発想だろう。でもそれにいかれてしまう、天皇制 中毒患者がまだ多いらしいからなあ、日本には。ノリピーどころの話じゃ ないんだがね。困ったもんだよ。

九月十一日

戦争責任

 吉川英治の「宮本武蔵」に、彼が吉岡憲法 一門と闘う所があった。確か始めはトップクラス の二人と一対一の勝負をして二人とも打ち負かし 吉岡一門の数十人が武蔵と闘うことになる。一門の 名義人は未だ十歳になるやならずの少年だ。武蔵は 一門の警戒網をかいくぐって、というよりまさかの隙を 狙ってこの少年を切る。名義人はこの戦いの責任者 である。武蔵は名義人を切ることによって、この戦い に名実共に勝った。斬り殺された少年こそ良い迷惑 だったが、戦争というものはそういうものだろう。
 近頃昭和天皇の戦争責任についての著書が何冊も 出ている。責任無しとする論調のものが多いようだ。 しかし彼があの戦争の名義人であり、責任者である 事実は動かせない。開戦の勅語、敗戦の勅語共に 彼が発している以上、裏の事情がどうあろうと、吉岡 少年と同じ立場にあった事は間違いない。彼は責任 者である。彼も取り巻き連中もそのことは認識していた ようである。退位して落飾しようとか仁和寺に蟄居しよう とか、なにか平安時代か鎌倉時代のような感覚だな。 冷戦の幕開け時代が彼に味方した。アメリカは日本 の反感を極力抑えねばならなかった。
 だから憲法第1条に天皇制をうたったわけだ。でも日本人 による判定はまだ行われていない。天皇が政治に関わることは 一切断ち切るべきである。少なくとも(日本国民の総意 に基づ)いているかどうかを、憲法の条文通りに確認 しなければならないはずだ。どうする鳩山総理。

九月六日

大国のエゴ

 総選挙もやっと落ち着いて、駄目な党がダメージ を諸に浴びて、ひょっとすると再起不能状態かも しれないから、もう苛めるのはよしておこう。でも 一言言っておくと、元総理なんていうゾンビがウロチョロ してるようでは、見向きもされなくなるのも間近だろうな。 さて本題の大国についてなのだが、領土問題となると 何故あんなにケチケチするのかね。
 その前に大国とはどういう国を指すかを示しておかないと いけないな。ロシア、中国、インド、アメリカ、オーストラリア が頭に浮かぶが、この際オーストラリアは外れて貰おう。
 中国ではチベットやウルムチなどで、かなり強引な民衆 弾圧を行っているような報道だ。黄海の沿岸都市部は 好景気で沸いているらしいが、「君見ずや青海のほとり 古来白骨人の収むる無くー」杜甫の歌った辺りらしいのだが 結局昔から恵まれない状態のままらしい。こんなことなら独立 したいということらしいが、何故か中国は認めない。そんな 事態を解決しようと毛沢東は革命を起こしたのではなかったか。 漢族とイスラム教民族とでは肌が合うまい。神仏習合をやっちまった 日本でならいざ知らず、儒教的感性の漢族とではそう上手く やれるとは思えないな。独立させたらいいじゃないか。いずれ 中国と経済的交流をしなければ成り立たないことは分かっている のだから、どんどん独立させたらいいではなかと思うんだが、何故か ケチるんだよな。
 ロシアもそんな所があるな。やっぱり辺境地区で問題を起こしている らしい。ここにも宗教問題が絡んでいるらしいが、中には陰から 糸を引くケースも有るらしい。インドもカシミールあたりで問題を起こし 今はパキスタン、バングラデシュまでがやがやと騒がしいようだ。所詮 一つの政府で仕切れる広さではないだろうに、それが分からないとは 情け無いねえ。その点アメリカは合衆国という政体ををとっているだけ 問題は少ないんだろう。しかし、強奪同然に手に入れたハワイを未だに 独立させようとはしないのだから、大国なんてそれほど信用できる 存在ではないようだ。
 いわばエゴイズムなのだが、それが北朝鮮のような愚連隊国家を生む ことになる。近隣国家は大迷惑だ。少しは反省しているのかねえ。

八月三十一日

勝ちすぎたか

 終わってみれば、民主は少し勝ちすぎたかな。取り敢えず 後期高齢者医療制度は止めて貰いたいね。先が短いのだから 大急ぎで是正して欲しいね。子供手当の財源だがね、 我が家はとっくに子育てを終わって、老夫婦二人暮らし だが妻も1人前の年金を貰っている。要するに若いときに 共働きをしていたわけだ。余程実家が金持ちでない限り その頃でも男手一本の給料で妻子を養うことはできなかった。 だから現在何とか人並に暮らせているわけだが、その辺から 子育て財源の税が欲しいと言うなら、これは我慢しようじゃ ないか。
 軍備に金を掛けるんじゃないよ。航空自衛隊の トップクラスがもっと予算を寄越せと新聞に書いていたな。 F15なる戦闘機を使っているそうだが、米軍は半年だか 1年ごとに部分的改良をするのに、日本はその予算がないから 立ち後れているというわけだ。そのF15 だって押し売りされ たものだろう。本当に必要なものなら日本で作ればいいのに アメリカは作らせなかったんだよ。中古武器のお客がいなく なっちゃあアメリカのメーカーが困るからな。 アメリカの言う 事ばかりはいはいと聞いているのが外交じゃないんだからね。 しっかり頼むぜ。民主党さんよ。
 核が持ち込まれている ことぐらい、誰でもとっくに知っていたよ。知らんぷりしてる 政府や役人に愛想が尽きたんだよ。周りの国が怖がっているのは アメリカの持ち込み核で、日本の武力じゃないよ。第一 今の自衛隊の力じゃ何処の国にも適わないからね。金を かけるだけ無駄だ。9条でいこうよ。間違っても核兵器を 持とうなんて思わないでくれよ。銭ばかり食って、何の 役にも立たないんだからね。

八月三十日

勝ち方

 さて、どうゆう勝ち方をするのか、少し心配だよ。 個々の候補でも政党間でも、きわどく勝つのが 理想的なのだが、差が付きすぎるとろくな事にならないぞ。 そうなりそうだから警戒せにゃぁならんのだよ。 今勝ちそうな民主も、勝たなきゃ良かったなんて 事態が透けて見えてるからね。それをどうにか 捌くのが政治ってものだと思うんだが、どうなるのか みものだね。自民にはそうゆう政治のイロハさえ 分かってない奴が多すぎたのだよ。負けるべくして 負けるのだから自業自得だ。その間迷惑するのは 庶民なんだからね。どちらが勝つにせよ、そのことだけ は心得ておいて貰いたい。お次の政変が流血騒ぎ にならないように頼みますよ。今の若い者を舐めると 怖いよ。

