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鷹の抜け羽

〜作品談義と発表〜


七月二十一日掲載

「討ちて候」  門田泰明

 近頃肩の凝らない本を読みたくなってひょい と手にとったのが、この本「ぜえろく武士道覚書 と脇書付きの 討ちて候、門田泰明」なのだが、 昔々の10代前後の頃が懐かしくなった。
 愉快爽快、アホーカイといったところで、期待通りに 楽しませてもらった。なにしろ主人公が、後水尾 天皇とその後宮の女性との間に生まれたという、 やんごとなき御身分の若者、正三位大納言 左近衛大将というとんでもない位階を持って いるのだが、ひょいと京を抜けだして江戸に 現れるという寸法だ。
 姓名は松平正宗だが 徳川家とは何のつながりもない。この正宗が べらぼうに強い。何かと忍びの者に狙われる のだが、その都度大殺陣を繰り広げる。飛び 上がって空中で二人の首を落とし、残る二人 の腕を片方ずつ切り落とす。そんなことできる わけないだろうなどと野暮は言いっこ無し。
 そのうち柳生分家の柳生宗重とも仲良くなるのだが、 実はこの男、なかなかの曲者で煮ても焼いてものくち。 正宗君の切って切って切りまくった末の無責任さも読み 所、タマーに読むにはこの手の読み物がいい のだが、上下2巻にするほどのことはないと 思うが、踊るアホーに見るアホー、書いた アホーに読むアホーてなところかな。


七月十日掲載

「楢山節考」  深沢七郎

 これも随分古い作品だが、老人問題を言わば先取りした作品として 今現在読み直す必要が有ろうかと思い推薦する次第。姥捨て伝説 を土台にしているが、現在の高齢者問題の根幹を遠慮無く突きだして いるところが価値だろう。
 生物としての人間が生殖期を終えてなおその 何倍も生き延びる能力を持っていることが、幸福なのか不幸なのか、 希望なのか、やむを得ざる不本意な結果なのか、こちとらにもよく分か らないのだ。おまけに自殺者が何千人だか何万人だか毎年いるとか 新聞等で知ると、何となく尻がこそばゆい感じがしたりする。
 (生きる)ということ自体に意味が有ったこちとら世代には、折角生まれてきたのに 自殺など勿体ないことをするものだと思っていた。(生きる意味)など 初めから人間には有りはしないのだよ。自分で作り、或いは見つけて 其処へ向かって飛ぶしかない。若いうちはそれで押し通して来たのだが、 さて、呆けてしまったらそんなことさえ考えられなくなるのだろうなあ。
 思えばこれが1番の人生の悩み事かもしれないなあ。そんなことまで 考えさせられる、極く単純な作品だ。でも単純だから、複雑だからで 作品の善し悪しは決まらない。老いも若きも未読なら早いうちに読んで おこう。少しは人生観が変わるかも知れない。


七月二日掲載

「クオ・ヴァデイス」  シエンケヴィッチ

 訳すと、主よ、いずこに行き給う、となるラテン語だそう だが、なぜかこのカタカナ名で昔から出版されている。 この文句(題名)自体がキリスト教世界では、超有名な 語句なので、こういうことになっていると言う説もある。
 確かキリストが処刑された後、復活してアッピア街道だか 何処かを歩いているのに、弟子のペテロだか誰だかが出会った時 に発した言葉だそうだ。その場所に(クオ・ヴァ・デイス教会) という教会まで建っているのだから、外国人で素人のこちとら としては、感心して信用するより仕方がない。
 キリストの存在自体が、こちとらにとっては眉唾ものに限りなく 近いものだったが、この教会を実際に見たときに、ヨーロッパ 社会ではキリストの存在など規定の事実として、その存在を 疑う人などいないのだ、ということを身に染みて思い知らされた。
 この小説はエンターテイメントの最たるものだ。ローマ帝国の皇帝 から庶民までの生活の隅々が、実に細かく、しかも要領よく描写 されている。(パンとサーカスさえ有れば)という有名な語句の具体的 な例が幾つも出てきて飽きることがない。中には人間と猛獣が大観衆 の中で闘ったり、反乱軍がこれまた意外な方法で処刑されたり、 ローマ帝国なるものの実態をこれほど面白く書いた作品は、他に類を 見ない。カタカナ名で大いに損をしているだろう。
 塩野七生氏のローマ帝国史シリーズも傑作で必読候補だが、こっちを 先に読んでおいた方が、塩野氏の作品の価値の理解に役立つだろう。 昔は世界文学全集の一冊だったのだが、今や中高生向けの棚にいれ られている。ま、内容的にはそんなところだろうが、大人が読んでも充分 楽しめる作品だ。できてから1世紀近く経っているんじゃないかと思うほど 古い作品だが、カタカナに迷わされずに一読お勧めの超一級品。


六月二十一日掲載

「晴子情歌」  高村薫

 高村薫の「晴子情歌」をやっとこ読み 終えた。内容としては充実したものだ。 半藤一利あたりの昭和史などより、こ ちらの方が良く書けている。
 だが、無条件で誉めるわけにもいかない。 この不親切な文章はどうしたことか。人名 にルビがない。彰之だけは本文中に (あきゆき)とありこの読みでいいのだなと 半ば安心したが、それとて彰之の読みだと 保証されたわけではない。まして晴子の手紙 が旧仮名遣いで認められているのは、どういう わけか。
 昭和九年に数えの十五歳とあるから、 多分1920(大正9)年のうまれだろう。同じ 年頃の姉が私にもいるが、新聞や書物で現代 仮名遣いを知っているのではなかろうか。そこに リアリテイーを求めても、仕様ががないと思うのだが どんなものかな。まして優とか悠とかの男名前にルビ を付けないのは、一種のルール違反ではあるまいか。
 福澤栄という青森県選出の代議士もまだ「新リア王」 までの存在感は無い。青森県の代議士というので、 太宰の実家津島家がすぐ頭に浮かんだが、モデルに した様子はない、というより東京人の特殊性を覚らせる 道具としての福澤代議士として、その造型に感服した。
 惜しいかな、この作品を何とか読めるのは、2010年 現在で五十歳以上かなと言う点だ。若い人にこそ 読んで貰いたい作品なのに、著者はそれを敢えて拒否 しているように見える。何故か、分からない。
 日経新聞が連載終了を強制したとかしないとか問題になったらしいが、 その事情分からないでもない。新聞の連載小説に、新聞社 から終わりのサインが出るなど、森鴎外の次くらいの記録 になるんじゃないか。この作品の優秀性を認めながら、 推薦することを躊躇せざるを得ないのは残念だ。
 漫画で育った世代でこの作品を読みこなせたら、その道の専門家 になれるだろう。読もうと思ったらかなりの手強(てごわ)さを 覚悟した方がいいよ。新潮社もよくこの作品を出版する気に なったもんだね。かなりの博打だったんじゃないか。そこまで こっちで心配する筋のことじゃないけど、天晴れと誉めて おこう。この本が続々売れるようなら、日本の文化状況 も捨てた物ではないんだろうが、どんなものかなあ。


六月十日掲載

中村真一郎

 雑感では今現在の身のまわりの出来事や話題、 鷹の抜け羽では主に文芸的なこと(時代に関係なく) を取り上げるようにしているつもりです。もとより私の 独断と偏見の塊、でなければこういうものを書いたり 作ったりする気になりませんものね。
 さて、日本の物語のいできはじめは「竹取物語」だ そうですが、本格的には「源氏物語」が日本文学の 原点に位置することになるのでしょう。意識しないと 源氏の伝統にいつの間にか引き込まれていたりする。 意識して現代の源氏を書こうとした作家も当然いる わけです。
 中村真一郎あたりはかなり源氏を意識していたのではないか と、私は思っています。氏の「四季」、「夏」「秋」「冬」、春が無かっ たんですよね。登場する男女の性的行動と社会的行動との 融合は見事に描写されています。読んでいる間は源氏など 思い出す暇なんかありません。でも、読み終わって、しばらく すると、うーん何処かでこういうの読んだような、と言うかげりが 出てきて、ああ、源氏を読んだときの感覚によく似た読後感 だと気が付きます。彼は本当に上手な作家でした。特に ラブ・ロマンスを書かせたら、彼に敵う作家はいなかったのでは ないでしょうか。その割にはメジャーな作家として騒がれること はあまりなかったように思います。
 いろいろ取り上げたい作家がいるのですが、例えば三島とか 大江とか椎名、武田などなどですが、都合があって未だなのです。 そのうち、呆けないうちに論じておかなくてはと心がけています。 本日の推薦は中村真一郎でした。