八月二十九日

宝船

 いよいよ総選挙まで1日だけになった。 こんな時に忠臣蔵を思い出すなんて私も年だねえ。 大高源吾が笹売りに身を窶(やつ)して両国橋か何処か その辺を売り歩いている。そこへ旧知の俳人其角 が通りかかる。折しも師走、其角すかさず
    「年の瀬や水の流れと人の身は」
と発句を投げかける。其角は蕉門の十哲の一人だ。 源吾も連中の一人だった。折しも14日、討ち入りは 明日と決まったばかり。で、すかさず
    「明日待たるるその宝船」
と脇を付ける。其角、ははん明日だなと覚る。そんな筋立て だったと覚えている。発句の方はどうでも良いのだ。源吾の
    「明日待たるるその宝舟」
がこの際重要なのだ。この際自公政権は跡形残らぬまで すり潰さねばならない。2大政党制などはその次の話だよ。
    「明日待たるるその宝船」
 楽しみだねえ。だが討ち入る相手に吉良上野に匹敵する 親分が見当たらないのがやや不満かな。ま、いいか、できれば 全滅が狙いだよ。でお次は民主がターゲットになって 叩かれる。苦しくても戦争は駄目だよ。アメリカの51州めに なるのが嫌なら、多少の痛みはお互いに我慢しようじゃないか。 大国のけちな領土感覚については選挙が終わってから聞いて 貰おう。

八月二十四日

流血無き革命

 今度の日曜日が総選挙の投票日だなあ。 長い月日だった。此処までの悪政を強行してきた 自公政権に生き延びる目は九分通り無いとは 思うものの、人の心ばかりは分からないという 通俗的だがそれなりの真理を抱えた言葉が 気になる今日この頃ではある。ドラマチックな 政権交代劇が実現しそうだと、マスコミは息を のんで成り行きを見守っている。
 仕方なかろう。真の意味の戦後日本における 政権交代は今回が初めてなのだから。すんなり いけばアジアにおける無血革命のモデルになるかも しれないぞ。どちらもそのくらいの覚悟で選挙を 闘って貰いたいものだ。1度総理を経験した候補 や途中でおっぽり出した候補なんかには、幽霊じゃ ないんだからもう出てきて欲しくないね。どちらが権力 を握ろうと一筋縄では捌けないぞ。2度、3度の 余震は覚悟しといた方が身のためだよ。
 けれど此処まで無残非道な政治を強行してきた 権力が1滴の血も流さずに退場できるなんて 議会制度もまんざら無駄ではなかったのだなあ。 何より有権者の見識、民度が問われるわけだから こちとらもしっかりせにゃあならんねえ。

八月二十二日

高校野球

 高校野球も大詰めを迎える時期になった。 時々私もテレビ観戦をする。決して嫌いでは ないのだが、何故野球だけかと言う疑問が常 に残る。中等学校野球大会からの歴史も知 らないわけではない。だが現在の高校の部活 の現実から考えると、野球だけがテレビ放映され るというのは、不公平であることはもちろんだが 高校教育そのものを歪めているのではないかという 側面まで心配になる。甲子園出場絶対確実 みたいな宣伝が、裏か表か知らないが行われて いるのではないかと思われる高校が2,3に止ま らない。
 サッカー、バスケット、バレーボール等々 スポーツクラブは言わずもがな、文科系クラブも 多数存在することはどなたも御存知のはずだ。 だが野球以外のクラブであれほどテレビでもて はやされるクラブは一つも無い。何故なのか。 しかも放映の張本がNHKとは合点がいかない。 そろそろ考え直すべき時期ではあるまいか。 今年は野球なら来年はサッカー、再来年は バレーボールの全国大会を放映するとかを 考えるスタッフがいないはずがないと思うのだが どうなっているのかな。

八月二十一日

諏訪湖の花火

 諏訪湖祭り花火大会に出かけて、というよりお招きにあずかりました。 花火は15日の夜に行われるのですが、お招きは14日からでした。 長女夫婦と長男の子供達で、私達夫婦の金婚祝いでした。
 予約された部屋は湖岸まで道1筋を隔てた7階の景観抜群の部屋、 そこから初島という人工島まで湖岸右にそって200メートル程でしょうか。 どうやらそこが花火打ち上げの本拠らしく思われました。
 しかし、15日の昼間は手持ちぶさたで、せっかく此処まで来たの だからと、諏訪大社4社にお参りし、「ガラス美術館」と「赤彦展示館」 にも寄りました。もちろんタクシーをチャーターして行ったのですが、 9時半頃出掛けたのですがここまでですでに昼過ぎになっていました。 何処かで蕎麦でも食べようかと運転手さんに誘いをかけたのですが、 「いや、何処も一杯でしょう。ホテルに帰って召し上がった方が良い と思いますよ」というお言葉。確かにどの店も混んでいました。
 実はこの日朝から様子がおかしかったのです。ホテルから見下ろす 湖岸道路にずらりと自動車が止められ、其処から下りたとおぼしき 人々が湖岸の緑地の上にビニールシートを拡げているのです。まさか 今から花火見物の用意じゃあるまいなと首を傾げたのでした。何しろ 朝から日差しが強く、1日照りつけられては花火見物どころではあるまい と思われました。ところがそのまさかまさかのまさかだったのです。
 諏訪湖沿岸の人口は普段5万人程だそうですが、この日ばかりは50万人に 膨れあがるのだそうです。ホテルに帰ってみるとフロントがチェックインの客 でごった返しています。いずれ5時半から夕食で大御馳走になるのだから と、ゴボウせんべいとビール1缶で昼飯代わりにしました。正解でした。 ここの板さんが抜群の腕前であることは、前夜の夕食で確かめてあり ました。
 夜7時、大会開始の大玉が打ち上げられ、、続いて数え切れない 程のスターマインの乱打乱撃、まず度肝を抜いてやろうの敵の魂胆は 読めすぎるほど読めたのですが、私の読みなどゴミほどの値打ちもなく 粉砕されてしまいました。両国の花火、二子玉川の花火、江戸川の花火 と花火慣れているつもりでしたが、このスケールの壮大さには恐れ入りました。
 どんなに大きな物を何発連射しようと火事になる心配がない、花火師にとっては 思い切り腕の振るえる大会でしょう。特に「水中スターマイン」とやらいう大玉の 半分が水面で何個も連続して花を咲かせ、その背景に完全な大玉を開く 配置には感動さえ覚えました。演出家というべきか脚本家と言うべきか、その 種の方が苦心惨憺した舞台であることが充分に理解できました。そして 終わりを告げるナイアガラの大きさ長さ、首を振らなければ端から端まで見えない 程長いナイアガラを初めて見ました。
 この間中、ぎっしり詰まった人波がぞろぞろと 湖岸道路を行進を続けているのにも驚きました。一体この人達はいつ花火を見るのでしょう。
 息子殿曰く、此処諏訪の花火は4万発を打ち上げ、数では日本一だそうだが、 日本三大花火は長岡(新潟県)と大曲(秋田県)と霞ヶ浦(茨城県)であって 東京の花火などは数の内に入らないのだそうです。
 花火も良かったが、道ばたにずらり何十軒か何百軒かしらないが 並んだ屋台も懐かしかった。遠い遠い昔の縁日を思い出しました。
 子供達よ有り難う。涙の出るほど嬉しかった。Mちゃん(孫)、「玉やー」の 掛け声忘れないでね。