六月一日掲載

「新リア王」  高村薫

 「晴子情歌」から読むべきかな、と思っていたのだが、やはり 予感は当たっていた。これは「晴子情歌」の続編である。しかし この作品だけでも、作者の近代日本に対する真摯な追求 の姿勢は充分に読み取れる。
 福沢栄という青森県から選出 された自民党代議士の描き方も誠実である。趣味の良さ 教養の深さ等過不足無く捕らえている。ハマコーばかりが自民 党ではないことが分かって、或る意味、安心した。青森県選出 という設定も上手なものだ。過疎化、老齢化、原発問題など 日本の抱える難題を集中的に考えるには、最適の地域だろう。
 晴子との間に生まれた彰之が何故永平寺に入山したのかは、 「晴子情歌」を読まなければ分からない。晴子は栄の正妻ではない。 しかし栄にとっては単なる浮気の相手では無さそうだ。その晴子と の間の息子が禅に興味を持ったのは何故か。座禅という修行が 見た目よりずっと厳しいということは、彼の語るところから理解できたが 彼の心中の挫折がそんなところには無いことも理解できる。
 宗教というものが、現在の日本では真剣に、本気で考える状況に無い ことも、作者にとっては問題であったろう。特にオーム教以来、宗教 そのものを胡散臭いものとする風潮が我が国では一般化してしまったが、 では禅宗ならば一般民衆を納得安心させられるのか、浄土教なら どうなのか。この辺も「晴子情歌」を読んでみなければ分からない。
 彰之の語る言葉に仏教用語が度々出てきて、その辺の知識が 全くない私にはちと読みにくかったが、分からなければ飛ばして読んでも 大勢にに影響はない。栄と彰之との対話が八十パーセントを占める 作品であるから、気になるなら仏教用語辞典でも傍に置いて読めば 良いと思うが、まあそこまですることもあるまい。
 題名を「新リア王」と した作者の心情も充分に理解できた。この大作にシェークスピアの 作品名を使うのは勿体ないと思う向きは、もう一度何故だ、と考えて みよう。作者の容易ならざる覚悟が見えてくるはずだ。
 久しぶりに読み応えの有る作品に出会えたことが嬉しい。今日明日 にでも「晴子情歌」を購入することにしよう。


五月二十二日掲載

「坊ちゃん」  夏目漱石

 漱石という作家は不思議な作家だ。高校あたりの 教科書には「こころ」あたりが多く採用されていると思 うが、この作品、色々な意味で解説の対象に取り上げ づらいところが多々有るのだ。Kの自殺、先生の自殺、 それぞれの理由が最大のものか。三部作になっているが、 なんといっても第三部「先生と遺書」が問題になるだろう。
 前二部も読んでいるときはそれなりに面白いのだが、そこが 彼の文豪作家足る所以だろう。結構気を持たせる書き方を する。「恋は罪悪ですよ」と言うかと思えば「恋は神聖なもの です」など。金を親類の叔父に騙しとられる経緯。それぞれに よく書けている。だが結局第三部にその面白さが集中爆発 するというわけではない。
 そこにいくと「坊っちゃん」はそんな問題は一切含んでいない。 東京育ちの新米教師が、四国の松山中学の生徒と市民に、 適当に玩具にされて憤慨落胆し、「そんなことでは生きては いけませんぞなもし」とでも慰められそうな話。にもかかわらず、 松山を嫌っているわけではなさそうだ。
 赤シャツだの裏なりだの という、個性溢れる人物が登場し、中でも山嵐なる正義感 の持ち主で主人公の仲間になる人物は人気がある。漱石の 江戸っ子気質が良く表現されている、初期の傑作ではなかろうか。
 「我が輩は猫である」は初めは面白いが、段々難しくなって、今の 中学生や高校生には読み切れないのではなかろうか、そんなこんなで 漱石事始めは「坊っちゃん」に限ると思う。


五月十二日掲載

ハナミズキ

 桜がすっかり散り果て、今やハナミズキの花が散歩道では 大賑わいだ。でもこの花はもともと地味な花だから、桜の 派手さ絢爛さにはとても太刀打ちできるものではない。
 だから桜の散った後、ささやかでぱらついた花を、遠慮がちに 咲かせるのだろう。花びらには白いのと、縁が薄紅色のと 二通り有って、我が散歩道には二、三本 ずつ植えられている。
 その木の下で、今や花の終わりを迎えているのが鈴蘭だ。この 遠慮がちというか、控えめというか 白い小さな振鈴にどれほど 心を慰められたか、御礼に一句

『鈴蘭の鈴振る薄水色の風』 鷹連堂(新俳号)

これからはツツジが盛りを迎えることになりそうだ。

 話は飛びますが、「アルカ小屋」を作品欄に掲載することに しました。
 一度本になったものをデジタル化するのは結構手間がかかる ので、その間雑感欄、抜け羽欄に多少影響するかも知れませんが このサイトをお読みいただいている方々には、予めお許し願って おきます。何しろ昭和41年に発表された作品なので、読んで みたいという御要望も頂いておりますので、お応えすることにしま した。既にお読みいただいた方にも御容赦頂きたいと存じます。


五月二日掲載

「世界終末戦争」 バルガス・リョサ

 地球世界の終末を説く人物がブラジルに現れる。 左様、貧困や飢えに悩む日本人にも彼に同調する 群衆が現れてもふしぎではあるまい。聴衆はわんさ と集まるだろうな。この人物が集めた熱狂者の群れ がカヌードスという安住の地に立てこもる。時は19世紀末、 世界のあちこちで不穏な動きが蠢き始めている。
 ブラジル政府当局が神経を苛立たせるのは当然 かも知れない。反逆でも一揆でもないが、群衆であること に警戒しなければならない、それが当時の各国政府の 共通意識ではなかったか。もちろん我が日本も例外では 無かった。(竹槍でどんと突き出す二分五厘)という川柳 の意味は御存知の筈。幕府も明治新政府も農漁民を 中心とする群衆には手を焼かざるを得なかったのだ。
 ブラジルは日本に比べたら、桁外れに大きな国だ。群衆 といっても、規模が違うのではあるまいか。で、軍隊が 出動する。群衆と軍隊との間に闘争が起こる。ろくな 武器を持たない群衆が銃や大砲を持つ軍隊に果敢に 抵抗する。結果は言わずと知れたことだ。群衆は皆殺し だ。多かれ少なかれこういう過程を経て近代国家が成立 したわけだが、こんなものが本当に人間の世界なのかと、 この作品が読者に問いかけているのだ。人間の世界は 終わった。今あるのは人間ならざるものの世界なのだ、と この作品は語っている。私はそう読んだ。
 でも人間は意外 としぶとく生きる生物らしい。政府やら国家やらという人間 ならざるものの支配に、もぞもぞとではあろうが、異議あり と態度で示しているらしい。そこからしか人間の生きる術 は無いのだが、それが何処まで続き育つか、その辺に 人間の本来的な能力を試されている時期らしいよ。怖い ことだが、いろいろなことでそういうことを、感じている方は 多いのではないか。今が永遠ではないのだよ、人類なんて 何時絶滅してもおかしくない生物種なんだからね。


四月二十一日掲載

「 壁 」 J・Pサルトル

 短編だが、カミュの(異邦人)と並んで、人間の実存 とはいかなる状態かを考えるには、長さも題材も手頃な 作品だろう。この作品に出会ったのは、17,8か20歳の ころだったろうか。
 スペインの人民戦線と右翼軍の戦争物かと思ったら、 これが大違いだった。パブロ・イビエタという 主人公は確かに人民戦線側の兵隊なのだが、右翼軍の 捕虜になって、明日の朝は死刑にされることが決まっている。 パブロはいろいろ思い出したり考えたりする。アンチョビーを つまみに飲んだ白ワインの味、旨そうだなあと思ったことを 覚えている。
 それに、人生というものは必ず中途半端で終わる もので、袋の口をきちんと縛るようには終わらない、袋の口は 常にだらりと口を開いたままなのだ、というようなとりとめのない感想、 それが実はサルトルの伝えようとしている、人間の現実存在、 略して実存というものなのだった。そういう認識からは(主義)など というものは生まれっこない。よって実存は実存としてあるけれども、 実存主義というようなものは存在しないと、これはサルトル自身が 別の著作で述べていることだ。
 右翼であろうが左翼であろうが、選択しなければならないときには、 その選択は自由なのだ、と彼は言う。誰かや何か、例えば制度の 強制等の所為にしたくなるけれども、つまるところ自分自身の自由 な選択でしかない。人間は自由であるように呪われているのだと、彼は 主張する。こういう考え方を私はそのとき初めて知って驚いた。そんな 馬鹿な、と一時は反発したが、よく考えればその通りなのだ。
 パブロが人民戦線に参加したのは彼の自由意志の為せるところで、 その結果死刑にされる結果が待っていようとも、誰の責任でもない。 全ては彼の自由な意志決定と行動の結果なのだ。
 いよいよ死刑というその直前、右翼軍の将校が、左翼軍の大物 らしいラモン・グリスの居所を教えれば命を助けてやる、だから居所 を教えろと迫る。捕虜になっているパブロにグリスの居所など分かる 筈が無いだろうに、でも尋問される。パブロはいい加減で出鱈目な 場所を口から出任せにしゃべる。(嘘だったらひどい目に遭わせるぞ) と出掛けた将校が間もなく帰ってきて、パブロを釈放する。パブロは何が 起こったのか分からなかったが、やがて彼の出鱈目に口走った場所に グリスが逃げ込んでいて、発見され射殺されたことを知る。パブロの 口から馬鹿笑いが湧き出し止まらない。
 不条理等という聞き慣れない日本語がこのころしきりに使われた。 パブロの黒い哄笑は実存の不条理性に対して発せられたものだ、 というふうな使い方だった。なに、ハチャメチャなのが人生だ、滅茶苦茶 なんだよ人生は、と言うのとそれほど違った意味ではないようだ。 左様、全てが我々の自由な選択の対象になるわけのものではない。 既に与えられて動かせないものも結構沢山有る。それらを背負いながら 我々は自由にしか生きられないのだ。
 この作品が私の人生にかなり強い影響力を発揮した。後に構造主義 やらポストモダニズムやらいろいろな方法論が出てくるが、サルトル 程の迫力を持っているものは無かったように思う。白水社だったかの サルトル全集を少しずつ買って遂に全巻を買ったのは何時のことだったか。 最後の巻など(理解するとは変化することだ)という一節だけしか覚えられ なかった。難しかったな。
 今はどなたの言説が有力なのか、さっぱり分から ない。そのうちイラン、イラク、アフガニスタンあたりから、我々の魂を揺るがす ような哲学が生まれるかも知れないな。根拠は何もないんだが、そんな 気がする。


四月十二日掲載

「冬の日 第1歌仙 木枯らしの巻」 松尾芭蕉

 芭蕉の連句のなかでも色々な意味で有名な 連句だ。初めは発句の

『狂句 木枯らしの身は竹斉に似たるかな』 芭蕉

 狂句をどうするか、という問題。竹斉と有る のだから、「狂句」は初めて逢う名古屋辺り の連衆への挨拶代わりの1語で、句として詠 んだものではあるまいと思う。当時竹斉を 主人公にした狂歌譚のようなものが流行って いたというのは、この巻の注釈で有名になった ことだ。私はまだ読んだことはない。だが何故かこの 巻を論ずる方々は「狂句」を頭に必ずと言って 良いほど付けておいでだ。その理由を知りたい。
 「狂句」を付けようが付けまいが、この発句は あまり出来の良いものではない。名古屋衆を いささか甘く見たのだろうか。上野洋三氏は 古典講読シリーズで、丸く穏やかな解釈を 披露されているが、本当のところはどうだったのか、 専門家としては、翁の発句にケチを付けるのは かなり怖い事に違いない。だが素人のこちとらに とっては怖いものなしというわけだ。
 さて、脇を付けたのは野水だった。

『誰そやとばしる笠の山茶花』 野水

 凄い脇だな。おふざけはそのくらいで、とでも 言わんばかりの気合いが入っている脇の句だ。 成る程脇の句とはこう付けるものかと、感動を 覚えた記憶がある。おそらく芭蕉もこの脇を見て これはなかなかの者達だと、気を引き締めたに 違いない。
 さて第三句だが

『有明の主水(もんど)に酒屋つくらせて』 かけい

 この句の意味するところが分からない。もんどが星 の名前だというのが、上野先生のかなり苦しい解釈 だが、まあ苦しいと言うことは、御自身も本文で お書きになっているから、素人の我々にはなかなか 手に負えるものではなさそうだ。
結構連句の時代になっても、連歌時代の式目に縛 られていた様子を、上野先生は説明されていらっしゃる。
 でも、それじゃあ、最初の「狂句」の始末はどうして下さ いますか、と聞きたくなるのだが、これにはピリともお触れ にならない。それはないんじゃあありませんかと、素人は 言いたくなるわけだ。こんな調子で36句までやったらきり がないからこの辺で打ち止めとしよう。


四月四日掲載

「風の盆恋唄」 高橋治

 これは良いラブ・ロマンスだ。小説としてはこの ての作品で良質のものが、最も求められている のだろうが、なかなか出てこないらしい。
 話としてはごく簡単で、一言で言えば不倫もの だ。都築という中年男(勿論既婚)と中出えり子 との恋の物語なのだが、現代的なものとして成功 した最初期の傑作ではあるまいか。
 出だしが上手い。富山の八尾に家を一軒持って そこを逢い引きの場所にするという発想が、いかにも 現代的なのだ。或る程度の収入と信用の有る人物 の雰囲気が、はなから漂っている。しかもその家で、2年 だったか3年だったか、相手のえり子が来るまで待つと いう設定が、ある種のサスペンスを発酵させている。
 さよう、良質のラブ・ロマンスには特有のサスペンスが 必要なのだ。背景としてのおわら風の盆も、物語に ひたと身を寄せて息づいている。一つ間違うと只の ポルノになりかねない題材を、此処まで純愛もの に練り上げる著者の腕は凄い。
 石川さゆりが同名の演歌を歌ってヒットしたらしいが 歌詞を聞くと、作品を読んでいないと分かりにくいかな と思うほど、作品に寄りかかっている。そんなのがたまに 有っても良いかなと思うが、たまたまにしておいて欲しい。


三月二十七日掲載

「神聖喜劇」 大西巨人

 野間宏にも(真空地帯)という軍隊内部を描いた 傑作が有るのだが、此処は神聖喜劇に御登場 願おう。
 確か主人公は対馬に配属される二等兵 だ。ただ、驚くべき記憶力を持っている。この記憶力 を武器に、下士官の大前田某とボケと突っ込みに似た やりとりを交わしながら、体制批判を展開してゆく。
 これは大長編だが、決して飽きない。大前田英五郎と 言えば幕末の侠客として、清水の次郎長、国定忠治等 の上を行く、超の字の付く大親分だが、この下士官の 名前が似ているところがまた笑わせる。
 入営する前に愛する女と逢う場面の描写に使われる レトリック(修辞)の巧妙さも、この作品の持ち味の一つだ。 こういう作家を持った日本という国は幸せというべきだろう。