八月十三日

なにげに 

 大分前からだが、いい年をした中年女性が、 何気なく と言うべき所を なにげに と使って いる現場に出くわした。なんだ?と思わず立ち 止まって話し手の顔を見た。するとこの人の親御 さんも なにげに派だ、だからこんなに素直に なにげに が出てくるのだろう。
 みっともないです よ、訛りでも外国語の転用でもない、只の間違い に気が付かないだけですからね。教養が疑われる とはこういう場合のことですよ。何気なくさりげなく 教養ある言葉遣いに直しましょう。
 明日から1週間ほど旅に出ます。その間このHP の更新は行いません。帰ってきたら又始めます。

八月十二日

主人公 

 水戸黄門をつい見てしまうことを先日この欄に書いたのだが、 よく考えてみると黄門様は東野英次郎の(かっかっかっ)以来 何人代わったろう。少なくとも四、五人は代わっているに違い ない。時々の有名俳優が勤めていてそれはそれで満足だ。
 問題は主人公なのだ。いつ頃からか、由美かおるが、お銀 やらお艶やらで必ず出て来るようになった。今造られているのは 第40部だそうだ。一部が何作か知らないが、厖大な数に上る だろう。その大部分に由美かおるが出演している。黄門様が 誰に代わってもだ。これってもしや主人公は由美かおるなのでは あるまいか。凄いよ、あの九の一は。多分、還暦近くの年齢じゃ ないかなどと、余計なことまで考えてしまうが、決して彼女を 貶していrわけじゃない。逆に感心して誉めているのだ。楽な 演技じゃないよ。男でも音を上げかねない立ち回りだ。次々に 悪党どもをぶちのめしていく痛快さ、それがあのシリーズの面白さ なのだ。
 すれば主人公はやはり由美かおる演ずるお銀やお艶 だ。黄門様は西条秀樹あたりで済ませてもいいから、由美かおる だけは頑張ってくれよ。

八月十日

通常兵器 

 八月は広島長崎に核兵器を使われた月として、 もしや世界的に有名になっているのではあるまい な。知って貰いたいと切実に思う。その場だけでは 済まない被害を、子孫の何処まで残す物か未だ に確かなデータに残せない、実に残酷な兵器だ。
 だがその議論に紛れて、いわゆる通常兵器の 問題が等閑にされてはいないか。現在各地で発生 している戦争あるいは武力闘争は通常兵器と呼ば れる兵器で行われている。核兵器は廃絶すべきもの だ。では通常兵器は廃絶しなくて良いのか。怖ろしい 性能を持った通常兵器が開発されているようだ。
 先日もこの欄に書いたのだが、戦争で得したり民度が 良くなったりした例は一つもない。戦争に勝つと大方 その国あるいは国民は堕落する。堕落の原因は戦争 ばかりではあるまい。負けた国の民度が上昇するかと いうと、それは有り得ない。復讐の念ばかりガ強くなった としても、それで何が解決するわけではない。
 戦争は誰がするのか。国だ。国とは何か。それが 真面目に考えられなければならない時が来ている のではあるまいか。常に戦争の準備をしていなけれ ばならないのが国ならば、それは民としては迷惑な 存在だろう。 取り敢えず日本は憲法で戦争を 放棄した。 無抵抗無防備な国を何処が侵略しに くるというのか。
 来るならどうぞと何故言えないのだろう。その覚悟の上で アメリカ軍に引き揚げて貰おう。すでにアメリカ軍は 日本独立の邪魔者でしかなくなっているではないか。 核の傘などアメリカが当初から本気で考えていたとは 考えられない。警察の装備を少し強化しよう。
 日本の問題はそれで解決するはずだ。防衛問題 等とさかしらぶるでない。所詮防衞しなければならない物など 日本には無いのだよ。ちと長くなった。今日はこれまで。

八月七日

散歩道 2 

 前に述べたように、雨が降らなければ毎朝散歩をする。 途中小さな休憩所か公園か、そのような所がある。そのあたりは 、時間にもよるのか鳩が多い。群れをなして飛んでいたり、地面に下りて 餌を啄んだりしている。嬉しいのはその近くを手動車を押して歩く 私を全く無視して行動していることだ。近づいても避けないし、向こうから 近づいてくるのもいる。こちらが止まろうが歩こうが一向気に なら無いようす。
 何処かでこんな平穏気分を味わった記憶が有るなあ と脳の袋の底を覗いたら、有った。オーストラリアのパースの公園だった。 たまたま朝の公園に見物に出掛けたら、アヒルだかガチョウだかが、芝生 の真ん中に巣を構えて雛を育てていた。その傍を犬の散歩をしている人 もいればジョギングをしている人もいる。鳥の子育てなど一瞥の価値もない という態度だ。日本では有り得ない風景だなと眺めていたのだが、 近所の鳩にそれに似たものを感じた。雀はまだ鳩の域に達していない。
 餌を用意したくなるが、敢えて持って行かない。野生の物は野生のままが 良い。私が進むと歩いて避ける鳩に、口の中で 御免よ と呟きながら 振り返らずに散歩続行。ややあって後ろで鳩の羽音。行く手には百日紅 の並木が満開の花房を枝先に付けている。しかし、そこには鳩はいない。 鳩の群れも場所を選ぶようだ。明日も又此処を通ろう。

八月四日

尊敬語 

 偉大なるマンネリ 水戸黄門 を何故か見てしまう。 勧善懲悪だから安心して見ていられるからかも知れない。 今時の推理物は初め頃出てきて、とても人殺しなどでき そうにない奴が犯人と相場が決まっているので、見る気がしない。
 で、水戸の御隠居なのだが、幕切れ近くで必ず大立ち回り が有る。その時の御隠居のせりふで気になるときがある。 (助さん、格さん懲らしめて上げなさい)と言うやつだ。 (懲らしめてやりなさい)と正確に言うこともある。脚本家 によるのか、役者によるのか分からないが、日本語を正しく 使って欲しい。悪者だから懲らしめるのだろう。悪者に (−上げる)という尊敬語を使うては無いと思うよ。
 一体何歳になったのかとか、あんなに日本中で身分を ばらして歩いちゃ、すぐに正体が分かってしまうとかそういう 細かいことは気にしない、気にしない。