三月二十日掲載

「暗い絵」 野間宏

 戦後文学の先頭を切ったのがこの作品だろう。 内容は戦中のことだが、戦後でなければ発表 できなかったろう。
 無茶な戦争に国民を駆り立 てる日本という国体、政府、及びそれに抵抗 するどころか悪のりしてはやし立てる、新聞、 雑誌、そして国民の一部に対する呪詛とも うめきともつかない、戦慄さえ覚える、のたくり 回る文体。
 旧制の第3高等学校(現京都 大学)の学生達の反戦運動とその挫折を (仕方のない正しさ)としてしか認められない 深見新助という主人公の内面が、ブリューゲル という画家の描いた絵を語る所から始まる。
 この絵の説明が、前述した塩梅の文体なのだ。 深見の友人達は次々に逮捕され拷問を受け 獄死してゆく。許せない自分が先ずいて、次に 前述した者達が存在する。特高警察やら憲兵 やらを向こうに回して敵う筈のない抵抗なのだが、 一旦敗戦となるとそいつらがのうのうと、というか いけしゃあしゃあというか、生きている。
 そういった視点からの文体がどうなるものか、是非一読して もらいたい。


三月十三日掲載

「舞い降りた天皇(すめろぎ) 初代天皇Xは、 どこから来たのか」 加治将一

 この著者は、初代天皇の出自について、様々な 遺跡と研究書を紹介しつつ、半ばタブーになりつつある 古代天皇制の実態に迫ろうとしているようだ。
 天武天皇が編纂を命じた日本書紀、古事記の記事 ももちろん丁寧に調べられる。ただ、文体がエンタメ調 で、サムーイ駄洒落等が時々入るのさえ気にしなければ 結構面白く読める作品に仕上がっている。
 古墳の形態 の種類が幾つもあること、出雲系と奈良系の異種文化の 対立と融合の始末、各種神社の存在意義等知っていれば 茶飲み話の種ぐらいには使えそうだ。
 この手の作品は殆ど読み捨てにするのだが、材料の特 殊性と、内容の信用性が高いので、紹介することにした。
 特に壱岐、対馬、釜山あたりの文化圏を倭国とする意見は、 以前からその存在は知っていたが、改めて著者の説明 を読むと、それはそれで有りうることと納得できる。一読して 損は無かろう。


三月五日掲載

「沖縄の手記から」  田宮虎彦

 この作品の紹介をどうしようかと、結構長い間 迷っていた。というのは、この作品が長編の割には 必ずしも田宮の代表作というわけのものでもないし、 現在書店で購入できないだろう。図書館 でも公開の書棚ではなく、書庫に保存されている 可能性が高い。運が悪ければ廃棄処分されて、 無くなっているかもしれない。
 書物としてはそういう 立場にあるのだが、現在普天間基地の問題で よろよろおたおたしている小鳩ちゃんや、辺野古 しかないと言い張る、米国防省の連中に、沖縄 戦の実態を知った上での問題考察であるかないかを 問うには絶好の本だと思うからだ。
 海軍軍医K氏の残した手記を元に、著者が作品 に仕立てたものだが、艦砲射撃の凄まじさに続いて 空爆の徹底ぶり、生きていること自体が不思議なほどの 攻撃の後、いよいよ陸戦となり、まあいわば米軍にとって は残敵掃討のつもりだったろうが、意外に根強い抵抗に 遭ったらしい。
 そんな中で、負傷したり病気になったりして 動けなくなった日本兵を収容した壕があり、そこに、確か 当間キヨさんという看護婦がいて、面倒を見ている。K氏 は避難を勧めるが、彼女は(誰もいなくなってしまったのに 私一人生き延びたって)と言って避難しようとしない。彼女は 慶良間出身で、慶良間は本島攻撃以前に攻撃され全滅、 その顛末を彼女は本島から為す術もなくただ眺めていたのだ。 結局彼女は米軍の銃弾に倒れ、火炎放射器に焼かれてしまう。
 その間逃げる日本軍の戦車に、沖縄の住民が轢き殺されたり 米軍との盾に使われたりの描写が有り、沖縄戦の全体像を 理解するには必読の書だと思っている。背を丸めて焼けこげた 当間キヨさんの姿が、そのまま沖縄の象徴のように感じられた。
 私事で恐縮なのだが、尚学図書の高校国語の 教科書の編集に関係した ことがあり、この作品(当然部分的に拾ったものにならざるを 得なかったが)だけは残そうと思ったものだ。その時原典を 読みたいと編集部の方に頼んだら、かなり苦労して手に 入れて下さったことを覚えている。
 当時でさえそんな状態だったから、現在読むことは難しい かもしれないのだが、国会図書館くらいには残っているはずだ。 是非探し出して読み、これでもまだ沖縄に前大戦の積み残し を背負えと言えるかどうか、考え直して欲しいものである。


二月二十二日掲載

「火垂るの墓」  野坂昭如

 神戸三宮駅構内で、一人の少年が餓死する。
 1945年9月21日、少年の名は清太、敗戦の日から 僅か1ヶ月半足らず、彼の身に何が起こったのか。 彼の持っていたドロップ缶に小さな骨が入っていた。その 缶を駅員が放り捨てる。骨は清太の妹節子の遺骨 だった。捨てられた骨は缶から転げだし、そのまわりを 蛍が飛び回る。この兄妹の、空襲による災難、家も母も失い、 身を寄せた遠縁の冷酷な仕打ちが、こと細かに描かれ た作品である。似たような年齢、似たような経験を持つ 我が身には、思わず目がうるんでしまう作品だ。ある所 までは作者自身の経験ではあるまいかと思われるほど、 迫真力を持っている。
 「エロ事師達」という作品で、 面白い作家がいると思っていたのだが、この作品を 読んで、こりゃ只者ではないぞ、と認識を新たにせざるを 得なかった。戦争というものをどうしても認められない所以 が、必要にして充分なまでに此処に描かれている。 出だしの部分のどこか擬古文じみた文体は、確かに 読みにくいかも知れないが、そこを通過すれば後は作品 内容が引き受けてくれる。
 アニメでも有名らしいが、私は 見ていない。文章で受けた強烈な印象を、画面で冷やし たくないからだ。文学作品の映画化やTVドラマ化で、興を 削がれることが多々有るので、そういうものはなるたけ見ない ようにしている。だが読みが苦手なら、アニメででも見ておく べきだろう。野坂氏は作家として多数のものを書いているが、 私は彼の代表作は(火垂るの墓)だと思う。


二月十一日掲載

「富嶽百景」  太宰治

 富嶽百景と来れば、(富士には月見草がよく似合う)と 谺のように帰ってくる。文学アルバムのような本にも、富士 を背景に月見草を配した写真が見開きで掲載され、脇に (富士には月見草がよく似合う)と活字が付けられていたり する。
 さりながら、この感覚は違うのではあるまいか。この言葉が作品 の中で発せられた状況を、もう一度思い出すなり、読み直すなり して欲しい。主人公はバスの中で、あんな俗なもの見たくもないと 富士に背を向ける、と、そこになにか胸に支えが有りそうな老婆が 席に座っていて、窓の外を指して「おや、月見草」とか言うのでは なかったか。とすれば、富士と月見草は主人公を挟んで裏腹の 関係にあり、決して同一視線上に映る位置には無い。
 太宰はそれを充分承知していながら、富士には月見草がよく似合う と やったのだ。多分、この文言が相当程度うけるだろうとの勘定も あっての上での冒険だったろう。こういう位置関係に有るものに ついて「似合う」とは表現しない。同じ目線の中に有るものについて 似合うとか似合わないとかと、普通はいうものだ。
 三つ峠の茶屋の娘に種を蒔かせた月見草がどうなったか、花が 咲くまで作者が茶屋にいなかったのだから、後のことは分からない。 もしその種が芽を吹き花咲かせたならば、アングルによっては 富士と月見草を同一画面に納めることができるかも知れない。
 しかし、それは太宰が よく似合う と言ったものとは全く別物 だろう。富士を志賀直哉に、月見草を自身に見立てて、月見草 の印象を突き出そうとしたのではないか、と言う趣旨の与太批評 のような文を目にした記憶が有る。しかし、そこまではいくら志賀嫌い の太宰でもしないだろうと思うのだが。


二月二日掲載

「山椒魚」 井伏鱒二

 2年間も水中の岩屋でのんびり暮らしているうちに、 身体が大きくなりすぎて、そこから出られなくなってしまう 山椒魚という設定が、井伏という作家らしいとぼけたもの で、そこから既に彼の世界が展開して行く。大山椒魚 は確かに井伏の故郷近い広島か岡山西部に棲む ものらしい。
 岩屋の隙間から外を覗いて、目高の批評 をしたりしても、自らの閉塞状況が変わるわけではない。 そのうち蛙が迷い込んで来て、こいつを虜にして慰み物 にしようとする。両者のすっとぼけた問答にも腹の何処かが くくっと笑う。彼の作品の特徴はこのくくっという笑いを誘い 出す所にある。決して腹の底からの哄笑ではない。
 ファンにはこの味わいがたまらない。この語り口は真似してできる ものではない。しかもその笑いの底にほんのりとペーソスが 漂っている。名人芸とはこういうものをさす言葉なのだろう。


一月二十六日掲載

「伊豆の踊り子」 川端康成

 初期川端の傑作と言える作品だろう。彼の作品としては 珍しく首尾整って安心して読める。
 高等学校というから 第一高等学校だろう、その生徒が一人で伊豆半島の 徒歩旅行に出かける。途中、旅芸人の一行と一緒に なる。その頃の旅芸人は(物乞い、旅芸人村に入る べからず)と張り紙されるほどに差別され蔑視された存在 であった。だがその旅芸人の中に(私)の目を惹く可愛い 踊り子がいた。確か雨宿りの時に出会うのではなかったか。
 旧制高校の生徒は将来のセレブを約束された若者である。 それと旅芸人との取り合わせが泣かせる。(私)の方にも何 やら胸につかえるものが有ってこの旅に出たのだ。峠の茶屋の 婆さんに、あんな者達、客さえあれば誰とでも寝ますよ、と 言われた(私)は半ば本気になって踊り子を買うことを考え 始める。ところが翌朝(私)が共同浴場を通りかかると、この 踊り子が素っ裸で前も隠さず飛び出してきて(私)に手を振る。 それ程までに彼女は幼い、ということを私は改めて知る。
 この辺り将来の川端作品の特徴を早くも漂わせている部分だ。 以前は少女アイドルたる必須条件として、この作品の映画に踊り子として 出ることがあったようだ。ひばりも百恵も小百合もみんな踊り子 を演じたが、この肝心な場面、素っ裸で飛び出すところは誰も 演じなかった。がっかりした。ま、そりゃそうだよな。映画に出る程 の歳だと17,8にはなっているだろう。とても10かそこらの幼女 にはなりきれないのが当然と言えば当然のことだった。期待した こちらが馬鹿だった。
 この踊り子、名前をかおると言うのだった。 カオールという菓子の話が何処かに出てくる。ところがこの カオールが、井上靖の(しろばんばだと思ったが、或いは他の自伝 的作品だったかもしれない)にも登場する。井上の故郷は湯ヶ島 辺り。一高生の川端と小学生頃の井上がそのあたりですれ違っていた 可能性もかなり高い。
 別れの場面の、かおるの怒ったような表情 の描写が実に巧みで、映画監督もこの場面では苦労したのでは なかろうか。それともアイドル紹介映画だからこの程度で我慢する かとふて腐れたか、全部見たわけではないからうっかりしたことは 言えないが、とにかく10本近く(伊豆の踊子)なる映画が存在する はずだ。
 こんな作品も珍らしい。(雪国)も何本か有るはずだが、 (踊り子)には敵うまい。近頃のアイドルは誰なのかとんと疎いが、 踊り子をこなせる子がいるのかな。


一月十八日掲載

「城之崎にて」 志賀直哉

 志賀作品の中でも有名度の一二を争うもの だろう。詩に近い文章だと某外国人作家に評 されたそうだが、多分これは誉め言葉なのだろう。 確かに無駄のない描写で、適確に的を射抜く 文章力は他の追随を許さない。
 作品の材料として、山手線に撥ねられて、もう すこしのところで死にそうになった著者、その後養生 に出掛けた城崎温泉で目撃した蜂、鼠、いもりの 死が描かれている。それぞれ死後の静寂、死に至る 苦しみ、生死を分ける偶然性の例として選ばれたもの だ。小動物を対象にしたのは、人間の死にまつわる 夾雑物を排除して、(死)そのものを捕らえようとした 著者の目的意識を端的に表わすためであろう。
 伊藤 整はこの作品を評して、テーマとしての(死)を、 楽曲のリフレインを例に挙げて、読者にある種の快感、 安定感を与えていると絶賛した。
 中村 光夫は怪我による貧血状態が、まだ快復して いない状態で書かれた貧血小説だと酷評した。確かに 著者の他の作品に見られる、自己肯定的な強さや 自信の様なものは、この作品では影を潜めている。
 太宰 治が(如是我聞)でだだをこねたのも、直哉の その強さであり、自己肯定の安定性であったろう。 太宰がこの作品をどう評価したか、寡聞にして知ら ないが、筆者としては興味のあるところだ。
 何しろ後続の作家達が、直哉の文章を原稿用紙に書き 写して文章の勉強をした、その中には小林多喜二 もいたし、金達寿もいたというのだから、その影響力 たるや、恐るべきものがある。何しろ小説の神様と 呼ばれたのはこの人以外にはいないだろう。それが 良かったか、悪かったかは別の問題ではあるのだが。


一月六日掲載

「羅生門」  芥川龍之介

 羅生門は正しくは羅城門と表記すべきものらしい。 北京とか南京等の中国の都市は、街ごとぐるりと 城壁に囲まれているらしいが、らしいというのは、まだ 中国に旅行したことがないので、実際はどうなのか 知らないからだ。その城壁が羅城なるものだ。
 平安京に羅生門が有ったのは史実だが、確か早くに 倒壊して、紫式部も清少納言も見ていないはずだ。 そもそも平安京を囲む城壁など無かったのだから、まあ 単なるシンボル的意味合いしか無かったのだろう。
 下人を主人公にして、(食っていくことの難しさ)を主題 にした作品だ。だから下人よりも、盗みも瞞しも生きて 行くためなら何でも許される、と開き直った生き方を下人 に語る老婆の方が印象に残る作品だ。
 「鼻」や「いもがゆ」等の初期の作品よりも、こちらの方が 面白い。作家として熟してきたというか、現代性に眼を 向けたというか、彼らしい上手な仕上がりが楽しめる作品 になっている。(羅刹のように生きる)人生の入口の意味なら 羅生門も立派な題名になるだろう。


十二月二十七日掲載

「檸檬」 梶井基次郎

 この小説を読んで、無条件に(面白い)と感心できる 読者は、そうとうに数をこなした読者だろう。(山月記) などとは対照的に、共感や同類性を拒否している作品 だ。
 あらすじを言えば、(得体の知れない不吉な塊)に 心をおさえつけられていた(私)が、果物屋の店先に ふと見つけた一個のレモンに、安らぎと充実感を覚える。
 その充実感に至るプロセスと内容を、(私)の感性に映る 事物の描写の中に定着していくことが、この作品のαで ありΩである。(感性)を(意識)と言い換えられれば、 現象学的小説とでも言いたくなる側面を持つのだろうが、 そう簡単には言い換えられない。梶井は(見すぼらしくて 美しいもの)を、(得たいの知れない不吉な塊)に対立 させる。
 この2項対立が作品の骨格かと言えば、そうではない。 吉田健一氏は「意識が常に世界に対決している」と説明し、 三好行雄氏は「小説はものからではなく 中略 (感性の 実体化から出発するのである)」と説明する。同じ事の 説明である。
 近代文学というものが、物(人も含む)に頼らず 自己の感性(敢えて意識と言っても良いのだが)によって 立ち上がった最初の作品である。
 出来た途端に、 完成品だった。大抵のお方は、高校あたりの教科書で この作品に出会うのだろうが、読みっぱなしにするのが この作品に対する、最も正しい対応だろう。もう一度 読みたくなったら、又読んでみるがいい。完成品という ものの無意味さの価値が、徐徐に理解できるだろう。