八月一日

コミック 

   題名に惹かれて、中を開いても見ずに 「天皇論」 小林よしのり を買い、 家に帰って開いた途端思わずギャっと声が出た。漫画本だったからだ。漫画 なんて65年ぐらいお目にかかっていない。10歳 頃には卒業していたからな。まさか天皇論が漫画で 書かれるとは思わなかった。
 一応読んでは見たが、予想通り漫画じゃ無理なテーマ って感じだな。巻末の参考図書を見る限り、それなりの 勉強はしたらしいが結局ファンがタレントにペンライトを 振ってるって感じだ。万世一系なんて、今時誰も信じちゃいないって。 著者みたいな、妙に熱心なファンの煽りで危険に瀕した 経験が数多有るから、天皇家にとっては、著者のような 存在は迷惑以外の何物でもないだろうよ。
 著者に考えて貰いたいのは、(私は貝にになりたい)の 主人公、つまりB、C級戦犯で現地処刑された人達の 無念をどう償うかだが、最終的には天皇に責任がいく 組織になっていた。連合軍の占領政策の都合で訴追 されなかっただけで、占領が終わったら、前回のべたような 奇妙な憲法と共に居座っている、理解不能な存在が 天皇なのだ。著者のようなファンがいる内に安全地帯 に移してあげた方が天皇家のためだと思うよ。日本帝国 軍隊(いわゆる皇軍)の暴走とファン大衆の扇動が前大戦 の不幸な結末につながった事実を著者は完全に無視して いるよ。とにかく、この問題は漫画で済む問題ではない。
 近頃、修士論文や博士論文を漫画で書きたいと希望する 学生がいるんだとか、嘘か冗談だと思っていたが、この作品 を見ていたら、まんざら冗談とも思えなくなってきた。きちんと 書くべき物は、きちんと文章で書いて貰いたいものだ。

七月二十九日

鴎外再び

 鴎外という人は、本当に隅に置けない人なのだ。 太宰の墓の斜向かいに鴎外の墓がある。お参り する人は太宰のほうが圧倒的に多い。人気があるんだろう。 だが物言いの率直さは格段に鴎外に軍配を上げたい。
 天皇制の虚構についても彼は「かのように」とズバリと言い 切ってすましている。明治維新は彼にとって東京に出て 自分の医者としてまた物書きとしての能力を試す機会の 出現以外の何物でもなかったようだ。明治天皇が、維新の 元勲と言われる連中の道具(玉と呼ばれていた)以上の 何物でもないし、下手にいじることの危険性も充分に承知 していたようである。それで通用する時代だったと言ってしまえば それまでの話だが、天皇を神格化する動きが始まっていた時代でも あった。幸か不幸か彼には政治的志向は全くと言ってよいほど 無かった。従って大衆迎合的志向もなかった。
 墓が向かい合っている ように、太宰の作品とは対照的である。太宰の作品にも好きな物が 無いわけではないが、両者を比較するのは所詮無理か。 格が違いすぎるからなあ。近頃の太宰作品の人気が行き過ぎ の感があるので待ったを掛けたくなった。

七月二十七日

9条

 憲法問題というと、昨今は9条に話題が限定されるような 雰囲気だが、どうしてかな。私は9条は現在のままで良いと 思う。武器も戦力も持たずに話し合いで解決しようという 基本的姿勢に同感するからだ。だから現在の自衛隊は1から 10まで法律違反の存在だと思っている。武器も戦力も軍隊も 持ってはいけないのに、核兵器、空母、潜水艦を除いては、 F00とかイージス艦とか最新鋭に近い武力装備で、世界で 何番目かにランクされるほどの強力な軍隊が、名前だけは 自衛隊だといっても、そりゃ聞こえませぬ、伝兵衛さんと言われるだろうね。 だから私は9条の会会員になった。戦争で解決することなど 一つもないと歴史が教えているではないか。
 でも私はいわゆる護憲派ではない。むしろ改憲派だ。日本国件憲法 の第1条に「天皇の**日本国民の総意に基づく。云々」とあるが、この 文言は総意に基づいて決めたのか、決めるべきだと言うのか、非常に曖昧で、こんな大事な ところで現在形の動詞を使うのは、誤魔化し以外の何物でもない。 天皇制さえいじらなければ、日本占領は無血無抵抗で無事に行われると 読んだマッカーサーの戦略眼の確かさを残す、ある意味での名文 かもしれないが、日本人としては変な文章が気になるはずだ。
 その上天皇制は大きな政変の度に権力者に利用されてきた。そろそろ 天皇家にも基本的人権くらい認めても良いのではあるまいか。フアン も多いようだし、今が絶好のチャンスだと思いますよ。選挙権も被選挙権 も有って当然、どうして無いのだろう。その代わり、国事行為と称する物から 一切手を引いて貰う。大臣任命なんて迷惑以外の何物でもないんじゃないのか。 すれば大臣なんて呼び方も止めて、長官くらいで良いではないか。どうせ 名前なんて大部分覚えて貰えないんだから。というわけで、天皇制に絡む 各条項を改める意味で改憲派なのだ。

七月二十六日

散歩道

 今回も小説談義を休んで別の話題にする。 散歩とそのコースについては前に書いたとおりなのだが、 感情というものは不満や反感が先行するものらしい。 悪いことばかりではない。
 都営住宅の場合、建てた時期 にもよるのだろうが、敷地を広くとってあるのが良い。その敷地に 必ず草花が植えてある。先頃までは紫陽花が方々で咲き競って いた。その前はツツジが行く先々で赤や白の可憐なグラス を挙げて朝の空気を乾杯していた。今は百日紅(さるすべり)が 真っ盛りだ。
 今朝(26日)は久しぶりの青空を背景に、 淡紅色の、小動物にも似た可愛い花を枝先に飾っていた。 これは裏通りの並木になっていて、無味乾燥の環境にせめてもの慰めを、と 設計者が考えたのかも知れない。表通りの歩道側はツツジ、車道側は 椎の木だろうか、青い樹木の並木で既に来年に備えての刈り込み 整形を終えている。
 それにしても気になるのは、この2,3,日ミミズ が其処此処に這い回っていることだ。例の太くて長い、僕等はどばミミズ と呼んでいたが、土地土地で呼び名は違うかも知れないが あれである。一回りで10匹くらいは見かける。それも舗装道路の上 なのだ。庭先に草花を植えている、その土あたりならいざしらず、舗装路 にまで出張ってくるのは何故なのか。不思議でもあれば不気味でもある。
 このあたり、戦後も暫くは農地で、そのため玉川上水や 仙川上水、野川上水などが存在したのだが、そういいう過去の遺産 なのかもしれない。この次は憲法の話を聞いていただきたいと思っている。