十二月二十日掲載

「山月記」 中島敦

 今や知らない者の方が少ない位の名作だが、作者は 果たしてその栄光を知っていたのだろうか。
 博学才頴、若年にして科挙に合格したのだが、詩人 になりたいとの希望がかの若者を悩ませる。役人としての 出世は彼の眼中にない。ある日彼は虎になってしまう。
 狷介孤独であった彼の、数少ない友人の一人が、 虎になった彼に出会う。虎がかつての友人に己の心中 を告白するという形式で物語が進行するのだが、才能 が有ると自負しながら認められないという不満を持つ 若者は、何時の世にもごまんといるわけで、この作品 の支持者が多い理由も分かろうというものだ。
 途中、人間はもと別の生き物だったのではないか、という ような輪廻転生的な呟きが挿入されて、単純な話を ややこしくしているが、作者はここで何を語ろうとしたのか、 まあそれは敢えて追及するまい。漢文読み下し風の 引き締まった文体が若者の悲劇を効果的に表現していて 見事な短編である。未読者は近いうちに必ず読んでおく べき作品である。


十二月十三日掲載

続 茂吉

『あかあかと一本の道とほりけり
 たまきはる我が命なりけり』(あらたま) 茂吉

 赤い一本の道ってのは、夕日に照らされた道の意味だと思うが、 属目の景というより、比喩か象徴の感が強い歌だな。下手すると 言葉はっきり意味不明になりかねないが、さすが茂吉、強い印象 の表現に成功しているようだ。こういうホームランクラスの歌を作った 茂吉が、かの有名な猛妻の前では、手も足も出なかったというのだから、 (人生って不思議なものですね)。
 こういう歌を見ると悪戯をしたくなるのが 私の悪い癖だ。後半の七七は生かしたいから、前半五七五をもじろう。

『ながながと一本の糞とほりけり
      たまきはる我が命なりけり』

 前にも書いたとおり、年寄りになると排泄のことが非常に気になるものだ。 だからうんと気張って、脳血管が破裂しそうになるまで頑張り、やっと一本糞 を出し終わると、思わず万歳三唱を叫びたくなる。
 ほんと、たまきはる我が命なりけり を実感してしまうのだ。先日に続く尾籠 なること、失礼致しました。


十二月五日掲載

逆白波 斎藤茂吉

『最上川逆白波の立つまでに
      吹雪く夕べとなりにけるかも』 茂吉

凄い短歌だ。逆白波(さかしらなみ)などは、茂吉 の造語ではないだろうか。

『五月雨を集めて早し最上川』 芭蕉

も梅雨時の最上川をうたって見事なものだが、 吹雪の吹きすさぶ最上川の夕景とは、凄絶とでも 形容するしかないね。 茂吉と言えば

『陸奥(みちのく)の母の命を一目見ん
      一目見んとて只に急げる』 茂吉

『喉赤きつばくらめ一つ梁にいて
垂乳根(たらちね)の母は死にたもうなり』 茂吉

などの「死に給う母」の絶唱も残している、類い希な歌人である。
 歌人としての性根がどっしり座っている人だと思っていたのだが、 この人が、昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦の日に、 天皇の命は大丈夫かと心配して、宮城(皇居)前広場に 駆けつけたというのだから、人というものは分からないものだ。
 これが敗戦の日だとでもいうのなら、その心配分からないでも ないのだが、開戦の日というのが慌て者というか、早とちりと いうか、彼の歌のどっしり構えた姿からはおよそ想像できない 取り乱しぶりだ。まさか山形の上山からではなく、東京の 病院から駆けつけたのだろうが、それにしてもねえ。
 詩人の高村光太郎も戦争中の言動を恥じて、何処か東北 の辺りに隠棲したようだが、二人とも天皇制中毒症状から快復した のだろうか。彼等の心中の天皇像はどんなものだったのか、 聞いてみたかったな。


十一月二十三日掲載

「納棺夫日記」(増補改訂版) 青木新門

 映画 「おくりびと」 の原点と帯に太字で大書してある。 映画は見ていない。この映画が、アメリカで アカデミー賞を受賞したらしい。原作ではなく原点 というところが気になった。多分著作とはかなり 違った部分や場面が映画には有るのだろう。
 それにしても、確かに、近づきにくい内容を、当事者 としてリアルに描いている。生きている人間を 背負う時と、死者を持ち上げるときの重さが、 全く違うことを、ある年齢に達した人は不本意 ながら知ってしまう。その重い死者を抱き上げ、 湯棺(アルコールで身体を拭う)を行い、棺に納める ことが、どれほど難しいか、この著作で思い知らされた。
 直立不動の姿勢で死ぬ者など滅多にいない、とは 思うものの手足が曲がってはみだしたり、老いて 猫背になった人をどうやって会葬者に、真っ直ぐの顔 を見せるように納めるのか、想像だけではなかなか 思いつかない、取りようによっては或る意味痛々しい 方法を使わねばならない。
 葬儀社の仕事とはかかる難儀なものだったかと、今更 のように感心した。しかも、実の叔父から、この仕事を 理由に絶縁されてしまう程に差別されているらしい。 そう言えば、(お前、この商売やるか)と聞かれたら、二つ 返事で引き受ける者はいないだろうなあ。
 第三章については、賛否両論が有るようだが、宗教に深く 関わる事だけに、致し方なかろうと思うが、作者の思いは 率直に伝わっているのではあるまいか。
 面白いか否か、上手か下手か等の問題の域外の作品 として、一読を要する作品である。


十一月十七日掲載

「露の玉垣」 乙川優三朗 新潮社

 今回は新しい作品を紹介することにしよう。年代を追って 行くと、こちらの寿命が保たない恐れが有るからな。
 今回は「露の玉垣 乙川優三朗 新潮社」を取り上げよう。
 新潟、新発田藩の溝口家に伝わる「世臣譜」をほぼ忠実に 再現したものと思われる。藩には藩の正史が有り、その編纂 を終えた溝口半兵衛が、家臣の譜を編み始めたのは、天明 六年のことと作者は推測している。方法としては鴎外の史伝 ものに似ているが、あれ程読者を突き放す事はしていない。
 五万石という小藩の困窮ぶりが、手に取るように描かれていて、 読者が時代物に期待するチャンバラやお家騒動には、とんと 縁のない作品だ。だが面白い。「むこうだんばら亭」では銚子 の漁夫を題材に同じ方法で、零細庶民の生活を活写していたが この作家、新しい分野の時代物を開発したようだ。
 西部劇のファンなら「大草原の小さな家 ローラ・E・ワイルダー」 を心得ていなければならないような関係になるかな。
 乙川氏は長編の時代物も達者な作家だが、この種の連作短編 で、時代物の基盤を固める仕事にも力を注ぎそうだ。期待して 見守るとしよう。


九月二十九日掲載

芭蕉の句

 先日朝顔の所で、芭蕉の句を引用したが、芭蕉としても 不本意な引用のされかただったかもしれない。私としても 芭蕉にケチをつける気で引用したわけではない。改めて 芭蕉の偉大さを私なりに確認し、芭蕉翁に失礼をお詫 びしておかなければなるまい。
 翁の凄いところは、いえば近代的な詩の技巧を、自然に 身につけているところだ。あるいは詩に近代も江戸時代も 無いのかもしれない。つぎの句は蕉風開眼の句として有名 である。

 『古池や蛙飛び込む水の音』 
  
 この句の何処が素晴らしいのか、三十歳を過ぎるまで私には 分からなかった。他人が良いと言うのだから、多分良い のだろう、ぐらいに思っていたが、納得せずに誉めるのは あまり愉快なことではない。ところがある時

 『閑かさや岩にしみ入る蝉の声』 
  
を眺めていて、ふと古池の句が頭に浮かんだ。蝉の 句の方は、何の疑問もなくうまい句だと思っていた。うん、 この二つの句、発想は同じではないか、少なくとも表現 しようとしている対象は同じものではないかという事に気 がついた。古池から蝉までの成熟度の差も見えた気がした。
 多分、古池というものが、私には対象としてやや曖昧だっただけ なのだろう。取り敢えず狙った対象と逆の物や現象を並べて、 狙いの的を浮き上がらせる方法で共通している。其処に気 が付いたときには、長年の胸の支えが解消した思いだった。 遅い、と怒られれば一言もない。だが分からないままでいる よりは、大袈裟に言えば人生が変わる。

 『海暮れて鴨の声仄かに白し』 
  
 音を色で表現するという表現技法もごく自然に使われている。 発句では自分より優れた者が弟子の中に何人もいる、自分 の得意は連句の捌きだと言ったそうだが、彼芭蕉が連句の捌 きをどのように行ったかという記録は残っていない。だから彼の発句 を超える者がいるとは私には考えられない。このことは場を変えて 考えることにしよう。今日は取り敢えずこの前の引用の仕方に ついての言い訳に止めておこう。


九月十四日掲載

秋の詩歌

 朝の散歩道の草花が、或るものは徐々に、或るものは 急速に入れ替わる。百日紅は流石に花よりは実の季節 になったようだ。
 近頃目に付くのは、鶏頭とコスモスである。私の見るところの 両者は、きちんとした庭に植えられ手入れをされたものではない。 朝顔と同じ塀の外に勝手に飛んできた物だ。それでも鶏頭はそれらしく 真っ赤な頭を振り立てているし、コスモスもそれらしくか弱そうな花を 咲かせている。鶏頭といえば子規の

 『鶏頭の14,5本もありぬべし』 子規
  
が有名だが、これは1メートル近く成長したものを詠んだに違いない。 私の見た物は僅かに30センチ程の物、ひよこの頭というところか。 不思議に鶏頭の句には、私の胸にグサリと来る物が少ない。子規の句だが いくら「写生」と言ってもどうなんでしょうねえ。私にはあまり魅力が 無いように思えるんですが、教養不足かなあ。

『コスモスを離れし蝶に渓(たに)深し』秋桜子

 この手の句を作らせたら秋桜子の右にでる者はいない。取り合わせが 絶妙なのだが、どこか作り物臭い。際どいな。

 コスモスは さだまさし作詞作曲 山口百恵歌の「コスモス」が私には 一番ぴったりくる。花の持つ雰囲気、淡い感傷性などが巧みに 掬い取られている。フオークだかニューミュージックだか分からないが 、吉田拓郎とかユーミン、「雨燦々」を作った小椋佳なんかは アラセヴンでも充分鑑賞出来ますよ。これからも良い曲をドンドン作って いただきたい。ただしロカビリー系統はさすがに支持者は少ないかな。 そうそう南こうせつとかぐや姫の「神田川」を忘れるところだった。あれも良い歌 だったね。
 不思議なのは僕等の学生時代を知っているような歌詞が 多いことだ。拓郎の「我が良き友よ」もこうせつの「神田川」、ユーミンの 「いちご白書をもう1度」なんかは、我々の学生時代とかなり重なる。ペギー葉山 の「学生時代」なんかもね。何だか懐メロ総めくりじみてきたのでこの辺 で止めておくが、皆さんますます良い歌を作ってください。待ってますからね。


九月九日掲載

朝顔

 本題に行く前に、この前雑感で言い忘れたことを書いておこう。
 他でもない。ロシアの北方4島に対するドケチぶりだ。 あの途轍もないだだっぴろい 領土からすれば4島など かすのようなものでわないか。何をけちっているのかさっぱり 理由が分からない。いろいろ理由はあるんだろうが、やくざ のからみをいくらも出ていない、優しく言えば駄々っ子のぐずり のようなものだ。腹立たしいと同時に軽蔑せざるをえない理屈 だ。もう少しまともな言い訳が出来ないものかと思う。ゆくゆく はそうゆうことが戦争の発端になるんだからね。気を付けて貰いたいものだ。

 さて本題に入ろう。朝の散歩の途中に朝顔の開いているところが 2カ所ある。一つは鉢植え栽培で盛りだくさんに咲かせているところと 何処からか飛んできた種が育って3メートルあまりの垣根をはい登って 花を咲かせているものだ。両者それぞれに見事なはなを咲かせている。
    
 『朝顔に我は飯食う男かな』 芭蕉
               
 『朝顔の紺の彼方の月日かな』 石田波郷

 これは波郷に軍配が上がるだろうなあ。でも彼は彼でいやいや これは私だけの手柄じゃありませんよと言うかも知れない。

『いかのぼり(凧)昨日の空の在りどころ』
                  蕪村

と、発想は基本的に同じだからね。流石に波郷の材料は近代 的で、その分目新しくて得をしているだろう。だが、蕪村の句は 萩原朔太郎が「郷愁の詩人与謝蕪村」で激賞している超有名句 だ。それに太刀打ちして、取り敢えず近代性だけでも主張できた ということは、実は並大抵のことではない。凧と朝顔、そこに時代の 違いというものが打ち出されている。両方とも私は大好きな句だ。 胸の何処かがじわりと締まり、やがて微かに湿る。詩人だなあ、二人とも。


九月二日掲載

落ち葉

 上田敏の訳詩集『海潮音』にベルレーヌの「落ち葉」が有る。

   秋の日のヴィオロンの
   溜息の身に染みて
   ひたぶるにうらがなし
   鐘の音(ね)にいろ変えて
   涙ぐむ過ぎし日の思い出や
   げに我はうらぶれて
   そこかしこ定めなく
   飛び散らう落ち葉かな

 あまりにも有名な詩句だが、今回の自民党の落選議員の 心境を、これほどまで適確に表現していたことに改めて気付き ベルレーヌは詩人であるとともに、予言者でもあったのかとさえ 思われた。
 秋 流しのギターでもよかろう、曲は船頭小唄の(俺は河原 の枯れすすき)あたりかなあ。行きつけのバーか酒場で苦い酒を 飲んでいる。木から落ちても猿は猿だが、選挙に落ちた議員は 只の人だという名言など思い出し時計を見ればはや真夜中過ぎ、 マダムも女将も愛想のないこと、今までの付けまで請求されて がっくりし、家に帰る気にもならず梯子する次の店を何処にしようかと 思い迷う、 な、実にぴったりだとは思わないか。お気の毒様でした。
カール・ブッセの

   山のあなたの空遠く
   さいわい住むと人の言う
 ああ、我他人(ひと)と尋(と)めゆきて
   涙さしぐみ帰り来ぬ
   山のあなたになお遠く
   さいわい住むと人の言う

 次の機会の当選に思いを致して苦い酒をぐっと飲み干す。 次の機会は吉か凶か、分からないのが本当に辛い。 実に面倒見の良い訳詩集だな、『海潮音』は。


八月三十一日掲載

正岡子規

 近代の詩歌を考える上で、正岡子規を抜かすわけには いかない。それは分かっているのだ。

『紅の二尺伸びたる薔薇の芽の
      針柔らかに春雨の降る』

 さすがに良い短歌だよね。O音の四カ所の配置、下の句 にA音を9個配置して音調を滑らかにしてしかもそれと気付かせ ない使い方など本能的なまでに彼は詩人だったと思う。 引き換え、発句でなく 俳句という言葉を創設した功績は認めよう。

『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』 子規

『幾たびも雪の深さをたづねけり』 子規

 千代田葛彦師曰く (子規って俳句が上手なんですかね?)実は私も密かにそう 思っていたのだ。虚子やら秋桜子の句の方が現代的だし 何より上手だ。

『啄木鳥や落ち葉を急ぐ牧の木々』 秋桜子

『遠山に日の当たりたる枯野かな』 虚子

 まあ俳句を独立した文芸としたことが、子規の俳句への 最大の貢献としておけばいいか。 上田敏の海潮音についも聞いて貰いたいのだが、それは 又の機会にしよう。


八月三日掲載

句歌鑑賞

 久しぶりに抜け羽を書き足そう。今までは主として 現代的な句、歌をもてはやしてきたが、今回は 明治の短歌といこう。この時代はやはりこの人、 与謝野晶子でしょうなあ。