七月二十三日

徹底的に叩こう

   今日は(日本の小説)は休みにして、折角 解散、総選挙となったことだから、そいつを話題に致しましょう。
 解散から選挙まで40日も有るんですってね。長すぎますね。自民党 はその間に何かハプニングでも起きて、風向きが変わることを期待して るんでしょうが、これ、結構彼等にしては利口な戦術じゃないかな。
 何しろ飽きっぽいからね、日本人は。中にお盆休みまで入って、だらけちゃったりして。 でも今度だけは、徹底的に自民党を叩き潰しておかないと、日本国の独立性が危なく なると思いますよ。
 民主党だって大丈夫というわけにはいかないけれど、国民の手に権力 を取り戻すってことが大事だと思いますよ。自民の爺さま議員には、その発想も実行力もないし、 若いくせに自民に入る権力志向議員も感心できませんからね。民主にやらせて、駄目ならこれも 叩き潰すというように政治システムを変える、絶好の機会ですもの。
 途中で居眠りこかないで、今回は徹底的に自民を叩きましょうよ。それが 我々のためであることはもちろん、彼等の為でもあるんですから。

七月二十一日

日本の小説 2

 次は誰だろう。鴎外が出たら漱石が常識だ?。そうなん だな 「夢十夜」 なんてのも好きなんだが、彼はやはり長編  「三四郎」 とか 「それから」 「こころ」 あたりで話題にしたい作家だ。
 で、今回は意外にも泉鏡花 「高野聖」 に御登場 願おうか。鏡花というと 「婦系図」 と反射的に口走るのは 止めておくれ。確かに彼の女性を描写する力量は並外れている。 師の尾崎紅葉を遙かに超えてしまった。「金色夜叉」の お宮は お蔦に比べると色気も愛想も足りないね。鏡花夫人はもと 芸者の桃太郎だもの、上手に書けて当たり前だよ、と来るか。
 だから 「高野聖」 にしたのだ。飛騨から信濃への二筋道が 話の発端になるのだが、今なら安房峠か野麦峠かと思うのだが、 昔は別口が有ったかも知れない。確か旧道を選ぶのだったが、 此処に出てくるのが妖しの美女。話が進むにつれて、美女の 描写が冴えてくる。男なら誰でも好き心を起こさずにはいられない。 だが、実は女はそこを狙っていたわけで、(男はみんな狼よ)の 逆を行く話。男はみんな蛙や蛇や良くて馬か牛に変身されてしまうのだ。 ゆえに女の描写がこの作品の生命になる。
 発想も力量も明治離れしているよ。題名が 「高野聖」 だからといって、高野山 が話の舞台だなどと間違えるんじゃないよ。今日はここまで。

七月二十日

日本の小説 1

 (文学)と大上段に振りかぶらないところに 御注意が肝要。いわゆる近代文学の、それもごく一部、私の目に 触れた物に限定して感触を書くことにする。更に推理仕立て やハードボイルド仕立てのものは一括、娯楽物としてこの欄から外す。
 最初は 「舞姫」 森鴎外  「たけくらべ」 樋口一葉あたりからいくか。 といっても批評はしないぞ。このあたりを意識のうちに入れておかないと 近代文学をそれとして語ることはできない。考えてみりゃあ、一方は これから官僚として出世街道を驀進するために女を捨てる若者が主人公。 一方は、吉原の女郎にしか未来がない少女がヒロイン。ほぼ同じ時期に 同じ擬古文体で書かれているというのも、偶然だろうが覚えやすい。 これに軍隊創生の話が加われば、これが明治の文明開化の内幕だと いうことになるだろうよ。鴎外は軍医だったから、それも日清、日露両戦争に 出陣しているから、却って軍内部のことは書きにくかったかも知れないな。 そのうえ山県有朋に目を掛けられ軍医としては最高位の軍医総監にまで 出世してしまうのだから、ますます書きにくいよな。
 ところで 「たけくらべ」 を使って段階的にテストをしてみようか。 中学生だったら作者名を伏せてあてさせる。高校生だったら 「たけくらべ」 の  たけ の部分を漢字に直させる。大学生だったらこの題名の出典を聞くってのは どうだろう。中は省略して、高校は 丈 大学は 伊勢物語 が正解。そう大学だったら 出典となった和歌まで書かせても良いかもしれないな。近頃この程度の文章 が読めない高校生が増えているんだよな。少なくとも文科系志望だったらこのくらいは こなしてもらいたいものだ。
 あれ、少し長くなったな。続きはこの次にしよう。

七月十八日



 句、歌の鑑賞の次は小説という順になるわけだが、 小説は前2者と異なって、全文引用というわけにいかない。 題名と作者、読後の印象くらいしか伝えられない。
 「ジュール叔父さん」 モーパッサンを読んだのは13,4歳 頃だったか、 「最後の一葉」 O・ヘンリーなど 上手に書くなあと感心した覚えが有る。上手 下手の問題ではなく、 「異邦人」 カミュ 「壁」 サルトル 等は、人間とはという問題を鼻先に突きつけられた思いが した。当然高校から大学にかけて読んだ物で、中学時代は まだ娯楽ものが主だった。
 しかしなんと言っても 「悪霊」  ドストイエフスキー の衝撃は凄かった。それまでに 「罪と罰」 あるいは 「白痴」 「カラマゾフ」 等を読んでいたのだが、「悪霊」を 地でいくような浅間山荘事件が起きて、改めてドス氏の 底の深さを思い知らされた。
 小説というと真っ先にこんな作品を挙げる人種を、岩波赤帯派と言うのだそうだ。 岩波文庫の赤帯は翻訳小説だから、仕方がないか。でも 日本の作家にも凄いのがいるぞ。それはこの次にしよう。

七月十四日

慌てない

 都議選で民主党が勝ったと大騒ぎをしている党や マスコミが有るようだが、所詮は1地方選挙だ。東京 がどうだろうと、肝心なのは衆議院の選挙だろう。勝った といって浮かれていると痛い目に会うかも知れないよ。 負けた方も負けっぷりが肝心だよ。だから面白いのはこれから だぞ。でもね、民主党が勝つくらいのことで、この今の日本が ピンチから立ち直れるかどうか、疑問だね。根源的な 改革、考え方の基本的な変革が必要だろうが、そういうのって 怖いからねえ。有権者の意識革命がなによりも必要なんだが そのへんがどうなのかねえ。

七月十二日

地デジは予告詐欺だ!!