『何となく君に待たるる心地して
      出でし花野の夕月夜かな』

 晶子なら 柔肌の と思うのは早とちり、麻雀しながら上の 短歌を口ずさんでみる。するとあら不思議、てっきり危険牌 だと思っていたのが、こっちもハネ満三面ちゃんだから、えい と ばかりに振ると通ってしまったりする。何回かそんなことが有った。 お勧めのお呪いだが、振り込んでも私の責任ではありませんからね。 晶子も麻雀くらい楽しんだんじゃないかなあ。雀士の気持ちを こんなに的確に表現するなんて、知らない人にはできないこと だと思いますよ。


七月二十七日掲載

もう一人の宗匠

 東天句会の話をしたままだったが、私はもう一つの句会にも入っていた。 職場で月1に開いていたが、同僚のK君が主催し宗匠もKくん推薦の 千代田葛彦氏であった。葛彦師は秋桜子の直弟子で、馬酔木の同人 だった。彼は俳句を詩に高めようという、強い信念を持っていた。彼に 誉められた私の句は

『繊月の韻き幽かに湖凍る』
(せんげつのひびきかすかにうみこおる)

だった。師曰く、確かに繊月は韻くのだよな。 すると師はサンボリスムの詩を俳句に求めていたのだろうか。 そういえば、秋桜子の きつつきや落ち葉を急ぐ牧の木々 もサンボリスムの気配濃厚な句かもしれない。サンボリスム は象徴主義とか象徴派とか訳されるようだが、詰まるところ 気分とか雰囲気のような、とらえどころのない物を、言葉の網 に引っ掛けようという考え方らしく、ならば我が国の新古今集 あたりはそれらしいような気もする。しかし、いくら気分だ雰囲気 だといっても、実感が伴わないとねえ。 ここらで葛彦師の代表句を紹介したいのだが、忘れた。悪い弟子だ。 このサイトを読む方なら、「千代田葛彦」で検索して下さい。 風車の句あたりが紹介されていたと思いますよ。


七月九日掲載

句歌鑑賞

『新宿は遙かなる墓碑鳥渡る』 福永耕二


 この句を見たのは「馬酔木」でだったか、鳥肌の立つ 思いがした。感動なんてものではない、俳句で此処まで 表現できる奴がいようとは、という恐怖に近い何かだった ような気がする。で、鳥肌が立ったのだ。惜しいことに夭逝 されたが、今生きていらしたら、いやこの句の時点で既に 秋桜子を遙かに超えていた。秋桜子の句は私の見るところ、 蕪村を始めとする天明の俳人を、いくらも超えてはいなかった。 少なくとも

『冬菊のまとうはおのが光のみ』秋桜子

では私の鳥肌は立たない。世の中には凄い人がいるものだ。

短歌では

『マッチ摺る束の間海に霧深し 
  身捨つるまでの祖国は有りや』寺山修司


の切れ味にぞっとした覚えが有る。人間の現実的存在を、短歌 というジャンルで、こんなにズバリと言い切れるとは想像もできなかった。 小説では、まだ此処迄凄味のある物は出ていないのではないかな。 有ったとして、少なくとも私にとって探す楽しみだけは残っているわけだ。


七月三日掲載

『暁冥む風や縮の雪晒し』 大野 尊汀


この句、昭和56年の全国俳句大会選句集の、いわゆる 選句集の中に採られている。尊汀と号した記憶は薄いが、 この年5月に 「れぷぶりか」 の11号が発行され、その一画に 俳句 「蝶の夢」として2頁にわたり、12句を松亭の号で発表している。 序でだからその12句を此処に載せることにする。


『 声変わりして頼もしき鬼やらひ 』 松亭


『 梅林のインコ野生の風を喰む 』 松亭


『 沈丁花聖母黒衣を翻す 』 松亭


『 紙芝居の悪玉斬られ鳥雲に 』 松亭


『 朱鷺色の風が揺れをり牡丹寺 』 松亭


『 遮断機や崩れ初めたる雲の峰 』 松亭


『 夕寂びの風に影添ふ秋桜 』 松亭


『 凍蝶の夢掌に囲ひけり 』 松亭


『 暁冥む風や縮の雪晒し 』 松亭


『 繊月の韻かすかに湖凍る 』 松亭


『 薄明に目を瞠けり撃たれ鴨 』 松亭


『 聖堂の灯を温めけり寒椿 』 松亭


昭和60年の大会には下記上段、61年には下段の句が選句集に採られています。 いずれにせよ、美濃派とか獅子門流とかのそしりは免れぬところですな。

『 凩や明かりの尖る飾り窓 』 松亭


『 眼鏡拭くベンチの端の花疲れ 』 松亭




六月二十九日掲載

『 風絶えて瞼の落ちる暑さかな 』 松亭


『 魚の背に秋閃きて飛びにけり 』 松亭


『 上京(かみぎょう)の果てや時雨の小柴垣 』 松亭


『 凩を石にまとひて 芭蕉案 』 松亭


『 風花やありとしもなき幼恋 』 松亭


『 風光る澪にもじりの二つ三つ 』 松亭


(もじり)は魚の群れが作る波紋のことです。 これらの句は1978年ごろ、私42,3歳の頃の作です。その頃 句作を始めたわけです。晩学どころか老学という語が有れば その最たるものでしょう。最初の句と最後の句がどうにか体裁 だけはそれらしいか、らしくないか怪しいところで、他はどうしよう もありませんな。私だってこんなもの他人様の目に晒したくはあり ません。恥を忍び、初心者の句の例としたまでです。汗又汗。 季節の汗ではありません。


六月二十六日掲載

『 秋桜風に影ある裏通り 』 雀連


『 小手鞠のしだるる空の青さかな 』 雀連


『 白南風に揺るる薄雲狐塚 』 雀連


『 掬いこむ雲の青さや紫木蓮 』 雀連


武蔵野、三鷹に住むようになってから詠んだ句には「雀連」の号を付します。 これらの句は全てH21年6月中の作です。次からは古いものから紹介させて頂きます。


六月二十五日掲載

我が宗匠について

私の俳句の宗匠は猿山木魂(さやま こだま)師である。 師は飯田蛇笏の直弟子の一人だ。合本俳句歳時記 (角川書店編S53年発行)の200頁に

    どうだんの白鈴の花日を振りて  猿山木魂

の句が載せられている。俳句の世界ではそれなりに名を 知られた方なのだろう。つまりは私が自ら選んだ師では なかったということだ。東天句会という会に入ったら、その 会の指導者が木魂師だった。会員に太田克美師と野村 登師がおいでだった。私が句会に入った最大の理由はこの お二人が会員だったからである。高校時代「詩の会」という グループがあり、その指導をこのお二人がなさってくださった。 その会に誘ったのが、K子だったのも詩の会に入った理由の 一つだったかも知れない。東天句会に誘ったのもK子だった。 k子が誘えば大野は必ず入ると睨んでK子を使ったとしたら、 我が師お二人ともさすが教え子の性格の把握は確かなものだ と今更ながら感嘆する。それぞれ酔骨、孑々(げつげつ)なる 俳号で東天句会の重鎮であったのは当然のことだったが、実は 私が高校生の頃からこの句会が存在したらしいのだ。 松戸に住んでいた私は、松戸の亭主というところで松亭 (しょうてい)と号した。無責任な俳号である。現在は三鷹 下連雀に住んでいるのだが、どうも適当な新俳号を思いつかない。

『 明け易し鳥の湖塔の空 』 松亭

(ルツエルンにて)H七年。 塔の空とは付きすぎと思うが、ま、良いかということになると途端 に句のレベルが下がる。この次は修行始め辺りの句から 紹介するとしようか。


六月四日掲載

『 水の香のかなた下総草団子 』 松亭

  昭和58年 第32回全国俳句大会
橋本鶏二氏特選

『 たんぽぽのわた打ち上ぐる仔牛の尾 』松亭

何回目かの全国俳人大会で、確か高木晴子氏(だったと思うのだが
記憶が曖昧、その時の冊子は紛失して手元に無い)の選の何番目かに入った句。

『 桟橋の声の朧にロープ投ぐ 』松亭

この句は確か当時の毎日新聞の俳句欄、堀口星眠氏の選の中の一句。 あの頃は結構俳句に熱を上げていた。宗匠が良かったお陰であろう。 我が宗匠についてはまた別の機会に述べるとしよう。




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