 2012年だかに、テレビの電波が地デジになるから 対応する受信機に早く買い換えろ、という内容らしい 宣伝文句が時々映る。見る度に腹が立つ。デジタル波 に換えてくれとこちらから要求したわけでもないのに、何故 一方的にアナログ波を打ち切ってしまうのか。アナログ波しか 映らない受信機を売っておいて、今更(その受信機では 映りませんよ)はないだろう。それって新手の詐欺じゃないか。 この予告詐欺にはTV局、電機メーカー、それに放送法に関して 政治家も片棒を担いだ、大がかりな詐欺だと思うよ。地デジ 関係の機器一揃いの値段は結構高い。買う金のない奴は TVを見るなということか。どうせつまらない番組しか放送でき なくなっているのだから、この際TV鑑賞を止めちゃおうかという 話もあるが、それはそれとして別の話だろう。 今度の衆議院選挙で、この詐欺行為に対する意見を、 候補者各位から伺いたいものだ。

七月八日

街造り

 私の住まいは三鷹の下連雀にある。この地名、 太宰治の晩年の居住地として、結構知名度の 高い所らしいが、下連雀と言っても広うござんす、 というわけで太宰の住み家とは、殆ど全く関係のない 場所で、おまけにマンション住まい、彼の墓の有る 禅林寺よりなお奥に位置している。 そのマンションなるものが、雨後の筍のごとく、にょきにょき と生えてきて止む様子が全く見えない。事の始まりは 都営住宅らしいのだが、さすがに都営住宅周りの道路環境は 一応のものと言えよう。
 だが建物の無愛想なこと、灰色の直方体がずらずらと並び、 通行人を威圧する。この団地群を2,3十分かけて散歩するのが 日課なのだが、建築家としてこういう物を建てて恥ずかしくはないのだろうか。 若い建築家にオーストリアやスイスを見学させる必要があるのではないか。 チロルやインスブルックの町並みの見事さを、頭のどこかに ぶらさげていたら、こんな団地を発想するはずが無い。
 きけば彼の地には相当厳しい建築規制法が有るということだが、 もっともなことだと思う。国会議員の先生始め各種の議員さんがせっせと 外国にお勉強にお出かけになるようだが、せめてあの夢のような家並みの 見事さぐらい見てきているのでしょうねえ。それでも都営住宅は 色、形、高さが揃っているだけまだいい。
 我が住む辺りの、色も形も高さもてんでんばらばらに建つマンション集合体の醜悪なこと。 我々日本人には、高層住宅街を美しく、しかも住みよく造る感覚が先天的に欠けている のだろうか。いいや、そんな筈はない。外国のいいとこ取りは日本のお家芸の筈だもの。 日本でも観光を重要産業にするときが目前にせまっている。
 精密電子工学技術だけでは食っていけない現実が、既に目の前に転がっているではないか。 他人事ではないと思うのだがな。

七月五日

給付金

 先頃何とか給付金というものが口座に振り込まれて いた。話が古いと言わずに、まあ聞いてよ。我が家は 夫婦とも七十歳以上だから合わせて四万円。一体これは どういう性質の金だろうなどと、わざとらしい正義派ぶった 疑問など我妻殿さえ抱かなかった。「買収票っていうもの なのね」と叫んだ。「それを言っちゃあおしめえよう」、と寅さん なら言うところ。
 内心選挙の度に、俺の票、買収しに来てくれ ないものかと思っていた。金だけ貰って、他の奴に投票して しまうのだ。ところが、実際の買収というものは、それ程甘くは ないそうだ。誰が誰に入れたということが、一票残らず全て 判明するのだそうだ。だから一票あたりの値段は、国会、 県会、市町村議会の順に高くなるそうだ。納得。何十万票 も必要な議員に二万円ずつ払っていたら、いくら金持ちでも 払い切れまいよ。
 でも今度は税金で払っちゃうんだから、楽な もんだ、一兆何千億とか言ってたな。でももう効き目は殆ど 無くなったんじゃあないの。あの頃解散しとけば、少しはねえ、 効き目が有ったかも知れないのに、今じゃ昔の物語、そんな ことあったっけ、ってところかな。参考になりました。本当に 票の買収って事が行われているって事が分かって。いつも やってることを、少し大袈裟にしただけだったんですよね。
 日本国民たるもの、此処まで舐められているんだなあ、と嘆いたら どうせ税金を使うんなら、「一票十万くらい出さなくっちゃなあ」、 とほざいたのがいた。子供にいくらとか格好つけても、見え見え の買収だったのに、残念でしたなあ。

七月二日

銃士って何?

 孫が中学生になった。近頃の中学生には珍しく、読書が好きだという。 そこで「三銃士」を読んだかと聞いたら、既に読んだという。だがその孫が 「お祖父ちゃん、ダルタニアンはどうして三銃士の中に入っていないの」と聞く。
 そうなのだ。アトス、アラミス、ポルトスが三銃士で、ダルタニアンはその中に 入っていない。昔々、この傑作エンタメを夢中で読んだ時も、其処に不思議 な気がしたものだ。「三銃士」が「ダルタニアン物語」という大長編第1部の題名で、 第2部第3部がお後に控えていることを知ったのは、かなり後年になってからだったような気がする。
 もっとも、丁寧に読めば三銃士はルイ13世の近衛連帯所属の隊員で、ダルタニアンは ガスコーニュという地方から出てきたばかりの少年だか青年だから、隊員であるわけはないのだ。 けれどもその辺の事情を訳者なり作者なりが、もちっと親切に書いておいてくれれば、私のような 雑な読者も変な所で迷わなくて済むのにな。作者はそのことを前提として書いているから、 わざわざ断りを入れないのは当然かも知れない。だが訳者は何処かで断りを入れておくべき だろう。「三銃士」だけでも結構大部の作品だし、話も一応決着が着いているから、 続きがあろうとは、私は気が付かなかった。最後は確か大変な美女でしかも大悪女を ダルタニアンが成敗するのではなかったか。しかもだ。この女とダルタニアンとの濃厚な色模様 まで書かれていたような気がする。盛り上げ方も締め括りも超一級、サービス満点の大娯楽作品。 ここでああ、面白かったと本を置いても、ちっともおかしくない。
 ところで孫が私と同じような疑問を持つとはどうしたことだろう。雑な読み方をする血筋かもしれない ので、前述の経緯を教えておいた。
 「ねえ」と孫が言う。「銃士って何?」
 ほら来た、この質問の答えは並大抵のものじゃあないぞ。何しろ、そんな日本語は存在しないのだ。」 嘘だと思うなら大辞林でも広辞苑でも引いてみるが良い。「レ トロワ マスケトレーゼ」とでも読むらしい フランス語の訳が「三銃士」なのだ。「マスカット銃と剣を携行し鎧を着た竜騎兵」というネット検索の説明が 「マスケトレーゼ」の説明としては一番親切だと思うが、マスカット銃ねえ。まあ種子島に毛の生えたような、 ものだ。そんなものを「三銃士」が持ち歩いていたなどとは、書いてなかったんじゃないか。彼等は剣で闘うばかり、 銃を使う場面など全くなし。十七世紀のマスカット銃では、十六世紀の織田信長の鉄砲隊に全滅されるよ。 でも今度は「竜騎兵」が分からない。もう調べるのはやーめたっと。

七月一日

東京オリンピック

 この前東京オリンピックが開催されたのは昭和39(1964)年。 約半世紀前のことになるわけか。また東京でオリンピックを開きたいと 騒いでいる人がいる。
 都知事の石原慎太郎氏だという。冗談にしてはきつすぎるなと思ったら、 まさかの本気だと言うから絶句した。 その誘致に天皇まで引っ張り出そうと言い始めたようだ。
 与太も休み休み言えってんだ。都民がみんなオリンピック に来て貰いたいと思ってるんじゃあないだろうな。もうこりごり だと思っている都民も大勢いるはずだよ。オリンピックの前に 東京の道路状態を何とかする方が先だろうじゃないか。
 御台場中心のコンパクトなオリンピックにするそうだが、このままじゃあ 渋滞の連続で、下手すると選手まで会場に行き着けないんじゃないの。
 だから新しい道路を造るなんぞと言わないでくれよ。我が家は東名高速 と首都高速をつなぐ246関係の御陰で、あの辺に住めなくなったのだ。 それまでは駒沢近辺は、都内とは言え、田園風景の広がる落ち着いた 住宅地だったのが、オリンピック以来風格が落ち、品が無くなったね。 おまけにあの馬鹿でかい陸上競技場はどうなった。無用の邪魔者化してる のではないのか。それでも多少は東京のインフラ整備に役立った と言う説もある。それはそれとして良しとしよう。
 今度はそうはいかないよ。道路や下水の整備、介護施設や制度の充実、など オリンピックに関係ない事の方に都民の目は向いていると思うんだがね。 オリンピックに使う金など一文もないよとそっぽを向かれるのが落ちだろうよ。 笛吹けど踊らず、知事一人断固として踊る、それも慎太郎らしくていいかもな。

六月二十七日

 テレビも新聞も麻生総理のいじりに必死の様子だが、私はあの 男、嫌いじゃない。面白い人が総理になったものだ。東国原が総理 になりたがるのも宜なるかな。タレントとしても東の方が一枚上手だし。 何しろ我々が選んだ総理ではないのだから、お笑い番組の出来損ない を見ている気分でいればいいのさ。つまりは行政と立法が分離せず、 字面だけの三権分立を放っておいたのが間違いの本、総理を国民 投票で選ぼうということになるまで、きみまろだろうが小遊三だろうが 立候補すればいいのだ。毎日大切りが楽しめるというものさ。景気 だとか政策なんてものに、全く無知蒙昧でも日本の総理になれる のだから、こんなに民主的で気楽なことはそう沢山は無いはずだ。 会社を首になったら、総理に立候補しようよ。当選するかもよ。

六月二十三日

由布院紀行

 夫婦で由布院に行った。良いところだった、という前に 基本的なデータを披露しておこう。日時六月八日から 十三日まで五泊六日。我が家から吉祥寺のリムジンバスまで タクシー。リムジンバスで羽田まで。羽田、大分は往復飛行機。 身障者割引もあるのだが、高齢者割引の方が率が良い。 大分空港から由布院駅前までバス。そこから宿所までタクシー。
 宿泊は「ゆうゆうの郷やどや」。宿屋がやどやとはこれいかに。 B&Bで平日一人8500円。バリアフリーで車椅子も貸し出し 無料。専用家族風呂が二カ所だったか三カ所だったか。晩飯を 此処で採るなら午前中にフロントに伝えておく。
 由布院は良いところだった。ゆったりと客を抱え込んで寛がせる 態勢が、この盆地全体に染み込んでいる。見物に行かねば ならない所など一つもない。私は足が両方とも、殆ど利かなくなったので 見物にタクシーをチャーターした。主に案内されたのは、盆地全体を 見渡せる飯田高原の高台、久住高原の展望台、確かに良い 眺めなのだが、肝心の由布院はどうなっちゃッたのか、気になるところ ではあった。ステンドグラス美術館というのは、小さなカトリック教会の 入口や窓に、この規模の教会にしてはちと贅沢かなと思ったが、ローマの センペテロやパリのノートルダムを見ているこちとらには、さしたる感動 はない。藍染めの自家売りや燻しやなる燻製やで、鹿肉の燻製を 商っている方に感動した。鹿に困っている地方は多い筈だが、食えば 良いと前から私は思っていた。鹿肉は旨い。
 盛り場?、そんなものはないのだ。湯の坪横町という、伊勢の御陰 横町の超ミニ版、17軒が品良くまたセンス良く並んでいる。 足が丈夫ならぶらぶらと散歩すると、古里、故郷なんて言葉が 自然に浮かんでくる、そんな貴重な土地が由布院だ。ワッと客が 押しかけて台無しにしないで欲しいのだよ。季節には蛍が飛んで いる。良いところだ。これで旅費は夫婦二人で30万円とちょっと。お値打ちの 旅行でした。
「やどや」のホームページをリンクのページに貼りました。


六月二十日

ハワイ四島を巡るクルーズツアー   大野正重 淳子

 私共の少年少女時代「憧れのハワイ航路」という流行歌が、よくラジオから流れていた 一時期がありました。「晴れた空、そよぐ風」確かそんな歌い出しの文句だったように覚 えています。聞いている私達は今日の御飯が食べられるか食べられないかという、いわ ば生死の境目辺りをうろついていた、敗戦直後の頃ではなかったかと思います。夢か幻 か憧れか、天国か極楽か、とにかくそこへ行く可能性、現実性の全く無い空想の世界、 それが私達にとってのハワイでした。どうして真珠湾攻撃大勝利が「憧れのハワイ航路」 になったのか分かりませんが、いつの間にかそうなっていたのです。
アメリカ本土にはあまり興味が有りませんでしたし今も有りませんが、ハワイにかなりの 関心を持っていたのは、あの流行歌の影響かもしれません。今回のツアーに参加したの も、意識の底にあの頃の影響が作用していたことを否定する気は有りません。さて憧れ のハワイはどのような美しさ楽しさを提供してくれたのでしょう。

 先ずはホエールウオッチング、話には聞いていましたがこれこそ百聞は一見に如か ず、手を伸ばせば触れそうなところに鯨の背中がニューッと現れ、これ一頭かと思えば 続く親類縁者(かどうか分かりませんが)二、三頭の背びれや胴体が現れ、「こっちにも」 の声に振り向けばそちらも同じ状況、つまりは鯨の群れに我々の船が見物されている 塩梅、これには驚きました。そうこうするうち船底に何かゴツンとぶつかる響き、まさか 鯨の背中じゃあるまいなとは思うものの二回三回となると少し気になります。鯨に引っ 繰り返されるような小さな船ではないので余計な心配はしませんでしたが、鯨の方に 怪我は無かったろうかなど思ったものの、これとて調べる術も無いこととて余計な心配。 日本でも紀伊半島の太地沖付近に鯨が現れるという情報を、何処かで読んだか聞いた かした記憶が有るのですが、とてもこういう具合には行きますまい。爽快と言うべき光景 でした。「君達、毎日こんな所に何しに来るの」と鯨に聞かれているような気さえしました。

 次はキラウエア火山溶岩の海中流入。夜、九時十五分ころ、右舷遠くにあれかなと見 えたときは、小さな焚き火が横一列にパラパラと間隔不規則に並び、あれらしいのだが 横一線というのが不思議で、何か人工的な物かも知れないと思いました。私共の部屋 から直接この火が見えましたので六デッキに行かなかった結果、この時点ではあれが 何であるか自信がありませんでした。六デッキに行っていれば細井さんの説明が有っ たでしょう。そのうち五分ほどしてその火が全く見えなくなりました。この時私はあれがそ うに違いないと確信しました。何故なら船とハワイ島との間には視界を遮るものは何も無 いはずでした。とすると船が右へ舵を切ったために見えなくなったのだろうと推測したの です。つまり船はあの火に近づくために島へ向かった、そう思いました。妻は半信半疑、 しかしもう五分ほどしてあの火が数層倍も大きくはっきり見えたとき、妻も納得しました。

 しかしどの程度の距離まで近づいたのでしょう。溶岩の流れ落ちる様子がはっきり見 えました。外側の溶岩が冷えて固まり縮まって無数の隙間が出来、その隙間から溶岩 が見えるのでした。横一線になっているのはそこが海面だったからです。私達の部屋は デッキにありましたので、その分海面も高く見えたらしいのです。海面からは濛々と水蒸 気が上がり、時々溶岩を覆ったりします。それが遠くからは瞬いているように見えるので した。昔の人なら珍なるかな、奇なるかなとでも表現したでしょうか。想像を絶する光景 です。今風に言うなら「こんなの有りかよう」とでもなるのでしょうか。

 以上の二つが私にとっての今回のツアーの大収穫でした。長くなると御迷惑ですから これで止めにしようと思うのですが、もう一つ気になった事を言わせていただくと、常夏の 島ハワイでいきなり寒さに震えたのにはびっくりしました。それもそのはずハレアカラ火山 は三千メートル級の山だったのでした。高山に行く用意など何もなく、心構えもしていませ んでした。半袖半ズボンであの高さに登ったことは日本でも経験がありません。もし有ると すると黒部アルペンルートくらいでしょうか。多分事前に何か御注意が有ったのでしょうが、 浮かれ気分で聞き流してしまったのでしょう。この次からは良く注意します。でもこの次が 果たして有るかなあ。
 終わりになってしまいましたが、のスタッフの皆様の気配り、目配りの細 やかさにはいくら感謝してもしたりないほど感謝しています。今回も本当に有り難うござ いました。お陰様で素晴らしいツアーを楽しめました。

「アビリテイーズ」のホームページをリンクのページに貼りました。

六月五日

「むさしのFM」にゲストとして出演、NHKの「つばさ」を地で行くような
FM局だ。有るんだな、こういうことが。ゲストに呼ばれたわけは「チ
グハグな春」を出版した事情の種々なる経緯についてだった。録音
したCDを貰ってきたが、まだ聞く気になれない。ラジオは初めてだ
からな。反応は多分何にもなかったのではあるまいか。長生きする
と色々な事を経験するものだ。
まだまだ「見るべきものは全て見つ」とはいかないな。

下記で聞けるようです。
発信!わがまち・武蔵野人


六月三日

5月31日付け信濃毎日新聞の書評欄に「チグハグな春」が取り上げ られ、かなりのスペースを割いて、好意的な紹介をしてもらった。 山中 恒氏、早乙女 勝元氏からは、励ましのお手紙を戴いている が、マスメデイアに取り上げられたのは初めてのこと。 取り敢えず嬉しい。


六月一日

三月に妻とハワイに行った。ハワイ4島を「プライド・オブ・アメリカ」と いう巨大な客船で巡る、かなり豪華なツアーだ。元々右足が不自由 だったから、やや無理なコースのツアーは遠慮していた。車椅子が 必要になったからだ。ところが「アビリテイーズ」なる障害者の独立 や可能性育成を援助する団体が有り、年に何回かツアーも企画し てくれる。今回もその企画に乗ったというわけだ。この団体について は別に書く折もあるだろう。
 飛行機でホノルルに着く。空港からいきなり高山の中腹へ向かう。 こっちはハワイに着いたときから、すっかり夏向きの服に着替えて いる。なにしろ常夏の国ハワイなのだから。ところがなんと、バスが 九十九折りの山道を登るにつけ気温がどんどん下がって行く。なん だこれは、と思う間もなくおそらく20度を切る位にまで下がっている らしい。そういえばツアーガイドがナントカ山に寄って行きますと、 バスに乗ったときに言ってたなと思い当たった。そのうちに大きな噴 火口の脇に到着。気温は多分15度程だろう。おまけに雨まで降り 出して、寒くなってきた。ハワイに来て寒い?とはこりゃなんじゃい、 詐欺じゃないだろうななどと心中穏やかならざるものが有ったが、 しかしガイドは3000メートルを超える山だと言っていたのだ。ハワ イ、常夏という言葉に中毒して、何処でもそうだと思い込んでいたら しい。我ながら情けない。我が家にも栂池の山小屋が有るではないか。 白馬には真夏でも溶けない大雪渓が有るではないか。 俺としたことが何たる様かという深い反省から、このハワイ・ ツアーは始まった。しまらないことおびただしい。


五月二十五日

 
信濃毎日紙より電話で、「チグハグな春」を紹介するについての 幾つかの質問を受ける。何時の紙面になるのか分からないが掲 載した紙面を送ってくるそうだから、その時は改めて紹介します。



五月十一日

昨日までは良く晴れていたが、今日はどんよりした天気。 ほんの二、三十分間毎朝散歩をするが、 僅かな土を見つけて様々な草木が花を咲かせている。 名を知るもの知らないもの中には忘れてしまったのもある。 あれ、白い小さな釣り鐘みたいな花を付けるの、 ツツジの一種なんだが、なんていう名だったかなあ。 妻に聞いても、名を思い出さない。 そのうちなんのきっかけか、満点星(どうだん)だと思い出す。 良かった。愉快になる。散歩の途中で 「小手毬の枝しならせる空の青」






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